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高山寺は宝亀5年(774年)に光仁天皇の勅願によって華厳宗寺院として開創され、神願寺都賀尾坊と称したと伝えられている。弘仁5年(814年)には度賀尾十無尽院に改称、また、平安時代初期には天台宗の寺院となり、度賀尾寺(とがのおじ)と改称されたといわれている。その後、一時荒廃したようであるが、平安時代末期には文覚によって再興されたという。 建永元年(1206年)に後鳥羽上皇の院宣により、華厳宗復興の道場として明恵上人に与えられ、高山寺と称するようになったと伝えられている。 承久元年(1219年)には金堂に本尊が安置され、参詣者も増えたようであるが、天文16年(1547年)には細川晴元の放火により、石水院以外は全焼したとされている。その後、復興に努め、旧観近くまで回復したのは寛永13年(1636年)だったといわれている。
京都市左京区鞍馬本町 京阪電車「出町柳」駅下車、叡山電鉄に乗り換える。叡山電鉄「出町柳」駅から鞍馬線「鞍馬」行きに乗車し、終点の「鞍馬」駅で下車する。駅を出て土産物屋が軒を連ねる広い通りを北の方向へ数分間進むと左手に鞍馬寺の仁王門が見える。 仁王門をくぐってしばらく行くとケーブルの山門駅があり、ここからケーブルで多宝塔駅まで上がることができるが、できればケーブルを利用せず、鞍馬寺まで歩いて上るべきであろう。 仁王門から鞍馬寺本殿金堂まで徒歩約35分。 なお、貴船神社と地理的に近接していることから、鞍馬寺に参拝の後、山道を通り貴船神社に参拝する人も多く、また、逆に貴船神社から鞍馬寺に廻る人もいる。 鑑真(がんじん)和上の高弟である鑑禎(がんてい)上人が宝亀元年(770年)にこの地に草庵を造り、毘沙門天を安置したのが鞍馬寺の創始であると伝えられている。 その後、延暦15年(796年)に造東寺長
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2002年4月下旬のあるTV番組で表記の問題が採り上げられていた。 ことの顛末をTV番組の放映内容から再現すると次の通りである。 ある会社に勤めるA男君は同じ会社に勤めるB子さんとつき合っていた。昼休みが終わって二人は職場に戻るためエレベーターに乗ったのであるが、エレベーターはかなり混んでいた。A男君が乗り込んだとき、続いて同じ会社に勤めるC子さんが乗ってきたのである。C子さんはその会社内でマドンナと言われているほどの美人で、男性社員に絶大な人気があり、本人もそのことを意識している節があった。エレベーター内ではA男君はC子さんの背後に近接して立っている状態で、B子さんはやや離れた位置に居た。 扉が閉まりエレベーターが動き出したとき、「プー。ブリブリ」と何とも派手な音がして、特有の臭気が立ちこめたのである。音と臭気の発生元はなんとマドンナC子さんだったのであるが、この真実を知る者は、発生元の
神戸電鉄粟生線「小野」駅下車。駅前の神姫バス「電鉄小野駅」停留所から、「図書館前・高山町」経由「天神」行き、又は「鹿野」行きに乗車し、「浄土寺」停留所で下車する。 バス停の東側に浄土寺の標識があり、その奥に浄土寺浄土堂の屋根が見える。 神戸電鉄は神戸の「新開地」駅から「粟生」行きが30分毎に発車しているので、それに乗車する。 「浄土寺」を通るバスの便は少ないので、場合によっては歩く方がよいかもしれない。徒歩所要時間は約1時間。 バス停「電鉄小野駅」から「図書館前・高山町」経由「天神」行き及び「鹿野」行きバスの発車時刻は次の通り(2005年7月現在)。バスの乗車時間は約10分間。 バスの行き先表示には「高山町経由」の表示はないが、下記の時刻表のバスは高山町経由である。下記の時刻以外に「天神」行きのバスはあるが、それらは「浄土寺」を通らないので、必ず「高山町経由」のバスに乗車すること。
1998年夏に日本トイレ協会主催で「学校トイレ文化フォーラム」が開催された。ここで、「子供は学校でウンコしたがらないが、この理由は何か」という問題が取り上げられた。 学校のトイレではウンコしたくない、ということは我々誰でも経験したことがあるのではなかろうか。 学校又は帰宅途中でウンコを漏らしてしまった、又は、誰かがウンコを漏らしたのを見た、という人がかなり多いのではなかろうか。これまでしても学校のトイレでウンコしたがらないのは何故だろうか。 1998年9月28日の毎日新聞には、この「学校トイレ文化フォーラム」の結果に関し、当事者の意見、考察を要約して、以下のような意味のことが記載されている。 文部省の役人は「今は世の中が綺麗になったが、学校のトイレだけが古くて汚いままだから。・・・子供たちは議論の中でどんな綺麗なトイレでも、綺麗に使わなければ同じだということに自分たちで気づいた」といってい
「本屋に入るとウンコしたくなるのは何故か」といったことが、1998年の初頭から、いくつかのTV番組や週刊誌にとりあげられ、話題になっていたが、この問題の発端はそれ以前に遡るようである。発端は昭和60(1985年)に『本の雑誌』に青木まり子の名前で投稿された体験談が基になっており、このことから「本屋に入るとウンコしたくなる」ことを『青木まり子現象』と呼ぶようになったという。 たまたま彼女が投稿したことで彼女の名前が付けられた現象として知られるようになったが、それ以前にもこの現象を体験していた人が多くいたことは想像に難くない。 私も青木まり子現象という名称を知る以前からこのような経験をしているし、身近な人々からも本屋でウンコしたくなる話をよく聞く。かなり多くの人々は本屋に入るとウンコしたくなるようである。 それでは何故ウンコしたくなるのか。この原因は何に基づくか、について青木まり子現象と命名
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