サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
h2.hatenablog.com
★見えない「阪神大震災」の姿 都現美の「MOTコレクション特別企画 クロニクル1995−」、通称「95年展」に関して思ったことを少し。まず震災がらみの作品の少なさに、かなりの衝撃を受けた。わずかな例外として芦田昌憲さんというアマチュア写真家の方の震災の写真、これは企画者の薮前知子さん(@ton0415)によると「写真美術館の95年の公募展に出されたものをお借りした」らしいのだけど、それと島袋道浩さんの《人間性回復のチャンス》という作品(これは非常に強烈な作品で、当時関西ではかなり物議を醸した)が展示されてはいたものの、とにかく数が少ないのに驚かされた。 実は95年の神戸の震災に関しては、写真家の宮本隆司さんと建築家の宮本佳明さんが共同で、ズバリ震災をテーマにした作品でベネチアビエンナーレ建築展に出品してて、この展示は金獅子賞を獲っている。また、震災から10年後のことになるが、写真家の米田知
雨宮処凛 @karin_amamiya · 4月27日 今年の「自由と生存のメーデー」、熱くなりそう! 「反貧困」ではなく「反富裕」! 作家の雨宮処凛さんが、ツイッター上で「反富裕」をテーマに掲げておられるのをお見かけしました。それにふと触発されて、私のいる美術の世界で「反富裕」がスローガンになり得るか、ということを考えてみました。というのも原則的には美術って、富裕層の方々がいらっしゃらないと成り立たないジャンルなんですね。なぜなら美術作品っていうのは、文学みたいに紙と鉛筆があればどうにかなる、という性質のものではない。どうしたって制作の段階で既におカネがかかるものなんです。 しかも美術って文学やなんかと違って現物主義ですから、どんな素晴らしい名画であっても、複製品では意味がないんですね。文学作品だったら印刷物だけを所有してればいいわけですが、美術は一点ものが尊ばれる世界なので、どうしても
昨日は京都国立近代美術館に、クリス・デルコンさんのトークを聞きに行きました。デルコンさんはロンドンにある美術館、テートモダンの館長さん。テートモダンは使われなくなった発電所の廃墟を再利用した国立美術館で、年間530万人を動員するモンスター級の美術館です。ちなみに東京ドームは満杯でも4万5千人、年間試合数が67試合。仮に全試合満席になったとしても300万人で、テートモダンの動員はそれをも凌ぐ。一体なぜこんなに人気があるのでしょう。 面白いことにテートモダンで観客にアンケートを取ると「エステティック(感覚的、審美的)な刺激を求めて来た」という人は意外なくらい少ないそうです。それより「ソーシャルな刺激や出会いが欲しくて来た」という人が半数近くにのぼる。美術というと一人で見るものという印象がありますが、それとはずいぶん違っています。というのもテートモダンではカフェやレストランで観客たちが勝手に作品
《Venus dormida.》Giorgione、1508_10 《Venus di urbino》Tizian、1538 《Venus mit Spiegel》Diego Velaquez、1644-1648 《la Maja desnuda》Goya、1800ごろ 《The Birth of Venus》Alexandre Cabanel、1863 《Olympia》Manet、1863 《大ガラス》デュシャン、1915-23 http://www.art-it.asia/p/hmoca/DcgJzK8b9IrlVhTYBOkA/1 《肖像(双子)》森村、1988-90 おまけ。荻野目洋子さん、おそらく1980年代のグラビア。
知人の若い作家がネットで論争してるのをちらっと見かけて、最初は華麗にスルーしようと思ったのだが、めざとく見つけられて「お前はどうなんだ」と詰問されてしまった。論争のタネは「作品制作において模倣と独創とどちらが大事か」という話であって、なんとも壮大な問いである。私の答えは「まあ、どっちでもいい」という、なんとも締まらないモノだ。実際、私は以前に「西洋美術の歴史は壮大な二次創作の連鎖である」と書いたことがある。詳細を書くのは面倒なので、下記リンクを見て欲しい。ほぼ画像のみ、一目瞭然で言いたいことはわかるはずだ。 ヴィーナス http://d.hatena.ne.jp/higuchi1967/20130121/1358747160 この連鎖を見ていると、亡くなった十八代目中村勘三郎さんの「型があるから『型破り』、型がないのは『カタナシ』だ」という言葉を思い出す。伝統をまったく踏まえない表現という
全然話題になっていない展覧会ですが(なんと記者発表に出たのは私一人)、兵庫県立の奥田善巳展、これは60〜70年代の現代美術に関心のある方は見といた方が良い展示なんじゃないかと思います。というのも奥田さんは、あの読売アンデパンダン展に出品していた人で、のちには伝説的な関西の美術作家集団「グループ〈位〉」のメンバーに。さらにのちにはこれも伝説的な展覧会「トリックス&ビジョン」(もの派の出発点になったことで名高い展覧会)に出品した人なんです。 《日曜日のないカレンダー1》(1963)。この当時としてはちょっと大人しい表現かもしれませんが、よく考えるとかなりトリッキーな考え方が仕込まれてる作品です。支持体の上に印刷物を貼り、さらにその上からちぎった紙を貼ったというもの。技法としてはパピエコレなんかと一緒ですが、覆い隠してしまうという否定性が組み込まれている。引き算の表現ですよね。のちの「もの派」の
「報道に載せにくい言葉がある・・・では、これならいかが?」 あなたの肖像—工藤哲巳 回顧展公式ブログ http://www.tetsumi-kudo-ex.com/blog/blog018/ 国立国際美術館では現在「あなたの肖像—工藤哲巳 回顧展」というのを開催中なのですが、同展の作品タイトルなどに頻出する「インポ」って単語がどうもまずいらしく、なかなか公報面で苦戦しているらしいんですね。工藤さんは50-60年代に「反芸術」というムーブメントを巻き起こしてパリに赴き、一大スキャンダルを巻き起こして注目を浴びた美術作家で、近年ではアメリカでも注目が高まっている作家。その功績は世界が認めたものなんです(後日加筆:こういうレトリックの陳腐さは重々承知の上、まあいちおう書いときます)。 とはいえ、やっぱり「インポ」の連発には、大メディアなんかは二の足を踏むんでしょうね。しかも同展は一部で「ちんぽ祭
「中日新聞「あいちトリエンナーレ2013」記者座談会に対する芸術監督五十嵐太郎氏の連投」 http://togetter.com/li/583137 「中日新聞「あいちトリエンナーレ2013」記者座談会」、その酷評ぶりには本当に戸惑います。今年の「あいち」は私がこれまで見た日本国内開催の国際展の中では、正直申し上げてベストでした。ご覧になった方はご承知と思いますが、同展は原発と震災を真正面からテーマに据えた、非常にメッセージ性の強いものでした。これだけ社会的なテーマに対して、真っ向から大規模に真摯に問うた展覧会を、私は寡聞にして知りません。周囲の評価も非常に高かったのですが、どうしてこんな座談会になってしまったのか、正直理解に苦しみます。 座談会の記事はそれぞれの記者が矛盾することを言いたい放題放言していて、トリエンナーレに何を求めているのかよくわかりません。が、気になるのは「祝祭性に欠け
日展書道「篆刻」、入選を事前配分 有力会派で独占 2013年10月30日05時41分、朝日新聞デジタル 【沢伸也、田内康介】日本美術界で権威のある日展の「書」で、有力会派に入選数を事前に割り振る不正が行われたことが朝日新聞の調べで分かった。毎年1万人以上が応募する国内最大の公募美術展への信頼が揺らぐのは必至だ。(略) 日展の不正が話題になっていますが、実を言うとあの種の話は、美術の周辺にいる人なら誰でも知っている話です。あの手の話は何十年も前から公然の秘密で、日展に限らずどこの公募団体も似たような状態にあります。今回表沙汰になったのは書の分野ですが、他の分野でも似たようなものです。とはいえ、こうしたことは狭いアートクラスタの中での「常識」に過ぎないとも思うので、いちおう下記に大まかな解説をしておきます。 =================================== 日展をはじめと
昨日のあいちトリエンナーレの話、ちょっと続き。あのなかで宮本佳明の手になる、福一原発に神社の屋根を被せた作品《福島第一原発神社》が展示されていたけど、見ようによっては悪ふざけというか悪趣味な揶揄に見えてしまいそうなので、少し説明をくわえておきたい。あれには実はちょっと深い背景がある。 宮本は神戸近郊の宝塚市というところに住んでいて、阪神大震災のときに被災を経験している。宝塚市は阪急今津線〜宝塚線の沿線なのだけれど、実はこの沿線には、実に数多くの寺社仏閣が、ほぼ駅ごとに並んでいる。廣田神社、門戸厄神、清荒神、売布神社、中山寺。というより、これらの寺社仏閣を結んだのが今津線〜宝塚線といってもいいのだけれど、宮本はこの沿線に暮らすうち、こうした寺社仏閣が、実は活断層の上に並んでいることに気がついたのだ。まるで大昔に地震の起こった場所を封じるように。 彼は同様の例を古墳でも見つけている。古市(ふる
飴屋さんの公演見てきた。どう受け止めていいのか、まだよくわからない。でもすごく衝撃的で、密度の濃い体験だった。客席では多くの人が泣いていた。一人でも多くの人が、あの公演を何らかの形で記録することを望む。一人ではとうてい受け止めきれない。飴屋さん、コロスケさん、くるみちゃん、お疲れさまでした、ありがとうございました。本当にそのくらいしかいま言えない。胸がいっぱいで。 TACT/FEST 2013 国内招聘プログラム 飴屋法水『教室』 出演:くるみ、コロスケ、飴屋法水 脚本・演出 :飴屋法水 音響助手:C 8/7(水)〜8/11(日)、LOXODONTA BLACK 翌朝、ツイッターで朝から「飴屋」を検索して、実に多くの人が今回の「教室」という公演に関して、失語状態に陥っているのを改めて知った。そりゃそうだと思う。ナマの親子三人と、飴屋さんの実のお父さんの骨の実物を見せられたのだから。本当に言
児童ポルノ禁止法改定の真の目的は何か? 単純所持禁止、マンガ・アニメ「調査研究」への懸念(ITmedia ニュース) - Y!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130527-00000092-zdn_n-sci … 「2009年の法務委員会では「篠山紀信さんにもネガごと捨ててもらう」との議員による発言があった」 児童ポルノ禁止法が成立しそうだ、といえば、ふつうの人は「それは良かった、そんなけしからんものは取り締まった方が良い」と思うだろう。けれどもこの法律が通ると、篠山紀信さんが撮った宮沢りえさんのヌード写真集『サンタフェ』も、誰もが一部残らず破棄しなくてはならなくなる。おそらくは日本人の誰もが愛したあの素晴らしい写真集を持っているだけで有罪になってしまうからだ。実際2009年の法務委員会では「篠山紀信さんにもネガごと捨ててもらう」との議員に
今日ちょっと用事があって、京都の石峰寺というお寺に行ってきました。ここには江戸時代の画家、伊藤若冲が彫らせた五百羅漢の石仏があって、その写真を撮りたいなと思ったのです。ところが残念なことに、五百羅漢の撮影は禁止となっていました。つい数年前までは大丈夫だったのですが、残念無念。でも仏様を久しぶりに拝めましたし、若冲さんのお墓にもお参りできたし、周りの山門などは写真に収められたので、大変良い気持ちで参拝を終えました。 (山門などの撮影はできます。京都市内が一望できてとても美しい眺めです) 帰りがけにお寺の方が少し話をしてくださったのですが、なんでも近年、写真を撮る方のマナーがあまりにも悪くなり、一律で撮影禁止にせざるをえなくなったのだそうです。そのマナーの悪さというのが凄まじくて、竹で囲ってある中に踏み行ったり、仏様に水を浴びせたり、周りに蝋燭を立てたりするのだそうです。周囲は竹林ですから落ち
ええと。昨日オリンピックの裏であっさり参院を通過したACTAって条約、相当にヤバくないですか。今頃気がついた。これ、美術分野で言えばアプロプリエイションの作家とか相当にマズいと思う。オタク文脈なら二次創作やってる人とか。これは事実上の検閲ですよ。ACTAというのは著作権を少しでも侵害しているサイトはすべて閉鎖し、管理人を逮捕できるという条約。しかも著作権者が訴える必要がない「非親告罪」なので、当局側の恣意的運用が懸念される。国内法でなく条約なので、一度発効してしまうと取り消しは相当難しい。 ACTAがこのまま発効すると、下手をすれば拾った画像をブログに貼ったくらいのことで刑務所行き、なんて事態が頻発しかねない。で、誰でも彼でもというわけでなく、局側にとって面倒な人間を狙ってくるだろうことは容易に想像がつく。これは本当にマズいと思う。戦前の検閲だって該当部分の削除で済む場合もあったというのに
先日ご恵贈いただいた、飯田一史さんの新刊『ベストセラー・ライトノベルのしくみ キャラクター小説の競争戦略』、ひとまず読了。読み終えるのに難儀したのは、ひとえに私の無知のためで、頻出する経営学の用語がよくわからなかったから。でもとにかく滅法面白い本であることは間違いない。わからない部分の経営学用語は飛ばしてしまってもちゃんと読めるし引き込まれる。見えてくるのはライトノベルにおける勝ち組作品の秘めた創作骨法だ。 「ベストセラー・ライトノベルのしくみ キャラクター小説の競争戦略」 飯田一史 (著) http://www.amazon.co.jp/dp/4791766490 分析を通じて炙り出された戦略の幾つかは、意外にも古くからある(そして現在では廃れてしまった)スタンダードなものだったりする。たとえば「刺さる」という要素。これは平たく言えば胸に残る要素ということなのだけれど、いくら軽妙なラブコ
おしらせです。5月に神戸で開催される展覧会「言葉のアール・ブリュット 友原康博展」でのトークイベントを行います。 「言葉のサラダ」とも言われる特異な言語感覚で、鋭く社会に突き刺さるメッセージを放ってきた統合失調症の詩人、友原康博。まさに「言葉のアール・ブリュット」とも言うべきその詩は、具体美術協会の嶋本昭三氏や浮田要三氏、『珍日本紀行』で知られる写真家の都築響一氏といったアーティストを魅了してきました。本展はその特異な言語世界を、貴重な生原稿で展示するものです。 友原が集中的に詩を書き綴ってきたのはなんと中学生の頃ですが、1995年に刊行された詩集『いざつむえ 友原康博詩集』は現在では入手困難となっており、古書がプレミア付きで取引されるほど。会期中にはその魅力を考えるトークショーも行います。 トークショーは2部制となっており、1部のゲストは友原さんの「第一発見者」である、美術作家の嶋本昭三
@MiyauchiTaisuke 朝日新聞の昨日の夕刊。池澤夏樹、“革命の物語が消えた先で、なお人間は物語を得ようとする。しかし、文学では現実に回帰してしまうので、むしろゲームの世界での冒険へ向かう”。「で、自分はどうするのか? おいてまだ『革命の物語』に執着して空回りを続けるのか? 文学は荒野だ」。 上記ツイートに見事に要約された池澤夏樹さんの記事をさっき読んだのだけれど、今日びの文学はゲームみたいなもんだと断じるような調子に、私は微妙な違和感を感じた。ゲーム的な物語であるということと、現実から遊離した物語であるということは、ちょっと違うような気がするのだ。たとえば、こないだテレビでアニメの「未来少年コナン」を見る機会があったのだけれど、いま見るとモロに日本のエネルギー政策への批判が込められた物語になっている。しかもメッセージとしてはそうした骨太なものを秘めているのに、物語の枠組みとして
橋下新市長:近代美術館計画を白紙に「しょぼいのいらん」 http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111218k0000e040145000c.html?utm_source=echofon 「用地購入時の国との契約では、今年度末までに美術館が完成しない場合は最大約16億円、美術館以外に転用したら最大約48億円の違約金が発生する」 橋下ってやることなすこと、そろばん勘定に合ってないんだよな。いっけん合理的に見えて、その実は結局損することばっかりやっている。この美術館の場合、そのまま建てるのが一番経済合理性に叶っているのに、そんなことは一切気にしない。何がしたいのだろう。たとえばコンサートホールと美術館を一体にすると彼はいうけど、両方が稼働する時間は全然違うことを考慮に入れているのだろうか。コンサートホールを併設したって客が来る時間は夜が中心で、その時刻に
大阪市の近代美術館をやめるという話が持ち上がってるけど、面白いね。大阪市在住の美術作家はどうするのかな。もうさ、いっそのこと大阪府や市の美術行事からは一切手を引くってのはどうだい。作家も学芸員もギャラリストも評論家も一斉スト。例の市長が助成金出さないといってる、文楽関係者やオーケストラもストをしたら良い。大体さ、文楽なんて落語を除けば、大阪が持ってる唯一の古典的文化資産だろ。歌舞伎は東京に行っちゃったし。どうすんの? 文楽もみすみす東京に渡すか? 文化に税金は入れない、つまりは公のものとして認めないって言ってる首長の治める街なんだから、文化的な仕事に携わってると思う人は、いったん全員大阪から出て、文化を一日根絶やしにするくらいのことをした方が良いだろうね。大阪で文化に関わる人たちは一斉休業。物書き、編集者、出版社。電博以下の広告関係者すべて、カメラマン、デザイナー、コピーライター。ファッシ
海外勢が日本の育て上げてきたゴシックロリータの美学を収奪してないか、いっぽう日本ではゴシックロリータを着る人たちが低年齢化してないか、と昨日書いた。もちろんオリジナリティーに富んだ服づくりをしてる人も日本にはいる。たとえばメタモルフォーゼ(metamorphose temps de fille)だ。ここの服は一目見れば、伝統的な服への理解が深くて的確だとすぐにわかる。ただ、その上で当時なら絶対にあり得ないヒネリをいくつも加えてある。異なる時代のモチーフの組み合わせ、当時ならありえない生地の使用、旬なモチーフ、たとえば今年ならマリンの導入などだ。 たとえばセーラー服のイメージを取り入れながら作った服。もともとセーラー服は水兵の服、つまり男が着るもので、これが女子学童の制服になったのは大正時代の日本でのことで、そこには関東大震災が深く関わっている。極東の近代的な制度である「学校」という場所に生
京都造形芸術大で千野帽子先生がやっておいでの「百読」に影響されて、ちょっと自分もセレクトしてみました。OCAの小説専攻のみなさんは、とりあえずヒントにしてみてください。いちおう大体古い順に並んでいます。小説だけでなく、戯曲、ノンフィクション、評論も所々交えてあるのがミソなんですが、どれがどのジャンルかは明かしません。自分で読んでみてください。 古典的名作が6割、あとの4割くらいを自分の趣味で選んでみました。SFとホラーが多めになってて、ちょっとクセのあるセレクトですが、ラノベを書くには結構良いんじゃないかな。ただし純文志向の子にも対応してはいるつもりですし、いまの純文学はかつてのSFにどんどん近づいているので、そういう意味でも参考になるかも(アマゾンリンクは未完成、今後ぽちぽちつけます)。では、幸福な読書体験を! 『オイディプス王』ソポクレス http://www.amazon.co.jp
本日は神戸学院大での授業でしたが、何でこんなに喜ぶのかと、こっちが面食らうくらい反応が良いんですよね、これが。授業の終わりに初音ミクの裏表ラバーズをかけたら、まあ喜ぶこと喜ぶこと。授業の感想の半分くらいが「ボカロ大好き!」だった。ニッポンは大丈夫なのか(笑)。コーネリアス知ってる人はほぼゼロ、レディーガガですら数%。対して裏表ラバーズは最初の一コマ見せただけで「知ってる」と答えた人が半分近くですからね。ほんといまの子はネットの中だけで生きてますよ。コワい。 裏表ラバーズ http://www.youtube.com/watch?v=loSbbj9s4Ug コーネリアス http://www.youtube.com/watch?v=8EwtyIlSmN0 レディーガガ http://www.youtube.com/watch?v=qrO4YZeyl0I でもねー、フツーの会社でお昼休みに課長
上田安子服飾専門学校での「ゴシック&ロリータ論」の授業のために、ロココ時代の文化についてまとめている。ロココはロリータ文化の大きなイメージ源になっている時代だが、いま改めて思うのは、この時代の文化と政治の密接な関係だ。絶対王政下のフランスでポンパドゥール夫人がロココの花を咲かせているとき、実はイギリスではゴシックリバイバルが不吉な呻きを上げていた。ロココ文化と宮廷の結びつきは言わずもがなだが、実はゴシックと議会制民主主義の間には、奇妙な縁があちこちにあるのだ。 たとえばゴシック小説の粗であるホレス・ウォルポールは、イギリスの初代首相であるロバート・ウォルポールの息子であり、自身も国会議員だった。ホレス・ウォルポールはまたゴシック建築の中興の祖でもあったけど、英国議会の議事堂は19世紀の前半に焼けて、ゴシック様式で立て直されるに至る。やや遅れて初期ゴシック小説の傑作『ヴァテック』を書いたウイ
明和電機というアートユニットがいる。家電製品のような面白い作品を作っている人で、展覧会で実見したことはないが、テレビや雑誌などで何度も作品を見かけていて、私はわりと好きな作家である。けれども、この発言はいただけない。 @MaywaDenki よかったあ〜、明和電機ボイス計画宣言展、中止にならなくて。RT @edtion1: “サブカル”展 苦情で中止に NHKニュース http://bit.ly/gglDAD @MaywaDenki 西武画廊問題。これは表現の自由うんぬんの問題ではなく、西武という高級デパートが、「品」を基準にサブカル(この言葉も微妙)的アートを受け入れなかったという、ある意味痛快なお話。 @MaywaDenki サブカルを叩いた渋谷西武はえらい!そして叩かれたサブカルもえらい!それでこそサブカル。 @MaywaDenki サブカル=アートという、短絡的考えが、通用しない世
中止の第一報から一日経って、予想外にさまざまな場所で報道されるに至った西武渋谷店「SHIBU CULTURE」の中止。相変わらずはっきりした事情がわからない。どうして報道される内容と、出品者の説明とが食い違うのか。 “サブカル”展 苦情で中止に 2月2日 19時30分 NHKニュース 東京・渋谷区の大手百貨店で先月から開かれていた「サブカルチャー」と呼ばれる斬新なアートを紹介する作品展を巡って、「内容が百貨店にそぐわない」といった苦情が複数の客から寄せられたことを理由に、会期途中の1日で中止になっていたことが分かりました。 中止になったのは、東京・渋谷区の西武渋谷店にある美術画廊で先月25日から開かれていた「SHIBU Culture〜デパート de サブカル〜」と題した作品展です。この作品展は、既存の枠組みに収まらない「サブカルチャー」と呼ばれる分野の芸術作品を広く紹介しようと、国内の2
いや、いいんじゃないですか、青少年育成条例改正案。これはいいわ。 「漫画、アニメーションその他の画像(実写を除く)で、刑罰法規に触れる性交もしくは性交類似行為または婚姻を禁止されている近親者間における性交もしくは性交類似行為を、不当に賛美しまたは誇張するように、描写しまたは表現することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を妨げ、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」 ……はダメなんですと。ということは、まずは近親婚や近親相姦はダメということですね。法律で禁止されてますものね。ということは『火の鳥』も『みゆき』も『日出処の天子』もダメになりますね。なかでも山岸凉子さんのマンガなんかは、相当の部分がダメになるんじゃないですか? 近親相姦に不倫にレイプ、幼児虐待にロリコンですから。手塚治虫だと『奇子』もダメになりますよね。『エヴァ』も母体を連想させるロボットに、ペニスを連想させ
中国文学者の福嶋亮大さんが、近年流行する「クールジャパン」的な美学、そしてその源流にある若冲ら「奇想の系譜」の画家たちについて、非常に面白いことを書いていらっしゃいます。もとはツイッター連投ですが、例によって一続きのテクストにします。 @liang_da 何でもいいですが、たとえば16世紀の狩野永徳(まぁ彼は桃山時代だけど)について、17世紀の『本朝画史』で「怪怪奇奇」と評される。これは辻惟雄言うところの又兵衛や若冲の「奇想の系譜」とも絡むわけだけど、しかし「怪怪奇奇」って別に日本特有の美学じゃないんですね。 実際、16〜17世紀の中国もいってみれば「奇想」の時代であって、董其昌(樋口注:とう・きしょう、明代末の文人画家)や傅山(樋口注:ふざん、明末清初の文人)あたりの書画家は「奇」の作家であり、また演劇や文学についての評論でも文字通り「怪怪奇奇」って言葉が使われたりもする。「怪」をプラス
2月25日〜3月8日 2階 はやしだちか「BEYOND THE DARK」 HAYASHIDA Chika BEYOND THE DARK 大西若人「街×博物館 記憶つなぐ 鳥取県立博物館が現代アート展」 『朝日新聞』2017年3月10日夕刊 「誰が記憶を所有するのか」(鳥取県立博物館、鳥取県各所、2017年2月25日〜3月20日)のようすを紹介したもの。 山下昇平個展「掌中世界 大阪てのひら怪談 弐」 2017年2月4日〜15日 [プロデュース]=田辺青蛙 [ゲスト出品]=酉島伝法 東學、新竹季次、新田美佳 三人展「墨三姿」 2017年1月7日(土)〜18日(水) このたびSUNABAギャラリーでは、当ギャラリーによる企画展として、東學、新竹季次、新田美佳の三人展「墨三姿」を開催いたします。三人の画家が挑むのは、日本古来の画材である「墨」。同じ墨という画材を使って、三人の画家が三人三様の
先だって福住廉さんの「今日の限界芸術」を、元美術手帖編集の阿部謙一さんから頂いて読了しました。福住さんは私とほぼ同時期に美術手帖に書き始めた美術評論家で、先方は将来を嘱望された期待の新人で東京芸大所属、こちらはアングラな得体の知れない色物評論家として在野で頑張ってるわけですが、当時の担当は同じ隈千夏さん。榎忠、chim↑pom、三瀬さんなど、共通して興味を持っている作家も多く、非常に興味深く拝読いたしました。というか、チョー面白かった! http://bankart1929.seesaa.net/article/110386956.html 議論の中心は有名な鶴見俊輔さんの唱えた「限界芸術論」を、現代に復活させてアートシーンを読む、というもの。鶴見さんはマンガ評論の草分けとしても知られていますし、べ平連での活動でも有名で、私のようなサブカル畑出身、週刊金曜日執筆者の人間にとっては神様のよう
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『japanese artist file』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く