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体力トレーニング
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「目的性」のない「共同性」だけのコミュニティ。これって何かに似てないだろうか。そう、ムラである。ムラには、生活を共にするとか、いざという時は助け合うとか、そういう意味での目的はあるが、社会的ミッションのようなものはない。 このような目的のない血縁や地縁をもとにした集団を、古典的な社会学では「コミュニティ」と呼んだ。 (P254) フレッシュな若手の社会学者、古市憲寿のデビュー作。対象に深くコミットしながら突き放して冷静に観察し、かつその結論に対して拘らず軽やかに流してしまうエリート臭漂う論考です。 この本が調査対象としたのは、格安で世界一周のクルージングを提供する「ピースボート」。古市は自らこの100日ほどの航海に乗り込み、体験やクルーズのメンバーとの交流を基に論を編んでいます。1000人もの目的を一にする集団に対して密着調査を行なったレポートとして、また航海中の現代社会の縮図とも言えるよ
一部で僕がカオス*ラウンジ関係者ではないかという話になっているようなので説明します。 まず、僕がカオス*ラウンジの活動を手伝ったことについては事実です。特に隠してもいないのですが、「はめつら!」展示会場の人と仲が良かったので、個人的に雑用として手伝いました。 次に、僕はカオス*ラウンジのメンバーではありません。カオスの作品は好きですが、関係者とはTwitterでほんの少し交流があるのみです。いわゆる取り巻きというのがぴったりでしょうが、かといって別に重用されているわけでもなく、向こうから何か連絡が来たこともありません。 したがって、前回のカオス*ラウンジに関する記事はあくまで僕の個人的な感想であるし、そもそもあまりカオス*ラウンジに利がある内容とも思えません。記事について、「中立的な立場でよくまとまっている」という感想もいただきありがたいのですが、かなり祭り気味に広まったこともあってこのへ
2011-08-02 01:57:00 カオス*ラウンジは日本現代美術の優等生であり、pixivは悪い場所の現在形であること。 1 戦後の日本において、問題は吟味され、発展してきたのではなく、忘却され、反復されてきたということ、そして、いかなる過去への視線も、現在によって規定され、絶え間なく書き直されている以上、過去を記述する条件として現在を前提にせざるをえないということを挙げておく。 (P25) 関連記事:カオスラウンジによる、pixiv公式企画『pixiv×第七回博麗神社例大祭』受賞作品の無断商用利用まとめ たまたま『日本・現代・美術』を読んでいたらカオス*ラウンジが炎上したんですが、果たして今回の騒ぎに乗っかっている人でこの本を読んでいる人はどれくらいいるんだろう、という感想を持ちました。 日本の美術界が歴史を忘却した「悪い場所」であり、海外と隔てられた「閉じられた円環」を形づくって
2011-06-26 12:35:00 岡田麿里脚本のノれなさについて ―アニメルカ、girl!、とらドラUST― 0 先期・今期はすっかり岡田麿里無双でしたが、そんなアニメも最終回を迎え、ここらで岡田脚本作品の印象についてまとめてみたいと思います。 とらドラ!ファンUST ―竜虎並び立つか?― A とらドラ!ファンUST ―竜虎並び立つか?― B 生ぬるい世界 岡田脚本について先に僕が考えを語ったものとして、nakaiya1546さん、teramatさん、kei_exさんと一緒にやった「『とらドラ!』UST」がありますが、ここではおもに2つの主張を展開しました。 1.『とらドラ!』の世界は現実より生やさしい。 2.少女漫画的な関係性の物語に「成長」は無い。 これは『とらドラ!』についての印象でしたが、概観しておおむね岡田脚本全般に当てはまる特徴だと感じます。1について、「生やさしい」とい
『フラクタル』や『星を追う子ども』でジブリ的イメージ(特にナウシカ)が反復されています。BRUTUSのジブリ特集では、宇野常寛が宮崎駿の作品を「少女」などをキーワードにして物語論的に振り返っていましたが、同人誌を作ってからあらためて宮崎駿の作品って郊外的だなーと思ったので、彼の経歴を郊外論として振り返ってみたいと思います。上述のパクリ問題についても説明できるでしょう。 よく、宮崎作品では「人間と自然」の対比が描かれていると言われますが、この対比は「キャラクター/キャラ」の対比とも読み取れます。 宮崎作品で頻出するのは「森」のイメージです。『風の谷のナウシカ』では、人を寄せ付けない毒の森である「腐海」が登場しました(宮崎作品では海=森の見立て)。作中では、この森は人間たちの物質文明に対立する自然の象徴であり、はじめは畏怖の対象でしたが、物語のなかで次第にその森こそが人間の汚染を浄化しており、
2011-04-02 02:10:00 『放浪息子』性倒錯は思春期の病なのか。倒錯好きは異常なのか。(下) 0 『放浪息子』性倒錯は思春期の病なのか。倒錯好きは異常なのか。(上) (上)ではこういう事を述べました。 ・「病気/健常」「普通/異常」「男/女」などの線引きは社会的(便宜的)であること。 ・概念とはグラデーションであり程度問題がつきまとうこと。 ・二元論的な割り切りは便宜的であり、視野が狭い(中二病)。 ・ゆえにトランスジェンダーが先天性であれ、問題は無い。 Twitterを見ていて思うんですが、世の中に「普通の人」っていないんだなぁーと。みんな普通の人たちだと思うんですが、1人1人を取り出してみるとけっこうアクが強いもんだなぁと感じます。たぶん世の中ってそういうもんで、いろいろあってもまぁ何とか暮らせているかぎりは「普通」なんだと思います。それがどっかの知事みたいに偉くなって、
磯崎はいう。「建造物、祭祀、歴史的成立の事実、そのすべてが<隠されている>ことこそがイセという問題構制の基本となるというべきなのである。イセはひとつの時点で捏造された。だから起源などない。だが、それがあったかの如くに騙ることで、誘惑が持続する」 (P237) 『アーティストは境界線上で踊る』の杉本博司の項が面白かったので書きます。 静的な写真をはじめ、最近は「護王神社」など建築も手がけるアーティスト、杉本博司。「神秘性、唯一性」を強調する“ベタな”アーティストである杉本に対して、斎藤環が手がかりとしたのが建築家、磯崎新の「イセ――始源のもどき」(『建築における「日本的なもの」』)という論文です。 隠す・もどき・レプリカ 伊勢神宮的な歴史性に杉本がベタにインスパイアされたのに対し、批判的な建築家である磯崎は「起源などなかった」と結論づける。つまり儀式が社殿というハコで隠され、限られた人しか見
2009-12-04 01:19:00 『働かざるもの、飢えるべからず。』 404 Dankogai "Not" Not found 0 「努力は報われません」と、まず言わなければなりません。努力が報われる世の中はもう終わりました。誰もが納得できる正解を出せる世の中は終わりました。今後の「成功」は、結果論でしか測れません。 404 Blog Not Foundで有名な小飼弾さんからご著書『働かざるもの、飢えるべからず。』を献本いただきました。 何で僕みたいなニートがそんなことになってるのか?という経緯はあとで述べるとして、拙文ながら感想を書いて御礼に代えさせていただきたいと思います。 小飼さん、ありがとうございました! 小飼さんの理想とする社会像をまとめたこの本は、彼のものの考え方を理解するうえでも分かりやすい本になっています。僕はいままで話題になったブログ記事をチラ見する程度だったんです
それは建築はでき上がってしまうという極めて単純な理由によります。そこでは、宮台さんのおっしゃる、「二項図式を受け入れつつ、それを信じないで実践する」という態度しかとりようがない。 (山本理顕) いままで対談集というものを3冊読んで思ったのだけど、対談集って専門家同士の議論だから深いんだけど、範囲も広くて大変書評が書きにくいですw 1回の通し読みだけだと、個人的な興味のある箇所に偏って、まったく書評にまりません…。『波状言論』はそれで書評書くのを諦めたんですが、今回は頑張りました。テーマの中心を抽出して僕なりの言葉でまとめました。…といっても4章オンリーですが。他はまたエントリ立てて書くかもしれません。個人的に4章が他を包括した議論だと思うので。 対談者は磯崎新×宮台真司、司会が山本理顕。 建築家はウソくさい。 「建築家はドグマ(独断)だ」という磯崎新の宣言で議論が始まります。多くの人が感じ
2008-02-05 05:33:26 At Tokyo, from Tokyo. 『東京から考える』 0 東浩紀 おそらく、東京という総体について思想的に語るなんてことは、もはや不可能だし無意味なんですね。けれども、他方で、いまも東京が生きて動いていることも事実で、それについて何か語りたいような気もする。そこでいかにも中途半端に出てきたのが、本書のタイトル、「東京から考える」の「から」なんでしょう(笑)。 東浩紀・北田暁大が「東京圏生まれ」という自分の生い立ちから振り返って見る“東京”論。東京というのは日本の中でも特異点だし、インターナショナルな視点でもエッジだというのは、僕も地方出身者なので何となく肌で感じる。この都市がハードウェアはともかくソフトウェア的にはたいへん先鋭的で、東京でのとある事象――たとえばヒルズ族やオタク――を取り上げれば、自然それが現代社会の抱える問題につながってい
あぁ、初 岩井俊二なのにタイトルで台無しだ…w ぜったいこの記事オタクしか読まないよ(笑) 以前パッと見の印象で、『僕と彼女と彼女の生きる道』の映像(え)を岩井俊二的と言ったけど、違いますね。写真家で例えると『僕カノ』は佐内正史的でコントラストが高くカラッとしてるけど、『花とアリス』は会田我路的でジメッとしてエロい…w レベル補正でRGBのどれかを強調すると「懐かしい感じ」の写真になるけど、ソレ系。いわゆる“思い出美化系”というか、ナルシスト。軽くロリコン趣味の入った画面です。 ストーリーもリリカル&エキセントリック。花とアリスというなかよしの女の子2人が、1人の男の子をめぐって三角関係になる話なんだけど、この男の子というのがまた変なヤツで、落語が趣味で、歩きながらいつも「寿限無(じゅげむ)」をブツブツつぶやいてる(アブネー)。…で、そんな調子だから道ばたで頭をブツけて倒れるんだけど、そこ
ARIA(12) (BLADE COMICS) 商品詳細を見る (2008/03/10) 天野こずえ あの頃とは違うけれど、今も私は幸せな日々を過ごしています。 では、またメールしますね。いつか…そういつの日か、まだ見ぬ貴方に遭えることを信じて。 もし火星に―――ネオ・ヴェネツィアに来ることがあったら、一人前になった私の舟にぜひ一度乗ってくださいね。 火星暦0076年 16月20日 水無灯里 (句読点引用者付記) ――なんか、これで感想書くのも最後だと思うと、感慨もひとしおですね...。 僕の大切な「物語」がまた1つ、フィナーレを迎えました。『AQUA』の時代から足かけ8年…計14冊におよぶ水の惑星の物語、完結です。 テラフォームした火星を「火星」と書いて「アクア(水の惑星)」と読ませたり、そこには現代のヴェネツィアを模した虚構の都市、“ネオ・ヴェネツィア”が
ちょっと最近、自分に引き寄せて「オタク」を語る必要性を感じるので、僕のオタ遍歴でも書こうと思います(笑)。「“超傑作”ってある?」のもっと詳しい版ですね。 とりあえずサラッと書き上げちゃって、ちょこちょこ追記していこうと思います。 ■中学時代(1996~1998) ちょうどエヴァブームの頃にあたる。でも東北の地方都市というローカリティのせいか、96年の時点でエヴァ知ってたのは、僕のまわりではほんの2、3人だった。だから「自分らが広めた」みたいな優越感はある(モチ妄想w)。テレ東系列のないウチの県でエヴァが放送されたのは、ようやく98年になってからのこと。ただ、劇場版(夏エヴァ)の結末は、当時リアル中学生だったオレには理解不能の異次元w なのでショックは特になかった。 漫画は「ガンガン」を購読してて、天野こずえはデビューから読んでた。好きな漫画は『浪漫倶楽部』とか、女子に借りて読んだ『こども
ヒナギクさんにコメントもらった辺りからハッキリ意識し始めたんですが、『CLANNAD』が俄然おもしろくなってきましたね!正確にはことみシナリオが終わった15話あたりから。各キャラのエピソードが走り始めて、物語が濃密&緊迫感を増してきた。 こりゃ東浩紀を笑えないな(風子サイコー!(笑))。 前回17話で、遂に杏のエロ可愛さ↑が爆発した感がありますが、これで僕同様「CLANNAD=エロい」と認知した人も多いでしょ? 個人的には12話くらいでヒロインが出揃ったあたりから、何とな~く感じてたんだけど。 ナイスバディ軍団(笑) 「何かみんな、やたらスタイルいいよなぁ…」と思ったんだよ。 アレ、普通に萌えるんだけど、いたる絵*1ってこんなに上手かったっけ?と(笑) まあ前提として、僕がパソゲー版『CLANNAD』をやってない(発売日に買ったけど積んだw)ってのはありますよ?僕は『Air』以降、鍵から離
2007年のライトノベルの拾い物10選 いつも感想中 最近盛況なのかどうなのか分かりませんが、毎月オニのような数が出版されています。 関連記事:今の季節に読みたい恋愛系ライトノベル かさぶた。 「かさぶた。」のDAKINIさんいわく、プレイ本数の足りない東浩紀は「エロゲー評論家」を名乗るに値しないそうです。んなこと言ったら僕なんか、評論どころかブログやる資格もなければオタクですらありませんね。ホントすんません、生きててすんません…。orz …と、反省のポーズはこのぐらいにして(そんな愁傷ならブログやってねえよ)、なにが言いたいかというと最近ライトノベルの数多すぎません?実質の刊行数は知らないけど、実感としてレーベルも増えたし、全然把握できません。「そんな甘ったれたこと言ってんじゃねえよ」とラノベオタの叱咤が聞こえてきそうですが、ヌルオタの僕としては、別に修行でラノベ読んでるわけじゃないんで
昨日の絵は1500万円 ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記 この手の「アート」屋たちがやっていることは、アニメやマンガが達成したものを「搾取」しているわけだ。もちろん、その基盤を作ったアニメーター、漫画家たちは昔も今も厳しい生活のなかで彼らの芸術を描き続けている。「だったら、そのマンガをアートの市場に持っていって売ればいい」と考える人もいるかもしれないが、アニメやマンガの価値もわからず、単に投機目的で絵を買う連中なんかに売れても何の意味もない。 関連記事:Mr.の絵は150,000ドルか? ARTIFACT@ハテナ系 kanoseさんの言ってた金額ミスの話はこの際置いときましょう。 要は本家のアニメや萌え絵じゃなくて、何でこのロリキモい劣化コピーが破格で売れてんだよ?っていう、怒りと疑問入り混じった主張ですよね?すごく気持ち分かります。 Mr.の絵がヘボい事なんて、改めて今更言うまでもない
ハセガワ グラマンF6Fヘルキャット(1/72) ハセガワから再販されたF6Fヘルキャットを作りました。1ヶ月で出来たので自分としては早いほうかな。(ややこしいですが「ハセガワ」がプラモメーカー、「グラマン」が飛行機メーカーで「F6F」が米軍の型番、「ヘルキャット」がニックネームです。)...
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