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2024年6月28日、近鉄けいはんな線東生駒トンネル入口周辺で土砂崩落があり、土砂が線路にかかった影響で、近鉄けいはんな線は生駒~学研奈良登美ヶ丘間で2日間にわたって運休となりました。 一見生駒駅で折り返しが行えそうですが、災害復旧作業の為に饋電区間の電気を落とす必要があった為それが出来ず、非常に珍しい長田~新石切間での折り返し運転が実施されました。 1986年の開業以来初めての出来事ということもあり、非常に多くの鉄道ファンが集まりました。 列車の様子 まずは近鉄7020系。三色LEDでの「新石切」表示はおそらく初めてのものですね。 続いて7000系。 こちらはフルカラーLEDへ換装されているモデルで、先の車両よりも新しく見えますが、こちらの方が20年ほど先輩車両になります。 大阪メトロからは30000系が登場。 万博終了後は谷町線へ転属することが確定しているので、「新石切」の表示はこれっ
Osaka Metroは、夢洲への加算運賃の上限設定について国土交通省へ申請しました。加算運賃額は合計100円で、これらがフル適用された場合の梅田・難波・天王寺からの運賃は430円となります。現在はまだ上限額申請の段階なので、これらが適用されるかは不明です。例えば100円で申請しても、今回は60円だけ加算運賃を適用するとか、そういったケースもありえます。 加算運賃の計算※コスモスクエア~夢洲間は3.2kmです。通常運賃加算後の運賃2区(3km~7km)例:大阪港~夢洲230円330円3区(7km~13km)例:弁天町~夢洲間280円380円4区(13... 以前もお伝えしたように、夢洲へは上限を100円(設備投資費用90円、バリアフリー料金10円)とした加算運賃が載せられます。 この関係で、一日乗車券の効用の範囲を夢洲まで広げると投資費用が回収できなくなってしまうから、でしょうか…? 追加
遂にトンネルが貫通しました…!! 2023年11月17日、中央線コスモスクエア駅終端の工事用バリケードが撤去され、夢洲方面への線路が姿を見せました! 幻と化した「北港テクノポート線」が、約20年越しに姿を表しましたね…!! 北港テクノポート線とは コスモスクエア~夢洲~舞洲~新桜島間を結ぶ予定である鉄道路線。 2008年の大阪オリンピック構想時に、会場へのアクセス路線として整備される予定だった幻の計画線でした。 海底トンネルだけが先行整備されたものの、オリンピック落選後は長らく放置されてきました 今回大阪・関西万博が夢洲で行われることから再び計画を再開し、現在2024年度中に整備される予定です。 キラキラトンネル 隧道内の様子。こちらは夢洲→コスモスクエア方向の線路。 構内はかなり明るく、線路や第三軌条線も整備されていることが容易に伺えます。 入れ替えY線のように下部にライトが設置されてい
公営時代にはそこらじゅうにあった野良サイン。 実用性としての意義はわかるのですが、正直汚いですし、あまりに貼りすぎて逆にわかりづらいという本末転倒な事になっていました。 資料と実例 お客さまの安全確保に係る情報や、施設の使い方・マナー等に関する情報など、提供すべき情報が増え、お客さまが最も必要とする情報がわかりにくくなるケースが生じたり、多様な掲示物や広告と駅案内サイン(紙貼りも含め)が無秩序に氾濫して駅構内の景観を損ね、地下鉄事業のブランドイメージの低下に繋がりかねないといった課題も生じている 出典:「鉄道ピクトリアル 8月号臨時増刊号、特集 大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)」、27-28p この資料は2019年のものですが、根底の考えとしてこの方針があるようです。 民営化前もあったといえばあったのでしょうが、どちらかというと現場裁量の方が強かった、もしくは方針が徹底できてい
先日お伝えした、北大阪急行の箕面萱野延伸区間。 実は、途中の箕面船場阪大前付近を境目に、この区間は「鉄道事業法」と「軌道法」とで分かれているのをご存知でしょうか。 この理由は、いったい何故でしょうか。 答えは… ずばり、その答えはお金の負担方法にあります。 今回の箕面延伸工事では、主に利益を得るのは北大阪急行と箕面市です。 出典:JREA 1) ですので、箕面船場阪大前から北の部分では北大阪急行と箕面市(と大阪府と国)がお金を出し、橋脚や駅舎部分などに出資・整備を行います。 北大阪急行からすれば、全てを自前で作らずに済むことで、費用負担の軽減を図ることが出来ます。 実際、この費用負担の割合が大きいことで、なかなか実現に至っていませんでした。 2014年に大阪府・箕面市・北大阪急行と、親会社の阪急電鉄で話し合いが持たれ。北大阪急行は110億円を、残り540億円を国・大阪府・箕面市が負担する基
昔の電車は? かつて走っていた地下鉄車両達の連結器も見ておきましょう。 森之宮検車場内にて保存されている、3008号車の連結器も覗いてみると… 森之宮形の自動密着連結器ですね。上部に配線穴があるのが、現在のものとの違いです。 初代100型の連結器はこんな感じ。製造は住友金属工業が昭和4年に最初の密着連結器として開発したものです。 上の穴はブレーキを伝えるブレーキ管、下は元空気溜管です。 見えづらいですが、下の両脇にも穴があり、こちらは制御管となっています。 何故違うのか? 同じ局内で何故2つの違う形状の連結器があるのかですが、当時の文献によると以下のような流れなのだそうです。 100型で採用した連結器を1200型まで採用(645kg) ▼ 5000-5500形(後の50系)から軽量化したモデル(ここではAモデルとします)を採用、400kgに ▼ 中央線の新規開業に伴い用意された6000形で
当然ながら、電車に乗車する際の段差ってありますよね。 1991年登場の21系(上の写真)だと、5~10cmほどは段差があります。 乗り入れ先の北大阪急行(8000形)も、21系と同じく5~10cm程度の段差があります。 まぁこれぐらいの段差って電車では普通のことで、全国におけるだいたいの地下鉄はこの程度の段差があると思います。 列車とホームとの段差は主にホーム側の嵩上げ工事で縮小出来ますが、乗客の重さで列車にかかる重量負荷を考えると若干の遊びが必要なので、この程度の段差はどうしても出来てしまっていました。 しかーし が、しかーーーーし!!!! 最新鋭の30000系では段差が!!!段差がゼロになっています!!! 見事なまでのツライチぶりをご覧下さい!! 段差だけでなく、ホーム先端から伸びる櫛状のゴム(黄色い部分)が最後の一隙間を完全に埋めてしまっています。 ホームと電車、2つの最新機構のタッ
現在、北区中之島と西区川口とを結ぶ端建蔵橋の架替工事が始まっています。新しい橋はアーチ状になる予定で、2025年3月31日までを工期として現在工事が進んでいます。 その工事さなか、なんと大阪市電(路面電車)らしき線路が発見されたとの情報があり急遽見に行ってきました。 端建蔵橋について 江戸時代、ここには各藩から集まった蔵屋敷が立ち並んでいました。中之島の最西端部にあたるここには端に建った蔵ということで「端建蔵」という地名が生まれます。 その端建蔵近くに橋ができたということで、現在の端建蔵橋という名前になったそうです。 明治41年頃、初代の橋が開通。1909年には大阪市電を通すために新しい鋼製の橋(2代目)へと架替。 そして、1921年に現在使用していた3代目の橋へと架替られました。 それから100年が経過した2022年より、4代目となる新しい橋への架替がスタートしています。 現地の様子 早
大阪を南北に通る松屋町筋。 長堀鶴見緑地線の松屋町駅から南北に、ちょうど谷町線と堺筋線の間にある道路で、比較的交通量も多く日々多数の車が行き来しています。 「こんな幹線道路の下になら地下鉄が通っててもおかしくないよな…」と思われた方。そうなんです。実はこの道路の下に、かつて鉄道を通そうとしたことがあったんです。 今日はそんな「松屋町筋線」の構想についてご紹介します。 01:昭和2年「谷町線」 松屋町筋下に鉄道を通す構想が初めて現れたのは、1927年(昭和2年)のこと。 地下鉄2号線(現在の谷町線)をどこに通すか…という構想図で描かれたのが最初でした。 当時のルートでは 東成区森小路南端~善源寺町野江線~北区天神橋筋6丁目新京阪電車終点南側~阪神電鉄北大阪線~国有鉄道東海道線大阪駅~都市計画路線北野線~北区扇橋南詰~東区天神橋南詰~都市計画路線松屋町筋~国有鉄道関西線天王寺駅南側に至る13.
【速報】大阪メトロ、9駅のリニューアルデザインを発表!駅構内に模型・歴史等の展示スペースなども 2022.04.07 Osaka Metro 各駅の紹介 大国町駅「地下構造が美しい駅」 御堂筋線と四つ橋線の4線が一つの空間で行き交うというOsaka Metro でもここだけにしかない駅であり、それらを支える地下構造の美しさを強調したデザインとしています。 列車が走る軌道の天井は、美しさをより際立たせるライティングで魅力的な空間に仕上げます。 出典:Osaka Metro 1) 今回個人的にもっとも注目しているのが大国町駅です。 駅ホーム自体は地下構造の美しさを強調したデザイン…としています。 現在の大国町駅のデザインはこんな感じ。 柱や壁面は適宜改修しているようですが、屋根についてはツギハギのような状態であまり美しいとはいえませんね。 本 番 は こ こ か ら 。 駅南側にあるコンコース
北摂民のみならず、御堂筋線ユーザーにとっても50年近く親しまれてきた千里中央行きですが、2023年度(2024年3月)の箕面萱野駅開業と同時に見納めとなるようです。 早朝・深夜など僅かに残る可能性もありますが、少なくとも現在運行されてるような日中の千里中央行きは消滅します。 当初は千中折返し案もあった 箕面市が発表しているサイトによると、千里中央駅での折り返し運行は設置しているポイント機器がなくなるため将来的にできなくなると説明を行っています。 千里中央駅での折り返し運行の検討についてご意見があり、千里中央駅に設置されている分岐器が無くなるため、千里中央駅での折り返し運転はできなくなる旨を説明しました。 出典:箕面市「令和3年度市民説明会の実施結果」 【追記】その後、最新の令和5年に発表された資料によると、千里中央駅南側の分岐器自体は非常用に残るようです。 ただ、あくまで非常用であり、通常
西成区にある津守1丁目交差点から南側の「高架道路」と書かれた道(鶴見跨線橋)。 ここは南海汐見橋線の踏切を渡らずにオーバーパス出来る道路なのですが、何故か異様に道が狭い。 普通車でも横幅ギリッギリの道で、横幅2.0mを超える大型車はここを通らずにおとなしく踏切のある側道を迂回するよう指示されています。 一見、鉄道とは関係なさそうなこの道路ですが、実は…… 大阪市電の線路 ここは、もともと大阪市電(路面電車)が通っていた線路なんです。 大阪市電の橋をそのまんま転用したので、路面電車がすれ違う程度の幅しかないワケです。道理で狭いわけですね… ここを通っていた大阪市電三宝線は、大阪環状線の芦原橋駅から鶴見橋通、北加賀屋・住之江公園を経て堺市の大浜・出島までを結んでいた路面電車です。 元々は阪堺電鉄の路線でそれを買収した変わった経歴を持ったこの路線は、終点の大浜に海水浴場があったことや、住之江公園
大阪市営地下鉄関係の面白い本が出版されましたのでご紹介。その名も「命の救援電車」です。 本書は、あの「大阪大空襲時に御堂筋線で運行された幻の避難列車」の謎を解き明かした、最初の取材を追った書籍です。 1月に発売されて以来気になってはいたんですが、ようやく読む機会に恵まれたので早速レビューしたいと思います。 「命を運んだ御堂筋線」の取材本 大阪交通労働組合内にある公営交通研究所。 その所長である安藤孝氏が取り組んでいた大阪市営地下鉄の歴史研究の過程で、戦時中だけその歴史がすっぽりと抜け落ちていることに気付きます。 当時の公文書や記録などは全て焼かれて一切残っておらず、公的な資料からその証拠が辿れないためです。 そんな中、「空襲時に御堂筋線が走って命が助かった」という噂話を耳にします。 現在でこそNHKのドラマにもなるなど定説になりつつあるこの話でしすが、当時この話は全くの謎に包まれていました
「船場汁」ってご存知でしょうか。 江戸時代に天下一の商業都市だった大阪・上方の中で、その骨格を成していた船場。そこの丁稚商人達が食べていたのが、この「船場汁」です。 船場汁とは、「塩鯖(さば)の頭や中骨と短冊に切った大根を入れて作った潮汁(うしおじる)」のことを指し、「大阪の船場商人が作った所からの名ともいう」とあります。 かつて商都大阪の中心であり奉公人を多く抱えていた船場の商家の食生活は、「朝粥や昼一菜に夕茶漬け」といわれる、つましいものでした。日常は野菜本位のお惣菜で、月に2回だけ魚がつきました。その塩鯖や塩鮭を食べた後の頭やアラを出汁にして短冊にした大根を煮たのが船場汁で、いわば廃物利用の食物です。(塩鯖一本で十人前のおかずになる、などとして魚を全部使っている例もありますが、これも頭から中骨まで使い切る無駄のない料理です)。 出典:大阪市立図書館『大阪に関するよくある質問』 htt
ハイテクなシステム 通用門前。2階のペデストリアンデッキから訪れることが出来ました。「大阪市交通局」の文字が懐かしいですね。 食堂は14階です。エレベーターホール前にはにゃんばろうがいらっしゃいました。 食堂全景はこんな感じ。営業時間は11時30分~13時30分まで。全250席の非常に大きな食堂です。 職員さんの昼休み時間とバッティングするので、12-13時からズラしていくのが良案です。 窓側の席からは京セラドームと大阪環状線、大阪ガスのタンクが一望出来ます。流石14階。 一番驚いたのがその決済方法。 なんと食後のトレーを置くだけで、自動的に値段を読み取ってくれるハイテクなシステム。もちろんPiTaPa決済にも対応。 今でこそユニクロ・GUがこのシステムを採用していますが、この当時からこんな先進装備を備えていたんですね~…!! ちなみに民営化してからの2020年に所用で訪れたのですが、この
ニュートラム「住之江公園からフェリーターミナルまでは軌道法ね」 ニュートラム「そこから中ふ頭までは鉄道事業法」 ニュートラム「トレードセンター前までは軌道法」 ニュートラム「コスモスクエアまでは鉄道事業法ね」 私「?????」 — Osaka-Subway.com/鉄道プレス (@OsakaSubwaycom) February 24, 2021 大阪南港を走るニュートラムですが、実は軌道法と鉄道事業法がカオスに混在する路線でもあります。 ・トレードセンター前~コスモスクエア:鉄道事業法 ・中ふ頭~トレードセンター前:軌道法 ・フェリーターミナル~中ふ頭:鉄道事業法 ・住之江公園~フェリーターミナル:軌道法 住之江公園~フェリーターミナル この区間は、軌道法が適用されています。大阪メトロは路線の9割が軌道法を根拠に作られており、軌道法での建設はむしろ自然な流れです。 軌道法で作られるのは、
御堂筋線の中津行き。今や全国レベルで最も有名な「一番来てほしくない行先」の代名詞ともいえる存在になってしまいました。 中津行きを疎んじるインターネットミームはニコニコ動画時代から既にあり、昨今では中川家がネタにするほどになっています。 先日にはネットニュースで「ムカつく行き先」の西日本代表として名を挙げられてしまうほどでした。(東は山手線の大崎行き) しかし私は言いたい!!「中津行きが本当に必要な理由を!!!」 ということで、今日は中津行きが必要な本当の理由を解説したいと思います。 何故中津で止めるのか? 「中津で止めるな!!」と言いたくなる気持ちはすごく、すごーくわかります。 千里中央へ帰れませんよね 江坂へ帰れませんよね 新幹線乗りたいのに新大阪行かないですもんね。よーくわかります。 そもそも、何故中津という中途半端な場所への行先があるのでしょうか。 理由①.梅田でガラガラ電車を用意で
大阪市営地下鉄の基本計画が出来て今年で94年、心斎橋-梅田に地下鉄が出来て今年で87年になります。 駅によって開業年度はまちまちですが、概ね梅田~天王寺間は1930年代の昭和レトロと呼ばれる時代に完成しました。 今日は、そんな昭和レトロだった大阪市営地下鉄の今と昔を写真で振り返ります。(先日動画でも公開しましたが、記事としてもう一度まとめ直しました。) 1期開業区間 梅田仮停留所 出典:『大阪市交通局百年史』 568p 梅田駅は工事が間に合わず、開業当時は仮停留所として開業したのでした。 出典:『大阪市地下鉄建設70年のあゆみ』(大阪市交通局,2003年9月) 現在のなかもず行き方面線路を車両線、千里中央行き方面線路上に仮のホームを立てていたようです。柱はこの当時を象徴するリベット留めの柱です。 出典:『大阪市地下鉄建設70年のあゆみ』(大阪市交通局,2003年9月) 梅田(仮停留所)ホー
現在、2022年開業予定の宇都宮ライトレールが運転士や技術士を募っていますね。 もちろん大阪市営地下鉄でも一番最初というのはあったわけで、最初の採用時には自社線がないことからどこか違う路線に派遣されて実地訓練を受けることになります。 その最初は……いったいどこだったと思いますか? 運転士…阪和線と銀座線 運転士は応募者500名の中、20名が採用されたなかなかの難関でした。1933年(昭和8年)の1月7日に正式採用、同日より2ヶ月間、阪和電気鉄道に派遣されたのでした。 阪和電鉄というのは現在では存在しない企業名ですが、JR阪和線を保有していた京阪系の鉄道会社です。 同社は今でも伝説的な存在として語られる「超特急」を有し、こと高速列車の運行においては1、2を争う鉄道会社でした。この高速運転に慣れさせる狙いがあったものと思われます。 運転手は超特急の快速を有する路線運転の正確、乗客取扱に付き遺憾
ようおこしトイレの話、今一度まとめ直しておかないといけないかなぁ — Osaka-Subway.com/鉄道プレス (@OsakaSubwaycom) April 13, 2019 2011年頃から始まった、大阪メトロのようおこしトイレ。 長年放置され、古い・暗い・汚いというイメージだったトイレが、地下鉄全駅において美しくリフレッシュされています。 この「ようおこしトイレ」、橋下さんが度々言及していることから政治的な対立に取り上げられがち。 「それはデマ」「これは本当」と政治アカウントのせいで情報が錯綜するので、鉄道ファン目線、大阪メトロファン目線から、平等にどちらの言い分が正しいのか?をここにまとめました。 ようおこしとは? 「ようおこしとは?」とよく聞かれます。 これ、一般的には使わないまでも意味は普通に通じると思ってたのですが、案外そうでもないようです。 「ようおこし」とは、「よくぞ
Osaka Metroの外国人向けページにおいて、堺筋線を「サカイマッスル」と誤訳していたと話題になっていますが、実はこれより少し前、大阪メトロサイト内における大阪シティバスの中国語ページにおいて、あまりにガバガバな翻訳をしているページが見つかりこちらの方が先に話題になっていました。 1号系統の場合 出典:<https://bus.osakametro.co.jp/tw/sales_office/page/keito.php>、2019年3月18日閲覧 例えば、1号系統はあべの橋→出戸バスターミナルを走る系統ですが、その中国語読みが… [1]安倍晉三的橋 → 天王寺南丁目 → Deto 公共汽車總站 になっています。安倍晉三的橋……? 安倍(晋三)の橋… あべの橋! な、なるほど…… 注:もちろん安倍さんの橋ではありません 表示:日本政府より (CC-BY4.0による) >RT 安倍首
大阪メトロファンですが、Osaka Pitapaは一切おすすめできません — Osaka-Subway.com🚇 (@OsakaSubwaycom) 2018年5月26日 Osaka Metro(大阪メトロ)のファンサイトを運営して15年になる私ですが、最近「PiTaPa」についても様々な質問をもらうようになりました。 その中でもよくある「Osaka PiTaPaって正直どうなん?」という質問。 大阪メトロさんには申し訳ないんですが、大阪メトロ大好きな私ですら「Osaka PiTaPa」は一切オススメしていません。 理由はいろいろとあるんですが、一言で言うならば「これといってメリットがない」ことにつきます。 敢えてメリットを探すならば1枚のカードにPiTaPaとクレジット機能が入るので財布がかさばらない…ぐらいでしょうか。 オススメ出来ない理由①:低いポイント還元率 Osaka PiTa
大阪ビジネスパーク駅は、1997年にIMPビルの開業とほぼ同時期にオープンしました。 世界初の3連マルチシールドを採用した駅としても有名で、以前「大阪市営地下鉄の中で一番深い駅」としてご紹介しましたが、 実はこの大阪ビジネスパーク駅には、なんと幻のホームがあるのだそうです。 当駅直上にある松下IMPビルの地下部分には、建設時に将来の駅舎設置を見越してホームの一部となる構造物(1面2線)が造られている。しかし、その後当駅のホームがビル本体の直下に建設されたため、この部分は駅舎として使用されず、幻のホームとなっている。なお、新たにホームが造られた理由は、当駅付近を流れる河川や橋梁の地下へトンネルを建設する際に、シールド工法で掘削するための深度が必要になったものと思われる。 https://ja.wikipedia.org/wiki/大阪ビジネスパーク駅 ということで、調べてみました。 書籍にそ
昨日、吉村市長は定例会見でこのように発言されました 来年の4月に大阪市営地下鉄が民営化しますが、その受け皿となる事業準備会社、これを6月1日に設立いたします。で、その会社名なんですけれども、まず法律上の会社名。これはもういろんな登記とかに出てきてますんで、法律的にどうしてもこの名前でいく必要がある、あるいはこの名前でいくのが最もスムーズだということで、法律上の名称としては大阪市高速電気軌道株式会社になります。ただ、これじゃなんだっちゅう話になりますので、いわゆる民営化会社の愛称であったりロゴ... ロゴ・愛称の意味 ロゴマークは青色の背景に「M」をイメージした螺旋状のマークになりました 「Metro」の「M」の中に「Osaka(大阪)」の「O」を内包し、螺旋状の動きのあるフォルムで、「走り続ける」エネルギーや動力・推進力を表しました。 色は、深く鮮やかな青をメインに用いることで、安全・安心
大阪市電……いわば路面電車のことで、大阪市営地下鉄の先輩にあたる電車です。 昭和44年まで、大阪市内にはくまなくこの市電が走っていました。写真は「広電前」と書かれた広島の電車ですが、この車両は元大阪市電の電車です。 昭和7年の山手線の終電は品川着02:30、中央線は新宿発01:27、今よりずっと遅い。同じ頃、大阪市電は24時間運行していた。いまの駅は終電後閉めるが、昔は始発まで開いていた、電車がそうなら会社も呑み屋もそうだろう。日本人は戦前のほうが夜型で、戦後早く寝るようになったのである。 pic.twitter.com/IHgDnLptmA — 高木壮太 (@TakagiSota) July 15, 2017 その大阪市電は、なんと戦前までは24時間運行だった…という衝撃の新事実が今回明らかになったのでご紹介します。 あわせて、昔の日本人は夜型だった…という説も話題になっています。 当時
2020年、北大阪急行は現在の千里中央から更に2.5km北進し、箕面市にある「新箕面駅」まで延伸する計画を立てていますが、ちょうど近場に寄ることがあったので延伸区間を見てきました。 初乗り運賃は160円で、江坂から新箕面までは230円、梅田からは470円程度になる見通しとのことです。 北大阪急行としては、1970年の千里中央駅本駅完成から、約45年ぶりの新規事業となります。 この記事は2017年4月時点のものです。最新の工事状況視察は以下のリンクから 【2018/10】北大阪急行、2020年延伸予定の「箕面萱野・箕面船場阪大前」を見てきました 【2017/11】北大阪急行、2020年開業予定の工事現場を見てきました 新箕面(M6) 終点となる新箕面駅は高架駅の予定で、国道171号と423号の交点「萱野交差点」より北側、みのおキューズモールに直結する形で建設予定です。 こちらもそこそこ隣駅と
【この記事は2017/4/1に書かれたエイプリルフールネタ……だったんですが、半分現実になってしまいました】 【阪急と阪神 大阪梅田駅に改称】https://t.co/A2LBgJYxbh 阪急電鉄と阪神電鉄は大阪の玄関口である「梅田駅」を「大阪梅田駅」にそれぞれ変更することを決めた。京都市中心部の河原町駅についても10月から「京都河原町駅」に変更するという。 — Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) July 29, 2019 2017年6月13日より大阪市営地下鉄・阪急・阪神電鉄がそれぞれの「梅田駅」に関連する名前を”大阪駅”として統一することを発表しました。 大阪駅と梅田駅は同一位置にありながらも、歴史的経緯などからそれぞれ別個の状態が続いており、観光客や特に外国人にはわかりにくい状態が続いておりましたが、今回、インバウンド観光戦略を指揮する国土交通省の強い要請
【速報】さよなら大阪市交通局。民営化(株式会社化)が遂に決定。2018年4月より 2017.03.23 ニュース 民営化を発案してから12年 2006年に民営化を提案してから実現に至るまでは12年もの期間がありました。 関市長、平松市長、橋下市長、そして吉村市長…4名もの首長さんが変わり12年もの間討論されてきた民営化は、公設民営化として落ち着くことなります。 「大阪市民のため」として、民間資本をいれずに公営地下鉄として開業した大阪市営地下鉄。 当時開業に携わった関一市長は、この民営化劇に何を思うのでしょうか…。 かわること ・まず趣味的見地から見ると、大手私鉄として17番目の仲間入りをすることとなります。 あわせて名前の変化が気になる所…。当サイトとしては是非とも「大阪サブウェイ」になって欲しいところです笑 ・契約関係としては随意契約が理由なく自由に行えるようになることから、施設・売店な
南海電鉄は激怒した。必ず、かの大阪地下鉄を除かなければならぬと決意した。 南海は大阪市への延伸がかなわぬ。南海は、南大阪の王である。線路を敷き、堺と和泉の発展を願って暮して来た。それゆえ大阪市地下鉄の市外延伸に対しては、人一倍に敏感であった。 …太宰治っぽく書くと、今回の記事はこんな感じでしょうか。笑 実はつい最近の2004年まで、四つ橋線は現在の住之江公園から堺市大浜への延長する特許を持っていたことをご存知でしょうか。 以前ご紹介した、昭和22年の大阪市営地下鉄の建設図。左下の青色(四つ橋線)を見ていると、既にこの頃から大浜への延伸を画策していたことがわかりますね。 しかしながら南海電鉄がこの計画を知ると激怒し、こんな申入書を大阪市と運輸省に提出していたのです。 激怒したその内容とは 貴市御計画の高速軌道線(地下鉄)三号線中、玉出堺大浜間の延長線については、本年二月二十三日付特許を得られ
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