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はてなの匿名ダイアリーに張り付いて素性不明の人らが書いた針小棒大でウケ狙いも多々ある真偽不明の体験談にいちいち真に受けたり感心したり考察の材料にしながらコメントしたところでなにかの理解や知識が深まるというわけでもなく、マジで時間の無駄でしかないから止めた方がいいと思う。
千田さんに対するキャンセル、学者本人としてはアカデミックな領域で清水さんや小宮さんからやられるほうがダメージが大きいとは思うけれど、一般読者としての立場からいうと高島鈴が『現代思想』や『ユリイカ』でやっている行為のほうが悪質・深刻だと思う。
社会的制裁を生み出すような道徳感情は集団や社会の秩序を維持したりするうえでは不可欠なはずであり、社会的制裁が望ましい結果を生み出すこともあるけれど、法律的な制裁と違ってコントロール不可能でありいつ望ましくない結果が出るのかもわから… https://t.co/0QvYpBtOmm
おれにとってのはてな村、ハックルとかシロクマとかアジコとかは存在は認知していたけれど興味の対象ではなく(失礼)、筆頭がhokusyuで、apemanとかinumashとかfont-daとかbuyobuyoとかhokke-ookamiとかflurryとかあのあたりなんだよね。
みんなが本当のところ批判したいのは「文系学問の一部が左翼的・フェミニズム的な規範的主張にドリブンされていること」であって、そこに含まれる社会学もあればそうでない社会学もあるし、人類学や哲学や文学だってそこに含まれたりするけど、なんとなく「社会学」を叩けばいいことになっている。
(これはこれで子供っぽい意見ではあるのだが)「“俺”(わたし)が是とする表現しか存在を許さない」くらいのことはガンガン言っていいと思うんだけど(批評ってそういうところあるし)、そこを「俺」ではなく「わたしたち」にするところがみっともないんだ、と常々思っているね。
カルスタとか文化人類学っぽい議論をしている人らとは大学院の前半の時にほんのちょっとだけ関わったが「ある文化を研究することでどんな学問的知見が得られるか」ということを論じるよりも「ある文化を研究する上でどのように配慮したりどのような態度をとるのが倫理的に正しいか」ということばかり…
「義務を果たさなければ権利を主張することができません」という主張とそれに対する反論としての「権利を主張するのに義務は関係ない」という主張が定着し過ぎているせいで「誰かが権利を持っており、その権利に対する義務を別の誰かが持っている」という考えを理解したのが大学院生になってからだった
俺は大学に入る前からフェミニズム系の評論を多少は読んでいたので「こういう行為はマウンテンティングと呼ばれて相手を不快にする行為であるんだな」と知って自省していたが、大学に入ると学部のキモオタサークルでも大学院でも知的マウンティングに興じる連中が基本的にモテていたので理不尽感あった
「私の同級生たちは、人種・ジェンダー・性的指向・ジェンダーアイデンティティに関してなら、1日中話し続けることができた。だが、社会的階級(または、社会-経済的地位と私たちが呼ぶもの)というトピックが話題に挙がると、同級生たちはためらいがちになって黙ってしまったものだ。…
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