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アメリカ大統領選
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気づけば人生で一番長く住んだ街が京都になってしまった。三代住んで初めて京都人になれるみたいな話もあるが、自分は元々大学進学でここに来ただけであり、地元ヅラをするつもりも別にない。そもそも転勤族の家庭に生まれた自分にとっては明確な地元意識すらもあやふやで、土地に対してのアイデンティティが宙に浮いてしまっているのである。 中学2年生のテスト期間、明るい時間にいきなり父が会社から帰ってきて、ベッドに倒れ込むやいなや「釧路や・・・」と嘆いていた時の様子を自分はあまりにも鮮明覚えている。それ以来父は単身赴任になった。そしてそのことは、家族における悪い意味でのターニングポイントになったのである。 自分の人生はどうも父の逆張りみたいな部分が多く、絶対に自分の住む場所を自分で決めたいという変なこだわりがある。会社の都合で(場合によっては望んでいない)土地に否応なく行かされ、息子が大人になる過程を見ることす
ほうぼうで"みんな音楽を作った方がいい"と説いているが、説くからにはやはりその理由を考える責務があるわけである。「その心は?」と問われたとして、「みんな違うからです」というのが暫定回答である。ここにおける音楽は別に音楽でなくてもいい。みんな違ってみんないい、みたいな話は、たいして何も言えていない月並みな視点であるようにも思えるが、正直これに尽きるのである。 学生時代のマゴチネサウンドシステム(溜まり場となっていた友達の一軒家の通称)、少し大きくなり関西の電子音楽シーンやマルチネレコードなどから始まり、いまに至るまで音楽を作って聴かせ合う遊びをずっと続けた結果、自分の抱いた感想は「みんな違いすぎるやろ」というその一点である。パソコンで、任意の時間軸に任意の音を配置するだけの遊びで、かくも差が出るのか。考え方から、作り方、完成品に至るまで何もかも違う。上には上がいる、といった優劣の話ではなく、
なるべく金払えそうなリンクを貼るようにしています 7ajee - SAMA' Popular Art Centerに保存されているパレスチナの民族音楽をサンプリングして制作をする企画 'Electrosteen:' という企画の1曲。全曲いい。 youtu.be Muuden (Sama’ Abdulhadi Remix) おれが紹介するまでもないパレスチナのテクノDJのエースのリミックスワーク。 Asifeh - 2003 ラマッラーのラッパー、ビートメイカー。美しい Elos Byuri - Scene 1: Crossroads ラマッラーのラッパー。UKドリルっぽい雰囲気あるけどビートはまた違うフォーマット。 Arhan Afndy - Tale of a Merchant バークリーで学んだマルチルーツのミュージシャン。アラブ文化と西洋音楽の絶妙な距離感のことを考えたりしてしまう
最近色々と考えを整理していると、自分の音楽遍歴というのはつまるところ選択の自由を獲得する旅であるのということに気がついた。 中学生、日本の音楽だけ聴いてていいんか、と思い、いわゆる洋楽を厨二マインドで聴こうとする。わからないので本屋でロッキンオンを読むと、「オアシス、グリーンデイ、レディオヘッドが最高」みたいなことが書いてある。まだ閉じている。とりあえず雑誌でフィーチャーされているバンドを順番に聴いた。高校生、西宮北口のバーミヤンでバイトをして、その月数万円の金によって少し開かれた。横のブックオフでいわゆるロックの名盤を安い順に片っ端から買って聴いた。感動はするが、まだしっくり来ない。18歳の時に初めて自分用のPCを買い、インターネットによりまた開かれる。知らない電子音楽が沢山あった。ここでmyspaceやサンクラを通じて、市井の人によって作られた、大量のベッドルームミュージックに遭遇し、
某日 パナとの業務委託契約初日。「あれ、帰ってきましたねえ・・・」などと所長やら部長やらに言われる。二重就労(複数の企業との雇用契約)を認めない仕組みにより、二択を課された自分は自らの意思で大学を選んだわけで、いってしまえばこちらは選ばれなかったほうである。にもかかわらず、IT系やコンサルなどの業態ではない、化学をバックグラウンドに持つ自分を、社員じゃなければええんやろ、と極論屁理屈みたいな方法で使ってもらえることは、個人的にいうと、”脱サラしてミュージシャン”なんていうもはや紋切り型の擦られたムーブよりも、よっぽど価値があることにも思える。 会社からすると外部の人間を既存の仕組みの外で例外的に雇用するというのはリスクしかなく、リスクを取るに値すると一緒に働いていた人に思ってもらえることは、サラリーマンとしての自分に下された評価として本当に嬉しい。音楽業界っぽい誇張表現だと「シーンに風穴を
かつてのインターネットには(理由や背景はさておき)明確に嫌儲のムードがあり、2chにせよ、Twitterにせよ、アフィリエイトリンクを貼ろうもんなら親の仇が如く叩かれる、みたいなことは日常的に見かけられるようなことであった。2010年代前半には、もうすでにファッションないしはライフスタイルを上手に見せて人気を得るスタイルや、電子工作やガジェットレビューをするようなアカウントが散見されたが、アフィリエイトリンクをちょろっと貼っただけで、ヲチスレの住人に粘着されて退場させられる、みたいなことを見かけたりなどしていたわけである。 恐ろしいことに、10年の時が経ち、TwitterはXとなり、嫌儲どころか、公式に提供された機能としてインプレッションが換金できるようになってしまい、それを推奨するような場になってしまった。かつては嫌儲の餌食であったはずの芸風そのままに、トップのYouTuberはプロ野球
kindleを購入して以来割と電子書籍を買うようになったが、一方でいまだに紙の本も買っている。気に入った本を紙で、というわけではなく完全にその都度の気分である。が、物理的な圧というのはなかなかなもので、リビングに未読の本を放置していると、なんとなく読もうという気分が湧いてくる。積まれた書籍はさながらパチンコの保留玉のようであり、自分はそれにある種の心地よさを感じるのである。 一方で、例えば音楽のサブスクサービスにある膨大な未聴の音楽に対して、保留玉的なポジティブな感情があるかというと、不思議なことにそんなにない。こんなにも音楽に興味があるにも関わらずである。SNSもそうで、いまや無限のコミュニケーションにもはやポジティブな印象はない。こんなにも人間に興味があるにも関わらず! 最近は「伏せられたカード」という比喩を自分はよく使う。音楽、本、知らない土地、出会ったことない人といった、知らないも
某日 最近は、考えに逃げられる、みたいな感覚が強まっている。これはただイキった言い方をしているだけで、とどのつまり、いろいろなことをすぐに忘れてしまうというだけの話である。カスみたいなSNSの投稿、制作のアイディア、感動した曲、印象的な出来事があり、それらに対して抱いた感情みたいなものが、油断するとするするとどこかへ行ってしまう。これは結局、自分の感動する対象がどんどんぼんやりしてきたという理解をしている。 歳をとるにつれて、大学に受かりました、とか自分の曲がレコードになりました、とかいった類の、具体的な(自分がこの先達成しうる)実績解除項目が減る一方なのに対して、いい感じの人間関係を築きたい、とかいい感じに暮らしたい、とかいった風に、ファジーな欲求ばかりが膨らんでいき、それに対してのファジーな感情ばかりを抱くので、そもそも捉えにくく、すぐ忘れてしまうのである。 こういう状況に対して、音楽
某日 イサゲンと武田、授業終わりに喋っていたIRIGINOくんを連れてスタジオへ。トマソンスタジオで使っていたL12でバンド1発録りのテスト。ドラムはsE8をトップに2本。難なくテストは完了しあとは遊びの延長で演奏。se8はいいマイクだし、L12は本当によくできた機材だと感じる。学生時代のようにこのメンバーでまた雑に楽器を弾いて遊べるのはこれはこれで夢のようである。 6月某日 イベント出演のため仙台へ。最後に仙台に行ったのは7年前の高分子討論会で、かなり思い出深い1週間であったわけであるがそんなことはすっかり忘れていて、仙台駅に降り立った瞬間に、それらの思い出がまざまざと蘇ってきたのである。 仙台は信じられないくらい都会であり、事前に教えてもらった有名店は大体並んでいて入れず。適当に寿司を食ってから会場へ。外は6月にもかかわらず真夏のような様相である。 会場に着く。窓辺リカさんやlogan
4月某日 国民健康保険の申請に区役所へ。年度が変わって賑わう区役所は20人待ちの表示、仕事のメールを返しながら順番を待つ。自分の不手際でのやり直しは避けたい。再度ホームページを確認し、必要事項を確認する。健康保険等資格喪失証明書、通帳、銀行印…。ついに自分の順番、絶対に不備がないと信じ窓口に行くと「本日中の交付のためには有効な住所か確認できる郵便物が必要でして…」ほらきた!自宅に帰り、適当な郵便物を握りしめ再度区役所。16人待ちの表示。デジャヴのような光景、作業中にデータが消え、やり直しているときと全く気持ちである。再び30分ほど待つ。 せっかくなので帰りに病院に寄る。診察待ち、会計待ち、処方箋を薬局に出し、薬を待ち…。ぎゅうぎゅうに働いていた日々に対し、セミ無職とデイタイムの街はいささかスローである。花粉症の処方薬なんて簡単なオンライン診療と郵送で済んでしまう今日、区役所といい病院といい
某日 30も超え、もうなんだかんだでだいぶ社会人生活が板についてきたわけであるが、一つ最大の誤算と言えば、いわゆるカレンダー通りの定時の仕事をしているにも関わらず、規則正しく寝起きできるようにならなかったことである。寝てたら授業終わってましたわガハハで済んでいた大学生活ならともかく、8:30ごろには出勤し夕方まで働いているにも関わらずである。ある時は18時に寝て25時に起きる。ある時はほとんど寝ずに会社に行き、ある時は帰宅後から次の出勤までまるまる寝ていたりする。 クラブ出演のせいでこうなった、と因果を与えてやる線もあったが、それもあらゆる音楽イベントがやっていなかったコロナ禍によって否定され、正真正銘自分は規則正しく寝起きできない人間であることがほぼ確定してしまったのである。 こんなことをいうと身も蓋もないのであるが、そもそも自分は深夜が好きである。それはさまざまな理由によるが、心のどこ
最近会う人会う人にプライスレスを連呼するプライスレスおじさんと化しているので、なぜそうなったのかの記録として、公開する気のなかった日記を、普段に増して輪にかけて都合よくエディットして公開します。私が日記を書くのが好きな理由もプライスレス理論(資本で代替不可能なものを愛していきましょうというだけの話)で簡単に説明できます。私の生活でおこったことや、それについて考えたことは資本で代替不可能なのでプライスレス、よって自分の日記もまたプライスレスであるからです。一般化されたライフハック記事よりも友人の代わり映えのしない近況報告の方が聞きたいのも、後者がプライスレスだからです。 某日 電工二種の実技試験。コンビニで鉛筆やらを買い、自転車で会場に向かう。日常のあまりの低刺激さに、もはや人がたくさんいる様子を見るだけでテンションが上がってしまった。 大教室の長机の指定された位置に着席。リフレインするは学
某日 レコードが半分しか来なかったり、輸入税を二重に取られたりと散々であったが、そんなことは買ってくれる人には関係のない話である。 もはや継続して個人でレコードをプレスし続けているやつなんて全人口の1%もいない気もするし、そんなわけで、苦労の共有などをする相手もだいぶ限られてしまうが、得られる喜びに比べたら多少の苦労の増減なんて誤差である。 某日 なんとなく飯でも食いに行こう、と外に出ると、信号機の取り替え工事をする途中なのか、新品の、薄型のLEDの信号機が徐に道端に放置してあった。特に工事の人がいるわけではなく、そこにあるのは取り付け前の信号機だけである。最近の信号機は大きめのPCモニタ程度の大きさしかなく、あまりの無防備さに、「物好きがいたら盗まれるんじゃないか」といういらん心配をしてしまう。 そんなこともすっかり忘れていたある日、ふと信号待ちをしていると、信号機が新しくなっていること
ふと二重振り子のことを思い出してしまった。振り子の節を一つ増やすだけで、その動きがクソ複雑になるというやつである。初歩的な物理シミュレーションの嗜みがあれば、実際に動きを計算してみることも出来るし、細かい理屈がわからなければ模型でも作成して観察すれば良い。 間接が一つある棒ですらカオスに到達するわけであるが、我々は"未曾有のウイルスの拡散"という複雑な振る舞いを予想して対処しなければならない。なけなしの仮説で数理的なモデルを作る人がいれば、なけなしのデータを駆動させ予測を目指す人(例えばGoogleのやつは後者)もいる。どのみちわからないなりの善処である。 一方で世は答えを求める。政府は適切な施策を打たねばならず、人々は安心したいからである。わからないなりの善処に対し世は辛辣である。結局やっていることは丁か半かの博打、外れたやつは退場・・・といったようなヤマ師のような生き方は、自分は好きに
サウンド&レコーディングマガジン連載”DAW AVENUE” 執筆など サンレコのDAWごとの連載。2019年から年またぎでワンクールやらせていただきました。DAWはあくまで道具で、いかに使うかという話。第三回で書いたような、めいめいの工夫は共有しまくりたい所存。第三回(in the blue shirtが使う Studio One 第3回 - サンレコ 〜音楽制作と音響のすべてを届けるメディア)で書いた内容みたいな工夫はいっぱいあるので正直またやりたい・・・サンレコには他にも3,4,6,12月号でなんかしら書かせていただきました。サンレコは神雑誌なのでこれからも協力できることは全部したいすワ tricot『真っ黒リリースツアー「真っ白」』SE作成 2日目広島ありがとうございました! 今回のツアー、BGMは@DAWA_FLAKE SEは@Arimuri 胸が弾けて御座います。 pic.tw
自分の作品説明すんのってやっぱダサいよな〜的なことは毎回悩みむが、それでも、自分が参照したのはなにで、どこまでが先人の功績なのかは、自分が把握している範囲で書いておきたいと思ってしまうワケ 【背景】 前作「Recollect The Feeling」で大真面目にアルバムを作ったので、一貫した雰囲気などは考えず、気晴らしに作った曲の佳作集としてEPにすることを目指す。作成開始当初の目標は5曲。オーバーランして結局6曲入りに。 【テーマ】 ・やりたいことがわかってきたのでがんばるぞ ・おれはおれのやり方でがんばるぞ ”やりたいこと”とか” おれのやり方”ってなんやねんっていう話になってくる、口で説明できたら苦労しないが「なんとなく掴めてきたで感」の表明を目指す。言葉でうまく言えない感じを表現するのが音楽ということで・・・。とにかく活動スタンスと曲で察してくれ的な。 【リリース形態】 配信+レコ
ようやく新譜が完成しました。「リリースしたけどウケなかったらどうしよう」みたいなことを心配する気持ちは年々なくなっていて、(あまり良い比喩ではないが)トイレで用を足した後のような気持ちのよう。周りの評価が気にならなくなってきたのは、自信から来るものではなく、自炊の飯の味を人と比べてもしゃーないやろ、みたいな感じで、それはそれで不健康な気もしています。とはいえ、人の感想を聞くのが創作の醍醐味。去年の年末から半年かけて作った曲たち、どれも気に入っているので興味があれば是非聴いてみてください。 今年はもともと"前半はリリース、後半は海外旅行"という皮算用をしていたが、謎のウイルスが蔓延し、気づけば県外に出るのも憚られるような状況である。とは言っても、アンコントローラブルな外因で、脳内計画みたいなものがひっくり返る、みたいなことには、離婚以降すっかり慣れてしまっているところもあり、極端なところ、”
かつて、音楽を作りはじめたときに自分が思い描いていたアーティスト像というのは、いうなれば求道者的なものであった。ひたすら創作に向き合い、純度を高め、突き詰めた先に素晴らしいものを作り出す、と言ったような孤高のイメージであった。 一方で、最近の自分のやっていることというと、人を集めて作った曲を聴きあったり、他人のライブセットにガヤを乗せたり、あげくの果てに群れるためにスタジオを作ったりなど、かつて思い描いていた"孤高の求道者"からするとほど遠い、当初の想定からすると不純に当たることばかりしている。 こんなにも考えがかわるやつもいるのか、と少し笑ってしまうが、音楽を作り始めて10年、この変化は自分の中で大きなものである。かつての、他を突き放すような孤高への憧れは、そうはなれないとどこかで自覚していた、自分への卑屈さに繋がっていたようにも思える。自分が音楽でやりたかったのは感情のシェアみたいなも
自粛生活はぬるっとはじまった。えもいえぬ手持ち無沙汰感から、デジマートやメルカリ、ヤフオクを巡回しては不要不急の安価なエフェクトペダルを買い漁る。在宅勤務の合間になる配達のチャイム、宅配の人の顔を見るや己の愚かさに気づくのであった。こんなことは極力やめないといけない。一瞬そう思ったが、この行為は果たして単純に社会悪と言い切れるのだろうか? かつて週末が来るたびにウーバーイーツで飯を頼んでいた引きこもり志向の強い自分、ふとTwitterで「ウーバーイーツを使うやつは搾取の精神性がある」的なツイート(細かい文言は記憶なし)をみかけた記憶が蘇る。 「いやそんなことはないやろ…笑」とその時は思っていたが、コロナ禍中でしょうもない通販をする行為と、日常的にウーバーイーツを利用する感覚というのは悪い意味で地続きであるように感じてしまった。そこにはある種の浅ましさがあるように思える。 だからといって、"
【そもそもなんのイベント?】 DTMワークショップイベント。有村の知人・友人が音楽について講釈を垂れる。お客さんは自作の楽曲を事前送付でき、イベント中にみんなで聴くという愉快な一面を持つ。ストーンズ太郎と有村が主催。 【フライヤー】 10点満点中2点。時間をかけても仕方がないが、ダサすぎるとマイナスなので頑張りたい。初回に比べるとだいぶマシではあるが。強制的にイラレを使う機会を捻出できるのはよいです。 【開催会場選び】 そもそもイベントの目的が”自分らが楽しく音楽を続けるための土壌づくり”であり、その土壌のうちの一つが、”イベントにお客さんが来る”ことである。人間の性質上、行ったことがない場所に行くのはエネルギーが必要であるから、イベントに便乗して、みなさんの”行ったことがあるクラブ”を強制的に増やし、自分らの活動をしやすくしようという魂胆。前回の京都メトロは会場として文句なしであったわけ
本や音楽などを選ぶ際、知人や友人のレコメンドに依存してしまっているな、とふと考える。 知人の好きなもの、勧めているもの、というのは、その人のバックグラウンドも判断材料に加わるため、こちらとしてもあたりがつけやすく、参考にもなる。一方でどこの誰ともわからないやつのオススメなんてものは基本的に信用できないものである。 SNSなどは、その仕組み上「フォローしている人が興味のあるようなことしか流れてこない」わけで、それは心地よくもあるが、決められた柵の中をぐるぐる回っているような気分にもなる。それでいいのだろうか?と最近はよく考えてしまう。 spotifyなどに、ランダムボタンみたいなものがあって、それを押すと、本当にランダムに、何かの曲がかかってほしいとつくづく思う。大体は特になんの引っ掛かりもないであろうが、ごく稀に、本来は自分までの導線が伸びていないような曲にたどり着き、それによって深く感動
POTLUCK Lab. vol.1 【日時/場所】 8/24(土)13:00〜19:00@京都METRO(https://www.metro.ne.jp/) 【開催会場選び】 前回、炎の2Days開催の憂き目にあったため、キャパ60人以上で会場を探す。 ・一般的なイベントスペースではなく、クラブでやる ・自分たちがよく出演する会場を選ぶ の2点は太郎となんとなく合意しており、しっかりしたサウンドシステムで自分の曲を聴いてほしいということと、一度行ったことがある会場には遊びに行きやすい、これをきっかけにクラブイベントに遊びにいけるようになってほしいという意図であった。 1回目開催時に、メトロ勤務のトラックメイカーCeeeSTee氏が遊びに来てくれており、条件面から環境づくりまで相談に乗ってくれたうえ、ちょうどいい時期の週末デイタイムをおさえることができたので、第二回は京都メトロで開催する運
POTLUCK Lab. vol.1 【日時/場所】 5/25(土)18:00〜23:00 5/26(土)12:00〜16:00 @京都cafe la siesta(http://cafelasiesta.com/) アフター飲み会 5/26(土)17:00〜 【参考にしたイベント】 ・早稲田茶箱でやっている新作発表回(https://bit.ly/2VeJuxH) 至極シンプル、作った新曲を持ち寄って聴く ・INNIT 基本クラブイベントのフォーマットで進行する。bring your musicと題して、音源を持ち込む(CDメディア)と500円割引になる。会場に視聴コーナー(CDJ+ヘッドホン)が置かれ、いつでも持ち込み曲を聴くことができる。イベントの最後に、持ち込み曲を再生していき、運営メンバーがコメントしていく。イケてる曲を持ってきた人は次回以降ブッキングされることもある。 INNI
本日4/24に、私の新しいアルバムが出ます。ライブ、現場はそれはそれで楽しいけれども、やはり録音物は別物で、共感や、大人数での一体感など抜きにして、1人でゆっくり聴いていただけると非常に嬉しいです。自分が作ったアルバムを、別の誰かが1人で聴いて、何かを感じてくれるようなことがあれば、それが一番幸せに思います。自分は頭お花畑なので、自分の曲を好きで聴いていてくれる人とは、それだけでそれなりに気が合うと感じてしまいます。知らんけど。 楽器を弾いてくれたisagen、武田くん、Uさん、流通のせるまで面倒見てくれたミツメの川辺くん、いっつもデザインやってくれてる猛、マスタリング担当していただいた得能さん、人生相談やTTHWでのプロモーションでお世話になったトーフさん・・・あげるとキリがないけど、マジで皆さんありがとうという気持ちでいっぱいです。ほぼ一人で作った音楽作品なのに他人への感謝が止まらない
作る行為そのものが娯楽なので、終わらせてしまうのが嫌になって完成を拒んでしまうようなきらいもありましたが、2ndアルバムがようやく完成いたしました。完成というか、まあセルフ強制終了みたいなもんですが。とはいえ、それ以上よくする実力もないくせに、「いや、これはまだ"Work In Progress"なので…」みたいな態度はよくない。 いつリリースされるのか、それはさておき、作り手としては完成した時点の鮮度十分な状態で、忘備録として制作メモを書きました。発売日はいつなんだ…教えてくれdjnewtown… 【背景】 前作はどうしても「自分がいままで作ってきた曲の中から佳作を抜粋してきました」みたいな感じの作り方だったので、次はちゃんと"アルバムのために曲を作る"前提で制作しようと決意。 アイディアスケッチを10ネタ準備し、全体の雰囲気を勘案しアルバムタイトルを「Recollect the Fee
ブログの記事数が100を超えていて驚く。いまの形式で書くのはだいぶしっくりきているが、逆にいうと100記事も書いて、ようやくしっくりくるスタイルにたどり着くのであるから、何事も継続である。とはいってもこれも音楽同様、誰に頼まれたわけでもなし、続ける道理はなく、飽きたらやめたらいい類のものである。 方向性が定まらず、しっくり来ていない段階での所業を残すべきか否か?みたいなことは最近よく考えてしまう。過去の習作や若気の至り的なアウトプットを、残すか、はたまた消してしまうか。大学デビューに成功したやつは、中高時代の陰鬱なSNSなんて消し去ったほうが調子が良さそうだが、過去に読んできたくだらない本を全て捨ててしまって、シュッとした本ばかりが並べられてる"見せ本棚"に対しては、どうしても顔をしかめてしまう。結局のところ、にわか、ハリボテはバレるというだけの話なのかもしれない。消すかどうかはさておき、
最近、音楽がらみの人の集まりに顔を出すたびに、「アルバムを作ってるんですよ」とか「アルバム出しますよ…平成のうちに…」などという話ばかりしている。 なんだかんだでだいたい毎日楽器を弾いたり曲を作ったりしているが、クライアントワークだったり、適当な暇つぶしだったりするので、ちゃんと気合を入れないとアルバム作業は一向に進まない。 そもそも、自分のような立場の人間は、まとまった音楽作品をリリースしなければならない道理などハナからないのである。そういう意味では、"平成のうちに"というのは口実として実にちょうどいい。アルバムは歩いてこない、だから歩いていくんだね……一日一歩、三日で三歩……。 だいぶ内省って感じなので、周りは気にせず、のんびり春くらいに出せればと思います。 8月某日 パソコン音楽クラブのアルバムのリリパ。行きの新幹線で、「音楽に対するハードルを下げたいというか、程度が低いものにしたい
未だに"就職"したことについて聞かれることは多い。「現役大学生トラックメイカー」みたいな枕はいとも簡単にぶら下げられる。自分もそんな感じの扱いを受けた時期もあったが、そんなことより、興味があるのはその後の暮らしである。 音楽としてる人としていない人、才能がある人ない人、アーティストと一般人、演者と客…….憧れの人は見上げてしまいがちで、あちら側、こちら側みたいな区分、越えられない段差があるようにも感じてしまいがちである。でも実際は、その間はなだらかな坂、グラデーションであるように感じる。そして、インターネットはその間のグラデーションに光をあてる。"一億総クリエイター時代"とも言われるが、インターネットはこちら側の人間を、あちら側へ連れていってくれる魔法ではない。ただ、インターネットやDTM(テクノロジーによる創作の民主化諸々)の力によって、グラデーションの途中にいることがわかっただけでも、
ふと急に"電車男"のことを思い出した。めちゃくちゃ雑に言うと、あれは"どこの誰かも知らないやつを打算なくサポートし、喜び/悲しみを分かち合う"話と言える。あの話がフィクションかどうかはさておき、今日、「童貞のオタクが、酔っ払いに絡まれている伊東美咲似の美女を助けたことをキッカケに恋に落ち結ばれた」話をTwitterに書いたところで、嘘松呼ばわりされて即終了であろう。 自分は音楽の作り方をGoogleに教えてもらったと言っても過言ではない。検索で得られた数多の知見の大半は、まさに"どこの誰かも知らないやつの打算なきサポート"である。その恩恵を授かった身として、そういったものを肯定していけたらなと思う。 いいね、PV数やフォロワー数、はたまたVALUか、タイムバンクか、とにかく評価の尺度を定量化せんとする流れの一方で、"打算なきサポート"の価値は可視化されず、それをしたとしても結果のフィードバ
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