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パリ五輪
twitter.com/takehiroohya
まあパリでもロンドンでも見た人にはわかる通り移民は緩やかであれクラスターを作って集住するのであり、その背景としては彼ら自身の生活の便宜も大きい(彼らを集める社会的圧力の存在を否定するものではない)。母語で会話する相手がいて食料品店があって言葉の通じる専門職がいる方が安心でしょ?
何が言いたいかというと、大学の自治を重視する観点から警察官か確認したり入構目的を問い詰めるというあたりまではいいのだが、有形力の行使に及んでしまうと足をすくわれる危険があるのを心配している。元々のポポロ事件でも学生側の暴行行為が有罪になってる点には要注意。
ポポロ事件の頃とは、大学キャンパスの一般社会への開放度という面でかなりの差があることは踏まえておくべきだろうと思う。京大との協定が、たとえば警察官が仕事関係の調べ物のために法学部図書室を利用しようとする場合をも射程に入れたものか、どうか(勤務中だが警察力の行使とは言えない場合)。
つまりは沈黙している多数派を敵に回す道を選んだということであるので、是非とも頑張ってほしい幸あれかしと思うところである。 RT @t_kawase こういう場合の「中立」は、向こうへの荷担に他なりませんので。
旧軍コスプレの人間を仮にも政党の宣伝車に立たせるというのも当然ながら大変にいかがなものかと思うわけであるが、黒い襟章なら憲兵だという程度のことも知らない人々がその歴史感覚の鈍磨を批判するというのも何やら地獄のような光景ではある。
Professor of Jurisprudence, Keio University Faculty of Law. Dean, Keio Univ. Correspondence Courses. Visiting Prof., Nagoya Univ. PhD Professional Office.
今回の都美術館の作品は見ていないし、現代美術の鑑賞眼があるとも思わないけど、主張を文字にして貼り付けるあたりで悪い予感がバリバリとはする。文字にするなら議論にして説得責任を負うべきで、それを「作品」にするのは責任回避かつ感情動員じゃないのか、という。
端的に言えば、授業とは教室という権力装置を用いたマイルドな洗脳に他ならない。それが許容されるのは、授業外の時間を学生が豊富に持っていることによって自律的に思考し・授業の内容を相対化することができるから。インターバルを与えずに授業内でdecisiveなことをさせるのは本当に危ない。
PDCAサイクルって、Plan(計画)→Disaster(破綻)→Chaos(混沌)→Action(とにかく何とかする)だよねえ、普通。
ふと思ったが、町田の市立小学校に入学する児童は基本的に町田市民であると考えていいのに対し、町田市所在の私立学校(朝鮮学校含め)に入学する児童はそうではない。するとやはり両者を区分して取り扱うことの合理性は否定できないな。
つうかね、芦部先生を知らない改憲派はあほおであるとは私も言いたいが、それを指摘してドヤ顔する人たちは三先生をはじめとする法律学者を大切にしてきたのかね。特に国立大学の経営基盤を不安定化させて給与を削減した民主党の人間がドヤ顔してるのに至っては、ムカデに這われろと思うよな。
@issengorin @shinichiroinaba ご指摘ありがとうございます。あの種の単純にして乱暴な議論は否定するしかないし、そうするとそう見えるのではないかと思うところもありますが、しかし挑発的に書く癖がその問題を強調しているかもしれません。
@hokusyu82 @shinichiroinaba だから免責する気はないけど同情もしたくなるというか、「悪の頂点」がないというか、責任者探しよりシステム設計をやり直す方が建設的なんじゃないかという話にはなるかと思いますが。
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