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ノーベル賞
fullkichi1964.hatenadiary.org
題名の通り、大阪臨海スポーツセンターでの佐山聡(スーパータイガー)と前田日明のセメントマッチから30周年。これを機会に、佐山と前田の交流&抗争史そしてその終結に至るまでに何があったかをまとめてみようというのが今回のテーマ。何と全42ツイートでございます(苦笑)。 例によって以下駄文ツイート長々転載。皆さまご笑覧あれ。 >本日、大阪臨海スポーツセンターでの佐山聡(スーパータイガー)と前田日明のセメントマッチ(急所蹴りによる佐山の反則勝ち)から30周年。これを機会に、佐山と前田の交流&抗争史そしてその終結に至るまでをまとめてみようというのが今回の試みであります、お立会い(笑)。まあ佐山と前田の(続) >一時期の仲の悪さは語られること多いところですが、そもそもの佐山&前田の縁の深さ−−ほとんど業に近い(笑)−−についてはあまり語られないところではないでしょうか。まずそもそもが(1)前田のプロレス
本日、山本小鉄さん5周忌につき、当ブログ緊急再開(まあ休止していたわけでもないのですが・苦笑)。 例によって、以下駄文ツイート転載。 >本日、山本小鉄さん5周忌。「あっ、ちょっと待ってください!」の著書を持つ名解説者として知られた小鉄さんですが、プロレスラーとしてはこれまた故人となった星野勘太郎さんと組んでのヤマハ・ブラザーズで活躍し、そしてもう一つ、新日本プロレスきっての名レフリーとしても知られていたのは(続) >言うまでもないところ。特にレフリーとしての小鉄さんはスペシャル感がありましたね。ミスター高橋さんや故・柴田勝久さんとはまた一味違う(スミマセンw)重厚感があった。場外カウントを数えるときにマイク使って「イレブン!…トゥエルブ!!…」と数えるときの重々しさと言ったらね…(続) >「この試合は小鉄さんが裁くんだ」と知っただけでも、そのカードに特別感が加わる趣があり。その山本小鉄さん
なかなかに刺激的な題名だが、事実だからしょうがないのであります(苦笑)。 以下、ツイッターに書いたものをそのまま転載。 >我ながらなかなかに刺激的なことを書く。「アントニオ猪木は木村政彦の孫弟子である」…いや別にふざけてるわけでも比喩的な意味合いでもなく単純な事実だから仕方ない(苦笑)。力道山&木村対シャープ兄弟から60周年を機に名著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読み直していたら >興味深い個所が。木村の敗北直後を描いた同書566ページ「ドアの外にいた木村門下の大坪清隆は日刊スポーツの記者に泣きながら(略)」…はて「大坪清隆」?どこかで聞いたことが、と資料を漁ってみましたらありました。辰巳出版のGスピリッツムック本「アントニオ猪木」で櫻井康雄氏が >猪木の若手時代を語っている部分。「アマレスのテクニックは吉原(功)が教えて、関節技は大坪(清隆)が教えてましたよ」。…木村政彦の
小橋引退まで後1週間を記念して、かつて某電子書籍に載せた小橋関連原稿を掲載する。 少し古くなってるかもだが、小橋の全盛時をしのぶには十分な内容であることを自負する。 ではでは。 絶対王者の哀しみ〜PRIDE全盛時に抗した小橋建太を讃える 今は観客動員において新日本・全日本の後塵を拝しているノアではあるが、2000年代前半において、PRIDEがわが世の春を謳歌した格闘技全盛時代に対抗しえた唯一の団体であった時代が確かに存在した。 そのノア全盛期の立役者であったのが他ならぬ小橋建太である。病魔からの復帰→欠場を繰り返し、現在は1年以上欠場してかつての面影を見るすべもなくなってしまった小橋ではあるが、そのGHC王者時代の戦績を見ると、やはり慄然たるものがある。馬鹿みたいな表現になるが、「とにかく凄い」。そういうしかないのだ。 スコアだけ見ても思わず絶句させられるものがある。 03年3月1日 日本
昨日、かねてから気になっていた「イブニング」で連載されている修斗マンガ「オールラウンダー廻」をチェック。 作者名を見てビックリ。 遠藤浩輝じゃないか。 遠藤浩輝といえば、「アフタヌーン」で「EDEN」という大長編SFマンガを10年(!)に渡って連載した、地味ーな実力派マンガ家なのだ。 まるで竹内出のようである。ちょっと違うか(笑)。 一方では「きっとかわいい女の子だから」という題名の短編集で繊細にして残酷な作品を多数披露した通好みの作家でもある。 まさにポストエヴァンゲリオンの一角を担う存在(「げんしけん」の木尾士目、「なるたる」の鬼頭莫宏等と並べて論じられたこともある)。 そんな彼が何で修斗マンガ・・・。 その疑問は下のインタビューを見て氷解した。 いやマニアだわこれは(苦笑)。 http://blog.livedoor.jp/shooto_column/archives/cat_317
昨日につづき猪木引退記念日特集(でもないか・笑)。 猪木がよく引用するかの有名な詩「道」。 「道」 この道を行けば どうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ これを猪木はよく一休禅師の作として紹介していますが、ちょっと考えればおかしいってことは分かりますね。「一休は室町時代の人なのに、なんで文語文じゃないんだ!!」って話で(苦笑)。そこで調べてみると、これは浄土真宗大谷派の住職であり大谷大学の助教授でもあった清沢哲夫氏の詩の改作なのですよ。 http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000028008 http://plaza.rakuten.co.jp/dch30/diary/200612020000/ http://ja.wi
逝去から3日経った今でも気持ちの整理がつかずにいる。 その昔、75年の猪木対ロビンソンの立会人として初めて「カール・ゴッチ」という名を認識して以来30年以上ゴッチ関連の記事を読みあさってきた一フアンとして、書き留めておかねばならない二つのことを記しておく。 (1)昭和40年代前半(1960年代後半)すでにゴッチ人気は凄まじいものがあったということ。 よく「猪木がゴッチを神格化しなければゴッチはただの隠遁者として世を終わっただろう」というような意見が見られるが、これは必ずしも正しくない。 昭和40年代前半の月刊ゴングのバックナンバーあたりを見れば分かるが、新日本プロレス旗揚げ以前にして既にカール・ゴッチは日本のフアンに熱狂的に支持されていたのである。 昭和43年インターナショナル王者として不動の地位を確立していた馬場に、ゴング編集部(竹内宏介氏?)がいくつかの提言をしており、その中で「基礎体
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