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先日の矢野さんの論文に引き続いて、最近ESRIで公表されたDP(http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis210/e_dis204b.pdf)。金融政策の効果に関する実証分析の結果を調べていくと、近年のデータを追加したものでは、90年代後半以降は量の拡大という政策オプションが有効であるという結果が得られていることに気づくのですが、一方で日銀の鵜飼さんの量的緩和策のサーベイにあるとおり、量的緩和策の効果としては時間軸効果が最も効果としては顕著であったものの、その効果は大きくは無かったという話になっています。 この二つの結果から我が国で行われた量的緩和策をどう評価するかを考えると、量的緩和策の効果を高めるには、ア)量的緩和の規模をより拡大すれば良かった、イ)量的緩和策に踏み切るタイミングを早めれば良かった、という二つの解釈が成り立つと思います*1。
野口(編)「経済政策形成の研究」第八章に所収されている松尾匡教授の論文「「経済学的発想」と「反経済学的発想」の政策論−マルクス経済学から」は、「経済学的発想」と「反経済学的発想」の相違をマルクス経済学の立場から描いたものである。勿論マルクス経済学は、古典派経済学に対する反論として創造された学問であり、「経済学的発想」に立ったものである。自分自身はマルクス経済学をまともに学んだことも無く、その意味でかなり不安だが、松尾論文から印象的な部分三点をまとめつつ感想を書いてみることにしたい。 1.「経済学的発想」・「反経済学的発想」 松尾教授は、経済学の考え方を受け付ける人と受け付けない人には特徴的な思考方式が存在すると論じる。それが「経済学的発想」と「反経済学的発想」であり、以下のとおりである。経済学的発想からみていくと、自律運動命題は有名な「見えざる手」の発想が代表的だろう。もしくは「合成の誤謬
当ブログは多くの方にご覧頂くことを念頭に置いておらず、実証分析に耐えるような代物ではない生煮えの意見を載せていることが多いです。 寧ろ自分が今後分析しようとする際の仮説としてどんなものがありえるかといった観点でメモ書きしているに過ぎません。研究やレポートということであれば、(重々ご存知のところかと思いますが)このような場末ブログの記事ではなく、素晴らしい書物や論文があまた存在しますので、そちらを読むのが王道ですし、遥かに有意義です。そして、私自身単なる一経済学徒です。 誤解をされる方は余り居ないと思いますが、何卒ご寛容の程、お願い申し上げます。リンク等々はご自由に。 様々な本が積読状態となっている訳ですが、あまりそれには構わず買える時に購入しようということで、新たに購入した書籍のご紹介。 まず一冊目の伊藤先生の本ですが、こちらは現代の金融危機を考えるために、金融危機を横断的に捉える視点と歴
一昨日紹介した野口(編)「経済政策形成の研究」所収の第六章「平成デフレをめぐる政策論議 インサイダーの視点から」と題した論文は、イェール大学教授で経済企画庁経済研究所顧問、経済社会総合研究所所長を歴任された浜田教授による「政策現場のインサイダー」としてみた平成デフレの政策論議を纏めたものである*1。 本論文において重要な点は、なぜ経済に様々な害悪をもたらすデフレに対して有効な経済政策がなされないのか?という点だろう。以下、浜田論文で記載されている「デフレの害悪」の内容を確認しつつ、浜田論文の感想を「経済政策形成の研究」に所収されている第八章の論文「「経済学的発想」と「反経済学的発想」の政策論」(by松尾匡教授)での論点も交えつつ書いてみることにしたい。 1.デフレはなぜ問題なのか デフレ問題に関する著者の意見は経済諮問会議における著者の報告に端的に要約されている。デフレ*2 *3の弊害およ
巡回先のブログで日銀レビューとして潜在成長率の話題が掲載されていたのだが、その中でDSGEモデルを用いた潜在成長率の推計の話題が出ていた(一上、代田、関根、笛木、福永「潜在成長率の各種推計法と留意点」、日銀レビュー2009-J-13)。 ここではDSGEモデルを用いた潜在成長率の推計が紹介されている。尚、日銀レビューでは潜在成長率をトレンド等で外生的に与えるのではなく、潜在成長率自体を推計したものは「日本経済に関するDSGEモデルを用いた研究例は無い」と書いてあるのだが、実は日銀レビューが纏められる半年前の段階で既にある。それがご存知、矢野さんによるDSGEモデルを用いた日本経済の分析。 Koiti Yano(2009),”Dynamic Stochastic General Models Under a Liquidity Trap and Self-organizing State S
歴史科学協議会編集の『歴史評論』3月号の特集は、「1929年世界恐慌と日本社会」と題されている。井上財政の失敗と高橋財政の成功については、これを「歴史の教訓」として肯定的に捉える論調と、恐慌から戦争に至る過渡期として捉える論調の二つがあり得るだろう。前者はエコノミストが好んで用いる論調であり、後者は日本経済史のテキストで語られる論調である。 勿論二つの論調の相違と断絶をどう捉えるかという論点はあるが、この特集では、世界恐慌前後期における経済政策やこれに対する日本社会の反応を多面的に解釈することで、複雑な社会背景を浮かび上がらせようということを意図している。本特集では6編の論文が収録されているが、以下では、その中で中村宗悦氏の論文を感想を交えながら簡単に取り上げてみたい。ご興味のある方は(門外漢の誤解等も十分あり得ると思うので)是非取り寄せてお読み頂ければ幸いである。 中村論文では、東京朝日
恐らくこれから年末にかけての話題といえば、世界的な景気後退がどの段階で収束し、我が国も含む世界経済がどのような形で回復に転じていくのかということだろう。 確かに23日のFOMCの声明によれば、米国経済は深刻な落ち込みを経て回復しているという認識が示されている。ただし、この「回復」はかなりの限定付きであることに注意すべき、というのが順当な見方だろう。市場もインフレ期待が安定的であるという声明の趣旨を受けて、今後も低金利が持続するとの見方が有力であり、事実株価も上がり、国債金利も低下している。以上の市場の動きは好ましい傾向だ。 では、かなりの限定付での「回復」というのはどのような意味合いなのだろうか。個人的には、現状は良好なセクターと深刻なセクターの二つが同居しているのが米国の経済状況なのではないかと考える。 つまり、良好なセクターとは金融市場である。金融市場は信用緩和政策によりFRBがバラン
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