−先生は昭和41年から駿台の教壇にお立ちになったわけですが、それから現在まで、例えば54年に共通一次試験が始まる。私大のレベルが上がってくる。駿台も規模が大きくなり、生徒増に伴って学力の幅が広がるなど大きな変化がありました。そんな中で、教材作りにはいろいろとご苦労があったと思いますが…。 【伊藤】共通一次はその副産物として、予備校の寡占化を促したということがある。共通一次によって、国立大がある共通のモノサシで計られることになった。そうなると、今度はそういうモノサシを持っていない予備校、全国で何十万枚かの答案を集めて、何点とったら東大は大丈夫、といったデータが出せない予備校は、マイナーな予備校ということになってしまう。 こうして予備校の寡占化が進んだ。それに伴って、新しい問題が生じた。私たち教える者の立場から言うと、統一教材の問題です。 つまり、予備校が小さくて−−駿台は1号館が