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大谷翔平
shimamukwansei.hatenablog.com
社会学部 山代哲也 【目次】 はじめに 第1章 対州馬と荷運び 第1節 古賀義己氏 (1)荷運びの歴史 (2)ライフヒストリー (3)荷運びの様子 (4)対州馬について 第2節 渡辺正時氏 (1)ライフヒストリー (2)荷運びの様子 (3)対州馬について 第2章 対州馬の現在 第1節 対馬と保存活動 第2節 霜川剛氏 第3節 江島達也氏 結び 謝辞 参考文献 はじめに 日本古来の馬は、軍馬や産業として使用するには小さく、体力不足のため、明治期後半に欧米の大型馬の導入による改良が国策化された。昭和10年には、総馬数150万頭は、ほとんど改良されたが、特殊な事情により洋種馬等の外来の馬種とほとんど交雑することなく残ってきた馬がいる。これが、日本在来馬であり、日本固有の馬である。現在は、北海道和種、木曽馬、御崎馬、対州馬、野間馬、トカラ馬、宮古馬、与那国馬の8種類に分かれており、その多くは絶滅が
冨田歩 序章 北海道と冠婚葬祭 「会費制結婚式」の存在を知っているだろうか。北海道ではごく当たり前に行われている結婚式である。北海道は明治時代になって屯田兵により開拓された地域で、北海道民の祖先の多くは、明治時代から大正時代にかけて日本全国の都府県から道内各町村に入植して生活を始めた。 道南地方には明治以前から、隣接する東北や北陸地方から漁を求めて多くの漁民が移住した。明治時代に北海道への移住が促進されたが、特に藩政期に北前船が往来した日本海側の地方や、四国地方からの移住者が多い。このことから、北海道の社会や文化形成のベースは多くの移住者を送り出したこの地方にあるのではないかと推測できる。 本州方面の伝統的習慣とは無縁と見られがちな北海道でも、道外からの集団移民がそれぞれ地域社会を形成していた明治以降しばらくは、慶事にしろ、弔事にしろ出身区域のしきたりがかなりの重みをもって行われていた。結
社会学部 門谷真衣 【目次】 はじめに 第一章 戦前・戦中の唐灰汁 第一節 貿易商人による輸入 第二節 戦時中の唐灰汁 第二章 戦後の唐灰汁 第一節 輸入禁止と唐灰汁の生産 第二節 用途の変化 第三章 製麺所から見た唐灰汁 結び 謝辞 参考文献 はじめに 唐灰汁とは、炭酸ナトリウム、炭酸カリウムなどを配合した薬品のことである。長崎では、ちゃんぽん麺、ちまき、ソーダ饅頭、角煮饅頭の皮、ワンタンの皮、シューマイの皮などに使われている。その起源は1700年前ごろにさかのぼり、中国奥地で、偶然発見されたとされている。現在、唐灰汁の製造業者は長崎県内に萬泰號、瑞泰號製麺所の2件しかない。以前は、新地中華街の中に、もう一軒あったそうだが、現在はこの場所から転出なさっており、取材することは出来なかった。本レポートは、唐灰汁が今から約120年前に、長崎に初めて貿易商人によって、輸入されてから現在に至るまで
風土病の民俗学―六甲山東麓における「斑状歯」をめぐって― 谷岡優子 【要旨】 本研究は、兵庫県西宮市山口町船坂および宝塚市をフィールドに、六甲山東麓の風土病「斑状歯」について実地調査を行なうことで、村落部船坂と都市部宝塚における、斑状歯をめぐる人びとの病いの語り、そして斑状歯の原因となる水と人びととの関係性について検討したものである。本研究で明らかになった点は、つぎのとおりである。 1.日本各地には古来より、多様な病いが存在したが、その中である病いが一定地域に持続して多発する場合、その病いは「風土病」と呼ばれる。風土病は、病いの発生後、その地域の住民の生活様式に大きな影響を与え、その土地ならではの「病いの文化」を残す。この風土病について、医学領域における研究は一定量存在するものの、人文社会領域における研究はほとんど存在しない。さらに、風土病と相性の良いはずである、人びとの多彩な暮らしを研究
駅前闇市と食堂街 社会学部 23011548 野中麻未 【目次】 序章 1. 駅前闇市の系譜 (1) 敗戦と闇市 (2) 白倉市場 (3) 須田ビル (4) CiC 2. 富劇食堂街 (1) 富劇食堂街の形勢 (2) 「初音」 3. シネマ食堂街 (1) シネマ食堂街の形勢 (2) 「桝天」 4. かつぎ屋 5 「朝日奈昆布舗」・「小島屋」・「エビタニ」 (1) 「朝日奈昆布舗」 (2) 「小島屋」 (3) 「エビタニ」 結び 謝辞 序章 本調査は富山市の駅前CiCビル周辺をフィールドとし実地調査を行う事によって、戦後から始まる闇市と食堂街の変化について明らかにしたものである。現在の富山駅南口正面前にあるCiCという複合商業施設の前身は戦後の闇市から発展した須田ビルというビルであった。CiCは闇市(自由市場)→白倉市場→須田ビル、駅前百貨街→CiCと移り変わっている。JR富山駅を出ると南側
竹中佑里 はじめに 小樽には、戦後から昭和の末まで多くの“喫茶店”が存在した。戦後の日本に純喫茶や、ジャズ喫茶、カラオケ喫茶などさまざまな喫茶店があったように、小樽にも多くの名喫茶店が存在したのだ。喫茶店について記された『喫茶店の時代―あのときこんな店があった―』のなかでも紹介されている喫茶「光」は現在も営業している純喫茶として有名である。調査を始めるにあたって、私は、小樽の喫茶店を調査することでまちや人々の物語の記憶を思い起こしたいと考えていた。そして、調査の途中で小樽のなかでも特殊な喫茶店として開店、発展し、そして閉店していったひとつの喫茶店に出会うこととなった。それが「喫茶エンゼル」であった。この喫茶店については、小数の文献やインターネット上にて紹介されているが、その実態・歴史を詳細に記録したものはない。小樽の老舗として現在も営業されている喫茶店の取材も通して、この喫茶店の歴史を振り
【民俗学の大学院(関西学院大学大学院)2024年度院生募集】 民俗学を専門に学び、修士・博士の学位を取得できます。 関学の民俗学教育の特徴 1.民俗学の全範囲をカバーしている。民俗学であればどのようなテーマでも指導可能。 2.英語圏の民俗学理論も含めて、理論をきちんと学んだうえで民俗学を研究できる。 3.社会学、文化人類学もあわせて学べるため、視野の広い民俗学研究を実現できる。 4.国際的視野で民俗学を学ぶことができる。 2023年現在の在学院生 博士前期(修士)課程在学者5名(会社をめぐる経営人類学/民俗学、日本の祭りと神賑、近代都市における美と装いの経験をめぐる民俗学、動物と人の関係をめぐるフォークロア) 博士後期課程在学者2名(現代の婚姻儀礼、ケガレをめぐる日中比較民俗学) 詳細・出願等については、以下をご覧の上、 tshimamura<アットマーク>kwansei.ac.jp(<ア
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