陰謀論批判をすると、「政治の世界には陰謀はつきもの、それを疑う姿勢を『陰謀論』と決めつけている」と「陰謀論批判批判」をする人が必ず出てくる。 何度も書くことだが、陰謀論批判者は、陰謀を否定してなどいない。現に、私は渡辺新党(「改革クラブ」)の立ち上げの裏には平沼赳夫がいるのではないかと想像しており、それをブログの記事にもしている。つまり、平沼赳夫の「陰謀」を疑っているわけだ。 しかし、私は「平沼の差し金だ」と決めつけているわけではない。だから、「自民党の中枢が民主党の反小沢勢力に誘いをかけた」というマスコミなどで一般に見られる解釈を、「平沼とつながった言説」などとは言わない。平沼の差し金というのは「仮説」に過ぎないからだ。当然、それが誤りと判明すれば訂正するにやぶさかではない。 陰謀論者は、仮説を「疑ってはならないドグマ」にしてしまうから批判の対象になるのだ。「9・11陰謀論」しかり、「地