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ドラクエ3
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押井守監督が自身の作品について語る! 3週連続単独インタビュー 第二弾 『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』『イノセンス』 『攻殻(機動隊)』というのは、とにかくなんと言ったらいいんだろ。ある意味でいえば自分の運命を変えた作品っていうのが、映画監督には1本や2本はあるもんなんですよ。『パトレイバー』もそうなんですけど、思わぬ展開になったというか、世に送り出した後にまさかこれほどの騒ぎになるとは思ってなかった。そういう意味で言えば、『攻殻』ってのは世間的にもそうかもしれないけれど、映画監督としての運命に関わったというか、仕事の仕方にも関わったし。結果として良かったこととネガティブな部分と、半々ですかね。やっぱりハリウッド進出だとかさ、そういうのはね、周りが騒いだから。確かにそういう話もいっぱい来たから。自分自身も監督としての立ち位置を、どこでどう立てるのかってことにね、迷
自分の世代(1962年生まれ)が、日本映画と最初に出会ったのは、ゴジラ映画だったはずだ。筆者は、池袋や浅草の名画座で東宝の特撮映画一挙上映を追ううちに、黒澤明一挙上映へと手を伸ばした。だから、映画の観方がものすごく歪んでいる。 たとえば「音響・三繩一郎」みたいにゴジラ映画でおなじみのスタッフ名や、大村千吉などの東宝の大部屋俳優の顔を見つけて喜んだりする。怪獣少年にとっては、志村喬はどんな役を演じても古生物学者の山根博士であり、根岸明美は『キングコング対ゴジラ』でヤシの実ブラで踊っていたファロ島のお姉さんであり続ける。 だから『生きものの記録』(55年)を観た時は、もうゴジラ映画と印象がごっちゃになってしょうがなかった。何しろオープニングクレジットの音楽からして、『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』のオープニングと同じテルミンみたいなホワホワ音なんだから。 志村喬は歯医者で、家庭裁
<『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』はフランスの匂いがした。> いや、正確には、思春期になって60年代のフランス映画、特にヌーヴェル・ヴァーグの映画群を観始めてから、「これと似たものを幼い頃に見た」と感じたのだ。 たとえば、レンズ・フレア。太陽など強烈な光源を直接カメラが撮った時、レンズに入った光が再反射して、絞りの形である6角形の光をフィルムに焼きつける。 筆者が生まれて初めて、このレンズ・フレアを意識したのは、たしか『ウルトラマン』の「故郷は地球」のエンディングだ。フランスの宇宙飛行士ジャミラが国家間の威信をかけた競争の犠牲となり、密かに葬られた後、英雄として祭られる。そしてイデ隊員は「犠牲者はいつもこうだ」と視聴者に向かって怒りを吐き出す。彼の表情は逆光で真っ黒につぶれて見えない。そこにはジャミラの顔、視聴者の顔、ドラマの作り手の顔、何でもあてはめることができるだろう。その時、6角
<『フェイズIV 戦慄!昆虫パニック』は、『2001年宇宙の旅』以降の進化SFの傑作なのだ> 書くのと話すのとでは、まったく違う。特集企画「町山智浩のトラウマ映画館」の第4夜に出演し、解説の対談相手を務めることができたのはとても嬉しかったのだが、話上手の町山さんとおもしろおかしく盛り上がっているうちに、あっという間に収録時間が終わってしまい、気がついたらこの映画の最大の謎のことを何も話していなかった。 映画『フェイズIV 戦慄!昆虫パニック』の最大の謎は、なぜこのような破格のSF映画が作られたのかということに尽きる。その答えはいささか入り組んでいて、じつのところ話すよりも書くほうが向いている。番組と合わせて、このささやかな解説文もお楽しみいただきたい。 『フェイズIV』は、1974年の英米合作映画である。フェイズ(Phase)は「局面」「段階」の意味で、アリと人類の戦いが、題名の通り、フェ
<ムシェットあるいは美徳の不幸> 2010年に邦訳出版された(フランスでの原著の刊行は2007年)アンヌ・ヴィアゼムスキーの小説「少女」の登場は、日本の映画ファンたちの間でも大きな反響を巻き起こした。これは、当時まだ17歳の無名の女子高生でいきなり、ロベール・ブレッソン監督の新作映画『バルタザールどこへ行く』(1966)の主役に抜擢された彼女が、未知なる世界への先導者・庇護者的な本来の役割を踏み越えて、自分とさらに深い親密な関係を取り結ぼうとする老監督の態度に戸惑いを覚えつつ、撮影現場でさまざまな人生経験を積んでいく様子を、当事者ならではの視点で書き綴ったもの。あくまで小説と銘打たれているとはいえ、その峻厳にして禁欲的な独自の映画スタイルを生涯追求し、映画ファンなら誰もが畏怖すべき孤高の存在として仰ぎ見る、聖なる映画作家として知られるあのブレッソンが、実は何を隠そう、結構な助平ジジイとして
<『遊星からの物体X』は、なぜ奇妙な映画なのか> 何度見ても思うことだが、『遊星からの物体X』は奇妙な映画である。そもそもこれはどんな映画なのか? SF映画にしては暗い恐怖の影が全体を覆っているし、ホラー映画にしては理詰めに過ぎる。大作映画のようでもあり、低予算映画のようでもある。アンサンブル演技によるノースター映画で、女性の出演者はゼロで、商業映画としてはあまりにも素っ気なさ過ぎる。ベテランのような達意の演出と、子供のように野心的な見せ場が同居している。全体にバランスを欠いて、見る者を安閑とさせるところがない。そして、公開時は『E.T.』に完敗して大ゴケしたはずなのに、いつの間にか名作の評価が確立されている。 劇中の焼け焦げた死体のように2つに引き裂かれた(あるいは2つが溶け合った)、この奇妙なありさまは、すべからく、監督ジョン・カーペンターが、ひとつの身に2種類の愛情を抱え込んでいたこ
『インセプション』という"夢"は私たちに何を植え付けるのか 伝説の怪盗がいる。名をドム・コッブ(字幕ではコブ)という。かつて誰よりも深く潜ったことがあり、誰にも見破れない仕掛けを設計し、一流のチームを率いて、どれほど厳重に隠されたものでも盗み出すことができた。 コッブ(レオナルド・ディカプリオ)は、長年の相棒アーサー(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)とともに、今日は東京、明日はパリと、世界中をビジネスジェットで忙しく飛び回っている。だがじつは今の彼は、わけあって故国アメリカには帰れない落魄の身。しかたなく引き受けた、日本人実業家サイトウ(渡辺謙)に対する産業スパイの仕事も失敗に終わり、窮地に追い込まれる。だがそんなコッブにサイトウは逆に、一世一代の大仕事をもちかけてくる。それは、"何かを盗み出す"のではなく、逆に"持ち込んで成長させる"という、前代未聞の依頼だった。 というわけで、この『イ
スターリンと赤ちゃん ―― 『鉄のカーテン』を見る前に ■イントロ 1946年3月、労働党に敗れ、当時英国首相の座を退いていた政治家チャーチルはトルーマン大統領の招きに応じて渡米し、大統領の故郷ミズーリ州フルトンである演説を行った。後年有名になるそのスピーチには「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで、ヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテンが降ろされた」という一節が含まれていたのであった。これは要するに、東ヨーロッパがソ連を中心にまとまりつつある状況とその閉鎖的な対外政策への懸念を表明したものであり、引いては資本主義と共産主義という対立する二つのイデオロギーで世界が二分される、いわゆる「冷戦」構造を予言する託宣でもあったことになる。元来「鉄のカーテン」"The Iron Curtain"とは舞台用語(客席と舞台面を遮る「防火用シャッター」の意味)であり、また敗戦直前ナチスのゲッ
フィルム・ノワールのジーン・ティアニー ~オットー・プレミンジャー監督二作『ローラ殺人事件』『疑惑の渦巻き』を中心に~ ●青い瞳 1940年にフリッツ・ラングの『地獄への逆襲』でスクリーン・デビューして以来、あっという間に二十世紀フォックスの看板女優になり、しかしある事情から五十年代初頭で早々にスクリーンから去ってしまったジーン・ティアニーは、日本での公開作が少なく、あるいはあっても初公開以来再公開の機会がなく、これだけは名画座で見ることができた『ローラ殺人事件』(44)のタイトル・ロールの、どこか神秘的でエキゾチックな女優としてしか彼女を知らなかった我々であるが、ルビッチの傑作『天国は待ってくれる』(43)の1990年の公開で、彼女の目が透き通るような青であることを知り、またその小さく可愛らしい唇にのった深紅の口紅がまぶしいようで(その唇を尖らせるようにして、「I hate you! I
米映画界が誇る、優れた監督・脚本家・プロデューサーであったジョン・ヒューズは、2009年8月9日に他界した。59歳の急逝は残念だが、1990年代後半(まだ40歳代後半!)にはメジャー・シーンから退いていたことを思うと、ヒューズ自身、老いてまでフィルムメーカーの座に執着する気はなかったように思える。活動の前半で思春期、後半で子供の自立、そして両者を通じて家族というテーマを描き続けた映画作家ヒューズ。ひょっとしたら、少年少女や子供の気持ちは老いて描けぬ、そんな信念があったのかもしれない。 世間的には「ホーム・アローン」(90)「101」(96)など、後期に手がけて大ヒットしたファミリー向けヒット映画の名手として認知する人がいるかもしれないが、ヒューズには他にも2つの顔がある。1つは「ミスター・マム」(83)「大災難P.T.A.」(87)「ベートーベン」(92)など、コンスタントにアメリカン・コ
クリント・イーストウッドはこの5月31日で80歳になる。大恐慌時代に幼年期を過ごした人物が、このところ絶好調で新作を発表し続けているのだから驚くほかない。 放浪と肉体労働、バーでのピアノ演奏、兵役などを経て、ハリウッドに流れ着いたイーストウッドは、24歳で端役デビュー。その後の3年間で映画12本、テレビドラマ4話に出演したが、B級西部劇『Ambush at Cimarron Pass』でのビリング3位が最高位だった。人気が出たのは、その翌年から始まったテレビシリーズ「ローハイド」へのレギュラー出演。準主役の牧童ロディ役を35歳まで演じることになる。 ここで重要なのは、映画スターへの強い憧れや自負があって俳優になったわけではないこと。そして、当時から映画製作の工程全体に興味があり、「ローハイド」ですでに監督もしたがっていたこと(実現しなかった)。 イタリアに出張し、マカロニ・ウエスタン三部作
『女王陛下の007』(1969) 『007/ユア・アイズ・オンリー』(1981) 『ワールド・イズ・ノット・イナフ』(1999) 映画版「007(ダブルオーセブン)」シリーズは、今から48年前の1962年に始まった。第1作『007/ドクター・ノオ』から、最新作『007/慰めの報酬』まで、じつに22本もの映画が作られ、今も継続中という驚くべきシリーズである。 半世紀の間に、世界情勢も映画界もすっかり変わってしまったことを考えると、貪欲に変化に対応してヒット作を積み重ねてきた007シリーズの凄さがよくわかる。製作規模と本数でこれに勝る映画シリーズは存在しないと断言していいだろう。シリーズ全体の世界興収記録こそ「ハリー・ポッター」シリーズに抜かれて2位になったが、これも27作目ぐらいで抜き返す勢いなのだ。 それにしても22本もあると、まだ1本も見たことがないという人や、最新2部作(実質的には前後
1979年のアカデミー賞で視覚効果賞を受賞した『エイリアン』。たしかに視覚的なインパクトは絶大だったが、この映画が30年たった今でも、SF・ホラー映画史に残る傑作として古びていないのは、そこに強力な物語があったためでもある。 そんな『エイリアン』の物語は、追い詰められたひとりのSFファンの、孤独な夢想から生まれた。彼の名前はダン・オバノン。29歳、無職、無一文で、住む家も車もなく、友人の家のソファで寝起きし、SF映画の脚本を売ることで、そんな生活から抜け出すことを夢見ていた......。 1946年生まれのダン・オバノンは、南カリフォルニア大学の映画学部でジョン・カーペンターと出会って意気投合。カーペンターの卒業制作から始まった(のちに商業映画に格上げされた)宇宙SF『ダーク・スター』(1974年)で、脚本を書き、視覚効果を一手に手がけ、重要な役で出演する八面六臂の活躍を見せた。 卒業後は
闘争の線を引け ― 特集:反骨の映画監督ロバート・アルドリッチ MASTERS OF WAR 常に男たち、女たちの意地と誇りをかけた命がけの闘い、サヴァイヴァルの様子を正面から見据えて骨太なタッチで描き続けた、戦後ハリウッドきっての活劇映画の名匠、ロバート・アルドリッチ(1918―1983)。文字通りの戦場や無法の西部、灼熱の砂漠、闘技場は言うに及ばず、彼がその眼差しを向けると、深夜のハイウェイやビーチハウス、老女たちの暮らすゴシック風の邸宅、はたまた貨物列車などが、たちまち激烈な闘争の場=アリーナへと変貌する。弱肉強食の待ったなしの冷酷非情な論理が支配するその極限状況下で、アルドリッチ映画の主人公たちは、彼らを取り巻く周囲の連中の剥き出しのエゴや憎悪、敵意にさらされて深く傷つき、時には遂に息絶えることになろうとも、最後まで決して諦めることなく必死に闘い続けるのだ。 そして、ほかならぬアル
~映画史の闇から浮かび上がった"黒い罠"~ ●過去を逃れて 1940年代から1950年代にかけてアメリカで生み出された、ある暗い翳りと独特の雰囲気を帯びたスタイリッシュな犯罪映画として、今日、世界中の映画ファンの間でカルト的な人気と支持を得ている〈フィルム・ノワール〉。けれども、元来それは、西部劇やミュージカルといった明確な映画ジャンルとは違って、同時代のハリウッドにおいては、作り手も観客の側も格別意識することなく生産・受容していたものが、何重もの時間的・空間的・文化的偏差を経て事後的に"発見"され、その都度新たな解釈を施されながら、映画史の不可視の闇の中から未踏の暗黒大陸としてじわじわと大きく浮上してきたという、独自のユニークで錯綜した歴史を持っている。 ●まわり道 第二次世界大戦終結後のパリで、それまで戦時中は輸入が途絶えていたアメリカ映画がたて続けに公開された時、『マルタの鷹』(19
<ハロー、プロフェッショナル ― 最高の相棒=ホークス映画と出会い直すために> ◆ジャンルを超越した娯楽映画の達人 痛快無類の面白さとスリルに満ちあふれた極上の娯楽映画を次々と世に送り出し、ハリウッドの黄金時代に君臨した神話的巨匠、ハワード・ホークス。さまざまな映画ジャンルの作品を幅広く手掛け、なおかつ、各ジャンルを代表する傑作・名作を次々と生み出した天才的映画作家となると、やはりこのホークスと日本映画界の名匠マキノ雅広の2人だろう。 鮮烈この上ないギャング映画の決定版「暗黒街の顔役」(1932)。美男美女たちが疾風怒とう、傍若無人の狂乱騒ぎを繰り広げる、「赤ちゃん教育」(1938)「ヒズ・ガール・フライデー」(1940)「教授と美女」(1941)などの抱腹絶倒のスクリューボール・コメディー。スリル満点のハードボイルド映画、「脱出」(1944)と「三つ数えろ」(1946)。西部劇の精髄と醍
Talking'シネマニアをご覧頂き、誠にありがとうございます。 本件コラムページは、2013年1月末をもって更新を停止させて頂く運びとなりました。 今後ともWOWOWオンラインをどうぞよろしくお願い致します。 <パラダイスの夕暮れ> 奇しくも、つい先頃『カリフォルニア・ドールズ』(1981)と共にリバイバル上映されたロバート・アルドリッチ監督の入魂の政治サスペンス映画『合衆国最後の日』(1977)の原題Twilight's Last Gleamingは、"黄昏の最後のきらめき"を意味するが、夕暮れ時、太陽が地平線に沈んでから夜の帳が降りるまでのほんの短い間、淡い残光が周囲を柔らかく包み込み、そこに奇蹟のように神秘的で美しい異次元の時空間が立ち現れる。「そうしたわずかな時間においては、光はまさに魔法の趣きを呈し、そこでは、もはや光がどこからくるのかわからず、太陽は姿を消し、しかし空は明るく
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