そう考えていくと、最近のユーロゲームも、かなりウォーゲームに近付いてきているように思う。 つまり、「ある程度の労力負担をプレイヤーに求めても支障はない」ことが前提となり、「初回のプレイでは指針が見えず醍醐味に触れられないようなものであっても許容される」ことがデザインサイドからも共通認識となり、むしろ積極的に「何回もプレイしないと醍醐味に触れられないようなゲームが、ゲーマーズゲームとしては価値が高い」と評価されるような土壌になってきたのではないかという気がする。 これをゲームシステムの進化と呼べば呼べるし、進化の袋小路と危惧するのも一理も二理もあると思う。 ウォーゲームは実際にそういう行程を辿る中で、大幅にプレイヤー人口を減らした。それが良かったかどうかは人によって評価が異なるだろう。プレイ相手を見つけにくくなったと言う弊害の一方で、互いに一定の労力を越えてゲームをプレイする同志であることが