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これまでのヤオイ論では、ヤオイというカテゴリーを通して理解される、 特定の女性(腐女子)の存在が前提されていた。そうした言説がヤオイの利害や目的を表象するのみならず、 ヤオイを代表するとされる主体をも構築していた。ヤオイを十全かつ適切に表象する言語をつくりだすことが、 ヤオイスキーたちにとっても必要と思われていたからである。 たしかに彼女たちの生き方が誤って(例:欲求不満とか)表象され、またはほとんど無視される文化的状況が一般的なのをみれば、 そうすることが重要だと考えられてきたのも、やむをえなかったろう。 しかし今や、ヤオイ批評は、ヤオイ主体を探求しようとするまさにその権力構造によって、いかに自らが生産され、 また制約されているかを理解しなければならない。たとえば、ヤオイの抑圧のまえに存在する「女」に何らかの共通項があるのか、 あるいは抑圧されているがゆえにヤオイはむすびつくのか。 つま
ガンダムSEEDは、どうしてこんなにアンチの語りが激しいのか? 今年に入ってから、特にそんな傾向がめだってきた。 戦争のゴール/目的が2クールを過ぎても明確にならず、キャラクターのセリフや性格が前のエピソードを忘れたかの様に変わる、戦闘シーンが少ないうえに主人公が覚醒するや単調に終わってしまう、一度出たが名前すら呼ばれなかったキャラクターが、再登場するエピソードでいきなりタイトル(「カガリ再び」)に入れられたりするなど、全体的にみると各エピソード間の統制がゆるく、質的にもクリエーター側の新たな挑戦、旧作をのりこえようとする意思が感じられない・・・ということのようだ。 森田繁氏(脚本、特殊設定)は、「ファースト世代からの『反発』はむしろ望むところだといい、あなたが平成生まれの方ならば、この作品はあなたたちのものだ、と。昭和生まれの方なら、この作品はあなたの子供たちのためのものです、 と。もし
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