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僕の師匠は誰かと言われたら、三田紀房だ。 新入社員の僕と『ドラゴン桜』の打ち合わせをする中で、「何が物語として面白くて、マンガに重要なのか」を叩き込んでくれた。 『ドラゴン桜』のプロモーションでは、いろんなことを試した。どんなことを試しても、三田さんが嫌な顔一つせずに協力してくれるから、大胆に色々できた。それだけたくさん動くと失敗もある。でも、失敗したもののために割いた時間のことを三田さんが指摘することは一回もなかった。うまくいった時は褒めるわけでもなく、一緒に喜んでくれた。 編集者としての成長を支えてくれたのは三田さんだけど、コルクという会社を経営する上でも、三田さんが師匠だ。僕にとっての『クロカン』の黒木、『ドラゴン桜』の桜木みたいな存在だ。 「俺が社長だったらコルクをこうするのに」といってアドバイスをくれるのは、三田さんだけだ。多くの人がコルクを褒めてくれるところでも、三田さんは「ま
新人作家を育てるのはすごく時間がかかる。とにかく待つことが必要だ。 他人の言葉を借りて話すことをやめるように促し、自分の言葉で話すようになってから、やっと作家としての成長が始まる。そのスタートラインに立つところまでどう連れていくのかが、編集者の仕事だ。 どれだけ必死に、自分の本心を話したつもりになっても「自分の言葉で話して。本当に思ってることは違うでしょ。」と言われ続けたら、あなたはどのように対応するだろうか。 言葉は、社会のものだ。自分の生み出した言葉を使っている人はいない。社会が生み出した言葉を借りてきて、社会のではなく、自分の心を伝えなくてはいけない。一つ一つの単語は、社会のものでも、そのつながり方を工夫することで自分の言葉にすることができる。しかし、単語だけでなく、単語のつながりまで社会から借りてくると、どれだけ必死に話しても、自分の本心は届けられない。 自分が話しているのは、借り
コルク代表・佐渡島のnoteアカウントです。noteマガジン『コルク佐渡島の好きのおすそ分け』、noteサークル『コルク佐渡島の文学を語ろう』をやってます。編集者・経営者として感じる日々の気づきや、文学作品の味わい方などを記事にしています。
いつもケイクスの加藤さんとは事前打ち合わせをしないので、自然と違う題材になる。しかし、今週は、同じ題材について語ってみようと思う。その方が、差が見えて面白いかもしれない。先週、加藤さんが扱ったボブディランのノーベル賞受賞ニュースについて、僕はどう感じたか。 ベテラン漫画家の話を伺うと、自分たちは、この人達が築いた道の上を歩かせてもらっているのだと自覚する。身近にありすぎるものは、それが実はまだ数十年の歴史しかないとは、なかなか認識できない。 手塚治虫さんと同世代の漫画家の人達は、PTAに自分の漫画を焼かれていて、それをニュースで観たりしていた、ということを知ってかなり驚いた。漫画という文化を作り上げた漫画家たちは、どれだけ深く、漫画のことを愛していたのか。そのような情熱を持っている人達の、粘り強い行動があって、芸術は世間に根を下ろしていく。 僕は経済産業省の電子書籍の会議などに呼ばれること
コルクを辞めたスタッフとの、ある会話を最近よく思い出す。 「佐渡島さんのスピードに社員がついていけなかった時、どうしますか?」 「ベンチャーは、社長がスピードを落とすと止まる。誰よりも速く走る。そして、ついて来れる人間を連れていく。もしも、待てるなら、大企業のスピードも待てた。目標に到達することが大事だ。」とその時の僕は、答えた。 そのスタッフは、その会話から半年後にコルクを辞めた。彼はコルクの創業日に連絡をくれて、ボランティアでもいいから働きたいと言って助けてくれて、すぐにコルクも彼に給与を出せるようになった。彼がいなければ、創業時のコルクは絶対に回らなかった。 そのようなスタッフでもスピードのついて来れなかったら、敢えて別の道を行く。厳しさがベンチャー経営には重要で、目標に対して、僕がブレてはいけない。それが僕が心の中で繰り返し唱えていたことだった。 今の僕は、先輩経営者として、2年ほ
周りの人からみると大したことではなくても、なぜか恥ずかしくて言えないことというのが存在する。 コルクは、行動指針の一つ目を「さらけだす」とした。社員にさらけだしてもらうためには、僕自身も勝手に恥ずかしがっていないで、そういう気持ちをしっかり言語化していかねばならない。それで、やっと書く気になれた。 僕は小説家を目指していた。講談社に入社する時も、退社は小説家になってだと思っていた。ベンチャーを起業して退社するなんて、夢にも思っていなかった。 高校生3年生の春、受験勉強をしないといけなかったけど、集中できなかった。それで文藝春秋が主催している作文コンクールのようなもの「文の甲子園」というのに、短編小説を書いて応募した。原稿用紙5枚くらいの短い短編だ。審査員は、野田秀樹、養老孟司、俵万智と豪華な顔ぶれだった。当時、まだ携帯電話を高校生が持つ時代ではなかった。最終選考に残って、最終結果が、授業中
僕はフランクで全ての感情を見せていると思われることが多いようだが、僕自身の認識では、感情を見せるのが下手だ。 コルクの行動指針の一つ目「さらけだす」は、社員だけでなく、僕自身に向けた言葉でもある。コルクという会社はもっとうまくいくためには、僕の思考、感情を社員にさらけださなくてはいけない。創業してからずっと「面白い仕事なんだから、手伝いたいよね」という態度で僕は社員に接していた。最近やっと素直になる勇気が出てきて、「力を貸して欲しい。助けて欲しい」という言葉を使うことができるようになってきた。 僕は中学受験に失敗したのだけど、その時、僕の顔を見たクラスのみんなは、いくら言っても僕が嘘をついていると思って、落ちたことを信じてくれなかった。 それぐらい日常生活の中で自分の感情をさらけだすのが、僕はずっと苦手だが、編集者として作家に感情をさらけだすことは比較的、得意なほうだろう。それこそが、編集
※この記事は『ぼくらの仮説が世界をつくる』(佐渡島庸平・ダイヤモンド社)の内容を一部抜粋したものです。 ヒットする漫画の共通点は「女性読者が多いこと」『宇宙兄弟』がここまでヒットするだいぶ前の話です。今では大ヒット作となった『宇宙兄弟』ですが、発売当初は、あまり売れ行きが良くありませんでした。 そのころの読者アンケートを分析すると、男性読者がだいたい7割を占めていました。一方、その当時売れていたマンガは共通して、7割が女性だったのです。たとえば『聖☆おにいさん』は、8:2で女性読者のほうがずっと多かった。 通常、書店のマンガコーナーに定期的に行くのは女性のほうが多いのです。実は、30〜40代の男性は、あまりマンガコーナーには行かないし、マンガを買わなくなっている。つまり何が言いたいかというと、『宇宙兄弟』の読者は、マンガコーナーにあまり行かないはずの男性が7割を占めていた、というわけです。
『じみへん』中崎タツヤ まとめ買い マンガの打ち合わせは、様々なところで行われる。 『宇宙兄弟の場合は、NASAの食堂や、無重力を経験するためにいった名古屋の飛行場でも行ったことがある。どんなことでもマンガのテーマになりえるから、当然といえば当然だ。 でもやっぱり、ほとんどの打ち合わせは、喫茶店か事務所で行われる。 はじめて会うときは、尚更だ。 先日、スピリッツでの長期連載が終了した『じみへん』の中崎タツヤさんと一度だけ打ち合わせをしたことがある。 新人編集者の時代に、学生時代から大好きだった中崎さんに手紙を書いて、打ち合わせをお願いしたのだ。作品に引っ越し好きと出ているから、都内でないことは予想していたが、提示された場所は、完全に予想外だった。 「岡山の競輪場でなら会うよ」 そう言われて、僕は岡山の競輪場で中崎さんに会った。ちょっとだけ僕も賭けたと思うのだが、結果はどうだったかは覚えてい
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