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スキャンダルの大盤振る舞い、損失補填、末野興産、コスモ信組、東洋信用金庫、尾上縫 バブルの前後から金にからむスキャンダルが連発します。これまでにも、豊田商事事件、茨城CC事件、リクルート事件、蛇の目ミシンなどの総会屋による乗っ取り、恐喝事件の話をしました。それ以外にも、 ・富士銀行赤坂支店を舞台にした巨額不正融資事件 7160億円 ・第一勧業銀行麹町支店の不正融資事件 88年発覚 35億円 ・本州製紙の株価操作に係る事件 Wikipediaから、1980年代、加藤暠は、仕手集団「誠備グループ」を率い、宮地鉄工所、岡本理研ゴム、安藤建設、石井鉄工所、丸善、日立精機、不二家、西華産業、カルピスなどの株の買占めに走り、企業側から高値で引取らせるなどを通じて影響力を強めていきます。加藤が手掛けた銘柄は、加藤銘柄、誠備銘柄などと呼ばれ、どれも大きく値上がりしたことで話題を呼び、加藤の影だけで相場が
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金ピカの時代~ギャンブル天国~ 金余りは、空前のギャンブル・ブームをもたらします。 大型のゲームセンターが本格化するのも、この頃です。専用の椅子に座って操縦桿を握って対戦するタイプが人気を集め、競馬ブームも手伝って、カジノ式のゲームが隆盛に向かっていきます。16ビットマシーンが登場する、セガの全盛時代です。 バブル期の直前、暴力団を背景にしたポーカー喫茶で、ポーカー賭博ゲームが密かに、そして相当に大ぴらに行われ、サラリーマンが数百万円の借金を負う事件が頻発します。あちこちで警察の手入れが入り、警察と暴力団のいたちごっこが発生します。 ゲーム10円、1円をうたい文句に顧客を集め、当れば一晩で50万、60万が転がり込むが、当らなければ驚くような借金を背負う。 ポーカー賭博のゲーム機。これは最近のもの(探偵ファイルより) 10円ゲームの店がポーカーゲーム店 バブル
ポップオカルト <Pop Acult > 萩尾望都、 竹宮惠子、 大島弓子、 山岸凉子といった24年組 が70年代にデビューし、70年代後半にはメジャー男性向け週刊漫画にも連載が始まり、私なんかも、その時に初めて目にし、読み応えのある内容に驚いたことを憶えています。男性誌に登場した物語の多くが壮大なスケールを持ったものであったことも影響していると思います。少女漫画と、男性誌と一線を画していたものが、相互進入が始まった時期です。この壮大なるスケール感は男性漫画の中にも現れてきます。 宮崎駿監督の風の谷のナウシカを初めとした壮大なスケール感を持ったアニメ、作品群が大きな支持を集めるのも、この時代の雰囲気そのものです。 若かりし宮崎駿監督 ナウシカがオーム真理教の中でバイブルのように扱われたとされるように、壮大な物語はこの時代の精神世界観の一つの表れと言って良いでしょう。 ハルマゲドンに向かう中
ニューアカ New Acadenism 雑誌「遊」と同じ頃、中野幹隆による雑誌「現代思想」(1973~)、「エピステーメー」(75~79)が出版され、ニューアカに向う道筋が作りこまれていきます。 ニューアカの先駆けとなったのは、26歳で京大の助手になったばかりの 浅田彰さんです。 『構造と力』は、分かりやすく、明晰な持論を展開し現代思想のチャート式入門書を作り上げます。 その若さと、「スキゾ」「パラノ」という分かりやすい二項対立は流行語になります。 この手の本としては15万部という驚異的なセールスを記録します。浅田さんの功績は当時のフランス哲学の動向、主張なりを簡明に紹介したことにあります。 中沢さんと香山リカ さんの対談によれば(ポケットは80年代がいっぱい)、72年のあさま山荘事件(連合赤軍事件)以後の空白期を埋めようという意思が働いていたようです。 ニューアカのブームは精神世界ブーム
キューバ大使館の跡地に作られた期間限定の商業施設「OPERA」(サントリー)も評判になりました。パリのオペラ座をイメージしたもので、期間限定とは云いながら、作りがしっかりしていて、話題になったので覚えていますが、この建築がナチスを想起させるというので海外から批判を受けたという話は知りませんでした。このような期間限定の施設が次々とオープンしたのが、この時期の特徴です。六本木にできたノマド(NOMAD)もその一つです。 金余りの中で、膨大な巨大構築物、建設ラッシュの中で、建築デザイナー達は豊富な予算を背景に、自分達の思うがままの設計、デザインをしていきます。デザイーナにとって夢の時代です。 Nigel Coats Bofil Bofil Bellini Henri Gueyda Aldo Rossi Ricardo Bofill Leviア
美味しい生活 以前の時代には考えもしなかった豊かさがやってきます。給与から財形と呼ばれる住宅建設のための積立に対する優遇措置が行われ、住宅ローンが一般的になると、それまで大変な金額の貯蓄がなければ住宅の購入が図れなかったものが、サラリーマンでも住宅が手に入れられる時代がやってきます。サラリーマンにとって住宅を購入することが人生の大目標に浮上します。郊外に庭付き一戸建ての家を作ることが、男の甲斐性であり、ロマンになったのです。そしてその夢が実現していく中で、次に生まれたのが乗用車の購入があります。週末に一家揃ってレストランで食事をするというアメリカ型の生活が出現してきます。 新婚旅行で海外を選ぶのも誰でもが可能になり、グアムから始まってハワイ、アメリカ西海岸は定番で、やがてヨーロッパ、オーストラリアに広がっていきます。結婚年齢は年を追うに従って上がっていき、恋愛結婚が当たり前、見合い結婚は急
天井桟敷 演出:寺山修司 寺山修司は70年代のアングラ演劇の旗手であると同時に、時代のプロパガンダでした。 彼のアジテーション、書を棄てて街に出よ、家出の進めは、全国の少年少女に強い刺激を与えます。 このアジに誘われて、多くの若者達が天井桟敷に集結していきます。詩人として、TVなどの劇作家として彼は60年代半ばから有名でした。 競馬の評論までも行って、それまでのインテリにない大衆性から、独特のポジションにありました。 それが横尾忠則らと組んで、珍妙な建物(天井桟敷館、渋谷)を作って、何か怪しげな舞台を始めたという噂があり、スポーツ新聞などに取り上げられたのです。 当時のマスコミは、こんな胡散臭いものは報道しません。何しろ唐十郎は当時は無名でしたから、状況劇場もセンセーショナルで注目されたのですが、やはり寺山さんでした。 アングラ演劇の怪しげさと淫靡さは、独特で、当時は女の観客は少なかったく
状況劇場(紅テント) 演出:唐十郎 アングラ演劇の創業者であり、旗手であり、多くの同調者を生み出し、70歳近い今なお、劇団を率いて活動する、存在として圧倒的です。紅テントによる公演はサーカスを思わせるものがあり、後に状況劇場の影響を受けて黒テントや黄テントを生み出すことにもなります。紡ぎ出す言葉は夢幻的で、当時の他の演出家にも、お前のは全然、分からないと後から言われたりしています。 覆っていた左翼の風潮とは無縁でありながら、過去にいざなう満州、上海などの夢想、情念は独特です。 水の幻想が唐の世界であり、したたり落ちてくる、あるいは水辺、雨、池などが頻繁に登場し、生と死を結び付けています。 脚本家としての力は、演出力とほぼ同等あり、脚本は爆発的な販売力を持っていました。 初期の俳優達も素晴らしいとしか言いようもない。唐十郎本人、李礼仙、麿赤児、大久保鷹、四谷シモン、根津甚八、小林薫、そうそ
志摩スペイン村のパレード ~テーマパークだらけ~ 87年にリゾ-ト法が成立すると、全国で様々なリゾート計画が発表されますが、その中でも多かったのがテーマパークでした。 テーマパークといえば東京ディズニーランドですが、オープンが83年、驚くべきほどの成功がもたらされます。オープンから2ヵ月後には入場者は100万人を超え、全国から客をかき集めます。その後も一向に客足は途絶えず、半年後には500万人、1年を1ヶ月過ぎたところで1千万人。開園5周年を5千万人を超える来場者で迎えるのです。この成功は全国の自治体や遊園地経営者などをテーマパーク作りに走らせることになります。 83年には長崎オランダ村がオープンし、83年はテーマパーク元年と後から言われるようになりますが、それまでにあった大規模遊園地は10箇所程度だったものが、バブル期には一挙に40を超えるテーマパークがオープンし、猛烈な建設ラッシュが起
Home バブルの準備 ①首相の責任 ②超大国の衰微 ③リゾート&オフィス需要 ④ウオーターフロント ⑤金余り ⑥いけいけドンドン ⑦闇の勢力 ⑧資料 金ピカの時代 ①狂熱のディスコ ②バブリーな娘達 ③強き女 ④ねるとん ⑤ギャンブル天国 ⑥馬体の美しさ ⑦ダンシングで陶酔 ⑧デカラケで一流気分 ⑨白銀のゲレンデ ⑩スピードの快楽 ⑪キューの痺れ ⑫水中の夢幻 ⑬グリーンの夢 ⑭女にもてるには車 ⑮夢の邸宅住まい ⑯バンド天国 ⑰朝シャン ⑱肉体のエンタテイメント ⑲スーパー歌舞伎 ⑳オタク世界 あぶく銭の膨張 ①拾得物 ②歓楽街 ③ブルセラ ④F1サーカス ⑤クルーザー ⑥グルメ・接待 ⑦受験・就職・ボーナス ⑧海外旅行 ⑨メセナ ⑩空間プロデューサー ⑪天空へ ⑫黄金の夢 ⑬ジャパユキさん ⑭テーマパークだらけ ⑮雨でも野球を ⑯海を跨ぐ ⑰湾岸戦争 ⑱海外ブランド店の進出 ⑲
恐怖・不条理 ここに示す3人は、前の恐怖・不条理のメンバーに比べて、次の世代に属するものです。特に福山庸治は70年代というより80年代から90年代の人でありましょう。丸尾も花輪も活躍の中心は80年代でしょう。ここに取り上げるのは私の趣味というべきか。この3人に共通するのは圧倒的な画力です。3人それぞれに独特の怖さがあり、他の追随を許さないものがあります。 丸尾末弘 70年代は何と言っても左翼的な風潮の強い世の中ですが、劇的なものは唐十郎の演劇などにも見られるように右翼的な劇的なインパクトが底にあり、見世物や吸血鬼など幻影的な世界を漫画の中に取り込んできます。大ヒットとなる「少女椿」は見世物の世界で、ある種の少女の持つ夢想、貴種流離譚の世界を丸尾は描き込んでいきます。後期ガロの代表的な作家です。漫画の一場面をイラストに起こして販売されていますが、実に秀逸であり、高値で取引されています。 笑う
Form(姿の記憶) 残念ながら、姿の記憶として日本人のものが多くありません。 サイケデリック 70年代に入る少し前にサイケデリック、通称サイケが流行します。元々はLSDが発見され、吸引した時の恍惚状態から生まれたもので、下で述べるマリファナよりも、はるかに強力でしたが、手に入れるのにアメリカでも結構、難しかったことがあります。マリファナは合法化された国も多数出て、比較的煙草並みの感じでしたがLSDは危険視されました。サイケはデザイン、ファッションに取り込まれ、華やかな色合い、派手そのものでした。音楽や映像もありましたが、幻覚的過ぎて、吸引したことのない人間には、なかなか受け容れられるものではなく、それほど日本では大きなブームにはならないというか、よく分らなかった。先端的な連中が影響を受けたに留まります。 ビートルズ サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ 1967
村井秀夫:科学技術省大臣:大阪大学理学部大学院卒 松本知子:教祖夫人、郵政大臣 早川紀代秀:建設大臣:大阪府立大学大学院卒都市工学 石井久子:教祖愛人、大蔵大臣:産能短大卒 上祐史浩:外報部長:早稲田大学理工学部修士卒 青山吉伸:法務大臣:京大卒、弁護士 井上嘉浩:諜報大臣:洛南高校卒 新実智光:自治大臣:愛知学院大学法学部卒 土谷正実:第二厚生大臣:筑波大学大学院化学研究科修士 遠藤誠一:第一厚生大臣:帯広畜産大学獣医 中川智正:法皇内庁長官:京都府立大学医学部卒医師 林郁夫:治療大臣:慶応大学医学部卒医師 高橋克也:諜報省:柔道有段者 妄想の暴発=オウム真理教 オウム真理教事件というのは、この時代、バブル崩壊とどのような関係があったのか、よく分からないままに、これまで取り上げてきませんでした。Wikipediaには詳細な内容が記述されていますから、私の方が取り上げることは少ないのですが
(貧民窟) 貧乏というものが分からなくなった時代では、なかなか理解できないかもしれません。貧民、あるいは貧困を発見するのは、日本では明治以降のことです。松原岩五郎『最暗黒の東京』を嚆矢とするもので、社会への関心を高め、貧しきものを救おうという運動と同時に、ある種のロマンティシズムを生み出します。都市の中に異界が存在し、それが金に塗れた世界ではない純粋な精神などの温床であり、そこにユートピア、ロマンを求めていく感覚です。社会主義というロマンです。もちろん、報道している本人達は社会に対して怒り狂っているのですが。 これは戦前の芝新網町 竜泉寺町の共同長屋 戦後、すぐの頃は、スラムという貧民窟ともいうべきものが、この地図にあるように、あちこちにあったのです。非常に多くは敗戦によってもたらされたアメリカ軍の爆撃による家や家族を失ったことが原因で
辻惟雄さんによる近世異端の芸術展が行われたのは、71年くらいのことでありました。著作の「奇想の系譜」の出版記念と合わせた展覧会であったように思います。それほどお客は入っていなかったような記憶がありますが、評判になったことは確かです。私もその時、初めてこれらの画家と絵の存在を知りました。彼らの絵は日本人好みという意味からは、相当に違っていましたから、何となくでも何でも知られるようになるには時間がかかりました。こういう絵に着目したのは外国人の方が早く、辻さんにしても外国人の後を追う感じであったでしょう。海外に流出する危機感から奇想の系譜をまとめたことが後書きにあります。 若冲も相当長い期間、まったく注目されず、二束三文で海外に売られたといわれます。蕭白なんかは特にそうであったでしょう。それが今日では、若冲は北斎に並び称せられるほどになっているのは、まさに隔世の感があります。それでも蕭白や芦雪は
金ピカの時代~狂熱のディスコ~ この大流行に私が気づくのは、週刊誌のグラビアに、お立ち台に立って、ジュリアナ扇子を持って踊りまくる娘どもの写真で溢れてからです。この下の写真で大勢が写っているものはバブル時代の写真募集で見つけたマハラジャとジュリアナ東京の写真です。 80年代はマハラジャを中心にした六本木がディスコの中心地で、80年代も半ばを過ぎると、ワンレン・ボディコンと言われる女性のスタイルが確立されていきます。男はアルマーニのスーツに、まっ黄色か青のネクタイ、金のジャラジャラしたものを身に付けます。 マハラジャ マハラジャを経営していたのは、常連さんに囲まれてニコニコ顔の26歳と23歳の兄弟だったとフライデーで紹介されています。ディスコでのアルバイト上がり、従業員には交際範囲の広い遊び人を選び、彼らの友人を呼び寄せて店の雰囲気作りをしたのだという実にバブリーな話が紹介されています。月の
新宿文化で1972年10月25日から11月20日まで、5つの演目を5日づつ、切り替えて行われました。 ・疱瘡譚 ・すさめ玉 ・碍子考 ・なだれ飴 ・ギバサン 芦川羊子、小林嵯峨、玉野黄市など土方巽の弟子達が総出演しました。 5つの演目、すべては見られなかったですが、3つは見たと思います。 最後の演目だったか、それとも次回の「静かな家」の公演だったか、土方さんがキリストを模した形で登場した時、それはアンチ・キリストだったのかもしれませんが、私には、神になったつもりかと、反発があり、これで終いだという気分がしたことを記憶しています。 まぁ、こんなことを言うのは私一人だろうとは思いますが・・・・。 以降、演出や振付を主体にするようになったのは、当然という感じがしていました。 自らがダンサーとして中心になって全体を引っ張るには限界に達していたと思います。それは最大の理解者であり、舞踏を作っていく上
Place(場所の記憶) この時代を代表する場所があります。私達、都会の若者達だけの特権的な場所であったように思います。 新宿風月堂(喫茶) 文化拠点として60年頃から70年代前半の時代の象徴的な存在が風月堂でした。滝口修造、白石かずこ、谷川俊太郎、寺山修司、三国連太郎、岸田今日子、天本英世などなどが集まったと言われ、ジャズが流れる文化的な雰囲気というか雑多というか、いい加減さも相当なもので、70年前後からアングラ、反戦運動、新左翼の拠点として名声、轟き、一日中コーヒー一杯でたむろできるというのでフーテンの溜まり場となり、ラリって階段を転げ落ちても追い出されなかったと。常時、アメリカやフランス、ドイツなど外人のヒッピーが30,40人出入りしており、マリファナやLSDが売られているという噂も立ち、伝説化しました。麿赤児の話によれば唐十郎と初めて出会ったのは風月堂だったと書いています。女性は1
ガロ三羽烏といわれた阿部慎一、鈴木翁二、古川益三。そして菅野修、安西水丸、ますむらひろしを紹介します。熱中したことはないので深くは知りません。沢山の作品を読んではいません。これは初期の頃の作品で、その後も大きくは変化しなかったように思います。ガロの特質を強く反映した作家だったと感じます。 安部慎一 この作品はガロNo.99 1971年のものです。自伝的な雰囲気の強い作品です。もの寂しい雰囲気と、戦争中の殺戮などがたんたんと話されています。阿部慎一のことはよく知りません。当時も、そして今も高い評価があります。 2009年に公開される予定の美代子阿佐ヶ谷気分のチラシから、採りました。 川 薔薇 鈴木翁二 夜行に掲載された作品です。少年の夢を描くことが多かったような気がします。この頃は暗さが基調になっています。 古川益三 これも夜行に発表されたものです。古川氏は今は、まんだらけの社長ですから、異
ガロ ガロが今日の漫画文化に与えた影響は、はかりしれないものがあります。青林堂社長であり、名物編集長であった長井勝一氏が『「ガロ」編集長』という本を書いています。ガロについてはWikipediaに詳しいですが、1964年に創刊され、創刊号は130ページ、130円で発行部数8000部とあります。大変な苦難の中で雑誌が作られました。当時も評価自体は非常に高かったのですが、一般の人達には暗く、よく分からない、の評価で売れない、中でも白土三平の連載が終わる辺りの80年代に入る頃は困窮の度合いを深めて行ったとあります。この厳しい現実に、漫画家も稿料が受け取れず、社員も給与がロクロク払われない。この厳しさはカムイ伝が連載されている頃から噂で、かなり流れていました。 長井勝一 GAROを継ぐというか発展させていく権藤晋氏は、青林堂に1966年に入社後、1972年に北冬書房を創業し、つげ義春などを起用する
投機~絵画:マネーロンダリング資金洗浄~ 絵画が政界資金のマネーロンダリングの手段となったのは、結構、古いことなのかもしれません。高額で値段があってないような世界ですから。知らない人のために予備的な知識を。 政治資金規正法にひっかからないように、あるいはどういう形にしろ名前や金額が表に出ないようにするために、二束三文の、どうでもよい絵を献金する金額1億円で、予め示し合わせた画廊から購入して、政治家に贈ります。政治家などは、もらった絵を、その示し合わせた画廊に行って売る。画廊は手数料を何割かとって購入する。絵は画廊から画廊に動いただけ。金は無税で政治家の手に。これを何重に複雑にしたものが、有名な竹下首相がからむ平和相互銀行の金屏風事件です。 バブル期に折からの欧米絵画の買い漁りと並行した形で、膨大な金が政界工作、官僚工作に使われ、絵画を使ったマネーロンダリングが行われます。月光荘という銀座の
地方市場等 東京多摩青果(卸売会社ランキングあり) 丸勘山形青果 東京都青果仲卸組合 長野県連合青果 ㈱長印 話題:千葉 市川公設地方卸売市場に2003年6月進出 ケーアイ・フレッシュアクセス(KIFA)(青果物物流) ベジテック 赤岡青果市場 キョクイチ 八戸の水産 メフレ(岩手県地方卸売市場) 塩釜水産物仲卸組合 銚子漁港魚市場 東京魚市場卸協同組合(The さかな) マルイチ産商 川崎魚市場卸協同組合(川崎南部仲卸) みさき魚市場 名古屋水産物卸協同組合 京都塩干魚卸協同組合 大阪水産物卸協同組合 大阪木津地方市場 明石公設地方卸売市場 境港 下関ふく連盟(下関南風泊市場) 唐戸市場 長崎魚市㈱(長崎県地方卸売市場) 西日本魚市㈱(松浦市地方卸売市場) 合併・統合 2006年 大阪魚市場は、OUGホールディングスに商号を変更、持株会社に移行。2007年 和歌山魚類、滋賀 県魚市場を
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夢の邸宅住まい~家~ 収入の増加は、家の問題、住んでいる場所の問題にも発展していきます。東京で一番高いマンションは、麻布にあった24億円。一棟まるごと買えそうな値段ですが、凄まじいものです。しかし、あり余る金は、夢の住宅、夢の邸宅へと希望も、欲望も膨らんでいきます。 都市環境デザインに携わっていた人達が、バブル時代の都市環境について語っているページがありましたので、参考までに。 http://web.kyoto-inet.or.jp/org/gakugei/judi/semina/s9607/index.htm#M004 そこに記されていたバブル時代の都市開発の代表的な事例がバルコリーヌ南大沢があります。下の写真です。このテーマパークを思わせるような景観こそが、バブル時代を象徴するものです。 多摩ニュータウンに建設された多摩センターはギリシアのパルテノン宮殿を模したような景観です。 多摩セ
ご意見ご要望は:ご意見・ご要望は、 告知:歴史シリーズにありました「思い出の暗がり」は休止しました。
DS:ディスカウントストア DP:百貨店 DR:ドラッグストア SS:スーパーストア HM:ハイパーマーケット SM:スーパーマーケット WC:ホールセールクラブ GM:ジェネラルマーチャンダイジングストア ************************************************************************************ *Topics* 2003年2月 アホールドで不正会計問題 *2004年11月 Kマート・シアーズ合併 *2006年2月 アルバートソン、スーパーバリュー等に店舗売却 ************************************************************************************ 参考:日本小売業協会 世界の小売トップ100 Stores社 グ
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