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tysat1103.hatenablog.jp
清濁併せ呑むという言葉は、人物評としては人間の大きさを示す誉め言葉のように思っていたが、最近はそうでもないようだ。歴史上に名を残し、社会に大きな影響を与えてきた、ある面では悪人であり、また別の面では善人でもあるような、ある時は偉人と呼ばれる、所謂清濁併せ呑む人達は、情報が一方通行だった時代を生きてきた幸せな人達だったのかもしれない。 例えば原敬、大隈重信とか歴史教科書に出てくるそれぞれ大きな仕事をした人たちだが、当時の人はこれらの人物についてどれほどのことを知っていただろうか。汚職とか、よほど大きな不法行為をしなければ、どこで何をしゃべったとか、誰と会ったとか、何を食べたとか、細かい情報が伝えられることは無かった。 ある人は妾を持ことは男の甲斐性だと放言し、政治資金で高級料亭に入り浸っていたのかもしれないし、多少の賄賂は受け取っていたのかもしれない。しかし、そんなことに誰も興味を持たず、ま
最近このブログで、俳句をやっていた当時のことを書いたことが何回かあり、そのたびに、当時の事を思い出すようになった。こんな機会が無ければ、ほとんど忘れていたこともたくさんあったが、いろいろお世話になった人や、新入会員として一緒に句作をした北原さん、凡草先生に勧められて参加した全国大会で詠んだ句なども思い出した。 見上ぐれば 凍てつく星の宴かな これに選者の票が入ったときは嬉しかった。 子供の頃から、つまらんことをいつまでもよく覚えているといって、親にも呆れられたものだった。短い期間だったが、当時詠んだ俳句は、その時の状況も含めて、今でも覚えている。しかし、これも度が過ぎると負担になってくるのかもしれない ついでにもう一つ、本社句会で、席題が「霞」だった時に詠んだ句だ。 矩形連綿一望団地霞かな これは、当時近所にあった、滝山団地やひばりが丘団地の光景を思い出して詠んだものだ。どうかなと思ったが
平昌で行われている冬季オリンピックは、ちょっと盛り上がりに欠けるようだが、高梨のジャンプを見ていて、札幌冬季オリンピックの、日の丸飛行隊を思い出した。調べてみると、昭和47年2月6日(日)だったから、二十歳の時で、おそらく寮の娯楽室で、多くの学生と一緒に見ていたんだろう。マスコミは表彰台を独占した笠谷、今野、青地の三人を日の丸飛行隊と呼んでもてはやしていた。観客も2万5千人というから、平昌とは桁違いだ。南国に住んでいると、ウィンタースポーツとは無縁で、4年に一度、にわかファンになって大騒ぎして、また忘れてしまう。その繰り返しだったな。 この大会では、ジャネットリンというアメリカのフィギュアスケートの選手が人気だった。オリンピック終了後に、選手村は団地として売りに出されたが、後にその中の一室で、ジャネットリンの宿舎になっていた部屋を購入したら、本人の落書きが見つかって大喜びしたという話が、ニ
あと10845日の続きだが、不思議な偶然は父方の伯父とH教官との間にも起きていた。この伯父は地元の気象台に勤めていたんだが、何年間か中央気象台にいくことになった。ちょうどいい機会だと思って、歴史が好きだったので日大の夜学に入り、さあ勉強しようとしていた矢先に招集されてしまった。そしてその後終戦まで陸軍の軍属として気象観測をするようになった。 さてその経緯だが、H教官の話を聞いたのはやはり材料工学の授業中だったので昭和46年だな。終戦間近の昭和20年、H機関士の船が千島列島最北の占守島付近の岩場に座礁してしまった。いろいろ試みたがどうしても離礁できない。これは大潮まで待たなければだめだということになり、ひと月ほど冬ごもりになったらしい。ひどい吹雪だがボイラーも炊けたし、食料も十分あるのでなんとかなるだろうとそれほど心配はしてなかった。付近には人家はないが、陸軍の小さな気象観測隊が駐屯していた
憲法記念日 国旗掲揚しない 平成28年3月31日で仕事を辞めた。定年退職後の5年再雇用の契約だったが、あと1年を残して辞めてしまった。経済的な損得で言えば明らかに損だ。女房にはいろいろ文句を言われた。また、周囲からは何かやりたいことがあるのですかとよく聞かれたが、そんなものは無い。生きるために生きてきただけで、別に何かをやりたいがために生きてきたわけではない。生きる手段として仕事を持ち、家族を養い、子供を育て、両親を見送り、仕事をやめた。あとわしが死ねば1つのサイクルが完結することになるが、さていつのことか。 去年叔父が亡くなったときに叔母から面白い話を聞いた。うちの一族は癌にならなければ94歳まで生きる長生きの家系らしい。そういえばわしの親父も94歳で死んだ。祖母も、親父のいとこ連中もみんな94歳らしい。この話をしてくれた叔母は88歳というので、よせばいいのに「それでは叔母さん、あと6年
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