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ロイター写真部 Luke MacGregor 天文学の知識もほとんどなく、携帯電話のアプリの助けを借りただけの状態で、巨大五輪マークと月を同時にとらえる3日間の挑戦が始まった。このマークは、ロンドン五輪に合わせて観光名所のタワーブリッジに掲げられているもの。それを見て、満月が五輪マークに直角に交差する瞬間が訪れるはずだと思いついた。 1日目──。五輪マークがよく見えるロンドン橋上の「完璧な」スポットを決め、アプリの情報を頼りに月が昇るのを待った。だが、上空はあいにくの曇り空。月はアプリが示す月の出時刻から約10分後に姿を現したが、橋の右側にずれてしまった。月は空を横切るように移動すると思っていたため、垂直に昇るとは考えてもみなかった。計算が間違っており、完全に見当違いの場所にいた。 その後、重たい400ミリレンズ付きカメラをセットした三脚や、その他の道具を抱えながら橋を降り、月と五輪マー
パナソニックという会社は、創業者である故松下幸之助氏を抜きに語れない。 今でも社員は、毎朝の「朝会」で幸之助の理念を唱和し、「所感発表」と称して皆の前で日頃感じていることをスピーチする。 また、実際の創業は1918年3月7日だが、幸之助が1932年に「250年計画」を発表した5月5日は「創業命知日」として、同社には2つの創業日が制定されている。250年計画 とは、幸之助が水道哲学として当時の社員に発表した考えで、250年かけてこの世から貧困をなくす、という壮大な思想だ。 「生産に次ぐ生産で、物資を水道の水のごとく無尽蔵たらしめ、もって楽土を建設せん」と、当時会場だった大阪・堂島の中央電気倶楽部で幸之助が声を響かせると、「その崇高な使命、遠大な理想に全員は驚き、感動した。緊張した会場は、いつしか興奮のるつぼと化した」と伝えられている。 幸之助は「人を大事にする」エピソードでも有名だ。1929
年明け以降、関西電力大飯原子力発電所の再稼働問題を最重要テーマの一つとして取材した。ロイターの場合、国内の大手メディアのように多数の記者を動員するわけにはいかず、少数の取材態勢を余儀なくされたが、福井県や首相官邸など節目となる現場に立ち会うことができたのは貴重な経験だった。この間、強烈に感じたことは「脱原発は容易ではない」という身も蓋もない現実だ。 掲題をみて、人種差別を国是としていた1970代当時の南アフリカを舞台にした映画(原題は「Cry Freedom」)を連想した方がどれくらいいるだろうか。学生時代に観たこの映画自体に強い思い入れがあるわけではないが、不条理な出来事やニュースに接すると、深い諦念を湛えたこの邦題をよく思い出す。 「産業と生活を支える原子力発電をアパルトヘイト(人種隔離政策)と同列に語るとはなにごとだ」と、原発推進側の読者からは顰蹙(ひんしゅく)を買うかもしれない。と
2012年も下半期に入り、7月から欧州連合(EU)の議長国も交代した。では、6月までどの国が議長国を務めていたかご存じだろうか──。デンマークだ。 今年上半期、欧州動向がマーケットを揺さぶった。金融市場の「センター」を彩った顔としては、ギリシャ急進左派連合(SYRIZA)のツィプラス党首、フランスのオランド大統領、スペインのラホイ首相といったところがまず挙げられよう。しかし、デンマークの首相の名前をすぐに思い浮かべるのは難しいのではないか。 デンマークの首相はヘレ・トーニングシュミット氏で、同国初の女性首相である。デンマークは今年前半のEU議長国として、ギリシャでの2度の総選挙でユーロ解体リスクが意識されるなかで、ユーロの安定を求める役回りを担うことになった。ユーロを導入していないデンマークが、ユーロの安定を求める立場に立ったのである。 デンマークは2000年9月の国民投票でユーロの導入を
財務省が22日に発表した2011年末の対外資産負債残高によると、日本の企業、政府、個人が海外に保有する資産から負債を差し引いた「対外純資産残高」は2011年末に253兆円となり、21年連続で世界最大の債権国となった。GDP比では54%だった。 第2位は中国で138兆円、第3位がドイツで94兆円と続く。 同日、大手格付け会社フィッチ・レーティングスは日本国債の格付け(発行体デフォルト格付け:IDR)を「ダブルAマイナス」から1段階引き下げ「シングルAプラス」にしたと発表。 見通しはネガティブ。国債発行に歯止めが掛からず、財政健全化に向けた取り組みが切迫感に欠け、その実行は「政治リスクにさらされている」からだという。確かに、格付け会社に指摘されるまでもなく政府債務の規模は危険水域に達している。 一方で、市場の反応は一時的だった。市場が真面目に反応しなかった理由は、欧米大手格付け会社が1990年
東京の墨田区押上は、京成線や地下鉄半蔵門線など4路線が乗り入れる交通の要衝ながら、これといった特徴のない下町のローカルタウンだった。 それが東京スカイツリーの出現で、突如として全国区の知名度となり、タワーの建設中から多くの人が押し寄せている。 当然地元への波及効果も期待されており、周辺の商店街はご当地キャラクターを作ったり、独自のみやげ物を考案したり、開業直前の週末にはみこしを担いで雰囲気を盛り上げるなど、波に乗ろうと準備を進めてきた。 しかし東京の下町で生まれ育ち、今もスカイツリーを近くに眺めて暮らす筆者としては、目論見通りに事が進むかどうか気がかりだ。 最寄りの押上駅、とうきょうスカイツリー駅(旧・業平橋駅)から周辺のどの商店街へ行くにも、スカイツリーまでの道から少し外れるか、逆方向に歩かなくてはならない。 しかもスカイツリーには300店以上を収容する巨大な商業施設が併設されている。飲
日銀法改正に向けた動きが与野党に広がっている。 歴史的な円高、長期にわたるデフレからの脱却に向けた日銀の対応が手ぬるいとして、政府が物価目標を決め日銀に指示し、目標が達成できなかった場合に説明責任を求める内容だ。 しかし、問題は、達成度合いが著しく低い場合に、総裁や副総裁、審議委員に責任を取らせる解任規定を盛り込んでいること。中央銀行の独立性を脅かし、金利上昇の副作用も招きかねない議論に、民主党執行部は沈静化に動き出した。 前原誠司政調会長は9日、ロイターのインタビューで、日銀法改正について「今、具体的なテーマとして想定しているわけではない」と明言。法改正で独立性が損なわれることの「副作用が大きい」と警告した。総裁解任権を盾にした日銀への政治介入が過度な金融緩和を誘発しかねないからだ。 ひとたび中央銀行の信認が崩れれば、金利上昇となって跳ね返ってくる。こうした金利上昇は大量の国債を保有する
4日に任期を迎えた2人の日銀審議委員の後任がいまだに決まらない。 このうち1人は政府が先月23日にBNPパリバ証券の経済調査本部長・チーフエコノミストの河野龍太郎氏を国会に提示したが、自民党や公明党などが反対の方針を示しており、野党が多数を占める参院で不同意となる可能性が大きい。 国会同意人事は、衆参それぞれの同意を得られなければ白紙になる。その場合、政府はあらためて別の人事案を示さなければならない。 正副総裁と審議委員の合計9人で構成される日銀政策委員会は、日銀の最高意思決定機関。毎月開催している金融政策決定会合では、世界や日本の経済・金融情勢などについて議論を行い、それを踏まえて当面の金融政策運営方針を決める。 今月は9─10日に開かれるが、2人の欠員を抱えたまま開催されることは確実な情勢。欠員自体は過去にも例があるが、日本経済の低迷とデフレからの早期脱却の必要性が叫ばれる中、その一翼
岩手県釜石市で12月再開した「呑(の)ん兵衛横丁」を先月訪れた。全国にファンが多いというこの横丁は、釜石港の近くにあったが、東日本大震災が引き起こした津波で26店全てが流された。港より内陸側の釜石駅の近くに建てられた仮設店舗で営業再開したのは、このうち15店。 中小企業基盤整備機構が店舗を建て、同じ名前の「渋谷のんべい横町」やライオンズクラブの支援を受けて立ち上がった。壊滅的な被害を受けた市街地の復興はまだこれからだが、復活した横丁は「交流の場、安らぎの場として賑わっている」(釜石市産業振興部商工労政課の正木隆司課長)という。 「釜石呑ん兵衛横丁」のゲートをくぐると、照明がともったそろいの看板がずらりと並ぶ。横丁に着いたはいいが、外から中の様子が一切見えず、どこに入ったものかと迷う。人の声がする「とんぼ」の扉を開けると、カウンターの向こう側で店主の高橋津江子さん(70歳)が生ビールをグラス
日銀は14日の金融政策決定会合で、国債や社債を買い取る基金の上限を引き上げるなどの追加金融緩和を政策委員9人の全員一致で決めたが、その達成には困難が伴う。 日銀が現在、資産買い入れ基金で金融機関から買い取ることにした国債などの資産総額は65兆円。しかし、実際に買い入れたのは昨年10月末時点で40兆円に届いておらず、専門家の間では「現在の枠組みでは65兆円までの積み上げは不可能」との見方が強い。 なぜか──。実は、日銀は、今回の会合で基金を増額したが、0.1%以下の国債は買い取らないルールをそのままに緩和に踏み切った。 決定会合後の金融市場では緩和効果を先取りするかのように2年物の国債利回りが急低下し、あっさり0.1%まで下がってしまった。これでは金融機関が0.1%の国債を日銀に売却して資金を調達するインセンティブが働かない。コストを考慮すれば損失すら被りかねないのだ。 デフレからの脱却をに
ロイター通信 写真部 加藤一生 「ついにこの日がやってきたか」──。日本に支局を置く海外メディアの代表撮影を担当するスチール・カメラマンとして、福島第1原発に入ることが決まった時の、私の率直な感想だ。 チェルノブイリ以来最悪の原発事故を引き起こした東日本大震災の発生からもうすぐ1年。福島第1原発を取材する機会が2月20日に訪れた。取材陣に福島原発を公開するのは12月の冷温停止宣言から初めて。今回はバスの内側からの取材だけではなく、バスから降りた敷地内で、原子炉建屋を見渡せる位置から約15分間、撮影することが許された。 3月11日の巨大地震と津波に襲われた福島第1原発で発生した爆発。その爆発の瞬間の写真や映像を見ると、いまだに私は恐怖感を覚える。あれは水蒸気爆発だと政府や東京電力は当時説明していたが、私があの瞬間の映像から受けた印象は、原子炉自体の爆発の様にしか見えなかったからだ。 「この
個人の資産運用ツールである投資信託では、毎月決算を行い分配金が払い出される毎月分配型が人気だが、いまこの分配金がやり玉に挙がっている。 投信の高額分配に対し、苦情やトラブルが増加傾向にあり、当局が分配に対し規制する方向で調整すると一部新聞が報じたからだ。しかし、業界関係者らはこうした動きに対し違和感があると疑問を呈す。果たして分配金は悪者なのか。 毎月分配型投信は、商品が登場して以来、毎月決算することの非効率さや、分配金の源泉がかならずしも運用益によるものだけでなく、投資元本から払い出されているケースがあるなど、その是非についてずっと議論されてきた。それでも分配型投信は投信全体の6割強を占めるまでに普及し成長している。 野村総合研究所の試算では、2011年に投信に純流入した資金は3.6兆円だったのに対し、払い出された分配金は4.85兆円と過去最高を更新した。10年前(2001年)に払い出さ
ロイター通信 写真部 中尾由里子 東日本大震災の発生から間もなく1年。私は福島市内にある常円寺のご住職、阿部光裕さんを再び訪ねることにした。半年前に取材した時には、ご住職は放射能汚染の影響を和らげようと、ヒマワリを栽培したり、種苗を配る活動を行っていた。 それ以来、ご住職一家とは定期的に連絡を取っている。辛い状況に直面しているにも関わらず、ご一家は屈託のない様子で接してくれる。ある日の夜、ご住職が興奮気味に私の携帯に電話をかけてきた。世界体操のテレビ放送に、取材中の私が映っていたのだという。 そうした関係が築けていたことが功を奏したからか、半年ぶりに取材で伺った際にも、私は日常生活の一部に溶け込むように、僧侶であり、かつ3人の男の子の父親でもあるご住職が放射能汚染と闘う様子を取材することができた。 2月初旬に常円寺を訪ねた私を待っていたのは、以前と全く異なる光景だった。ヒマワリの花が咲き
ロイター写真部 Kim Kyung-Hoon 巨大地震と大津波が福島第1原発を襲った東日本大震災の発生から1日たった2011年3月12日の深夜、私は原発近くの町から避難してきた住民を探していた。 メルトダウンや放射能漏れなどの危険が叫ばれる中、ヘリコプターで到着した福島空港から、同僚とともに車で西へと向かった。目的は2つ。原発から可能な限り離れることと、避難住民を見つけることだった。 しかし、避難住民の居場所に関する明確な情報はなく、われわれの安全を守るには、原発からどれくらい離れればいいかも分からず、現場では混乱した状態が続いていた。郡山市で数時間ほど情報を求めて尋ね回り、住民たちが避難所に入る前に放射線検査を受けていることが分かった。 市内のスポーツ施設に設置された検査場に到着したわれわれの目に映ったのは、SF映画のワンシーンのような光景だった。そこでは、全身を防護服に身を包んだ検査
ロイター写真部 加藤一生 カメラやレンズ、パソコンのように、通常の撮影に必要な機材としてマスクや防護服、放射能計測器が加わってから、早くも1年が経とうとしている。 東日本大震災とそれに伴う福島第1原発事故の発生以来、立ち入りが禁止されている半径20キロの警戒区域は今やゴーストタウンのような状態だ。そんな20キロ圏内でかつて事業を営み、現在は避難生活を送りつつも事業を再開しようと頑張っている友人に協力を頼まれ、彼が暮らしていたエリアに同行することになった。 昨年3月11日に発生したマグニチュード9.0の巨大地震と、想定を超える大津波は、過去25年で最悪の原発事故を引き起こした。近隣住民は家財道具やペットを残したまま、緊急避難を強いられた。福島県内では15万人以上が未だ避難生活を余儀なくされており、その半分近くが警戒区域の住民だ。 車で20キロ圏内に入ると、地震で破壊された家屋や店舗が目に入
10月21日に閣議決定した2011年度第3次補正予算案に、東日本大震災の被災地産品の国際的な活用がひっそりと盛り込まれている。 特定被災区域で作られた加工食品や工業品を、途上国の要望を踏まえた上で、政府開発援助(ODA)を通じ供与するもので総額50億円。補正予算案の「世界に開かれた復興」177億円に含まれている。 対象品目としては、被災地域で水揚げ・加工された魚の缶詰のほか、内視鏡や血液検査機器、車いす、消防車などを検討。放射線量に関しては、事前検査で日本の安全基準を下回っていることを確認し、証明書を付けた上で提供する方向だ。外務省では、被災地に貢献できるほか、途上国の発展や福祉向上に役立つ重要な事業と位置づけている。 一方で、複数の国々は日本製食品の輸入規制を継続している。農林水産省によると、10月26日現在で米国や欧州連合(EU)、中国、韓国、インド、エジプト、レバノン、ブルネイ、コン
自宅のガレージで創業したアップルを35年で世界的大企業に導いたスティーブ・ジョブズ氏が5日、56歳で死去した。 同社が前日発表した新型iPhoneに対しては、期待ほどの驚きはなかったとの失望感も出ていたようだが、「カリスマ経営者」ジョブズ氏の下でiPhone、 iPod、iPadと画期的な新製品と新市場を生み出してきた同社の「イノベーション(革新)DNA」への期待は今後も続くだろう。 イノベーションと言えば、日本貿易新興機構(ジェトロ)の林康夫前理事長が4年半の任期を終えた先月末に会見で語ったいくつかの言葉が心に残っている。「日本は国際的にみても極めて国際化が遅れている」「世界ではIT・ソフト分野で日本がすごく遅れていると言われている」「日本は技術力はあるが、国際的なビジネスモデルを構築するイノベーション力が弱い」など。 実際、イノベーションを含む国際競争力ランキングで日本の地位は芳しくな
「円高で空洞化がさらに加速する?いや、空洞化はもう最終段階を迎えたと思う」──久しぶりに会った旧知の自動車メーカー関係者は、ビールを飲みながらこう語った。 このメーカーは年内に主力車を全面改良する。企画が始まったのは2009年。国内では年間20万台弱のペースで生産する計画だったが、2年が経過した今、計画を大幅に変更した。国内での生産予定数を8割減らし、海外生産に切り替える。 当時対ドルで90円台後半だった円相場は、76円台と20円以上の円高に。新モデルは国内向けの販売がごくわずか。ほとんどを輸出に振り向けるため、採算が合わない。「日本で生産するのはやめたいという話も出た」と、同氏は語った。 とりわけ今は対韓国ウォンでの円高が韓国車との競争で不利に働き、日本から輸出していたのでは対抗するのが難しくなっているという。 電機業界で起きたのと同様、自動車業界でも韓国メーカーに人材が流出している。今
KDDI(au)がアップルの次期「iPhone(アイフォーン)」を販売する方向で調整していることが明らかになったが、KDDI側に受け入れ準備が整っているとは言い難い。 アップル自体が「アイフォーン5」を発表していないだけでなく、KDDIが実際に販売を開始するまでにクリアすべき課題が多いようにみえる。 第1の課題はアップルが求める販売ノルマだ。アナリストの推計では年間200―300万台で、このノルマは年々厳しくなっているという。これに対してKDDIが見込む今期のスマートフォン販売計画はアンドロイドを中心に400万台。いかにも重いノルマだが、今後の販売計画を立てるには、スマホのほとんどをアイフォーンが占める商品構成を強いられるのではないか。 「お客さまにいろいろな選択肢を与えたい」とするKDDIの田中孝司社長は、アンドロイドもバランスよく取り扱いたい意向とみられるが、ソフトバンクのようにあから
東日本大震災から半年が経過した9月11日、津波で父親を亡くした宮城県東松島の熊谷和奏(わかな)ちゃんを再び訪ねた。 最初に会ったのは震災後間もない4月。入学式を終えた6歳の和奏ちゃんが真新しいランドセルを背負い、仮土葬場に眠る父に報告をする姿を取材した。明るく健気に振る舞う、和奏ちゃんの姿に心を打たれた。 それからおよそ5カ月。和奏ちゃんは母の秀子(よしこ)さん、兄の幸輝(こうき)くんと共に、亡くなった父和幸さんの車が発見された場所で両手を合わせていた。遠くから地震が発生した午後2時46分を知らせるサイレンが聞こえてくる。父がいなくなってから半年が過ぎた。 「パパは車をおいて、あなたたちのいるあっちのほうに向かったんだよ」 母にそう言われて、和奏ちゃんは手を合わせながら、半年前の寒い雪の日、父の到着をずっと待った避難所の小学校の方向を見た。 あの日、マグニチュード9.0の地震が発生した直
今年から来年にかけてエネルギー政策の見直しが政府で議論される。 東京電力福島第1原子力発電所の事故を踏まえ、電力供給の3割を担ってきた原発への依存をどの程度減らすかが中心テーマとなるのは確実だが、これは他の発電手段をどのように増やしていくのかという命題と同義だ。 資源エネルギー庁幹部、東京電力元役員、エネルギー・アナリストといった専門家は「天然ガスしかない」と異口同音に答える。 国際エネルギー機関(IEA)が今年6月に発表した「天然ガスの黄金時代到来か」という特別リポートの内容は衝撃的だ。生産技術の進歩で非在来型のシェールガスの利用可能性が飛躍的に高まったことを背景に「天然ガスの可採資源量は250年以上」とIEAは指摘した。 石油天然ガス・金属鉱物資源機構の石井彰・特別顧問は、250年以上というの年数について「中東のシェールガスを低くみており非常に小さい」と語り、従来型と非在来型を合わせた
ロイター通信 写真部 中尾由里子 東日本大震災による福島第1原発事故が発生した時、私は福島で取材をしていた。福島第1原発から63キロ北西にある県の災害対策本部は大騒ぎだったが、庁舎の外に一歩出ると、町の様子は事故前と変わらず、実際に何が起きているのか、そこから把握することは容易ではなかった。停電や断水が続いてはいたが、市内には犬の散歩をしたり、自転車に乗って出かける人々の日常の姿があった。 まもなく上司から福島市から出るよう指示を受け、つい最近になるまで再びこの土地を訪れることはできなかった。震災から5カ月経った今でも放射能汚染についてのショッキングなニュースがひっきりなしに流れてくる。福島の人々が感じるつらさやストレスがどれほどかを考えると、気持ちが沈んだ。 そんな時、福島市内にある常円寺のご住職、阿部光裕さんがヒマワリや菜の花などを育てることで福島を蘇らせようとしていると聞いた。これ
第1次世界大戦後しばらくして流行った「緊縮小唄」という歌(唄)がある。 戦勝国となった日本が次に目指したのが「金解禁」。金解禁とは金本位制への復帰のことで、「一等国」の仲間入りを目指す日本が大戦前の平価で金兌換(交換)を再開するために、消費を我慢し、物価を下げて、通貨の価値を上げましょうという、政府の肝いりを感じさせるデフレ・円高キャンペーンソングだ。 作詞は詩人の西條八十、作曲は「カチューシャの唄」などで知られる中山晋平という超豪華タッグ。歌手は藤本二三吉という売出し中の歌手だった。テレビも携帯電話もツイッターもない時代に、歌というのは効果的なキャンペーン方法だったのだろう。日活映画「一番目の女」の主題歌にもなったから、それなりに流行ったとみられる。 「咲いた花でも しぼまにゃならぬ ここが財布の あけた財布の締めどころ」 「向う鉢巻 肩には襷 祓え日本の 祟る不景気の 貧乏神」 「
半導体や薄型テレビなどの世界市場で躍進する韓国企業。 円高で苦しむ日本メーカーとは対照的に、ウォン安や自由貿易協定(FTA)戦略を推し進める政府の後押しで、鉄鋼、造船、自動車分野でも攻勢をかけている。そんな韓国の強さは製造業に限らないという。 博報堂がアジア10都市の15-54歳の男女を対象に行った「Global HABIT」調査によると、韓国はドラマや音楽などのコンテンツ分野でも存在感を強めている。 「かつてドラマ、音楽、メイク・ファッションなどの日本コンテンツはアジア各国で強い影響力を持っていたが現在は韓国に押されている」という。 調査は日本、韓国、欧米のマンガ・アニメ、ドラマ、音楽、映画、メイク・ファッションが各都市でどの程度受け入れられているかを6591人に聞いたもの。昨年5─8月に実施し、先週結果が公表された。 調査によると、マンガ・アニメは今も日本がアジア全体で圧倒的な人気を持
大震災直後から「日本の力を信じている」という広告機構の差し替えCMが繰り返しテレビ画面上に流れたものだが、株式市場で日本の力を信じていたのは当の日本人ではなく、海外投資家だった。 東証が先ごろ発表した5月第2週(5月9日―5月13日)の3市場主体別売買動向によると、海外投資家の買い越しは28週連続となり、15年ぶりに過去最長を更新した。累計買い越し額は約4.8兆円に達する。 確かに過去にも多くの困難を克服してきた日本には「不倒神話」のようなものがあるらしい。戦後の焼け野原からわずか9年後の1954年から高度成長期に入り、64年には当時世界最速の東海道新幹線を開業している。江戸時代から数えても明暦の大火、関東大震災、東京大空襲と3回の首都壊滅を経験し、それを克服することで強い国家を築いた。 今回も国内企業業績の下期V字回復シナリオに自信を持てない国内投資家に対し、海外勢は日本の製造業の強さを
東日本大震災で各社が対応に追われる中で展開されたイオンによるパルコ株取得やその後の資本・業務提携提案は、一部報道で「乗っ取り」という言葉が使われるなど、イオンの強引さを印象付けた。 取締役会のみならず、労働組合や店長会などパルコサイドが一斉に反対しており、定義から言えば「敵対的買収」。しかし、株主サイドからは、そうは映っていない。 今回のパルコ株取得やその意図について、イオンの岡田元也社長は記者会見の席でも沈黙を守った。ただ、M&Aについての考え方を問われた際には、パルコのことも念頭に置きながら「今まで敵対的なM&Aが成功すると思ったことはないし、現在も含めてそのつもりは全くない」と語気を強め、「誰に対して敵対的か、もしくは誰に対して敵対的でないことがことの本質で重要なこと」と述べている。 そもそも、パルコを巡る混乱は、日本政策投資銀行(DBJ)を引受先として、パルコが150億円のCB発行
海水に豊富に含まれるマグネシウムをエネルギーとして利用しようという構想を提唱する学者がいる。 東京工業大学の矢部孝教授だ。内容を初めて聞くと、「実現すれば素晴らしいことかもしれないが、話しがうまく出来すぎてはいないか」という印象を多くの人が持つかもしれない。 しかし、福島第1原子力発電所の事故を契機にエネルギー不安が高まる中、新奇なアイデアも排除せずに考えてみてよいのではないかと思う。筆者の理解の範囲内で、矢部教授の斬新かつ壮大な構想の一端を紹介したい。 矢部教授の構想は、2010年の年明けに「マグネシウム文明論」(矢部孝・山路達也著、PHP新書)を読んで知った。 要約すると、①太陽熱を利用した淡水化装置を使って、海水中の塩化マグネシウムを取りだす、②熱を加えて、塩化マグネシウムを酸化マグネシウムにする、③太陽光励起レーザーで、酸化マグネシウムを金属マグネシウムに精錬する、④マグネシウムを
宮城県東松島市の仮土葬場に着くと、熊谷若菜(6)は車を飛び降り駆け出した。大好きなお父さんに会いに来たのだ。若菜は舞踏会でのご挨拶のような仕草で、父と対面した。 この日、4月21日は若菜の小学校の入学式だった。母親と兄と共に式に出席した後、真っ赤なランドセルとドレスを着て、父に入学の報告に来たのだ。 父、和幸は土の中で眠っている。享年31歳だった。 3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0の巨大地震が発生した直後、母は和幸からの電話を受けた。「津波が来る。子供たちを連れて、(避難所の)小学校へ行け、自分も後で行く」 母は車で2人の子供を迎えに行き、小学校に向かう途中で津波の第1波にのまれた。ドアが開かなくなった車から何とか出た3人は海水に覆われた街の中を、避難所である東松島市立大曲小学校に何とかたどり着き、父の到着を待った。 4日後、父は遺体で見つかった。家族が待つ小学校の近くだった
今年も日本に桜の季節がやってきた。3月11日の地震と津波、そして原子力発電所の事故による放射能問題。春の訪れを忘れてしまうほど、日本人の生活は一変してしまった。 4月に入り、被災地の取材に戻った。地震や津波発生直後の途方もない量のがれきの山はかなり片付けられ、道路が再び姿を現し、そこが町だったことが徐々に見えてきた。 町はいまだモノトーンの世界だ。その中に日本人なら誰でも心躍る、淡いピンクの花が所々に顔を出していた。津波で倒壊した木からも、流された車に押し倒された枝からも、生命力溢れる桜の花が今年も見事に咲いた。 日本の復興はまだ始まったばかりだ。桜の花のような笑顔を取り戻せる日が1日でも早く来ることを願わずにはいられない。 4月19日 ロイター東京支局カメラマン 花井亨 (写真/ロイター)
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