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ノーベル賞
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元禄6年(1693年)=大きな堀を持つ幕府の米蔵「矢ノ御蔵」が出来ました。水路・隅田川も整備された。 「両国橋」は万治2年(1659年)架けられが、天和元年(1681年)12月の水害で流失、元禄9年(1696年) 完成したが、この地図の橋は「仮橋」で、浜町寄りに在った。 ☆印=本所「吉良邸」の有ったところ、地図には名前は記される事は無かった。 大石内蔵助ら47士は仇討ち後、両国橋手前で左折、外堀に沿って永代橋(1698年完成で地図には まだ無い)を渡り泉岳寺へ約3時間の行列、旗本・大名・役人は黙認、おとがめは無かった。 吉原は移転し、堀も埋め戻され「元吉原」の地名は残るが、いずれ名も消えてしまった。 この頃から物流の拠点は上流の浅草寄り(蔵前)へと移動、掘割・水路は埋められ上屋敷・町家となる。 江戸後期=安政6年(1859年)「矢ノ倉」移転後、堀は埋め戻され、両国橋は広小路の方へ移動された
こだわりの七味唐辛子、日本三大七味「やげん堀」「七味屋本舗」「八幡屋礒五郎」七味発祥の地で今でも続く「大木唐からし店」日本橋両国界隈の江戸時代の古地図、古い地名の由来、両国花火など情報満載。 唐辛子は中央アメリカ・南アメリカ・西インド諸島が原産地で大昔から栽培されていた。 コロンブスがアメリカ大陸発見の時、中南米チリで「インディオ」が痙攣や下痢の薬として使っていた「唐辛子」を 発見(1493年頃)それをスペインに持ち帰えった。 その後、スペインから日本へ「漢方薬」として入った。 1625年(寛永2年)薬を工夫し、食に利用できないか考案したのが「からしや徳右衛門」と言われています。 これが後の「やげん堀唐辛子本舗」で「日本三大七味」の一つです。 江戸時代の中期、両国橋西側たもとには薬(漢方薬)問屋と医者の多くが集まっていたので、この地で発展した。 その後、現在の浅草に移転しました。 七味の「
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