サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
odanakanaoki.hatenablog.com
本来ならフランスで資料探索三昧になる予定だった8月上旬だが、勤務先の雑用……じゃなくて学内行政(作文とか、別作文とか、作文依頼とか、作文チェックとか、さくぶ、さく、さ)のせいでフライトも宿もキャンセルし、仙台で過ごす夏。 そんな日々のはざまを縫って、名古屋青年会議所主催のフォーラム「歴史の観方は未来を創る:平和を維持する想い」(8月20日)に参加することになった。名古屋大空襲70周年ということで、竹田恒泰氏(お!)、徳川家康公(ん?)とともに、歴史を記憶することの重要性をめぐるパネルディスカッションに出席する&司会も担当することに。 www.nagoyajc.or.jp あわてて名古屋大空襲の本を買って読む今日この頃。 それにしても、ポスターの写真も(自分で提供したので自業自得だが)スゴイが、付されたコピー「歴史を学ぶ意味あります?」もスゴイ。ぼくが考えたわけではないが、歴史学界にケンカを
【11月8日追記】 日本学術振興会・学術システム研究センター(JSPS-RCSS)人文学班・社会科学班の合同学術動向調査(通称「修学旅行」)で九州大学と九州国立博物館を訪問して仙台に戻り、本論で取上げたアンケート中止問題が『朝日新聞』とNHKニュースで、もうちょっとくわしく取り上げられたことを知った。ともに地域版なのが残念だが、いまは地域版でもネット経由で全国に広がるんだね、パトラッシュ、ぼくは知らなかったよ……というのはくどいか。 くどいな。 うん。 それにしても、2つの記事を比較すると、 たった9件で、それも同日着といういかにも組織的な行動の所産と思しき、ショボイ批判的意見を「相次いだ」と表現する。 「安保関連法(戦争法)の目的は米国が行う戦争の肩代わりと言われるが、どう思うか」という設問をわざわざ「安全保障関連法に《戦争法》と付け加えた上で、《目的はアメリカが行う戦争のかたがわりと言
【追記】 その後、吉嶺茂樹さんからヤン・ピャオのトークについてメールがあり、帝国書院の副教材には日露戦争について、それらしくとられうる記述があるとのこと。こら帝国書院、歴史・記憶・メディアに関する世界中のトップランナー(ユルゲン・コッカの奥方も来ていた)が集まる場所だというのに……わしゃ知らんぞ。 【本文】 ①今朝も朝食をとりに展望レストラン(49階!!)に出かけたら、ヨーロッパ系の女性ホテルパーソンがいる。「アメリカですか?」と質問したら「フランスです」と返されたので、フランス語に切替えて「どこ?」と聞いたら「ニーム出身」。ニームといえば、ぼくが調べているモンペリエの近隣にある静かな町(いちおう県庁所在地)である。「中国、どう?」と聞いたら、彼女曰く「別世界。上海や北京なら別だけど、ここ済南は地方都市だからなあ」だと。あと2週間で転勤ということで、グッドラック!! ぼくは、今日も朝からパ
日本は大雪で、仙台に至っては半世紀ぶりの35センチ(……)ということらしい。マジすか!! これに対して当地モンペリエは最高気温14度という天国のような天気で、からだが喜んでいるのがよくわかる……が、木曜日には仙台に戻るので、この幸せもしょせん長くは続かないわけである。 さて異国にいると(基本的に出不精ゆえ)夜が長いので、例によって「つれづれなるままに……心に映りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくる」ことになる。今回のお題は 日本における経済史学の現在をいかに考えるか。 とりわけ経済史教科書はいかにあるべきか。 である。 ぼくは経済史学畑の出身ながら、最近どういうわけか経済史学と縁遠い生活をしてきたのだが、2013年度は半年間勤務先で「経済史入門」という講義を担当して一年生に経済史学の基本を教える機会があり、久々に経済史学について想いをめぐらせることになった。 そんなわけで、経済史学の
年末年始にかけて、東京都の高校教員の方々(東京都歴史教育研究会・秋季講演会、2013年12月14日at東京都立石神井高等学校)と、北海道の高校教員の方々(北海道高等学校教育研究大会・世界史分科会、2014年1月10日at北海道札幌平岡高等学校)をお相手として、一席ぶつ機会に恵まれることになった。 さて、なにを話そうか。自分の専門の話(19世紀フランス社会政治史)をすればステマになってぼくにはありがたいのだが、ユーザーフレンドリーとはいいがたいし、間もなく供用が開始される高校世界史教科書の話をすればこれまたステマにっなて良いのだが、それもちょっと……というわけで、5月の日本西洋史学会大会で話したグローバル・ヒストリー論を拡充して話題提供することにした。 そんなわけで、あわてて書上げたドラフトがこちら。 小田中直樹「比較史の復活へ:西洋中心主義的一国史学とグローバル史学の双方を超えて」[PDF
秋学期が始まると、とにかく時がたつのが早い。しかも諸般の事情でちょこちょこと短期の出張を突っ込んでしまったので、気忙しくて困る。ちなみに、来週からは、釜山、福岡、大阪・東京、一週あけてソウル、というステキな週末巡業が始まる。体力のないぼくには、ちょっとしんどいなあ。 そんな中、先週末はJSPSに出張したついで(?)に大阪に出向き、大阪大学歴史教育研究会に参加してきた。桃木至朗さんを牽引車、じゃなくて牽引者とする同研究会は、歴史学の領域における高大接続において圧倒的な成果を挙げてきたが、いよいよ中間とりまとめということで、大学教養課程レベルの通史テクスト『市民のための世界史』を大阪大学出版会から刊行するらしい。今回は、近現代を担当する秋田茂さんと、序論・結論を担当する桃木さんが、執筆部分の内容を報告した。ともにたいへん興味深く拝聴。 報告の具体的な内容については「刊行まで引用不可」の精神を尊
どうにも不快になる読書体験というものが、この世には存在する。 たとえば、普通なら「日本の若者は、不安はあるけど不満はないんだ。」という20字(除句読点)ですむものを、せっかくだから一冊に引き伸ばしてみました!!、みたいな本を、先日しごとで読む機会があった。20字なら2秒ですむのに一冊だと2時間はかかるから、これも不快といえば不快な体験ではある。でも、こういうのは「用が済んだらバイビー、ごめん、すぐ忘れます、トシなので」ですむから、ま、さほど実害はない。じつは、すでにタイトルも覚えてない(しかし著者が社会学期待の星というのは……大丈夫か日本の社会学界?)。 問題は「のどに刺さったサンマ(魚種指定)の小骨」みたいに、いつまでたってもチクチクする不快感が消えないやつである。 ちなみに仙台方言では、この感覚を「イズイ」と称するが、ぼくのしごとの領域に近いところでいうと、わがイズイ読書体験の筆頭に挙
もう8月だというのに、しとしと霧雨が降りつづく日々が続いているのは、こはいかに。まったくもって、洗濯したものが乾かなくて着られる服がなくなりつつあるので、そろそろいい加減にしてほしい。ついでに気温が低く、風邪気味になってしまったではないか、おいこら。 そんなわけで、ちょっと東京外国語大学に避寒に出かけてきた……というのはもちろんウソで、金井光太朗さんが研究代表者を務める科研セミナー「地域研究に基づく世界史教育の実践的研究 」に呼ばれ、件の『新世界史』執筆の裏話……じゃなくて苦労話……じゃなくて経験談を語ってきた、という次第である。 風邪気味で頭と口が(普段以上に)まわらず、参加者諸氏にはたいへん失礼だったとは思うが、共著者にして史上最強の「ヨーロッパ中世」部分を執筆した……といえば聞こえは良いが、正確には、最新の研究成果にもとづく全面書換えという暴挙!!、を敢行した……千葉敏之さんがいたの
日々のドタバタにまぎれてすっかり忘れていたが、執筆に参加した山川出版社の高校世界史B教科書『新世界史』……「新世界・史(History of New World)」じゃなくて「新・世界史(World History new version)」と読んでほしい……が3月末に検定合格となり、現在絶賛(誇張あり)営業中らしい。 来年4月から販売&使用開始予定の同書は、岸本美緒(東アジア、東南アジア)+羽田正(西アジア、南アジア、アフリカ)+久保文明(アメリカ、オセアニア)+南川高志(欧州古代)という豪華ラインナップ、千葉敏之(欧州中世)+勝田俊輔(欧州近世)という新進気鋭、そしてぼく(欧州近代)というオマケからなる執筆者一同が、あふれんばかりの気合を入れ(すぎ)て作成した、超ハイレベルの一冊である……が、こりゃ一体だれが使うというのだろうか。 そんな一抹の不安をかかえつつも、なんと「かのベストセラ
【4/27追記】 これ(==>)は、職場にある桜並木。この近くが絶好のお花見スポットになるわけだが、今年も学部ゼミの花見は寒さにふるえながらの2時間一本勝負となった。 なお、下記文章については、稲葉振一郎くんから「それじゃあ中野敏男さんのところに行ってしまうと思う」というコメントをもらったが、それが中野敏男さんのところに行ってしまわないのがス・テ・キなんだわさ。そんなわけで一回恒木さんの話を聞いてみたいなあ。 ちなみに25日と26日は、麹町のJSPSにつめて、科学研究費審査報告書の検証作業。検証するぞ、検証するぞ、検証するぞ……と唱えつつ、なれぬデスクワークで疲労困憊しつつ学界の不条理に思いをめぐらす(なんじゃそりゃ?)二日間となった。ちなみにJSPSのとなりにはシブいオープンカフェがあり、一泊した26日朝はモーニングコーヒーとしゃれこんだが、となりにヘビースモーカーの若いサラリーマンが来
小山哲さんが研究代表者を務める科研費プログラムのセミナーに出るため、京大に日帰りしてきた。いつも思うことだが、伊丹までは遠く感じないんだが、そこから京大までが遠い。おまけに、ぼくはどういうわけか京都と相性が悪いらしく、最近はいつも雨。当然ながら今日も雨の日曜日で、かてて加えて行きの仙台・伊丹便はジェットコースターになりかけるというステキなおまけ付きだった。 セミナーでは、長谷川まゆ帆さんが駒場で教えている韓国の留学生と(シンガポールで中高時代を過ごした)香港の留学生が、おのおの母国の歴史教育についてリサーチした結果を報告してくれた。これが素晴らしく面白く、帰りの飛行機の時間の関係で17時に終わらなければならなかった(というか、ぼくだけ失礼すればよかったのだが、小山さんが気をきかせてお開きにしてくださったのだった)のが、じつに残念だった。 まずもって、シンガポールと香港の「教育」そのもののあ
【追記の追記】 ブックマークで元・労働研究者(?)稲葉振一郎くんが「すべり芸って難しいよね」と書いていたが、まことそのとおり。 個人的な意見としては、この手の罵倒芸を巧みにこなすには、すくなくとも、「自虐的センス」とでもいうか、自分の弱みをみせて笑いをとることの必要性に思いが至るだけの感性と知性が不可欠だと思う。 ちなみに、ぼくは最近のお笑いにまったく関心がわかないのだが、それは、多くの芸人さんがこの自虐的センスを失い、相方をはじめとする他者を攻撃することによって笑いをとろうとする「さもしい」芸に頼っているからである。 それから、擬古体を使うのも難しい。どうしてもその人の教養が出てしまうからなあ、これが。 ちなみに、擬古体の使い方が抜群にうまいのは、若手では『神さまのカルテ』(小学館)シリーズで人気の夏川草介氏ではなかろうか。娘が好きなので、新刊が出るたびに速攻で買っては取りあいながら読ん
先日、宮城県高校教員研修に講師として呼ばれ、2時間ほどトークをしてきた。折角だからそのドラフトをあげようと思っていた・・・のだが、終了後、事務局から大略「けっこう好評だった」というメール。それだったら、9月の某社(仮に「東芝」としておこう)幹部候補生研修や某大(仮に「北大文学部」としておこう)集中講義に転用できそうなので、ネタバレ注意のためにしまっとくか・・・と、ヘンなところでモッタイナイ精神を発揮してしまうぼく。 せこいぞ、自分! ちなみに、ブログで「某社」とか「某氏」とかいった「某」の字をみると、「某某いうくらいだったら、はじめから書かなきゃいいじゃん」と思ってしまうのは、ひとりぼくだけか? 脱線は措いておき、その代わりといってはナンだが、羽田正『新しい世界史へ』(岩波書店・岩波新書、2011)レビューをあげておこう。小山哲さん(ポーランド史)を研究代表者とする科研費(正確には、文部科
昨日は二宮宏之著作集刊行記念シンポジウムat東京外国語大学。今日はセミナー「『社会運動史』の時代」at東洋大学。史学史にどっぷり首までつかる濃密な週末となった。あまりに濃密だったので、夜に仙台に戻って涼しい空気を吸ったら、どっと疲れが出てきたぞ、まったく。 [1]1970年代日本の欧米史研究において重要な一角を占めた「社会運動史」グループをめぐる後者については、当事者による証言と、後続世代による評価からなる書籍の刊行が予定されているので、そちらを待たれよ。ちなみに今日は15人以上(司会の岡本充弘さんのほか、喜安朗、加藤晴康、北原敦、藤本和貴夫、木村靖二、谷川稔、木下賢一、石井規衛、近藤和彦、山本秀行、相良匡俊、成田龍一、長谷川貴彦、山根徹也、原聖の諸氏と、ぼく・・・で全部かな?)のトークを半日につっこむという無謀な企画だったが、20世紀史総体の書換えを迫り、センス・オヴ・ワンダーを覚醒させ
フランス大統領選挙第二次投票は、当初の予想どおりフランソワ・オランド(社会党、左翼)が現職ニコラ・サルコジ(民衆運動連合、右翼)を破った。得票率は大体52%対48%だったので、予想では6から10ポイント差でオランド勝利だったことを考えると、これは「サルコジ健闘」の部類に入るのではないだろうか。 それにしても、第一次投票では右翼+極右で47%と、左翼+極左(43%)に優越していたのに、どうしてこうなっちゃったのか。 これもサルコジの不人気のなせる業だろうか。 それもあるだろうが、それだけではない。重要なのは、フランス政界の勢力配置である。極右から極左までは、一次元に「極右、右翼、中道、左翼、極左」と並んでいるわけではない。近年の勢力配置は二次元で考える必要がある、というのがぼくの感想である。 Cf.なお、これはとくに新しいアイディアというわけではない。かの舛添要一さんも、かつてフランス政治研
昨日はフランスの大統領選挙があり、過半数を占めた候補者がいなかったため、2週間後に上位2者による第二次投票がなされることになった。ちなみに1位がフランソワ・オランド(社会党PS)、2位がニコラ・サルコジ(民衆運動連合UMP)であるが、各種世論調査をみると二次投票はオランド優勢らしい。 こ、こ、これはマズイぞ、がんばれ現職サルコジくん!! というのも、拙著『フランス7つの謎』(文春新書)は満面の笑みをたたえたサルコジ大統領の写真をオビに使っているので、彼が負けるとオビの刷りなおしをよぎなくされ、文春に余計な出費を強い、編集を担当してくださった続さんに余計なご迷惑をかけ・・・と、私的な妄想は広がるのだった。 まあサルコジ苦戦の理由については、第二次投票がすんで結果が判明したあとのお楽しみとしよう。実際フランスのマスコミをみると、サルコジ苦戦は織込ずみであり、第一次投票の話題は「極右」に位置づけ
2011年度の最終日である・・・が、ぼくは職場も仕事も役職(学長の交代に伴って名称はかわるらしいが、やることは変化なし、ついでにお手当てがつかないことも変化なし)もまったく変化しない予定なので、あまり感慨はない。あえて「変化」といえば、娘たちが東京に遊びに行ったので、久々に独りさびしく料理をしていることぐらいだろうか。 そうはいっても先日卒業生を送り出し、来週は入学式があって新入生がやってくる。まこと「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同」。そんななか、卒業生と新入生のあいだにはさまれた在学生のうち、学部3年生は就職活動の真っ只中。最近はぼくもゼミ生からエントリシートの添削をはじめとして就職活動関係の相談を受けるようになったが、なにせ 一貫して社会人とは言いがたい職種(=大学教師)で社会人生活をしている。 学生時代、ほとんど就職活動をしなかった。一度だけ、友人のつきあいで地元銀行の東京支店を訪問
まるでエイプリル・フールのような話だが、新年度が始まった、らしい。信じられん(エイプリル・フールなので、この注釈も含めて今日の文章はフィクションです・・・なんたるクレタ人のパラドクス)。 どこにでもある、平凡な、でも平和な家庭だった。海沿いの町に立つ二階建ての家。エンジニアで仕事一筋、無口な父親。専業主婦で、結婚して線路をはさんだ反対側に住んでいる妹(つまり叔母さん)と仲が良かった母親。父の背中をみて育ったせいか技術者を志望して大学に進学した、マジメでおとなしめの兄。そして、家族中の愛情を一身に浴びて育った、チャキチャキ元気で努力家で、そして家族思いの娘、つまり、きみだ。 小学校のとき、父親の転勤でしばらくアメリカの片田舎に住んだことがある。日本人学校がなかったので現地の小学校に転入したが、カルチャーショックや言葉の壁で、どうもうまく溶け込めなかった。学校に行くのがいやになり、しばらく不登
仙台市では、基本的に公立小中学校が「指定避難所」として指定されている。「指定」というのは、そこには優先的に物資が配給されるという意味であり、その点でラストリゾート(最後の頼り)である。そして、このラストリゾートは、先生方と地域諸団体(町内会、赤十字奉仕団、PTA、民生委員・児童委員協議会など)と避難者の代表からなる「運営委員会」によって開設運営されることになっている。しかし避難所が学校にあるということは、その管理運営が最終的には先生方のしごとになるということであり、そこから色々な問題が生じることになった。とりわけ避難者さんの数が減り、避難所の閉鎖が話題に上るようになると、この「問題」が「矛盾」として爆発することになる。 娘の小学校の場合、当初は地域諸団体はほとんど機能せず(=自分のことで精一杯)、避難所のオペレーションを担う中心は、自動的に先生方ということになった。先生方は24時間三交替制
震災から2週間。ようやく重い腰を上げ、被害がひどい沿岸部の状況をみてきた。被災地にいるヘタレ人文系インテリとしては、せめて現場を自分の目でみて、次の世代に語り伝えることが義務だと考えたからである(もう一つ用事があったが、こちらは企業秘密)。自転車で2時間半、サドルにすわりつづけたケツが痛い。 地図をみていただければわかるとおり、仙台市沿岸部には、海岸線から大体3キロはなれたところに、海岸線と並行して「仙台東部道路」という自動車道がはしっている。この道路は、新幹線みたいな橋ゲタではなく、土を盛った土手のうえの高架になっている。今回は、この東部道路が最後の防波堤になった。そのため、東部道路の東(沿岸部)と西(内陸部)で、まったく光景が違う。西は「普通の大地震のあと」であり、東は「津波のあと」である。 以下、細かい地名が続く。 自宅から仙台市中心部を通り、河原町から六郷地区にむかう。各地で、ガソ
勤務先(部局)の安否確認が、ようやく終わる。いろいろ思うところはあるが、終わったことを喜びたい。 さて、先日の「タイミングの大切さについて」は、かなーりキツイ(口の悪さで知られている某・労働政策研究・研修機構統括研究員さんに「いささか辛辣な」と評されてしまった)書き方になってしまい(やっぱクリティカルなときにはアドレナリンが放出されて攻撃的になるんだろうか)、どんな反応が来るかドキドキワクワクしていたが、わりと好意的に評されてしまったようで、拍子抜けしている。 そんな中で、数少ない批判(というほどの長さではないが)としてmythrimさんなる方のついーとがある。そこにいわく 自分が住んでるところを中心にしか考えられないのか、この人は。 だそうだ。この言葉が批判的なトーンであることは明らかだが、これが拙文の批判になっているか否か、ちょっと考えてみよう。mythrimさんは、ついったの内容から
今日は娘の小学校の卒業式で、ぼくはPTA会長として祝辞をよむという大役を仰せつかった。3回目だが、何回やっても緊張する。その出来は、というと、当然ながら・・・というのは措いておき、式のあとに保護者の皆さんの世間話を聞いていたときのこと。ひさしぶりに集ったので、当然話題は震災が中心である。 そのなかで一人の保護者さんが「この辺は平和だからいいよね【たしかに・・・小田中】。同じ仙台でも沿岸部なんかメチャクチャで【そうだろうなあ】。しかも、それに乗じて、すごいんだよね、中国人【はあ?】」なる話を始めた。なんでも「遺体から高級腕時計を外すわ財布を抜き取るわ、ひっくりかえっている車からタイヤを外すわ【マジかよ】。日本人には出来ないよね【そんな断言できるの?】」なんだそうだ。それを聞いている別の保護者さんが「えーっホント? 怖いね【ちょ、ちょ、ちょい待ちーっ】」とかえしてゆく。 うーむ、デマ拡散の現場
昨日、久しぶりに、仙台市の沿岸部にある井戸浜・荒浜の両集落に行ってきた。皆で荒浜小学校敷地に花を手向け、さらに海岸に向かったら、ちゃんとした慰霊碑があった。こっちに花を手向けるべきだったと気づいたが、当然、後の祭りである。 慰霊碑の近くに停めてある車は、すべて県外ナンバーだった。「観光」という言葉が頭をよぎったが、以前ほど悪い気はしなかった。忘れられるよりは、ずっといい。「記憶すること」が、必要なのだ。
【ほんのちょっと加筆あり・・・3/24】 【追記】 三条中のデマ、ツイッタでそれなりに騒がれてたらしいので、まとめページである「トゥゲッタ」とやらをみてみた。いやあ、こんな低レベルな元ネタ(上から11番目のmizubasyo)がそれなりに拡散してくのかと思うと、ますますご遠慮したい世界である。とりあえず、ぼくのわかる範囲でいうと、 三条中の避難所は3/14に閉鎖された。「中国人やりたい放題」という元ネタが出たのは3/17なので、どこ&いつの話? しかも元ネタの主、自分&自分の話を正当化するためにどんどん話がかわってくし。怖いですね、恐ろしいですね、それではサイナラサイナラ・・・じゃなくて、ぼくは3/13(下記参照)のあと、3/14にも行って閉鎖を確認しているので、モンクがあるやつは出てきなさい。 避難所閉鎖の理由は、北校舎4階美術室の火事を受けて、学校が可能な限り縮小・できれば閉鎖したいと
・・・と、思わせぶりな伏線を張っておいて、松下良平さんから貴重なコメントを頂いたわけだが、そのご事態はどう進行したか? 校長先生は、三連休(3/18-20)は先生方を休ませたい、ということで、17日(木)に避難所を閉鎖する意向を固めた。そして、15日(火)夜に避難者さん全員集会を開き、意向を伝えた。当然ながら避難者さんの一部は反発し、一触即発状態となった。さて、どうしたものか? この時点で避難所にいた約50人のうち、数日中に退所できそうなのは約30人であり、問題は残り20人弱である。 もちろん、この20人弱の避難者さんも「この」避難所に固執しているわけではない。しかし、帰る場所がないゆえ「どこかの」避難所が紹介されることは、閉鎖を飲むための必要条件である。したがって、別の避難所を紹介できれば、いいかえれば「避難所の集約」が可能であれば、 避難所として使用する教室を減らす。 そのうえで、周辺
日付がずれてますが、地震のせいでこの辺が移動して(ホント・・・数センチですが)時差が生じたということで(ウソ)。 さて、稲葉くんから暖かな言葉を頂いたのだが、ぼくはツイッタとマックとグーグルにいわれなき偏見を抱いており、またツイッタに適合的なデバイスたるスマホ、とりわけiphoneをもってない(今回も全くやる気のないソフトバンクモバイル=孫正義とは、一生契約しないと思う)ので、よーわからんのである。ま、それは措いておき、今日は、現地にいない「ヘタレ人文系インテリ」((c)稲葉くん)には何ができるか、考えてみよう。ちなみに現地にいる、ぼくのようなヘタレ人文系インテリは、避難所の受付をするあたりが適任(=自分)。 ぼくにいわせれば、 現地にいないインテリがするべきは、「インテリでしか出来ないこと」をすることである。インテリでしか出来ないこととは、来たるべき(近い、あるいは遠い)未来を構想し、提
余震と風評被害が続くなか、皆さまにはいかがおすごしでしょうか。 3月11日の地震に際しては色々とご心配いただき、ありがとうございました。仙台は、沿岸部=東部は依然として惨憺たる状況ですが、北西部にある我が家は食器ひとつ割れず、自宅にいたぼくは、ラジオを聴くまでは事態の重要性を理解できませんでした。二日後には電気と水道が復旧し、オール電化なので、ほぼ通常生活です。 もっとも、大学の研究室は「本のカーペット」と化していました……が、このステキなカーペットの上をバシバシ歩くという、文系研究者にあるまじき行為を敢行したら、半日で片付きました。おまけに入試も卒業式も入学式もなくなるわ、春休みは1か月のびるわ、職場がガスエアコンシステム(ガスが復旧するのいつのことか・・・その前に桜が咲きそう)で寒いわで、オートマチックに「自主自宅待機」を決定し、出勤するのは会議があるときだけ、あとは避難所になっている
2月1日(日) 「期間限定レンヌドタバタ記」復活である。前回のレンヌ滞在から帰国して4ヵ月、何か立派なアウトプットがあったか、というと……なんと「前回の滞在中に入手したデータすらほったらかしの状態」という体たらくである。なにしろ 秋学期は久々に「経済学史」と「経済史入門」という学部講義のダブルヘッダーで、とりわけ後者は6年ぶりだわ受講生が(私学の方々が聞いたら「なに甘えとんねん」と激怒されそうだが)300人だわで、授業の対応に忙殺されていた。 10月から、急性気管支喘息、尿路結石、不眠、と、体調が絶賛大不調。新年に入ってようやく上向きになり、さて「いよいよStarting Overか?」と思ったら、肉親が急病で倒れて入院。諸々の手続で走りまわっているうちに、あっという間に1月が終わってしまった。 のである。 そんなわけで、この間のアウトプットは 「言語論的転回以後の歴史学」(岩波講座哲学『
2005年5月10日にネタ帖を公開しはじめ、まもなくちょうど3年になります。ちなみに最初の文章を書いたのは、日本西洋史学会と高校教員インタビューのために神戸に一週間強滞在している最中のことでした。初夏のような暑く快晴の日々だったこともあってか、滞在最終日の早朝に尿管結石になって瀕死の(誇張)状態で神戸市民病院の救急部にとびこんだことをなつかしく(?)思い出します…というのは措いておき、そんなわけで切りが良いので、今回をもって更新を停止します。それに伴い、既存の文章の公開は続けますが、コメントやトラックバックの受付は停止します。 ■「良い区切り」というのは、単に、ネタ帖開始から満3年ということだけではありません。■もうちょい具体的にいうと、『岩波講座・哲学』所収予定「言語論的転回以降の歴史学」の執筆は、すでに最終ドラフトを送付済。よほどのことがない限り、あとは刊行待ちで、イエーイ(死語)。■
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『小田中直樹[本業以外]ネタ帳』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く