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大谷翔平
www.cinema-st.com
「昔みたいにお客さんが、ぎょうさん入ってくれませんから経費削減のために映写技師から機械のメンテナンス、挙げ句の果てはトイレ掃除まで全部やっていますわ」と、笑顔で語ってくれた岡本正義氏が支配人を勤める『八千代館』は京都の中でもひと際華やかな場所、河原町にある成人映画専門館(新日本映像と大蔵映画を週替り3本立興行)だ。メイン通りを一歩入った路地にあるせいか、周囲は落ち着いた雰囲気を持っている。 「以前は、成人映画の興行成績でもウチは全国で常に5本の指に入っていたもんです…ところが、年々お客様の年齢層も上がって来て一番映画を観に来て欲しい30代の方が来なくなってしまった。」と苦笑いをするものの成人映画を観るならココ、とこだわっているファンも多い。「ウチに来られる方は常連さんばかりですから…中には女の子同士2~3人で来たり、更には毎週一人で通っている女の子もいたり…と、自然と顔見知りになりますね。
名古屋駅から程近く…新幹線口からブラブラ昔ながらの中島商店街をひたすら歩く。駅の反対側とは全く違う時代がそのまま止まったかのような街並を抜けると住宅地のど真ん中に突然と成人映画館が目に飛び込んでくる。映画館のある通りは歓楽街のような華やかな場所ではなく、斜め向かいには味のあるお寺が建っている横丁だ。上映前の朝10時半…自転車に乗った老夫婦が映画館の入り口を開け、開場の準備を始める。近所のご夫人が犬の散歩の途中で「おはようございます。寒くなりましたねぇ」と挨拶を交わす。戦前からこの地でお芝居から映画へと興行一筋に行ってきた『中村映劇』の朝である。「もう、この街自体が古いですから映画館と街が馴染む…というよりも一体化しているんです」と語るのは現支配人の小坂健一氏。元々戦前は芝居小屋だったコチラの劇場を小坂氏の祖父が購入し、戦後になって映画館として立て直したという。 朝、劇場を開けていたのは小坂
渋谷という街の持つパワーは底知れない。この街に集まる人々が求める情報量は多岐に渡り、そして常に最先端を走っている。だからこそ多種多様な作品を上映するミニシアター文化が栄えたのも人々の欲求に応じる自然な流れだったのかも知れない。そんな渋谷に常にバラエティに富んだ作品を送り続けている劇場がある。1985年11月にオープンした『シネセゾン渋谷』だ。道玄坂の入り口にあるザ・プライムに在るコチラの劇場はフェリー二の“そして船は行く”でオープニングを飾って以来、幅広い年齢層に指示される劇場として注目を浴び続けている。 「渋谷系ミニシアターというとサブカルチャー作品…いわゆるエッジの効いたメッセージ性の強い尖った作品の印象が強いと思うのですが、ウチの劇場はその中でもエンターテインメント性の高い作品を上映しているんです。」とスタッフの高原太郎氏は語る。「ただ単に芸術性や問題作を追い続けるのではなく映画を幅
木更津市内に唯一あるボーリング場とゲームセンターが併設されている映画館『木更津セントラル』は、不良少年たちの溜まり場でもあった。昭和40年代のボーリング、ビリヤードブームを経て、当時の中・高校生たちは用もないのに、この場所に集合してちょっとだけ大人になった気分を満喫していた。戦後から数々の洋画を送り続けていた“旧木更津セントラル劇場”があった場所に、昭和47年に設立された“セントラルボウル”の建物。斜陽の時代にあった映画館運営をしばらく休止した後、昭和50年、ブームが過ぎて下火となってしまったボーリング場のあった3階を映画館に改築し、“セントラル劇場”と“セントラルシネマ”の2館体制で再スタートを切った。 平成18年5月に“セントラル劇場”を閉館し、現在は『木更津セントラル』1館で運営を行っている。「ちょうど劇場のロビーが遊技場になっているおかげで、お馴染みの学生がたむろしたりして…それが
縦8.85メートル、横20.2メートル。バレーボール・コートに匹敵するその面積はココ『新宿ミラノ座』のスクリーンサイズだ。座席数、広さ共に日本一を誇るコチラの劇場は今では数少なくなった大劇場の迫力を満喫できる貴重な映画館なのだ。昭和31年12月に“放浪の王者”でオープンして依頼500本以上の大作や話題作を送り続けている。現在に至るまでのヒット作を挙げても“ジョーズ”“E.T.”“ロッキーシリーズ”“ディープ・インパクト”“A.I.”など劇場の歴史を窺うことが出来る。作品としてはハリウッド・メジャーを中心としているものの“存在の耐えられない軽さ”などの重厚な人間ドラマも扱っている。新宿歌舞伎町という場所柄か平日の昼間はスーツ姿のサラリーマンが目立つが、お客様の層としては若いカップルから子供連れのファミリー、熟年層に至るまで幅広い。また「眠らない街、歌舞伎町」の中心地にあるせいか土曜日のオール
銀座で交通量の多い晴海通りの地下を横切るように存在する『銀座シネパトス』。1950年代に三十間堀川を埋め立てて出来た銀座四丁目の三原橋地下街に、1967年にオープンした“銀座地球座”と、翌年にオープンした“銀座名画座”という2つの映画館が前身。1989年にヒューマックスの直営館『銀座シネパトス』という館名でリニューアル・オープン。“銀座地球座”を2つに分割して現在の3館体制をとっている。自動券売機でチケットを購入してお目当ての作品を上映している劇場へ入場する。『シネパトス1』のロビーは思ったよりも広いが、『シネパトス2・3』のロビーは猫の額か鰻の寝床。ロビーでゆったり…なんて昨今のミニシアターとは対局にあるのが潔いではないか。場内はいずれもワンスロープで、お世辞にもどの席からでもゆったり観賞が出来るとは言えない環境だったが、嬉しいのは前方列の座席に角度が付いていてリクライニング状態で観賞出
「映画館には、そこに訪れていた人たちの匂いがついていると思います。その匂いというのが、その人たちの想い出であったり夢であったり…映画館はただ映画を映すだけの建物ではなく、思いがいっぱい詰まっている空間なのです」と場内に今でも残る壊れた座席を見つめながら副館主の青山弘樹氏は語る。東映のヤクザ映画が全盛だった頃、映画に熱中したあまり荒々しい観客が前の座席を蹴飛ばしたため座席が傾いてしまったという。そんな時代の流れがストップしたかのような昔と変わらない映画館が名古屋市郊外の西尾市にある『西尾劇場』だ。昭和15年9月2日に岡崎市にあった龍城座を移築。関西歌舞伎の十三代目片岡仁左衛門の柿落としで芝居小屋としてスタートを切った。 「昔は、そんな映画と一体になるお客さんばかりでした。昔は商店街の中に映画館があって地域の人々が共有していた空間だったと思うのです」 街の主役が映画館であるべきと語る青山氏の言
かつて私たちが住んでいた街に映画館が必ず1館はあった。時代は流れ映画館は街から姿を消し、電車で映画を観にいく事が当たり前の世の中になってしまった現在(いま)…東京の郊外を走るJR中央線にある閑静な住宅地─阿佐ヶ谷に1998年11月、映画館がオープンした。懐かしさの残る店舗が建ち並ぶスターロード商店街を抜け、住宅地の真ん中に突然現れるユニークな外観。丸みのある土壁のビルを見上げると風車が風に吹かれてクルクル回っている。その個性的なデザインは道往く人々の足を止め「何だろう?」と中を覗き込む…その名も『ラピュタ阿佐ヶ谷』。宮崎駿のアニメ映画“天空の城ラピュタ”から採った館名が示す通り、オープン当初はアニメ映画専門館としてスタートを切った。 オーナーである才谷遼氏自らが設計案を考えたこだわりは、外壁に淡路島産の土を使用したり階段などには廃材を上手く活用したりと至る所に見えている。「この劇場はどうし
昔から上野という街は時間の流れが止まったまま昭和という時代を今に残している…そんな不思議な魅力に溢れている場所だ。終戦直後、ヤミ市、盛り場が存在していた不良っぽい独特の匂いが漂う繁華街。だからこそ、昔からこの場所に愛着を感じ、上野をこよなく愛する人々が自然と集まってくる。東京という都市に一番最初に足を踏み入れる駅が上野であった時代、大都会の持つ迫力に圧倒された学生、集団就職で上京してきた人間たちにとってやっぱり“遊ぶ”と言えば上野なのだ。そんなギンギラギンに光り輝く電飾に誘われて『上野オークラ劇場』に足を運ぶファンたちは、その当時から通い詰めている常連が多い。アメ横と平行して走る中央通り沿いに昭和27年、東映の封切館“上野東映”としてオープン、経営母体である大蔵映画株式会社が自社で映画を製作するようになってから現在の館名に変わった。 全盛期には激戦区だった上野だけでも8館あった成人映画専門
◆アーティストフィルム 良質の作品を次々と送り出す新鋭ヒットメーカー。新作、ビデオリリースをグラフィック主体とした構成で紹介。 ◆アートポート 話題作、問題作、B級ホラーからアクションまで幅広く扱う。新作映画紹介、ビデオリリース情報満載。 ◆アジア映画社 韓国、イラン、インド、台湾映画の配給。フィルムレンタルからビデオ、出版物の取寄などの情報掲載。 ◆アスミック・エース エンタテインメント インディーズ系作品にいち早く目を向け数々の話題作を送り続ける。最新作、DVD、ゲーム等の情報満載。 ◆アップリンク 最新作から過去のライブラリーまで充実の自社配給作ラインアップ。自社直営の劇場や施設情報を紹介。 ◆アルゴピクチャーズ ユニークな日本映画を数多く提供。最新情報、DVD情報など充実。さらにメルマガ配信も行っている。 ◆アルシネテラン 「エルム街の悪夢」を筆頭に各国のオールジャンルを扱う配給会
ゴトゴトと世田谷線が走り、京王線が交差する街─下高井戸。いつも活気溢れる商店街から少し離れた…歩いて1~2分程の場所にココ『下高井戸シネマ』がある。昭和30年代前半に木造平屋建てでオープンした当初は“京王下高井戸東映”という東映の封切館だったが昭和55年に名画座へ転向、館名も『下高井戸京王』に変った。「当時は名画座が全盛の頃で、名画座に転向する封切館がかなりあった時代だったんです。まぁ建物もかなり老朽化してきたものですから閉館するか名画座にして再スタートをするかの決断に迫られたんですけど…名画座になってからは順調で…結果的には正解だった訳です。」と、当時を振り返って語ってくれたのは支配人でもあり経営者でもある荒河治氏。その5年後にリニューアルして現在の建物になった。 半年後に当時の経営母体だった京王が、映画興行から手を引くという事になり、昭和63年から別の企業が引き継いで、現在の『下高井戸
昔ながらの商店街と数多くの雑貨屋が建ち並び、古くから演劇と音楽の街として親しまれてきた下北沢。「本多劇場」や「ザ・スズナリ」といった小劇場やライブハウスが点在するこの街に『シネマ下北沢』がオープンしたのは1998年。映画製作現場でスタイリストとして携わってきた宮本まさ江支配人が現場の経験を活かし、自分たちが作った映画をかける小屋を作ろうと仲間のスタッフたちと作り上げたのが設立のきっかけだという。演劇に夢を抱いた者たちが通っては演劇論に華を咲かせたスナックが並ぶ「鈴なり横丁」の一角にある─かつては非常設の映画館だったコノ場所を美術スタッフたちが協力して外観から内装までを手がけ、わずか二ヶ月という短い期間で映画館に変身させた。「映画の企画から配給・興行までを一貫して行いたかった」というコンセプトの元に生まれた劇場だけに上映作品も個性的でありながら、映画を愛する人々に優しい…そんな作品が多い。オ
■新世界国際地下【大阪市 浪速区】 新世界に集まる常連さんから慕われ続ける成人映画館は男たちの憩いの場。 ■東座2【長野県 塩尻市】 塩尻市にある成人映画館は、地元のお年寄りにとって、かけがえの無い自分だけの居場所。 ■石巻日活パールシネマ【宮城県 石巻市】(2014年8月29日閉館) フィルム上映にこだわり続ける根っからの映画人が運営する成人映画館。 ■横浜光音座【神奈川県 横浜市】 横浜の夜はココにお任せ。ゲイから競馬好きまで楽しく集う社交場。 ■金星劇場【神奈川県 横須賀市】(2012年8月末日閉館) 基地の街、横須賀に今も残る昭和歌謡の雰囲気漂う成人映画館はアヴァンギャルドな薫りに満ちている。 ■水戸銀星映画劇場【茨城県 水戸市】 フィルムが残っている限り続けていく…地元のファンに支えられる成人映画館。 ■宇都宮オークラ劇場【栃木県 宇都宮市】(2014年8月29日閉館) かつてギ
■Shimane Cinema ONOZAWA【島根県 益田市】 過疎化が進む山陰の港町で閉館した映画館に再び映画の灯をともす。 ■萩ツインシネマ【山口県 萩市】 日本海に面した山陰の城下町で戦前から映画の灯をともし続けてきた町の映画館。 ■イオンスペースシネマ野田【千葉県 野田市】 創意工夫とお客様の目線に立った温かみある接客で楽しい時間を過ごせる映画館。 ■シネマハウス大塚【東京都 豊島区】 自由を使ってください…をコンセプトに、かつての仲間が立ち上げた上映施設。 ■蠍座【北海道 札幌市】(2014年12月30日閉館) 北の都にある居心地の良い小さな劇場―そこは、温もり溢れるこだわりの名画座。 ■夕張市民会館シネサロン【北海道 夕張市】 夕張にたったひとつ、行政機関が運営する珍しい常設映画館。 ■週末名画座シネマパレ【秋田県 秋田市】(2017年2月26日閉館) ロードショー館からミニ
老舗デパートが建ち並びショッピングの街として栄え、若者から年輩の方まで幅広い年齢層の人々が集う街─銀座、有楽町。夜になると、きらびやかなネオンサインのイルミネーションが通りを華やかに照らし出す。渋谷が若者を中心としたサブカルチャーの街とすれば、ココは本物だけが持つハイソサエティーな街だ。そして、映画の街として古くから親しまれてきたもうひとつの顔…戦前から映画という文化の灯を灯し続けてきた場所。JR有楽町駅前にあった日本屈指の大劇場“日劇”は映画、舞台、音楽と永い年月数多くの名作を送り続けてきた。 昭和16年に歌手、李香蘭が舞台に立った時は長蛇の列が劇場の前にできたという逸話を残している。そんな“日劇”が駅前再開発によって閉館し、1984年“有楽町マリオン”として生まれ変わり、かつての“日劇”の名を受け継いだ映画館が3館、このビルの中に誕生したのだ。各々、東宝が直営する映画館のチェーンマスタ
東京─神楽坂、今でも路地に入ると粋な三味線の音が聞こえてくる街だ。一方では再開発が進みオフィス街となってしまった飯田橋が面している。そんな近代的な雰囲気からちょっと抜け出したような路地に成人映画専門館『飯田橋くらら劇場』がある。昭和26年10月に特選洋画館としてオープン(設立時はクララと片仮名だった)。各映画会社が次々とピンク映画を作り出した30年代後半に成人映画館となる。当時は濡れ場のシーンだけがカラーになるというパートカラー全盛の頃だ。「最初は映画館にするつもりなんてなかったんだよ。本当は麻雀屋にするつもりだったんだけど…成人映画をやらないかって誘いがあって始めたんだな」と語る代表の浮田稔夫氏。当時はにっかつが本格的にロマンポルノ製作に乗り出しており宮下順子、谷ナオミなどの看板スターを次々と輩出していた。「絶頂期の時はお客さんもかなり入っていたよね。毎回、立ち見でそれでも入り切らないん
本ホームページは5つの映画館から構成されており、上の建物をクリックすると映画館の紹介ページへジャンプします。 下の映画館紀行の看板をクリックすると映画館のある街を紹介するページへジャンプします。 ■『シネマポスト』 下関の漁港口にあった郵便局をリノベーションしたミニシアター。 ■『シネマスクエア7』 瀬戸内に面した工業都市にある街の人たちに慕われるシネコン。 ■『Shimane Cinema ONOZAWA』 映画の灯が消えた街に再び14年ぶりに復活した映画館。 ■『jig theater(ジグシアター)』 大きな池を見下ろす高台の閉校した小学校にある映画館。 ■『萩ツインシネマ』 細やかなサービスで快適な時間を過ごせる昔ながらの映画館。 ■『京成ローザ10』 次々と新しい試みを打ち出す千葉中心部にある老舗映画館。 ■『イオンスペースシネマ野田』 細やかなサービスで快適な時間を過ごせる昔な
近くにJRAの場外馬券売り場があるため土・日の競馬開催日となると競馬新聞を片手に多くの常連たちが詰めかける。実はコチラでは競馬開催日に限ってはサービスの一貫としてロビー横のスペースに設置されている大型プロジェクターで競馬中継を行っているのだ。「これは先代の支配人が競馬好きで馬券を買いに来たお客さんがゆっくりと話しながら集える空間を提供しようという所から始まったんです」と言う通り口コミで広がったこのサービスで昔馴染みの常連たちが競馬中継の合間に映画を観たり、常連同士で歓談したり和気藹々とした光景が見られる。“ココは映画を観る場所であり、皆が仲良く話しが出来る社交の場にしたい”という先代の支配人の口癖を現在に引き継ぐスタッフの手によって昔と変わらない姿でお客様を出迎えている。 「異業種から初めて映画興行の世界に入って最初は無我夢中で、2~3年は殆ど休みなしでしたよ。」横浜の古くからの歓楽街─野
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