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「我田引水」とは、田になくてはならない大切な水を、自分のところだけに引いてしまうという意から、 一般的に、他人の不利益になろうとも、自分に都合のいいように理屈付けや行為をすることを意味す るようになった。それは自分の有利になるように取り計らう利己的な行為であ り、他人のことはかまわず、自分の都合だけ考えて行われる「得手勝手」な行 為である。 ところで、私たちの関心は、こうした利己的な行為それ自体ではなく、それに 対する他者の反応にある。ここでは、「我田引水」という文字通りの行為がどの ような結果をもたらしたかをみることにしよう。 農民にとって、今もそうであるが、水は稲の生育には欠かせない大切なもの であった。日照りが続くと、農民は稲を枯らさないために、水泥棒をしてでも、 少しでも多く、自分の田に水を引き入れようとした。その結果、あちこちで、水 争いが起こった。血を見ることもあった。もちろん
『善は急げ』。この諺は、文字通り、善いことのためには、躊躇せず、直ちに実行せよと、命じる。それに対し、『急がば 回れ』という諺は、急ぐときには危険な近道を通るよりも、安 全な回り道をして行けと命じる。 アメリカの著名な社会学者ホーマンズは、行為の一般命 題として、価値命題(value proposition)と成功命題(success proposition)を挙げて いる。価値命題とは、「行為結果が価値あればあるほど、それだけ人はその行為 を行う」という行為パターンであり、成功命題は「報酬獲得に成功すればするほ ど、それだけ人はその行為を行う」という行為パターンである。 諺『善は急げ』とは、価値命題に相当し、その行為結果が価値あると思われれ ば思われるほど、恐れず、直ちに行為せよと命じる。そこには、価値実現のため には、障害物があれば躊躇なく排除せよという命令が内包されることが多い。これ
「今日でも未開社会に、俗に『ポトラッチ』と呼ばれている儀式 が行われるところがある。部族の勢力者が、みんなに厖大な贈 り物をし、大盤振る舞いをする。また、財宝を積み上げて惜しみ なく焼いたり、海に投げ捨ててしまう。・・・ソルボンヌの学生とし て、私が文化人類学の講義に通っていた時分、クラス仲間にこ の言葉をはやらせた。『今日はみんなでポトラッチしよう』など と、なけなしの金をハタきに、カフェへ繰り込んだりしたものだ」と語るのは、天才 画家 岡本太郎(1911-1996)である。 彼は、1931年(20歳)のとき、両親と一緒に渡仏した後、フラン スに一人残り、1940年(29歳)までパリに滞在した。その間、絵 の修業だけでなく、1938-9年には、パリ大学の学生として、マル セル・モース(Marcel Mauss 1872-1950)に師事して、文化人類 学(民族学)を学んだ。養女の岡本敏子
私の社会学の師 ジョージ・C・ ホーマンズ(G. C. Homans , 1910-1989) は、ア メリカ合衆国2代目大統領ジョン・アダムスとその息子の6代目大統領クインシー・ アダムスを父祖にもつ、ボストン上流階級の出である。いわゆる、典型的なワスプ (WASP)であり、ボストン・ブラーミン(Boston Brahmin)である。 その「ブラーミン文 化」の一つが「ノブレス・オブリージュ」という行動規範である。 ホーマンズは自叙伝 Coming to My Senses (1984) で彼の父について次の ように書いている。 「父の最も強い性格の一つはノブレス・オブリージュのセンスであった。彼のよ うな人物はアメリカ社会のあらゆる恩恵を享受していた。したがって、彼らは、そ の社会が危機に瀕したときにはいち早く責任を負って立つべきであった。この性 格から、彼の弁護士事務所の若い人々から
「持っている人は与えられて、いよいよ豊 かになるが、持ってない人は、持ってい るものまで取り上げられるであろう」。 この現象は、社会心理学では、マタイ効果 と呼ばれている。なぜなら、これは、『新約 聖書』の「マタイによる福音書」の13章12節 の言葉であるからである。 このマタイ効果を、面白おかしく、多少エロチックに検証したのが、渡辺和博とタ ラコプロダクション作の『金魂巻』(1984)である。 「私たちは・・・冷静に観察しているうちについにある法則を発見したのである。 (マルキン)の強みはお金が余って幸福なのでいつもニコニコしていることであ る。その結果、彼は善人に見えるので他人から好かれ、他の多くの仲間が合体し て、よりいっそうその地位を固めて行きます。一方、(マルビ)もになりたいと 願ってしまうことです。高級インスタントコーヒー。日焼けサロン。原宿竹下通りで 家内製手工業で生産された
私たちに最も身近で誰もがよく知っているものと言えば、それは私たちが日々実行している 社会的な行動です。私たちは生活での体験を通して、その行動について多くの知識をもって い ます。その知識のなかでも、繰り返し経験され、生活のうえで、知っていて役立つと思われ、 重要と思われたものは、諺や格言に要約され、生活上の生きた知恵として伝承され てきてい ます。 そのような諺や格言は社会行動の研究にとって貴重なデータです。しかし、それらは社会行 動の一局面を要約したものですので、その局面では 非常に役立ちますが、それ自体で社会行 動の全体を理解することはできません。 筆者は最近、社会行動を体系的に理解するための本、『交換の社会学』(世界思想社 2005 年)を上梓しました。したがって、この本で展開されている理論の中の該当すると思われる箇 所 に、その諺や格言を埋め込んでいけば、諺や格言の総合化ができるか
恋愛という性的闘争で、より多く愛する者は敗北し、愛の奴隷 となる。そして、時には、アッシー君に、あるいは、ミツグ君にな る。しかし、中には、肘鉄砲をくらい、振られる者もいる。 そもそも愛とは何であろうか。それは、相手との交際や関係を維持し続けたいと 願う強い感情のひとつである。しかも、その相手は他者でもって代えることのでき ない存在である場合が多い。その感情が相互に等しいとき、二人は相思相愛にあ り、その感情が一方的であるとき、その人は片思いにあると言われる。多く愛した 側とは、その片思いの人であり、言い換えれば、惚れている人である。 私たちはよく「惚れた弱みにつけ込む」という言葉を口にする。私たちは、日常生 活の経験を通して、惚れた方(より多く愛した側)が弱いことを知っていいる。 なぜ惚れた方が弱いのであろうか。今二人をA君とB子さんとしよう。A君はB子 さんに首っ丈である。傍にいるD子
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