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円安とは
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id:contractioさんが「わたし、スアレスの研究書って これ↑一冊しか持ってないんですが、その後 邦語文献は出てないんでしょうかね。>識者」(http://d.hatena.ne.jp/contractio/20090217)と嘆いておられるので識者じゃないけど答えてみる。 研究書として公刊されているのはcontractioさんも紹介している、田口敬子『スアレス形而上学の研究』あとは私のブログで以前紹介したホセ・ヨンパルト『人民思想の原典とその展開』*1あとは、伊藤不二男『スアレスの国際法理論』ぐらいでしょうか・・・・あと最近のものでは半澤考磨『ヨーロッパ思想史のなかの自由』でスアレスの思想に触れられていました。*2 ご存知の方はご存知とは思いますが、フランシス・スアレス(Francisco Suarez)はイエズス会の神学者です。もとより私は民主主義やらへの興味から神学を学ぼうと
さて、最近もとい、少し前まではてな村では“宗教を語るやつが少ないよね”という話題が注目浴びていたようなのですが・・・私もやはり反応すべきでしょうか、ブクマでid:polynityさんに呼び出されていたようなのですが。 以前のエントリーで神学は三名の読者を想定しなければならないとしましたが、そのカテゴリー分けをあらためて取り上げておきたいと思います。 教導職につくであろう人々(聖務者、教役者志望) 兄弟姉妹の皆様(信徒)つまるところ、信徒使徒職にあたっての教導 その他の人々(未信者)つまるところ、信仰に招くための教導 上記三名の読者を想定しなければならないと規定した上で、私は当然ながら聖務者に必用な神学教育を施すという義務を果すだけの能力を意味するSTLを現時点では持たない以上、私がどのように(それが稚拙であろうとなかろうと)神学的な思弁をするとしても読者1について私は考慮する必要が“現時点
人間学について小論考をしたいと思う。特にパスカル『パンセ』に関連してである。神学はともかくとして諸々の所謂自然科学でない学問は皆その学問の究極的な関心を人間存在の探究としている。個人的には笑止千万な自称にすぎないと思うのであるがお題目と言うのは大事である。 所謂文学、哲学を好む人たち、つまり感傷的に“自分自身”を省察の対象にする人たちのことがこの論考の考察対象である。 人文学の存在意義を問われる場合に半ば開き直りの伴った回答としてなされるのが、人文学の存在価値とは人間存在の探究であり、それは大学、学問それ自体の根幹を成し、かつその基礎づけである。そして、人文学を学ぶ学生はその“課程”で(過程ではない)教養を身につけ、人格形成を行なう・・・云々。 まぁ、腹を抱えて笑えるほどの大言壮語である。まずもって教授に当たる教授の人格が以下rya、そもそも教養がこれまた以下ryaである。なおこのように笑
さて、例によって体調グダグダに悪く。土壇場で心身の弱さを晒してしまっていますが、風邪でありません。私はお馬鹿なので鳥インフルエンザだろうと罹ることはないと思います。でも多くの人に心配をかけてしまったようでほんとに反省です。さて、私がベッドとお手洗いの間を冷や汗をかきながら往復してる間に無事学祭も終了しました。次は12月の頭に創立記念祭があります。その準備を本格的にしていかねばなりません。ぶっちゃけ、その点はあんまプレッシャーとか焦りとかは感じてないんだけど、まぁうまくいくから。今回は私のところのシンポ、公開討論を宣伝したいのではなくて今週の日曜、11月9日にある文学フリマと言うイベントの紹介がしたいのです。 で、文学フリマって何?なのは私もそうなのでとりあえずよくなんだか分からずに会場に行ってみるのですが、文藝誌や評論誌など同人誌と呼ばれているものの即売会と言ったところです。まぁ、それだけ
私も調子に乗って合いの手を入れてしまったので、責任とって神学タンのキャラ設定を 神学タン 三姉妹<オーソドックス(正統派)カトリック(普遍派)プロテスタント(抵抗派)> 三姉妹はつかみ合いの喧嘩をするほど仲が悪かった。(過去形のはず…)今では仲直り計画が進行中(エキュメニズム) 三姉妹がそろって嫌いなのは無神論。 それぞれ誰が年長か?だれが一番出来のよい娘か?で喧嘩する。なお三人とも極度のファザコン。お父さん(父なる神)大好きっ子。 基本的に皆お節介(隣人愛) 以下はカトリックたんの自己紹介と姉妹紹介(他の姉妹から文句出ても知らない) 年齢ですか?他の子達よりお姉さんです(他の哲学っ子と比べて)。 特技ですか?天使を呼び出せるとかそういうことはありませんが、40人の教会博士を召喚できます。組み合わせが悪いと博士同士で喧嘩し始めるので注意が必要です。 他の子達との関係?基本他の哲学っ子は下女
id:antonianさんが、聖☆おにいさん(1) (モーニング KC)を紹介されてる。私も先輩の家で読みました。ゆるさ加減がとってもつぼでした。若い人の受けはとってもよいと思う。私の周りはみんな大爆笑でした、私含めて。 昨日、今日(土日)と私の大学の先生方は「キリスト教と日本宗教」(http://www.sophia.ac.jp/J/news.nsf/Content/kiribun_080607-08)と題して講演会を開いてますが、インカルチュレーションの対象としてサブカルチャーが議題に上る日はいつになったら訪れるんだろう。でも神学者が顔を突き合わせてアニメの話をしている姿を想像するのはちょっといやかも。 エントリのタイトルにも書いたのだけど、カトリシズム(この語あんま使われないけれど)は間違いなく日本では、サブカルチャー。何もマリア様の萌フィギュアが置いてあるとかではなくて、メインカル
福耳先生のエントリを起点として数日の間もめていた「かわいそう」な騒動で考えたことを少しエントリにする。まず、福耳先生のブログに対してされたTBはすべてに目を通したのだけど、TBなしの言及も当然あるのだろうけど認識の範囲外なのでこれはどうにもならない。ここで問題にしたいのは、福耳先生のエントリに否定的見解を寄せた二種類の人たち。 女の子を馬鹿にするな!派 資本主義の手先が!派 二種類に振り分けてみたけど、この他にとりあえずお祭り騒ぎだから乗っかってみたという人たちもいるけど、これは除外しとく。 で、一つ目から考察するのだけど、これは福耳先生の変更前のエントリというか正確には福耳先生が変更した内容を主に問題にしていた人たち。福耳先生に一種のミソジニー的なものがあったのではないかと批判してる。これはどちらかと言うと福耳先生個人に向けられている面が強いので私は中心的には考察しません。 文学部という
アウシュヴィッツの残りのもの―アルシーヴと証人 人権の彼方に―政治哲学ノート 残りの時 パウロ講義 ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生 例外状態 涜神 アウシュヴィッツは終わらない―あるイタリア人生存者の考察 (朝日選書) 死と愛――実存分析入門 厚生省の誕生―医療はファシズムをいかに推進したか 健康帝国ナチス 現代思想2006年6月号 特集=アガンベン 剥き出しの生 出版社/メーカー: 青土社発売日: 2006/05メディア: ムック クリック: 7回この商品を含むブログ (16件) を見る知への意志 (性の歴史) 臨床医学の誕生 精神疾患とパーソナリティ (ちくま学芸文庫) 生命の認識 (叢書・ウニベルシタス) 正常と病理 (叢書・ウニベルシタス) 生命科学の歴史―イデオロギーと合理性 (叢書・ウニベルシタス) 結晶と煙のあいだ―生物体の組織化について (叢書・ウニベルシタス) 科学
先日の続きをおこないたいと思います。まずタイトルで書いたように、このエントリは「よく考えること」と「よく書くこと」に関して書かれています。というより、今からそのことに関して書いていくつもりでいます。 それではまず初めに昨日の続きからおこないましょう。昨日は、『本を読む本』を取上げ、「よく読むためには」としてエントリを書きました。どちらかと言うと、私の思索が足りず、引用ばかりが目立つエントリになってしまい残念に思いましたので、『本を読む本』で書かれていた、第三レベルの分析的読書と第四段階のシントピカルな読書を実際にやってみます。最初に注意しておくことが一点あります。これはあくまで、『本を読む本』をだしにして私の読書をしてみせるというだけの話です。 ではまず、最後から始めましょう。私の読書の悪い癖として、大して読むに値しない本は頭と尻尾だけ齧って味をみるという習慣があります。要は、題名、副題、
ustreamで話していたのですが、途中でフリーズしてしまったので、改めて文字にします。 まず以下の本について述べておきたいと思います。 本を読む本 (講談社学術文庫) 作者: J・モーティマー・アドラー,V・チャールズ・ドーレン,外山滋比古,槇未知子出版社/メーカー: 講談社発売日: 1997/10/09メディア: 文庫購入: 66人 クリック: 447回この商品を含むブログ (322件) を見るまずはこの本がどのようなものであるが著者自身が語るところを引用しましょう。 『本を読む本』は、読むに値する良書を、知的かつ積極的に読むための規則を述べたものであります。すべての本がこの本の奨めるような読み方に値するわけではありません。厳密に申せば、それは名著といわれる本にこそふさわしい読みかたであります。そのような名著は、一回だけでなく二回あるいはそれ以上の精読に値するものです。 そのような良書
それにしても冷え込んでしかたがないですね。 霜山徳爾氏が帰天されたそうです。突然だったのでびっくりした。後で図書館行って全集借りてこよう。 10月はロザリオの月。気が向いたらなんか書く。 だいぶ風が強くなってきた。 近況報告をしておいた方がよい気がするので手短に。20日からあったイエズス会の召命サマーキャンプに参加するために東京に出むいていました。この点について書くとしたらあとで書く。久しぶりにいろんな人の顔が見れてよかった。あと、あの“先輩”(うわさに聞く、碌なうわさではないんだろうけど)呼ばわりされる身になろうとは・・・。とりあえず無事に広島には戻っています。ただ帰りの夜行バスが遅れに遅れて、昨日は一日ぐったりしていた。 S神父に連絡して今回感じたこと等話して霊的指導と同伴お願いしたので今後のことは祈りながら相変わらずのマイペースでやっていこうと思う。 心配されているであろうとは思って
塾講師のバイトしてる友達とかから、教えていた子が大学受かったとか聞く機会が増えてくる時期だけど。なんとなく大学入学までに準備したらいいことあるよ的なことを書いてみる。わたしのところの愚弟も入試二ヶ月を前にしてようやく自分から塾に行って真面目に勉強するといい始めたようで・・・お母様も大喜びなんですが、空気を読まずかつ冷静に言ってしまうと、焼け石に水つうか、遅すぎ!まじ目も当てられない。 まぁ、そういう個人的なことは脇にどけといて。文系の大学生で一人暮らしする人向けに必要なことを書いてみる。 うーん、まず、一人暮らしする人はなるだけ早めに新居を探すこと、これ鉄則。学生寮やらがあるならそれでも良いと思う。その代わり門限とかうるさいとこはうるさいのでそれは考慮に入れておかないとダメ。でも生活習慣崩す恐れも少ないしそれはそれで良いかも。 日用品だけど、母親連れて行くこと、でも家庭では便利でも、一人暮
一面 三面 五面
表現にともなう恥ずかしさについて Ustream.tvというサービスを使って自分の声で表現をしたのだけども、独特の恥ずかしさと恐れをともなった。この恥ずかしさと、恐れの原因がなんであるかの考察と、そこで述べたあまりにまとまりのない思考について書き留めておく。 動物と人間の魂の違いについて デカルト『方法序説』の五部で扱われた問題について、あまりにまとまりがなく、非生産的なまさしく呟きをおこなったのだけどもそのことについて。 五部においてデカルトは、人間と動物を、ことばの使用によって区別が可能であると主張する。 『人間ならばどんなに愚かで頭がわるくても、狂人でさえもその例外でなく、いろいろなことばを集めて配列し、それでひと続きの話を組み立てて自分の考えを伝えることができるが、反対に、他の動物には、どんなに完全でどんなに生まれつき素質がよくても、同じことができるものではない。』 デカルトは、こ
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