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野村浩也『無意識の植民地主義』を読む 土井智義「『「県外移設』論を批判的に考える。」 田仲康博「新たな議論の端緒を開く/さらに細やかな分析が必要」 安里英子「批判としての対話」を読む。 仲里効「言説史に太い句読点」 野村浩也『無意識の植民地主義-日本人の米軍基地と沖縄人』(御茶の水書房2005.4.28)を落手。 【2006.4.7】土井智義「『「県外移設』論を批判的に考える。」 先日触れた『世界』06年4月号(特集:沖縄-米軍再編「日米合意」は破綻する)に掲載されている小論を紹介したい。「〈報告〉さざ波ように広がる『合意してないプロジェクト』……昨年11月からの同プロジェクトから生まれてきた思考の一端を、プロジェクト参加者の三人に報告してもらおう。(岡本由紀子)」とする中の一つである。 「県外移設」論を批判的に考える 土井智義 人々が非対称性を幾重にも刻印されながらバラバラに分極化してい
江上能義 「Ⅷ55年体制の崩壊と沖縄革新県政の行方-『68年体制』の形成と崩壊-」 『年報政治学1996・55年体制の崩壊』(日本政治学会編・岩波書店1996.12) はじめに 55年体制は、<保守>対<革新>という大きな対立軸の下で、保守側が日米安全保障条約によってわが国の安全保障を基本的にはアメリカに依存しながら自衛力を着実に整備し、復古的伝統的価値を追求する立場に立ったのに対し、革新側は反米、中立かつ社会主義的立場で日本国憲法でうたわれた平和的民主的価値を主張する対抗姿勢を示した。国内政治では自民党優位の自社二大政党制(一カ二分の一政党制)と特徴づけられるが、1972年に日本に復帰した沖縄では悲惨な沖縄戦の後、建設された巨大な米軍基地が今もなお、日米安保体制の要としてそのまま存続したことで、この米軍基地をめぐって厳しい保革対決の政治が展開されてきた。 復帰4年前の1968年11月、沖
☆辺野古ゲート前テント通信/☆チョイ鳴りのぶるー(カヌーチームのblog) ★ガッティンならん!怒りの普天間アクション(`・ω・´) 辺野古浜通信 やんばる東村 高江の現状 ※現地の報告は<チョイさんの沖縄日記>・<海鳴りの島から>がとても詳しいです。 辺野古基金を創設 移設阻止へ民意発信 翁長県政を支援 -風游クリティーク- ●仲里 効「沖縄戦後思想史から問う:『県外移設』論」(琉球新報2016年01月20日~22日) ●崎山多美「創刊の辞 沖縄を交差点として」(『越境広場』創刊ゼロ号20150325) ★呉 世宗「沖縄の朝鮮人に触れる 「在」を生きる」(『越境広場』創刊ゼロ号20150325) ☆上村英明「知事国連行動 成果と課題□4 琉球と日本、対等に/国際法の視点から主張」(琉球新報20150930) ●みなさまへ 沖縄平和市民連絡会事務局(2015年8月4日) ●「沖縄を語る――
この屈辱は耐え難い。ぼく(たち)は合意しない。忘れ難い記憶があるからだ。記憶は未来の先導者である。(1) 沖縄戦という完膚無きアトロシティーの後、捕虜として収容された瀬嵩、大浦湾をはさんで向こうに眺める辺野古の丘陵。現在の沖縄における基地問題の争点を捉えながら、その風景に、常に折りたたまれて瞬時によみがえる記憶があるということを再確認させる、中里友豪の文章がある。 国政選挙拒否から70年代に向かう反復帰運動に光を当てようとする試みは、しばしば見られることであるが、当事者たちもまた、現在の状況を当時に重ね合わせながら、再びの決意を迫られている。焦燥感とも取れるこうした文章に接するたびに、同じことが繰り返されているのか、何も変わっていないのか、問い続ける作業の必要性を思う。 沖縄における社会運動について考えるとき、その多くが、米軍基地にまつわる諸問題を根源とし、直接・間接に関係・介入しているこ
★「琉球人」は訴える(平 恒次1970) ★沖縄自治州構想論(比嘉幹郎1971) ★復帰一年 沖縄自治州のすすめ(野口雄一郎1973) ★沖縄―特別県構想(自治労沖縄県本部1981) ★琉球共和社会憲法C私(試)案(川満信一1981) ★琉球共和国憲法F私(試)案(仲宗根勇1981) ★生存と平和を根幹とする「沖縄自治憲章」(玉野井芳郎1981) 「琉球人」は訴える(平 恒次1970) 「『琉球人』は訴える」/平 恒次(イリノイ大学労働・労使関係研究所)/中央公論70年11月号所収 安易な「復帰」論、怠慢な「本土なみ」思想を排して、独立国琉球の復権を切に主張する はじめに 英国人でないわれわれには、イングランド人も、スコットランド人も、一様に「イギリス人」として見える。ところが、「イギリス人」という単語、すなわち「イングリッシュマン」という言葉を、スコットランド人にでも使おうものなら、それ
中村丈夫『80年代の沖縄と島嶼住民の自決権』 山崎カヲル「国内植民地概念について」 中村丈夫『80年代の沖縄と島嶼住民の自決権』 『沖縄自立への挑戦』(社会思想社1982)所収 沖縄のアイデンティティー 本来ならば、本夕は平恒次先生とともに西野照太郎先生の御講演をいただく予定でありました。御承知かと思いますが、西野先生は1972年、沖縄のいわゆる「返還」にあたって、沖縄が本土の1県に等しい行政的地位に「復帰」することは、「選択された一つの途であって、必然的な運命ではない」ということを強調された方であります。そして、「沖縄島民にその意志さえあれば、政治的な独立を選びうる可能性がかつてあったのだ」として、少なくとも、その「行使しうるはずであった自治権や、これからも主張しうるはずである自治権」を示唆されました(「国際環境からみた沖縄復帰――島嶼住民の自決権と自治権」)。私は当時、この論文に非常な
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