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やる気の出し方
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舞子高校は、震災直後から市民救命士(心肺蘇生法)の資格取得に全校でとりくみ、教育委員会が作成した防災副読本「明日に生きる」の実践事例集づくりにも参加するなど、県内の高校では先進的な実践を進めていた。被災地に位置する学校で、防災教育の実践があり、屋上には防災型のソーラーパネル(NEDO:新エネルギー開発機構)が設置されているなど、学科設置の条件がそろっていた。 防災教育を専門に行う学科は全国に先例がなく、教育課程の編成は試行錯誤を重ねた。研究担当の教員が大学を訪ね、防災会議やセミナーに出席し、書籍を読み、行政の防災セクションの助言を仰ぎといった作業を積み重ね、何とかカリキュラムの形を作ったのが平成12年(2000年)11月。教科は「環境防災」、科目は「災害と人間」「環境と科学」「社会環境と防災」「自然環境と防災」など、すべて学校設定科目とした。 防災教育を学校の核に据えるため、環境防災科設置
「私は阪神・淡路大震災を全国、全世界に最初に放送しました。」宮田氏はあの日のことを次のように語られた。 31年間、アナウンサ−として、ダイアナ妃の死や、神戸事件の犯人逮捕や、時効寸前の福田和子の逮捕など、さまざまな事件を放送してきたが、未だに忘れられないのは、この阪神・淡路大震災のことだ。当日、「おはよう近畿」を放送するために、4時半に起きて、4時50分にタクシ−に乗り、5時10分に大阪中央区馬場町にあるNHK大阪放送局に入った。5時半に4階のニュ−スの部屋に行き、下読みをしていた。あの日のメインニュ−スは、中村鴈治郎が「曾根崎心中」の「お初」役の、千回目の公演を行ったという、実に平和なものだった。原稿の下読みが終わった直後にあの地震が起こった。それは熟睡している人を激しくゆり動かすような揺れだった。窓の鉄枠がガタガタ音をたてたがテレビが落ちるということはなかった。NHKのアナウンサ−は地
震災当時、私は京都にいた。揺れは大きかったがあまり被害はなく、これほど大規模災害になっていると思わなかった。 しかしテレビのニュースや、ラジオなどで被害の状況を知り驚いた。 当時は今のようにインターネットや携帯が普及していなっかたので情報収集に時間がかかった。 ◆ 自衛隊による人命救助の各日毎の生存率 17日 40% 18日 20% 19日 10% 20日 1% 3. 災害派遣における教訓 実行性のあるマニュアル作成 複数の情報収集手段と通信連絡網の確保 各機関の役割を細分割し確立 現場における指揮官の明示と適時適切な状況判断 4. 自衛隊の危機対処の要素 (1)スピード (2)活動地域 (3)専門性 (4)持続性 (5)自己完結能力 (6)活動における権限 自衛隊は災害・急患輸送・物資支援などもする。 兵庫県のなかで死者、倒壊家屋など一番被害が多かったのは神戸市だった。 また
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