タグ

2010年3月3日のブックマーク (4件)

  • 利益誘導こそ民主主義の基本 (田中良紹の「国会探検」)

    民主党の「箇所付け問題」で1日に国会審議が行われた。その中で「公共事業予算が国土交通省からではなく民主党県連から公表された」ことについて、野党から「利益誘導政治だ」と批判されたが、「利益誘導政治は民主主義を損ねる」かのような物言いであった。これに対して鳩山総理は「遺憾なこと」として国土交通大臣を処分したが、これも日の民主主義の未熟さを物語っている。 箇所付けがこの時期に与党から公表された事の是非を論ずる前に、民主主義政治とは何かを考えたい。民主主義でない政治は国家の政策形成に国民は関与出来ない。王様や将軍や独裁者が優秀な官僚に政策を立案させ、それがそのまま国の方針になる。優秀な官僚が「正しい政策」を作成するから、政策形成に余計な調整も時間も必要ない。その代わり政策で救われる国民と切り捨てられる国民が出て、切り捨てられる国民の利益は全く無視される。切り捨てられた国民が自分たちの求める政策を

    PledgeCrew
    PledgeCrew 2010/03/03
    政党や政治家が一定の階層の利益を代表すること自体を否定するのは政党政治の否定と同じ。むろん、ただのえこ贔屓やなにかの隠れ蓑としての「利益誘導」は批判されるべきだろうが
  • 小泉政治またはポピュリズムの謎 - 遠方からの手紙:楽天ブログ

    2007.11.12 小泉政治またはポピュリズムの謎 (7) カテゴリ:政治 このところ、朝晩の冷え込みがめっきりと厳しい。ついこないだまで最高気温が30度をこえる日が続いていたのを思うと、まったく冗談のような時の速さである。あまりに冷え込みが厳しいと、このまま冬に突入してしまうのかとすら思う。 もともと、秋という季節は暑い夏と寒い冬の間の一時的な移行期にすぎないのであり、夏の暑さや冬の寒さのような明確な属性というものを持っていない、いささか影の薄い季節なのであるから、こればっかりはしかたがない。 さて、「ポピュリズム」 という言葉は、一般には「大衆迎合主義」と訳されることが多い。もちろん、これは意訳なのであって、この言葉を直訳すれば単なる 「人民主義」 にすぎない。たとえば、「ヴ・ナロード」(人民の中へ)を掲げた19世紀ロシアのナロードニズムも、英語に訳せば同じ populism であり

    小泉政治またはポピュリズムの謎 - 遠方からの手紙:楽天ブログ
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2010/03/03
    政党政治における「利益代表」ということの意味について
  • 誰が呪術を行ったのか―いたずらに背景のせいにすると、本体が背景に隠される(BBC報道に見るアフリカ・コンゴの宗教と子供たち) - Comments by Dr Marks

    私のTwitterの流れの中で、二人の東大宗教学出身者が議論していた。私のこのブログ記事は、直接は二人の議論と関わるものではないが、この際一言述べておきたいと強く感じて書いたものである。 なお、自分自身で確認したい読者のために、議論の題材と背景資料をなるべくネットで得られるように配慮したが、いたずらに網羅しても煩雑であるため、最低限の紹介となった。また、直接の題材であるBBCの記事を含め、英語文献ばかりであることをあらかじめお断りする。 まず、「コンゴ民主主義共和国の危機(Crisis in DR Congo)」というこの見出しの記事の内容をかいつまんで紹介しよう。主役は呪術を行ったと疑われた子供たちで、12歳のアンリという男の子と14歳のジャンという同じく男子が証言している。この二人は浮浪児となったので施設に保護されている。また、この報道には国連ユニセフの協力がある。 アンリによれば、誰

    誰が呪術を行ったのか―いたずらに背景のせいにすると、本体が背景に隠される(BBC報道に見るアフリカ・コンゴの宗教と子供たち) - Comments by Dr Marks
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2010/03/03
    悪魔的行為であることを理由とした魔術禁止は、もともと未分化だった神と悪魔の分離を人為的にあおり、その結果、魔術への非合理的な恐れは逆に強められる。魔術信仰そのものの解体には必ずしも繋がらない
  • ララビアータ:過ぎ越し――佐藤優『自壊する帝国』について - livedoor Blog(ブログ)

    このについては、既に亀山郁夫氏が『文学界』8月号で取り上げている。書の稀有の魅力と美点については、亀山氏の意見にほぼ同意できる。その点をここでは繰り返すことは避けて、むしろいくつかの批判的考察を付け加えたい。 ここで強調しなければならないのは、我々の批判は、佐藤氏のの魅力と力を構成する点と不可分であるということである。 亀山氏は、旧ソ連の様々に異なる立場の人々が、佐藤氏に対して次々に胸襟を開き、貴重な情報を与えるのに驚嘆しながら、「それは、何と言っても、自己保身を求めないまっとうな政治家の前では、人並み以上に膝をおる誠実さが「マサル」自身に備わっていたからだ。まさに「人間力」。」と述べている。 私には、この点は「人間力」だけでは説明がつかないように思われる。むしろ、氏の神学的素養が問題なのではないだろうか?モスクワで、氏が反体制派や異端派の知識人群に迎え入れられるきっかけが、モスクワ

    PledgeCrew
    PledgeCrew 2010/03/03
    著書は全然読んでない。