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ノーベル賞
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先日行ったスピリチュアルセミナーで「承認のコップ」という概念を習ってきたので、そのことについて書いてみたいと思う。 私たちは誰しも、自己重要感…自分を価値ある存在だと思いたい、他人にも思ってもらいたい、つまり承認されたいと強く思っている。 その承認を得たいという欲求は、食欲・睡眠欲・性欲といった三大欲求を合わせたものよりも強く、求めているといった生易しいものではなく渇望と言い換えてもいいものだそうだ。 承認されていないと思うとき、食欲がなくなったり眠れなくなる。それほどまでに切望しているものだ。 「承認のコップ」という概念がある。 人の心の中には承認のコップというものがあって、中には、自己承認と他者承認の2種類の水が入っている。 コップが満たされている状態が幸せということだが、このコップが並々と満たされている人はそうそうはいない。 人は、人と関わらずには生きていけないから、自己承認だけでコ
どうにか会社には行っているが、コミュニケーション能力に自信がないし、人付き合いが苦手だ。 なるべく人と関わらないように、傷つかないように、最小限の付き合いをするようにしてきた。 踏み込みたくないし、踏み込まれたくない。 そういう人間だしそれでいいと思ってきたが、最近少しずつ外に出て初対面の人やよく知らない人にも会うようにしている。 全く人間関係を持たないで生きるって不可能だとか、そういう理由もあるけれど、スピリチュアルの集まりに出るようになって、少しずつ変わってきているのかなと思う。 それでも人前に出ることや人前で話すことは、私にはハードルが高くて、そういう集まりが終わって家に帰ってくると、気持ちがひりひりすることも多い。自己嫌悪でたまらなくなる日もある。 つまらない話を聞かせてしまうのは申し訳ないと思うと気後れするし、口下手で言いたいことをうまく伝えられない。ネガティブなことを言って浮い
最近やり方を教えてもらって、瞑想を始めた。 瞑想には、直観力が冴える、集中力がつく、頭がスッキリする、生産性が上がる等、様々な効果があるとされている。 副産物的にそういうことが得られたらいいと思うが、私が瞑想を始めた一番の理由は、心の平安、安心感を得たいからだった。 緊張を感じやすい・不安になりやすい・些細なことに動揺しやすい、そういう性格を少しでも変えたい、外側の状況に過剰に反応せずに、セルフコントロールを身につけたいという思いがあった。 瞑想にも色々なやり方があると思うが、教わったのは次のような方法だ。 静かな場所で、座禅など自分が楽な座り方で座り、手は自然な感じで膝などにおく。このとき人差し指と親指をつけ、印を結ぶポーズを取ってもいい。 背筋は真っ直ぐ伸ばし、姿勢を正す。 自分の呼吸を意識して、ゆっくりと鼻から息を吸って眉間の辺りで3秒ほど溜めて、ゆっくりと鼻から息を吐く。 眉間の辺
以前にも書いているが、母は愚痴や小言が多い人だ。 加えて人の悪口もある。 悪口と愚痴って似ているけど、止むにやまれず口を付いてしまうのが愚痴なら、悪口は言わずにいられない切実な理由がないのに言ってしまうのが悪口じゃないだろうか。ただ言いたいだけ。 disる、人を下げ貶めることで多分自分が偉くなったような感覚を覚えるのだろう。 意識的にやっているとは思わないけれど。 例えば父に批判が向かったときは、母は父と暮らしているので母的には言わずにいられないものがあるのだと思うから愚痴だと思う。だけど、私の友達とか、私に属する側の人間にも向けられたときは、別に切実に思うところなんかないと思うから、ただの悪口なんだろうと思う。 母のそういうところが嫌いなのだが、私は一人っ子だし、多分無自覚に母をモデルにしているような気がする。 私のコミュニケーションの取り方は母に似ているのだろうか。そう考えると怖くなる
以前の記事でも書いているが、一昔前に流行った自己啓発系セミナーがダメだ。(「自分を変えたくても自己啓発セミナーには参加したくない」) 前に会社の方針で参加させられて人前で自分の考えを話すのも苦手な私には本当に合わないなと感じた。 それが高じてセミナー全般に苦手意識がある。 全ての自己啓発セミナーがそうではないと思うし、自己啓発セミナーに偏見があることを自覚もしている。 それでも好きにはなれなくて、なるべくセミナー関連には関わらないようにしてきたが、人間関係でうまくいかないことが多くて、自分の中の禁を破って心理学とスピリチュアルの中間のようなセミナーに通い始めた。 セミナーの内容については、今は勉強している途中だが、自分の中で咀嚼できればこのブログに書くかもしれない。 具体的な内容については触れていないけれど、そのエッセンスは既に少しずつ書いていたりもする。 (もちろん参加者の個人的な事情に
どこにも出かけずくたくたと9月の連休を過ごしている。 スケジュール帳が埋まっていないと不安に思う人もいるみたいだが、休日の予定がびっしり埋まっていると逆にプレッシャーを感じる。 そんな風に何の予定もない時間が好きな自分なのに、少し前まで、世間の常識に合わせて、人と会わなければ、どこかへ行って新しい体験をして前向きに過ごさなければ、などと考えていた。 有意義に過ごさなければという強迫観念があって、それを少しも達成できない自分が不甲斐なかった。 時間を無駄にしているような気がして憂鬱だった。 最近やっと、別に休日の使い方なんか人それぞれでいいじゃないか、疲れを取る為にただ寝ていても思いっきり自堕落に過ごしても、それで人に迷惑を掛けないなら構わない、という気持ちになっている。リア充の人と同じことを自分に強いる必要はない。 取り立ててどこかに出かけなくても、洗濯もしたし、洗濯槽もきれいにしたし、部
知り合いに「会社に馴染めなくて人間関係がうまくいかない」という話をした。 「他人軸になっているんじゃないの?」という答えが帰ってきた。 昔から学校や会社という人の多いところ、集団が苦手だ。 「一対一だと割に平気でしょう?」 それはそれで気を使うが、まぁ集団よりはずっと気が楽だ。 「それは自分軸じゃなく他人軸で生きているから。他人軸。他者軸とも言うけど」 他人軸という言葉が新鮮に響いた。 確かにそうだ。人によって人格を使いわけるといった大袈裟なものではないが、八方美人でことなかれ主義のところがある。 会社で浮かないようあまり自己主張をしないし、めったなことでは相手の意見に異を唱えることはない。相手に合わせようとする。 それは能力という武器を持たない私が、何とか会社で生き延びる為に身につけた自己保身という鎧だ。 「他人軸で生きている人は、集団が小さいときはいいの。集団が増えれば増えるほど、どの
以前自宅で仕事をしていた頃、仕事関係の人からうさぎを飼わないかと持ちかけられたことがあった。 その頃ハムスターを飼っていたので、小動物好きなら飼ってくれると思ったのかもしれなかった。 「うさぎって?」 「うん。うちで飼い始めたの知ってるでしょ? 可愛いよ」 うさぎを飼い始めたことはその人本人が話してくれていたので知っていた。 プリンセス風の名前を付けて可愛がっていたのに、何かあったのだろうか。 「えっ、最近飼い始めたうさちゃんですよね?」 「うん。今まで生き物なんて飼えないと思っていたけど、いざ飼ってみると結構ちゃんと飼えることに気づいてね、自信がついたというか。これなら犬も飼えるんじゃないかと思って。本当にほしかったのは犬なんだよね」 「じゃ一緒に飼えばいいんじゃないですか?」 「いや。うさぎと犬はケンカしちゃうし一緒には飼えないでしょ」 驚いた。驚いたというより驚愕した。 ペットを飼っ
匂いは記憶と結びついている。 特に夏には特有の匂いがあって、その匂いを嗅ぐと様々な感覚が夏特有の色彩や音と一緒になって呼び覚まされる。 あまり学校に馴染めなかった子供の頃の私は、夏休みに祖父母のいる田舎へ行くのを何より楽しみにしていた。 私は王様のようにわがままいっぱいに、長くて、それでいて短い夏休みを過ごした。 茹でたてのトウモロコシの甘い匂い。 食べるのが待ちきれなくて鮮やかな黄色の実にかぶりつくと、歯茎が痛くなるくらい熱くて、はふはふしながら頬張ったこと。 夕立に濡れた地面の匂い、雨の匂い。 濡れて一段と濃さを増した夏の植物の圧倒的な生命力に、少し怯えながら見とれたこと。 花火の火薬の匂い。 灯された誘蛾灯に呼び寄せられる無数の虫。 カナブンが青いライトに何度もぶつかるのを耳障りに聞きながら、手持ち花火をくるくると回して「キレイでしょ?」と花火の残像を得意げに祖父母に見せびらかしたこ
はじめに コニュミ障な管理人が最初に読んでほしいこと、管理人がどういう人間なのかの紹介です。 2.管理人について 1.はじめに 生きづらい人たち 管理人が関わった生きづらい人達のことなど。管理人のことも含めて書いています。どういう風に生きていけば楽なのか、そういうこともこちらに書きます。 87.自罰的思考がいきすぎると苦しくなる- new!! -86.罰のように生きなくていい- new!! -85.すべての人にOKの答えなんかない 84.深い息は心と身体の状態を表す、一つの指標 83.どうしても行きたくない気持ちになった 82.非二元。「私」という夢から覚めて、わたしを生きる 81.「自分を好きにならなくては」と考えるのが苦しいなら、それを一旦忘れてもいい 80.人に防衛的である限り温かな関係は築けないのだろうか 79.エネルギーがスカスカなまま、人を助けねばならないと思い込むとき 78.
新しいことを始めたり、今までのやりかたを変えたりしたとき、結果ってすぐにはついてこない。 多分それが勉強や仕事、趣味やダイエットとかでもそうだけど、結果出るまでにはタイムラグがある。 稀に才能や運に恵まれて、すぐに結果を出せる人もいるけれど、多分そう多くはない。 「こんなに頑張っているのに」「やっぱり自分には才能がない」 成功体験の少ない人間は、努力が空回りしているように思えて、途中で投げ出してしまうことが往々にしてある。 やり続けていれば結果が出るということを知らないから、前向きな気持ちを保つのが難しい。 時間を無駄に使っている気がして、気持ちがざわつく。 そしてやっぱりくじけて諦めて、できない自分を自分の中にインプットしていく。 次からのチャレンジは更に厳しいものになる。 頑張りが認められた経験があれば、結果が出るまでに時間がかかっても、いつか報われる日を素直に信じることができる。悲観
2023.3.21そんなこんなで自死について考えてみた(投稿者/かずさ さん)2022.7.4 自罰的思考がいきすぎると苦しくなる2022.7.2 罰のように生きなくていい 2022.5.10 世人の支配から逃れて本来性を取り戻す…ハイデガー『存在と時間』2021.11.7 共時性…偶然の一致に、他ならない自分が意味を見出すこと2021.10.24 私は欠陥品だなと思います(投稿者/まる さん) 2021.5.11 努力をしてきて幸せになれたはずなのに、今もつらい(投稿者/ありえる さん) 2021.5.5 4歳で生きるのを辞めました(投稿者/りょう さん) 2021.1.13 「余計な事を喋るな」という圧力でいっぱい(投稿者/pixy さん)2020.8.31 すべての人にOKの答えなんかない2020.5.12 このままどうなってしまうのか不安でたまりません(投稿者/むう さん)2020
「私、会社に行きたくないと思ったことないです」 年下の同僚の子が言った。どうしてそんな話になったか覚えていないけれど、彼女は明るく屈託なく明言した。 「あっ、実は俺も」そんな会話が始まる。 こっちに話を振らないでと心の中で祈った。 「私も思ったことないです」なんて嘘は口が裂けても言えないし、「私なんかいつも休みたいですよ」なんて冗談が許されるキャラクターでもない。 一点の曇りなく「会社が大好き、休みたいなんて思ったこともない」と言える人がうらやましい。 自慢じゃないがいつも辞めたい葛藤をかかえながらどうにか会社に来ている。 小さな頃からずっと、クラスの子との関係がいいときも悪いときも、学校になんか行きたくないというのが正直な気持ちだった。 「友達に会えなくなるから夏休みって嫌だよね」なんて友達に言われると、否定もできず曖昧に頷いていた。 心の中では、春休みと夏休みと冬休みがくっついてずっと
(「みんなの生きづらさ」/投稿者:もじゃ さん) 日本に住んでいると年齢に凄くとらわれる気がします。 自分は気にせずにいたいと思っても、女性は若い方が良いとか ○歳だからこういう格好は出来ないだとか、もう落ちつかなきゃとか テレビを見ていてもいちいち何歳というのがテロップで出たり。。。 そんな中で生活していると自分も年齢が気になり嫌になります。 海外の人っていくつになっても自由というか好きな格好をして好きな生き方をしてとてもイキイキしている気がします。 私は33歳ですが、年齢を言うと「結構いってるね」などと言われます。 何がいっているのでしょうか。何を基準にしているのでしょうか。 20代ではなくなったらもう若くはないのでしょうか。 働くにも年齢制限があります。30歳を超えると仕事を変えるにも難しくなってきます。日本にいる限りは年齢を気にしていかなければならないのかなーと思うと生きづらくてな
何年か前の話だ。 遠縁にあたるおじさんから電話がかかってきたとき、誰だかわからなくて少し混乱した。 電話がかかってくるような親しい関係ではない。どうやら親戚の誰かに電話番号を聞いてかけてきたらしい。 「くろたまちゃん久しぶり。おじさん最近副業を始めてね、すごく身体にいいドリンクがあるから教えたいんだよね。会えないかな?」 おじさんは結構遠くに住んでいて、その日用事があって私の住む町まで来るのだという。 なんだか嫌な予感がしたが、朴訥で誠実な感じのおじさんに嫌な印象はない。 おじさんが遠くから来るということ、とっさに断る理由がみつからなかったこともあって、気が進まなかったが会うことにした。 そのドリンクを薦められたらと思わないわけではなかったが、普通はわざわざ警戒させる副業という言葉を使わないだろうと高を括っていた。仮に買わされそうになっても、口下手なおじさんなら私が嫌だと言えばそれ以上薦め
学生時代の友人が家に泊まりに来るのが苦痛になっているという記事(泊まりに来る友人を断りたい)を書いた。 断りきれずに泊めることになったのだが、正直一緒にいても以前のように楽しめない。 遊ぶ分にはいいのだが、正直気を遣うので、泊まるのも泊まられるのも好きじゃない。 その友達からまた遊びに行きたいという話があって、その顛末について書いてみようと思う。 彼女は少し離れたところに住んでいて、遊びに来るのにもお金がかかるのだから、泊めるのも仕方ないよね、と自分自身に言い聞かせていたように思う。 友達なんだから、自分にできる最高のことをしなくてはならないという思い込みがあった。 細かいことに頓着せずに「いいよ。いつでも泊まりなよ」と言える女性は、余裕があって理想的だと思う。 でもそれは「私」じゃないんだ。 彼女は何度かうちに泊まりに来ているが、私は一度も彼女の家に泊まったことがない。 泊めてと言えば泊
学校や会社という組織が合わないという人は確実に存在する。 私もそうだ。今も、働きたくない、会社を辞めたいと考えている。 昔から集団で何かをすることが嫌いだった。授業が終わると、楽しそうに遊んでいるクラスメイトをしりめにさっさと家に帰っていた。家に帰って一人遊びやするのが好きだった。 人付き合いが苦手なので、人と一緒に仕事をすると見張られているようで息が詰まる。いつも他人の顔色ばかり見ているので神経も休まらない。あまり興味のない人達と当たり障りのない会話することがひどく難しい。決まった時間に起きて会社に行って、一定時間拘束されるのがたまらない。 何故みんな普通に会社に行って、色々不満はあっても、働くことができるのか不思議でならない。 他人に指図されないで自由に生きたいと思う人にとって、組織に属することは苦痛である。会社とは利益を得る為に社員が協力し合って成り立つ組織だからだ。勝手は許されない
2024.3.27 私にはフリーランスは無理だった 2023.3.21そんなこんなで自死について考えてみた(投稿者/かずさ さん)2022.7.4 自罰的思考がいきすぎると苦しくなる2022.7.2 罰のように生きなくていい 2022.5.10 世人の支配から逃れて本来性を取り戻す…ハイデガー『存在と時間』2021.11.7 共時性…偶然の一致に、他ならない自分が意味を見出すこと2021.10.24 私は欠陥品だなと思います(投稿者/まる さん) 2021.5.11 努力をしてきて幸せになれたはずなのに、今もつらい(投稿者/ありえる さん) 2021.5.5 4歳で生きるのを辞めました(投稿者/りょう さん) 2021.1.13 「余計な事を喋るな」という圧力でいっぱい(投稿者/pixy さん)2020.8.31 すべての人にOKの答えなんかない2020.5.12 このままどうなってしまう
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