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ノーベル賞
docudocu.jp
エグゼクティブ・プロデューサー:浪越宏治 プロデューサー:小林佐智子 原一男 長岡野亜 島野千尋 編集・構成:秦 岳志 整音:小川 武 助成:文化庁文化芸術振興費補助金 (映画創造活動支援事業) 独立行政法人日本芸術文化振興会 製作・配給:疾走プロダクション 配給協力:風狂映画舎 2020年/372分/DCP/16:9/日本/ドキュメンタリー
87年の日本映画界を震撼させた驚愕の作品。 天皇の戦争責任に迫る過激なアナーキスト・奥崎謙三を追った 衝撃のドキュメンタリー 神戸市で妻とバッテリー商を営む奥崎謙三は、たったひとりの「神軍平等兵」として、”神軍”の旗たなびく車に乗り、今日も日本列島を疾駆する。生き残った元兵士たちの口から戦後36年目にしてはじめて、驚くべき事件の真実と戦争の実態が明かされる…。平和ニッポンを鮮やかに過激に撃ち抜いた原一男渾身の大ヒット・ドキュメンタリー。 奥崎謙三 1920年、兵庫県生まれ。第二次大戦中召集され、独立工兵隊第三十六連隊の一兵士として、激戦地ニューギニアへ派遣される。ジャングルの極限状態のなかで生き残ったのは、同部隊1300名のうちわずか100名。1956年、悪徳不動産業者を傷害致死、懲役十年の判決。1969年、一般参賀の皇居バルコニーに立つ天皇に向かい「ヤマザキ、天皇を撃て!」と戦死した友の
香港国際映画祭で 『水俣曼荼羅』と『れいわ一揆』上映! ▼『水俣曼荼羅』4/3(土)14:30(現地時間) 場所:Hong Kong City Hall ▼『水俣曼荼羅』4/11(日)00:00 - 4/13(火)23:59(現地時間) オンラインにて上映 https://www.hkiff.org.hk/film/getdetail?fid=839 ▼『れいわ一揆』4/4(日)14:30(現地時間) 場所:Hong Kong City Hall ▼『れいわ一揆』4/12(月)00:00 - 4/14(水)23:59(現地時間) オンラインにて上映 https://www.hkiff.org.hk/film/detail/id/841 4月4日(日)の『れいわ一揆』上映後、原一男監督によるマスタークラスを開催。 https://www.hkiff.org.hk/upload/news/16
原一男監督 新作映画―「大阪・泉南アスベスト国賠訴訟」、8年間の全記録。
まさか、このような展開になるとは露とも思ってみなかった。まさに「寝耳に水」。 週刊金曜日8月19日号は「さようならSEALDs」と題したSEALDs特集。特集のメインは、奥田愛基さんと私の対談。さらに、奥田愛基さんと私とが並んだ写真が表紙を飾っている。昭和20年(1945年)、敗戦が決まる直前に防空壕で生を受け戦後民主主義と共に生きてきた私にとって、“戦後民主主義が未曾有の危機にある今、あなたは、私は、どう闘う?”を週刊金曜日誌上で追求したかった。そうしたテーマで今後、週刊金曜日で対談の連載企画を進める話にもなっていて、担当編集者の渡部編集部員と私と私のスタッフで構想を練り始めていた。「さあ、連載、がんばるぞ」と意気込んでいた矢先の出来事だった。 発端は「ツイッターで問題が起きてますよ」という私のスタッフからの連絡。さっそくツイッターをみてみた……。週刊金曜日8月19日号の表紙には「さよう
「これは、五十肩ですよ」の診断にショック!今日、頸と腰の手術を受けた「洛和会音羽病院」に行く。退院した後も術後のチェックに定期的に通っている。 実は、一ヶ月くらい前から、急激に左腕が猛烈に痛くなり、その痛みもどんどんヒドクなっていた。 どんな痛みかというと、例えば、運転席にいて後部座席に載せていた荷物を取ろうと体を左に少し向け、左腕を伸ばそうとした途端に激痛が走る。これも車の中でのことだが、助手席がわのドアを閉めようと左腕を伸ばすと、これまた痛みが走る。さらに夜、寝る時のこと、横向きになることが多いのだが、左側を下にすると痛みが走るのだ。やむなく左側を上にすると、痛みは減るのだが。 こんなことがあった。今、メタボ対策でハイキングを再開したのだが、雨が上がった後にハイキングに行き、坂道が泥状で、スルッと滑ってしまい、思いっきりすってん!と尻餅をついたとき、左腕に激痛が走った。あま
俺が田原総一朗という名前を初めて知ったのは、たまたま、本屋で1冊の本を見つけてね、『青春 この狂気するもの』ってタイトルさ。その時点では、田原総一朗って名前を知ってたわけじゃなくって、とにかくタイトルに惹かれて本を買って読んだんだよ。そしたら、これが面白くてね。田原さんが作った番組の、いってみれば裏話さ。それからだよ、田原さんの名前を意識して、当時『東京12チャンネル』っていってたんだけど、夢中で『ドキュメンタリー青春』シリーズを見たね。 それが、何故、田原さんと出会うようになったのか、について話すと長くなるから省くけど、俺がドキュメンタリーの現場に、一番最初に出会ったのが田原さんの現場だった。武田美由紀という女とまだ一緒に生活している頃だ。二十代の前半だったね。武田美由紀が田原さんの番組に出ることになったんだけど、俺の方はまったく関係ないわけ。だけどすごく興味があったんで、その撮影現
最近、〈やらせ〉ということが問題になっていますが、 元祖〈やらせ〉論というべき位置づけにある人が、田原総一朗さんです。 ただ、問題になっている〈やらせ〉という言葉はネガティブに使われているようですが、 田原さんは肯定的に使っていらっしゃいます。 私は、自分がドキュメンタリーを作るようになったキッカケとして、 当時の東京12チャンネル、今のテレビ東京ですが、 「ドキュメンタリー青春」に出会ったことがとても大きな要素を占めています。 たしか田原さんの処女出版だと思いますが、三一書房から出た新書版で、 タイトルが「青春・この狂気するもの」といいますが、 この本をたまたま本屋さんで見つけて読んだんですが、私のフィーリングにピタッとしたんですね。 その後で、田原さん本人との出会いがあった、といういきさつがあります。 田原さんの方法論もそうなんですが、とにか
「ポーランド映画祭」からのインタビュー原稿。その1「ポーランド映画祭」から疾走プロドキュメンタリー4作品を上映したい、ついては、メールでインタビューしたい、という依頼を受けた。 4作品を上映していただけるということは、作り手にとっては、大変名誉なことである。作品紹介を兼ねてのインタビュー、断る理由は、もとより、ない。喜んで受けることにする。 最初は、招待します、という話だったのだ。が、主催者側にもいろいろ事情があってのことだろう、今回は、招待はパスになった。残念だが、仕方ない。 まもなく、インタビューの内容が届いた。ざっと目を通す。けっこう難易度の高い質問が並んでいる。 海外のメディアからのインタビューを受けることは、こちらにとっても勉強になる。作品ごとの背景にある歴史的、文化的、社会学的、哲学的、といった様々な問題意識を含んだ観点から質問を発してくる。作り手という特権的レ
70年代に映画を作り始めた俺にとって、当時気になった人たち。 出会った人たち。いつも影響をそれなりに与え続けてくれた人たち。 そういう監督に講師として参加して欲しいと依頼したわけだよね。 俺たちに影響を与えた人たちも含めて、 70年代という時代を自分の中でイメージするわけ。 その70年代を、今検証したいという欲求が出てきた。 21世紀に向けて、どういう生き方を自分たちが探っていけばいいのか、 過去を懐かしむという意味では決してないんだ。 そうじゃなくて、時代が非常に高揚していた。エネルギッシュだった。 パワフルだった60年代から70年代。 俺にとってはその時代を検証することが 21世紀へ向けて加速するためのチューンナップってやつさ。 そんな感じがしてるんだよね。 ちょっとかっこつけて言えば…。
2018年1月17日 1月17日、大阪の天劇キネマトロンで『with・・・ 若き女性美術作家の生涯』のトークショーに登壇 2018年1月10日 1月10日、AbemaPrimeに原一男監督が生出演 2018年1月8日 1月9日、大阪の第七藝術劇場で『青春夜話』のトークショーに登壇 2018年1月7日 1月8日、大阪のシアターセブンで原 一男監督トーク+新年会を開催 2017年12月28日 12月28日、TBSニュースバード「ニュースの視点」で『ニッポン国VS泉南石綿村』が紹介 2017年12月27日 12月29日、【日程変更】<原一男のネットde「CINEMA塾」>の第4回のゲストは『青春夜話 Amazing Place』の切通理作監督 2017年12月24日 12月28日、<原一男のネットde「CINEMA塾」>の第4回のゲストは『青春夜話 Amazing Place』の切通理作監督 2
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