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やる気の出し方
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最近、若い人と会っていると、ちょっと前とは違って、どうしたら良いでしょうかね?何が正解なんですかね?社会はどうなるのでしょうかね?といったことを通りぬけて、こうした上昇をもとめるということすらからも離れているように思われる。 これを意欲がないとか、生命力が弱くなっているとか、はたまた真面目ではないとか、草食人間だと、大人は言う。 何も考えずに、ハキハキといつも素直に好く言うことを聞く、やる気のある人間を作ることが戦後の教育の目的であったように思われる。その為に塾に行き、受験勉強に勝ち抜き、やってきた。そう成ると、其の努力の代償に、有名大学に入学できて、大きな会社で働くことができる。 すると一生、少なくとも経済的不安に置かれなくなって、安全に平和な生活が獲得出来る。という夢と幻想。これは戦争で全てを失い、モノが溢れるほどあること、お金持ちに成りさえすればアメリカに追いつき、世界に其の存在を示
最近、ウェブ社会の未来はどうなるのだろうかということを考えている。 果たしてこの巨大なウェブ(蜘蛛の巣のように張り巡らされた情報のネット)は人々を守りそして自由にしたのだろうか?あるいは人類を賢明にも良い方向に導いたのだろうか?と疑問に思うように成った。 自動車はヘンリー・フォードが発明して以来、自由な移動手段として人類文明に大きく貢献した様だが、今になって無限に発展することは地球にとってよくない、無限に沢山のエンジンをつけた自動車が走り回っても本当の人類の自由は得られないのではないかという考えがある。 むしろ人間の未来に取っては害になるかもしれないという集合知の流れがでてきた。ここでもっと踏み込んで、そもそも自由ってどういうことなんだろうと考えてみる。自動車がなくても移動する自由は確保されるのではないか、いや自動車は絶対必要だぞなどと考えるようになるのが自然の理という気がする。 自分が思
最近、twitterなどやり始め、何人かの人のつぶやきを見ていると、メールよりも考え方の推移というか、息をしている感じが解る。 人は公式見解のブログさえも何かよそよそしく思え初め、思考の推移、ものの見方と経験の瞬間を切り取ってのぞきそて其の人間に親近感や愛着やふとした感慨を感じるものなんだということが解った。 そういえば最近はとんと手紙も書かないし、雑誌も買わなくなったし、新聞は朝読むけど昔と違う情報世界に住んでるように思える。 しかし考えてみると子供のころは、本をプレゼントされそれを夜中まで読んだり、ノートを新しくしてそれを開くときの匂いや感激、鉛筆を丁寧に削って、新学期が始るんだと準備したり。 万年筆を色々集めて、書き心地の良い万年筆は羽のような書き心地なんて言って、モンブランだパーカーだペリカンだとかはたまたオノトとう幻の万年筆など集めたりして喜んでいたものだ。 ウーターマンもいい。
自由大学で靴磨き屋の講座をしている。長谷川君という若者が一文無しから靴磨きを始め大人気になり、靴磨きショップを骨董通りに出した。そして多くの靴好きから支持されている。 靴フェチとしての生き方の面白さと、現代の自由が利かないと思われている社会に一石を投じるものとして、これを講座に仕立ててみた。 長谷川君は別に学歴コンプレックスも、偏差値も関係なく賢く、カッコ良く、今までの社会で下層に見なされてきたことをさらっとやってお金もちゃんと儲けつつある。そしてついでにリスペクトも受けている。LAST THURSDAYではDJと合わせて颯爽と靴磨きをしていた。 また昨日は、往年のラグビー少年で気骨の在るハンサムなおじさまとお会いした。その印象が夜中に混じったのか、今朝おきたら、フリユニのキャッチコピーを思いついた。 アンタには教えてもらいたくない。 バカといわれて上等。 勝手に学んでどこが悪い。 自由に
昨日ノルウェイ人のクリスと、そのお父さんと御飯を食べている時、日本の教育の話になった。彼らは顔は外人だが完璧なアクセントで日本語を話す。クリスは幼稚舎出て大学はアメリカというパターンで、ほとんど日本人の基礎教育を受けてきたといえる。 そんな彼がアメリカの大学にいった時にショックを受けた話が面白かった。クリス曰く「問題を作れって言われたんです。今まで答えを出すことを教えられてきたのに、問題を作るというのは驚きでした。」と。答えよりも良い問題を自分で考えて、それを解く事が面白い。こういう話で盛り上がった。 「自動車会社がダメだから、電気メーカーか、それが難しいなら重工業に勤めたいです。」というようなな学生や。転職活動中の比較的有名大学出の人がいる。その人にとって働くとはある会社がダメなら他の会社、それもその会社の外から見たイメージと今の業績で判断し、それをセレクトするのが仕事を選ぶということ。
先日エスクァイア日本版の復刊の件で、スクーリングパッドに副編集長の小谷さんをお呼びした時に話題になったのは、この雑誌が常に求めてきたものはNYの粋な男の生き方だったということ。 そして教養を持ち合わせ、文化人でお洒落で経済的にもある程度豊かでダンディーな男の生き方とはどんなものだろうかと考えていると、日本人の武士道的な生き方とこうした金銭感覚との解釈が、今まで上手く整理されてなかったのではないかということに気づいた。 どういうことかというと、僕の格好良く勇気があって粋な男のイメージは、金銭感覚ばかり優れてお金を持っている人よりも、お金は関係ない友情や人生の目的は別にあると言い切っている人に傾いている。 そこで新渡戸稲造の武士道などを読むと、武士の品格は商人的な金銭感覚を超えたところにあると言うことを説いている。 しかし封建時代に侍階級は農地を持ち、そこからあがる何万石というお米、つまり財産
先日、友人のギャラリーオーナーが、講師として美大に教えに行ったら、ヤバかったという事を言っていた。何がどうヤバいのかと聞くと、生徒も先生もヤバいそうだ。 まず先生が一昔前のアート理論と有名画家を追っかけるだけで、本質的にアーチストに対してのアドバイスをすることができない。アートで生きて行こうという姿勢や方法がないままアカデミズムの元、アートを理論と実践から教えるだけだと言う事だ。 これは一般大学でも社会に役に立つという名の下、就職させるための教育を行い、ただ会社に送り込むためのものになっている事でも見受けられる。これでは専門学校と同じ姿勢で、本質的に今の時代を考えて世界観を持ってどう生きて行くかの力になれない。 ゴルフだってタイガー・ウッズにもレッスンプロがいるぐらいなのだから、アーティストやデザイナーなど創造的に仕事をして行く人にもレッスンプロの役割をする、インスピレーションが与えられ、
日本中にシンクタンクが38個くらいあるそうだ。それは全て大企業グループか政府系で、インディペンデントなものはないそうだ。 そして研究依頼やリサーチの依頼はほとんど問題と答えの間を沢山の研究で埋める為のペーパーワークであると友人が言っていた。政府が政策を決めていてその正当性を示す為に沢山の論文とリサーチを要求したり、企業も方針のもとにシンクタンクを使う。 真理は比較していろいろなことを喋ったり、自由な発想から論が立ちその比べ合う事のあとに共通の真実を導き、その導かれたものが論理として自立するもの、それは常にどうなるか解らない、危うさの後に来るものだと思う。 しかし現在はほとんど答えがある問題をどう解くかが問われている。学校でも答えがないものを問題にさえもしない。ここに先ず理性の危機の始まりがある。比べ合った結果、今まで良いと思っていたものが違っていたりするスリリングな論理構成がない。こうした
目が覚めた時や歩いている時、また色々な人と話している時などに、よく価値の基準の原点はどこにあるかということを考えている。 とかく人は一件落着するとそれが答えかと思い、そこで終わってしまう傾向にあるが、例えば遊び人や道楽者を突き詰めると、寄り道してはもう一度戻り、思い出しては考え直すような生き方になる。世の中には僕の様にそれが好きな人がいるものだ。 人はつい大きい小さいだと大きい会社が良いと思い、多い少ないだと多い方が安全だと考える漠然さがある。これを真理のように思い込んで、美しい汚いや良いか悪いかも考えずに、進歩と拡大や成長と充実の違いさえも忘れてしまう。 重要な事や大切な事とは何なのだろう。そう考えて、強い社会/弱い国家/新しい社会/古い価値、こうした要素の一つ一つをばらしてそれから再構成する。その時に何を基準/論拠に組み立てるかが、僕にとっては先ず大切だと思えて仕方がない。 それには前
今、未来の価値観がどこにあるかを考える事を核にMIRAI SOCIETY というインディーズのシンクタンクを作っている。しかし、資本主義が間違っているとかアメリカはおかしいとか、銀行は悪だとかいう事は言わないでおこうと思っている。 なぜならそれは次がどうなるかを予見できない人が現状を壊そうとする時のやり方だからだ。目先の敵を見つけてそれを攻撃する事により自分を浮上させるという手法は旧社会の常套手段。 自分たちにとって何が必要で、何が大切でかけがえのないものか、どこに価値があるのか、それを試験問題を解くように考えても答えは間違った方向に行くように思う。まずはほぐして、その後ろにあるストーリーを充分に考えてみる事。 僕は今、国連大学のカルチャー・アソシエーションで、この大学の意味と活動を飛躍的に向上させるべく、様々な方向からプロジェクトを行っている。青山の国連大学をグリーンで覆ったり、ギャラリ
先週末にデザイナーと福井県の産業振興課とに呼ばれて、北陸に行った。彼らは古いビルを再生して古木とコンクリートをうまく使ったオフィスを作っていた。ボクが来るというので会議の場所になった部屋を夜遅くまでかかって仕上げたという。彼らは僕が昔からやってきたプロジェクトの事も知っていてくれて、それも嬉しかった。 僕は何故か富山県や石川県や福井県の辺りに縁があり良く訪れる。この地域の人は良い人が多いし、土地も豊かで文化があり、鎮守の森や古い農家など昔からの日本の風景が残されている。福井の駅のそばの古いビルを改装するプロジェクトの話しについて僕の考えを話すとその通りにしたいといってくれた。 デザイナーたちや建築家達を集め、インスピレーションを得てもらうよう毎回色々な話しをするのだが、共通するのは東京以外の地域の文化的/地域的な豊かさが中々生かされていないということ。つまり日本中が勿体ない状況になってしま
朝の新聞ではソニーが2500億円の大赤字、トヨタやパナソニックも赤字、しかし任天堂はwiiが当たり最高益と報じていた。また机の上にあった週刊文春の特集ではソニーのエレクトロニクスを軸としたモノづくりが外人経営者によって駄目になっていると書かれていた。 朝お茶を飲みながら20分ぐらい新聞と雑誌を見て、枕元にある植物図鑑に目を通し、シャワーを浴びてから、代々木公園を歩いて原宿に向かう。日本にいる時はほとんど毎朝こうしている。これらはみな繋がっている一つのこと。 世界では電化製品や自動車やその他のモノがもうこれ以上いらない、いや増加しなくても良いという状態にある。しかしだからといって製造業がいらないという訳でもなく、良心的な良いものを丁寧に作るという姿勢に注意が集中し、現在の様なシンプルで安いだけのモノから、もう一歩踏み込んだ時代が来るだろう。 一方ソフト、精神的遊び、頭脳的満足を満たすこと、面
僕らが作ろうとしているウェブテレビ会社we-tvは広告の取り方として、オバマの選挙運動を参考にしている。 日本では政治家の後援会とはお金を持っている大企業か個人のお金持ちが自分の利害を考えて、この政治家を押さえておけばいいという事であり、純粋にその政治家の思想をや政策を支持しているかどうかとはかけ離れてしまっている。 マスコミや雑誌なども企業広告なくしては成り立たないから、自分の思想やジャーナリズムの基本である事実を自分の目で伝えるということからかけ離れてきてしまっている。その結果肝心の読者や視聴者にとっても面白くないものになってしまっている。 資本主義と情報を比較で考えると、企業が自由に金儲けをするのは良い。しかしこれは奇麗な景色の土地を土地さえ買えば自分のものと言わんばかりに勝手に線を引き、壁をつけ門を作り工場や建築を作り、土地持ってるから勝手に仕事をやって金儲けして何が悪いとばかりに
オバマがGreen Jobsという新しい仕事で300万人の雇用を創出しようとしている。社会が変わるので新しい環境系を意識した仕事を中心になるらしいが、今度取材してこようと思う。 一方日本では非正規雇用などと言ってる。僕は今まで雇われたことがない。自分の会社の社員にはなったことがあるが雇用されたという意識は持ったことが一度もないため分からないが、今まで100種類ぐらいの仕事をしてきたと思う。 僕にとっては自分がやりたいことや良いと思ったことでお金をいただくのが仕事で、人から言われたことを自分の時間の中で嫌々やったりすることはなかった。それに僕は周りの人もできる限り雇ったり、その人たちを使用人ということは思ったことはなく、親分として、守ってやる気やどうにか生活を守ったり、才能や、やる気をだしてもらったりすることに気を使ってきたつもりだった。 それで一時は350人ほどにお給料を払っていた。あとで
正規社員でない人が仕事をカットされているらしい。非正規社員や派遣社員はこの時期真っ先にクビになる。そして次は正規社員もカットされるだろう。最近こういったトヨタやホンダの下請けの話が良く取り上げられている。 一方、アメリカでは3大自動車会社は社長が20億ぐらいの年収をもらい、自家用ジェットで飛び回り、一方労働者も全米自動車労組は強く首を切りにくい。そこで公的資金を投入するのを議会が拒み、このままいくと、一度破綻して、みな解雇され新しい組織で再出発せざるをえない。 また日本の大企業は最近大きく変わってきて、株主に対する配慮株価を大変気にしている、いやせざるを得ない。だから決算ごとにその利益をあげるのに全力を傾けないといけないシステムになっている。売り上げが減れば当然経費を下げなければいけないし、そこで人件費が一番重要な要素になっているのでそれを減らそうとする。すると文句言われない派遣や、バイト
昨日も新聞やテレビでマンションの販売が落ち込んでいて今迄なかった不況だと報道していた。全盛を誇り産業の柱になっていた日本の大企業が赤字に転落したり、社員をカットしている。来年中には300万人ぐらいが首になるのではないかといわれている。 そもそもこうした産業の統計の基準になっている指数の基本姿勢は、会社は大きくなるもの、売り上げと利益は増えなければいけないもの、増大し続けることが優良企業の証、という暗黙の方向性があった。いや今もある。 だけど地球の人口が30年前の2倍以上になり、地球の自然のキャパが限られている以上、無限に増殖できると考えるのは無理があるのではないか。今迄消費意欲をかき立て、経済の拡大を企業と個人共に行ってきた。 ふと自分の生活を見てみると、別にいらないものを買っていることに気がつく。車は2台もいらないし、そもそも自転車があればいいはずだ。洋服も必要の数倍も毎シーズン買ってい
最近、スクーリング・パッドのクルーと旅行したり仕事で会ったりしていると、明らかにこうした優秀でデザイン感性が鋭い若者達は現在の世界の状況やそれぞれが置かれている社会での立場や仕事の仕方、少し上のジェネレーションの人達のやり方に疑問を持ち始めているのが判る。 80年代のバブルの崩壊は日本が製造業で築いた富を不動産や金融資産のようにバーチャルなものに頼りすぎたため、虚構が泡の様に飛んでしまったという事。その後、日本では新しくホリエモン達に代表されるように、合理的で新しいやり方での欧米型企業経営とコンピューター社会への期待から再びバブリ、またアメリカでも日本の80年代のようなバブルが崩壊した。 何かこうしたことが起きる東京という都市に暮らしていると、人々が動物のようにに思える。毒蛇やライオンやゾウやカバのような人がいるばかりか、冒険のように生きようと思っている僕としては都市はジャングルだと自分に
新聞で、売り上げが5%/利益が30%下がるだろうという予測に対して、トヨタの社長は「社会の経済の潮目が変わり、一企業の努力の限界を超えた。」というようなことを言っていた。 鉛筆一本までもきちんと管理し、コストを切り詰めて、企業としての改善努力を極限まで行い、省けるものを最大限省き、真面目に事業に励むという日本的経営の現在の理想型が、世界の潮流から限界点に達したのだろうか。 一方、マイクロソフトやグーグルのような、資産が人材/アイディア/知的所有権/ブランドにあるような会社の時価総額が、こういった製造業を超えている。 才能や情熱や時代を読む目を持った人々が集まる組織では、勤務時間の20%前後を仕事以外に使えといったりしてる。クリエイティブである為には同じ事だけをしてはいけないと。こうした企業では、社会貢献や多様な価値観視点の自由さこそが財産だという事だ。 そこではデザイン感覚やシャープな創造
このところcomについて考えている。 コミュニケーション(communication)という言葉は、意思の疎通/共通認識/意図の共有という意味として使われる事が多いが、現在ではそれがとりあえず知らせておけば良いという風潮になっているのではないかと思う。その前提条件としてある、何の為にコミュニケーションを図るか、各場面においてどう理解し合えば理想なのかについてはあまり考えられていない。 誰かと何かを一緒にしようとする場合、本当はまずこちらの状況を解ってもらわないと、何故そうしようとしているかが理解してもらえない。それと同時に相手のバックグラウンドが解らないと、こちらの一緒にやろうという方向も理解してもらえない。 しかし、一方的にこちらがこうしたいという事実、つまり、こうして欲しいと知らせる事に傾いてしまうという問題がある。「伝えておいたから良いはずだ」と勝手に解釈する事はコミュニケーションで
今から30年くらい前、毎年ミラノのデザイン展に行っていて、カッペリーニやドリアーデの展示会は入り口に人々が溢れて大人気だった。 パリのファッション・ウィークの盛り上がりに続いて、家具デザインや空間デザイン、ライフスタイルやアートや食のデザインまでも意識して、全てにおいて最高のモノを表現してみたいという衝動に駆られた。 僕はマリー・クリスティーヌ・ドロネー、フィリップ・スタルク、セルジュ・ムーユ、倉俣史郎、マーク・ニューソン、エマニュエル・バブレッド、オリビエ・ベドリン、ジャスパー・モリソン、ロン・アラッドなど世界中のデザイナーやアーティストやクリエイターや建築家などと話していて、一緒になにか新しい価値観を作り上げること、生活の探求、造形の真実、趣味の冒険を掲て行こうと思うに至った。 そこで世界は一つ、結局、生活の質、文化性が高いのが最高だと思うに至った。Sputnikという、世界中を周る、
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