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衆院選
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約10年前、JR東日本が告知ポスター掲載を拒否したことで話題になった「蘇民祭」。 記憶にある方もいるだろう。 岩手県欧州水沢区にある妙見山黒石寺にて行われる「蘇民祭」は、岩手県内にある胡四王神社・興田神社・伊手熊野神社・金ケ崎町・石鳥谷町五大堂・ 貴峯山光勝寺・黒石寺・早池峰神社で、毎年毎年1月から3月にかけて行われている。 平安時代中期から始まり1,200年以上の歴史があるとされる「蘇民祭」。 国の「選択無形文化財」だ。 そんな特別な祭が無性に体験したくなり、今回、「黒石寺蘇民祭」に足をむけてみた。 新幹線で仙台をすぎ数駅で東北新幹線「水沢江刺駅」に着く。 駅前には、蘇民祭を象徴する「角燈」がお出迎えだ。 夜10時頃、祭場に着くと、すでに「ジャッソー、ジョヤサ」の掛け声が挙がっている。 早暁まで五つの行事が繰り広げられる。 一.裸参り、祈願祭 参加者である男衆が、ふんどし・足袋姿で角燈を
世の中に流通している商品やサービスには“生みの親”がいる。 アイデアや発見を具現化し、ユーザーのニーズに応えることでビジネスが成立している。 たとえば、100円ショップの商品。 「こんなアイテムがあったら便利だな」という欲求に着目し、その欲求を満たす商品を開発して市場に流通させるわけだ。 商品だけに限らず、新しいサービスを生み出すのも“アイデア”が起点。 アンテナを張り、『ユーザーの欲求=ニーズ』を発掘することがビジネスチャンスにつながる。 つまり、ビジネスチャンスを見つける人は「着眼点」に優れており、「そのアイデアがビジネスとして成立するか」を考察できる能力をもっている。 しかし、これは特殊な能力ではない。 ビジュアルシンキングを鍛えれば、日常に転がっている“ヒント”からビジネスチャンスを見つけることは可能なのだ。 イメージをイラストにする ビジュアルシンキングとは、イメージをイラストに
宮崎誠司(みやざき・せいじ) 1969年生まれ。岐阜県岐阜市出身。東京の専門学校卒業後、父親が経営する寝具製造販売会社に入社。 繊維業界でいち早く中国との本格貿易を始める。30歳で罹った胃ガンを機に健康の大切さを痛感。 以来、健康につながる寝具開発に日夜奮闘。 2011年、ライズTOKYO株式会社を設立。 睡眠は健康にとってなくてはならないもの 宮崎誠司さんは30歳で胃ガンを患ったのだとか。 ある時、胃が痛くてご飯があまり食べられなくてね、軽い気持ちで病院に行って胃カメラで診てもらったら「胃ガンです」と。 寝具を扱う有限会社ライズを立ち上げて4年目のことでした。 私は学生時代から好きなことを自由にやらせてもらっていたので『ここまで生きてきたから悔いはない』と思いました。 それで先生に「あと何年生きられるのですか?」と尋ねると「切れば治るよ」と(笑)。 「盲腸より簡単な手術だから」と言われま
幕末の波に呑まれ、35歳の若さでこの世を去った土方歳三。 “鬼の副長”と部下から恐れられ、己の進むべき道を貫いた男である。 江戸から明治へ変わるとき、坂本龍馬や中岡慎太郎など激動の渦に巻き込まれ命を落とした若き志士は多いが、土方も時代に身を捧げた一人である。 土方の生き様に学ぶこと、それは“リーダー像”にほかならない。どのようなポリシーをもって生き、どんな人物だったのかを確かめながら土方からリーダー論を考察してみよう。 リーダーとしての生き方 土方は裕福な農家の子に生まれ、本来なら武士にはなる身分ではなかったが近藤勇や沖田総司らと共に試衛館で剣術を学び、徳川家茂警護の浪士組になるべく京都へ出立する。 しかし、しばらくして浪士組は分裂し、将軍から「新撰組」の発足が申し渡されると土方は副長となり、また、土方の推薦で大将(局長)は近藤勇が務めた。 新撰組といえば近藤を一番に思い浮かべるだろうが、
自然を上手く生活の中に取り入れ暮らしてきたのが、日本人ではないだろうか? 四季を感じる庭園や盆栽などが代表例の1つだ。 木々だけでなく、水もその対象だ。 庭園に見る竹の音がコンと響く鹿威し(ししおどし)は良く知られている。 元来、鳥獣を追い払う農具であったが、後に風流を愉しむための装置として、今なお、親しまれている。 出典: flickr:Ryosuke Hosoi 水琴窟(すいぎんくつ)をご存じだろうか? 「水琴窟」は、水の音を愉しむための、日本独特の装置である。 日本庭園文化における最高技法の1つとされ、その不思議な音色に多くの人が魅了される。 今回は、知っておきたい音の文化「水琴窟」の魅力をお伝えしたい。 水琴窟とは? 「水琴窟」は、地中に埋めた甕(かめ)に、水滴が落ちる際の“音の響き”を楽しむ音響装置である。 その反響音が、“琴”の音色に似ていることから「水琴窟」と呼ばれている。
大石圭(おおいし・けい) 1961年、東京の生まれ。小説家・作家。 法政大学文学部卒業後、株式会社フロムエー総合企画センターに入社。 1993年デビュー作『履き忘れたもう片方の靴』で第30回文芸賞佳作受賞。2003年、映画、ビデオ「呪怨」のノベライズを手がけた。 離婚されたくなくて小説家へ 大石圭さんが、作家になろうと思ったのは、いつくらいなのですか? 中学3年のときですね。同級生が「作家を目指さないか?」と声をかけてきたんです。 友だちの言葉がキッカケ? そうです。「じゃ、一緒にやろう」と言って目指し始めました。でも、その友達は高校3年のときに亡くなりました。それでも僕は、小説を書き続けて、高校3年のときと大学1年のときに野生時代新人賞の最終選考に残りました。そこから本格的に小説に取り組みました。『この調子なら大学時代に作家デビューできるかな』と思ったのですが、そう甘くもなくて(笑)。
鹿児島県霧島市。この地は坂本龍馬ゆかりの地として、毎年、春には龍馬が歩いた道を散策する「龍馬ハネムーンウォーク」もあり、今年も3月18日に開催された。 しかし、なぜ龍馬と霧島市は縁があるのだろうか。 高知や京都ならわかるが、鹿児島と聞いてピンとこない人も多いことだろう。 実は、霧島市も龍馬と関係が深い場所となっている。暗殺される1年前に龍馬はこの地を訪れており、しかも奥さんと新婚旅行した場所である。つまり、ハネムーンというわけだ。 なぜ鹿児島で新婚旅行? 楢崎龍(ならさきりょう)は龍馬の妻だが、“お龍”(おりょう)と言えば知っている人も多いだろう。彼女は京都で医者の娘として生まれ、22歳のときに龍馬と出会う。 1864年(龍馬28歳)の夏に二人は婚姻の仲となり、その2年後には薩摩藩の西郷隆盛と長州藩の桂小五郎の仲を取りもって「薩長同盟」の立役者となる。 薩長同盟が結ばれた翌日、お龍の働く寺
男性に大切なのは「想い」 伊藤由美さんは銀座でも一流のお店「クラブ由美」を経営されていて、多くの男性を見てこられています。その経験のなかで男性に必要なことは何だとお考えでしょうか? やはり、「想い」しかないのではないでしょうか。仕事に対する「想い」。「覚悟」「情熱」と言ってもよいかもしれません。 そのひと言に尽きると思います。最近の人たちは熱意がないからやる気も起らない。自信もなければ夢もない。 そんな男性が多いから現状維持を望む社会になったのではないでしょうか。 やはり、仕事に対して「想い」がないと成功はあり得ません。それはどんな仕事でも同じです。 ひとつのことを成し遂げている人は、長く続けられる意志の強さと決意がある。だから成功できるのです。 想いのある人とない人は分かるものですか? 分かりますね。内に秘めた想いは見た目ではわかりませんが、お話しをすれば分かります。 芯の強さや、『自分
都内にいるからこそ、日本全国を楽しめるスポットがある。 それは「アンテナショップ」だ。 アンテナショップは、地方自治体が特産品を販売するためや、消費者の反応を探る意図として、都内に続々と誕生している。 フト、懐かしい地元のものが食べたい、行ってみたい土地、食してみたい名物があるが、なかなか旅の時間が取れない…。 そんな時、都内にいながら手に取って味わえるのだから、見逃す手はないだろう。 特に、銀座周辺は、30分歩くだけでも全国巡りができるほど、アンテナショップが集結している。 仕事帰りや休日に訪れてみてはいかがだろうか。 今回は「銀座・有楽町エリア」のアンテナショップをピックアップしてみよう。 北海道 都内アンテナショップの先駆者として、主婦からビジネスマンまで幅広い人気。 1100種類ほどの品揃え。北海道の海産物、山の幸、野菜、乳製品、ラーメン、ジンギスカン、ザンギ(北海道の唐揚げ)、名
武道が自分を救ってくれた 『優しいのに無敵』(サンクチュアリ出版)を刊行されたDr.ステーブン・トルドーさんに、ご本人が(トルドーさんが)どのようにして困難に立ち向かって行ったのか?ということをお聞きすることで、ビジネスで困っていたり、悩んでいる人が立ち直るとか、明日も頑張るぞ、と思うきっかけになればということで、お話しを伺えればと思います。 私が臨床心理学者として会ってきた皆さんは、それぞれに悩みを抱えていました。それはキャリアだったり、人間関係だったり、ロマンス。 また、身体的な障害を持っている方もいました。 でも一番、大変なのはマインドの悩みです。マインドに痛みを感じると人は『自分は犠牲者だ』という気持ちになります。 すると全てが暗く見えて、『自分は幸せになれない人間だ』という感情が根付いて行きます。 考え方がネガティブになっていく、ということですね。 健康な人間でも、さまざまな苦労
やる気がない、かったるい、女性に萌えない、会社なんか消えてしまえ… まだ若いのに”おっさん化”している?と感じたら男性更年期障害の前倒し状態かもしれないと警告している。 バイタリティの源、男性ホルモンが不規則な生活&過度のストレスでグンと減っているのではないか? 男性ホルモンは血液検査で測定する。 一般の健康診断の項目にはいってないものをわざわざ病院に行ってまで検査する必要があるのか。 もちろん、必要ありだ。 日常の生活に支障をきたすほどのメンタルダウンであるなら、病院に行くのが一番だ。 「ちょっと、どうなの?」レベルなら、まずは意識してみることが大切。 男性ホルモンに詳しい久末伸一先生にチェックする方法を尋ねてみた。 Dr. Morleyのチェックリストがわかりやすいそうだ。 更年期障害は女性だけの病気ではない、中高年おっさんだけの病気でもない。 男性ホルモン低下により引き起こされる症状
社内資料・企画書・メール…ビジネスは、日々アウトプットの連続だ。 それらがタスクの嵐と化している人も少なくないはずだ。 しかし、そのアウトプットに対し上司やクライアントから「内容が分からない」「イマイチ」だとクレーム。 いざ見直すと【何も伝わらない】と気づかされる。 一からやり直しを命じられた、プレゼンで上手く話せなかった、メールで誤解を生んだ… そんな経験は誰でもあるのではないだろうか? 結構、時間をかけて丁寧にやったのに…なぜこのようなことが起るのだろうか? 全てのビジネス・コミニケーションにおいて最も重要なのは【伝わる】ことだ。 留意すべきは「伝える」と「伝わる」の違いである。 物事がうまく運ばない大半の原因は、“伝えたつもりが伝わっていない”からである。 労力をかけたアウトプットが失敗に終わるのも同様。 作業に捕われ、肝心な【伝わる】を軽視しているからではないだろうか? 伝わらない
出典: flickr:koemu 官僚制の基礎を築き、明治維新の指導者として知られる大久保利通。長州の木戸孝允(桂小五郎)、薩摩の西郷隆盛と並び倒幕に尽力した維新三傑の一人である。 廃藩置県や地租改正、殖産興業などを推進した改革のリーダーであったが、1878年に東京都千代田区で暗殺され47歳にしてこの世を去る。 なぜ大久保利通が維新のリーダーになったのか、それは彼の「決断力」にほかならない。さらに、ずば抜けて「忍耐力」が強い男でもあった。 記憶に残る時代のリーダーは?と聞かれたら、間違いなく大久保利通もその一人だ。今回は、リーダーシップに求められる決断力と忍耐力を大久保利通から学んでみたいと思う。 リーダーは忍耐強くあるべき 大久保は政治家で策士なイメージがあるが、実は言うほど学力はない。学校の成績で例えるなら、いつもテストは60点といったところ。ただし、生きるための賢さはあった。 目的を
会社にはいって8年くらいは無理が利いていた。終電までの残業も、仲間飲み会ハシゴ酒も一晩寝ればリカバリー可能だった。 ああ、なのに今の俺は疲れが取れず、集中力なんてものはどっかに吹っ飛んでいる。やる気もイマイチ。 上司がこっそり胃薬を飲んでいるのを見て「わかるわかる」と頷いている。 こんな”おっさん化”を感じて不安にかられる時はないか? 朝、だるくて起きにくい。休日が待ち遠しい。なのに休日も部屋の中でぐったりしている。朝起きた時に勃起しているいわゆる朝立ちもとんとご無沙汰。 彼女とSEXしたいという衝動も沸いてこない。というか、外に遊びに出るのも億劫。 こんな状態が続いている場合は、更年期障害の前倒し状態かもしれない。 更年期障害は45歳から55歳くらいの女性に見られる独特の症状だ。 閉経前後に女性ホルモンが急激に減少し、倦怠感やイライラ、不安感の症状を引き起こす人がいる。顔がほてったり、肩
花言葉のように、酒にも「酒言葉」があるのをご存知だろうか。 たとえば、スクリュードライバーは“心を奪われた人”、モスコミュールには“仲直り”という意味があったりする。 そして、酒は大人の嗜好品として古くから歴史があり、男女の色恋に関係する酒言葉も多い。 なかでも興味深い酒言葉が「シェリー酒」について。 同席する女性がBARでシェリー酒をオーダーしたとき、または男性が女性にシェリー酒を勧めて断られなかったとき、“あなたと今夜は一緒に寝たい”といった意味があるとか。 しかし、シェリー酒の原産国・スペインではこのような酒言葉は知られていない。昭和の後期に日本で洋酒が物珍しかった頃、粋な男女が遊び心で言っていたというのが一説である。 介抱してほしい、が正解 シェリー酒は飲みやすいわりにワインよりもアルコール度数が強いため、つい飲み過ぎてしまい気がつけば酔いが回ってノックダウンする人もいる。 このこ
信念をもって生きるのは、そう簡単ではない。 たとえば、「なぜ働くのか?」と聞かれたら、ほとんどの人が「生活のため」「家族のため」と答えるだろう。 誰しも少なからず理想はあるが、現実は違うと割り切って毎日を過ごしている。 諦めているわけではないが、できるならリスクは避けたいというのが本音だ。 もし信念に従い理想の生き方ができるなら、それは本当に幸せなことなのだろうか。 そこで今回は映画「ザ・エージェント」から、理想の生き方を学んでみたいと思う。 自分の生き方に疑問を感じる瞬間に 1996年に公開されたトム・クルーズ主演の「ザ・エージェント」。プロスポーツの選手を支えるエージェント(マネージャー)業界のビジネスを描いたヒューマンドラマである。 優秀な選手を見つけてオファーし、年俸や待遇といった条件を移籍先と交渉するのだが、メンタルやブランクで選手がブレた場合にケアすることもエージェントの役割に
EDクイズで、近い将来襲ってくるEDの基本のキを知ることができたであろう。 見えない敵に対する不安は年齢とともに加速して膨れ上がる。 「まだそんなおっさんじゃないし」とタカをくくっているのも今のうちだ。 彼女とベッドインしたときに予期せぬ事態に遭遇した経験が1度でもあるならそろそろED予防をしていい時期だ。 状況によって股間がキンコンカンにならないのは心因性EDと定義されている。 ストレスに弱い男性は心因性EDに注意だ。もうひとつの器質性EDは生活習慣病と似ている。 栄養が偏る不規則な食生活、喫煙、運動不足など心当たりがないか。 今回は若いうちからできる予防策を考えてみる。あまり多いと実行できないのでまず2つ。 ED診療ガイドライン制作委員の永井敦教授(川崎医科大学泌尿器科教授)に話を伺った。 1.珈琲はブラックに切り替える 街のあちこちにおしゃれなカフェが立ち並び、PC片手にちょっと珈琲
役に立たない道を選んだ20代 本川達雄さんの20代はどんな時代でしか? 僕は宮城県仙台第一高等学校を卒業して、東京大学に入学しました。でも、すぐに大学紛争で、2年間授業がなく、その間ずっと悩んでいましたね。 東京大学では動物学を専攻されていますね。 生理学者であるお父様の影響はあったのですか? まったく、ありません。父は医学者でしたが、家に帰るとおふくろに医者の裏側の話で愚痴るわけです。そんな話を脇で聞いていたましたから、『人間のどろどろしたものが絡む世界には、進みたくない』と思いました。 僕は子どもながら美意識があったんです。小学校の国語の時間に先生が「正解はなんでしょう?」と質問するでしょ。 するとみんな「ハイハイ」と手を挙げるのですが、まっ先に手を挙げる子ほど、とんちんかんな答えをするんです。 そんなはしたない真似はしたくはなかった。正しい答えをしたいと一生懸命考えると、そもそも正し
「盆栽」といえば、地味で手間がかかる・晩年の趣味というイメージではないだろうか? もともと盆栽は、日本では粋な趣味とされていたが、いつしかお年寄りものとして浸透してしまった。 だが、海外では、そのイメージは真逆だと言ってもいい。 特に、欧米において「BONSAI」は、若い人たちの“憧れのアート”だという。 すでに海外では90年代から盆栽ブームが起こり、多くの外国人が日本に弟子入りしている。 今や「盆栽」は、世界的な芸術として、人気は高まるばかりだ。 日本でも若い人の愛好家も増えているが、あなたはその魅力をご存じだろうか? もはや、盆栽の世界観を知らないのは、ちょっと時代遅れなのかもしれない。 またひとつ、世界中の人が夢中になる日本の伝統文化「盆栽」の今に触れてみよう。 盆栽の歴史とは? 盆栽は、中国で生まれ、唐の時代の遺跡から鉢植えの壁画が発見されているほど歴史は古い。 呼び名は「盆景」と
幕末を疾風の如く駆け抜けた坂本龍馬。「日本を洗濯したい」という強い想いを胸に大政奉還の立役者となり、260年続く徳川の時代を終わらせた黒幕の一人である。 ドラマやマンガにも度々登場し、日本史を代表する人物となっている。もし坂本龍馬が現代にいたら、おそらく優秀な営業マンになっていたことは容易に想像できる。 なぜなら、彼の行動力や情報収集は人並み以上で、事実、薩長同盟の仲介役や貿易など幾多の交渉ごとをまとめてきたからだ。 そこで今回は、龍馬に学ぶ「聞く技術」と題し、現代のビジネスシーンで通じるテクニックを紹介したいと思う。 幕末の風雲児は、いかにして人の心を動かしてきたのだろうか。 他人の発想力ほど価値あるものはない 龍馬は、一見すると独創的な想像力の持ち主かと思いきや、彼は他人の考えを応用することで自分の能力を高める人物だったことがわかる。 つまり、観察力が鋭く、吸収力の強い勉強家であったわ
“男の役割”を意識するのはいつからか? 兄弟がいる人は弟、妹が産まれた時「お兄ちゃんなんだからしっかりしてね」という親の言葉が最初の洗礼かもしれない。 兄弟間の”男の役割”は女性にも「お姉ちゃんなんだから」というフレーズがあるのでここでは省くことにする。 となると”男の役割”初意識は社会に放り込まれる保育園、幼稚園時代にさかのぼるであろう。 きれいな先生から「男の子は女の子をいじめちゃだめだよ。やさしくするんだよ」という”男は女を守れ論”がベールにかぶされて開始される。 絵本ではいじめられているお姫様を王子様が助け、ハリウッド映画でも美女をヒーローが救出する。ゲームしかりだ。 男女共同参画基本法、男女雇用機会均等法が定められたが、女性より体格が大きい、力が強いということで男の役割は「女性を守る」というイメージがついて回って今を迎えている。 “男の役割”として思いつく事象をあなた自身も目をこ
若いころからモテました? 監督は20代のころからモテ続けているイメージがあるのですが、実際いかがですか? そこまでモテてないんですけど、まあ若い頃よりは多少マシになったかなと思うのは、ただ漠然とモテるかモテないかで悩むのではなく、自分はどういう相手にモテるのか、どこに行けばモテるのか分かってきたんじゃないかというコトですね。 愛されるかどうかという話だと、うち、母子家庭だったのですが、母親が医者だったもので、金銭的な苦労はなくて。 父親がいないというのがコンプレックスではあったけれど、家には家の事をやってくれるお手伝いさんとか、住み込みの看護師さんがいたりして、いびつな形ではあるけれど俺って愛されて育ったな、という自覚があるんです。 女性がたくさんいるなかで、男ひとりだったので、王子様として育っちゃったのかなと。 だから、マトモかどうかというと、全然マトモじゃありません。 AV監督というの
上杉謙信といえば、戦国時代に越後国(現在の新潟県上越市)を治めていた大名だが、勇猛果敢な姿から越後の龍や軍神と称され、武田信玄のライバルとしても有名な人物である。 謙信が故郷に与えた功績は多く、内乱が続く越後を統制し、産業を振興して国を繁栄させた。なかでも、越中一向一揆は謙信なしでは語れない偉大な功績と言える。 また、隣国や同盟国から救援を求められると、躊躇なく出陣する男気あふれる武将でもあった。49年という短い生涯だったが、武田信玄や北条氏康、織田信長や能登畠山氏など、有力な武将と合戦を繰り広げている。 自らを毘沙門天の生まれ変わりと信じていたと謙信は「義」を重んじた人格者としても知られ、上越市ゆかりの人物として今なお敬愛する歴史ファンも多い。 表向きは淡々と物事を決断する冷静沈着な男であるが、その反面、義理や人情を大切にする人間味あふれる一面もあった謙信。 今回は、そんな謙信にまつわる
【中川ケイジさんインタビュー】人生の挫折から救ってくれたのは、“ふんどし”だった。たったひとりに想いを伝えるのが“粋” 広めていきたい「ふんどし体験」を 日本ふんどし協会は、「2020年までに日本人全員がふんどしを1着は持っている、そんな時代の到来を目標としています」とのことですか、これは本気なのですか? そういうツッコミが欲しいのですよ。「本気かよ!」という(笑)。3割打者を目指しても2割もいかないのが普通。10割目指してやっと4割。なので、「日本人全員」という壮大な目標を立てました。 なにも毎日でなくてもいいので、年に一回でもふんどしを締めるという経験を、日本人全員に広めたい、という想いがあります。それで、2020年の東京オリンピックの年までに日本の文化であるふんどしを、日本中に広めて、さらに世界にも広めたい、ということを考えました。 日本ふんどし協会としてはどのような活動をされている
宮本武蔵と聞けば、「剣豪」「剣の達人」として有名な人物。 巌流島で佐々木小次郎との決戦に勝利し、名実ともにナンバーワンの剣術士となった。 しかし、歴史ファンのなかには、武蔵が勝ったことよりも「なぜ小次郎が負けたのか」に疑問を抱く人もいる。 つまり、小次郎のほうが強いという意見も多いからだ。 そこで今回は、なぜ宮本武蔵が勝ったのかを考察していきたいと思う。命を懸けた戦いで見えてくる、武蔵のビジネスセンスに迫ってみよう。 負けから勝ち方を学んだ宮本武蔵 時は1600年。17歳の武蔵は、剣で名を馳せようと関ヶ原の戦場に出兵していた。 剣の腕に自信があったが、戦場で活躍できず過酷な現実を目の当たりにする。 武蔵が思い描いていた戦場とは違い、あまりのスピードにたじろいでしまったのだ。幼い頃に父親から武芸を習い、13歳で剣術に目覚めると地元の剣豪たちを打ち負かして自信をつけていた。 そんな矢先、「自分
【安藤俊介さんインタビュー】“粋”とは、自分の人生に集中すること。アンガーマネジメント で、怒りと上手く付き合う 厳しい父親との関係に悩んでいた 「なぜ、人は怒るんだろう」ということを調べていて、日本アンガーマネジメント協会さんを知りました。 「怒りはコントロールできる」とあって『なるほど』と思ったのですが、そもそも安藤俊介さんはアンガーマネジメントに出逢う前はどんなことに怒り、苦悩されていたのですか? 僕自身の怒りの中心は父親との関係でした。私の父親は公務員なんですが、しつけに厳しかったんです。とにかく私のあらゆることに干渉したい、自分の指示する通りに生きて行かないとすごく怒るタイプの人でした。 私は自由にしたい、好きなことを好きにやりたいと思うタイプだったので、そこでの衝突はずっとありました。それは私が成人して独立しても続きました。勤め先も公務員かテレビコマーシャルをやっているような企
あなたは、日頃、頼られる人だろうか? 周りにいる人は、どんな風にあなたを必要としているだろうか? 逆に、あなた自身にとって必要な人とは、なぜその人を必要だと思うのだろう? 「必要な人」とは、いなくては困る人ということだ。 それは少なくとも、何かしら良いことをもたらしてくれるからであることは確かだろう。 人が人を必要としたり頼る時、その理由のひとつには、3つの「トク」があるからだと言われる。 あなたはそのどれなのか、気付いているだろうか? 今回は、人の根底にある「トク」について考えてみたい。 3つの「トク」の違いを知る 1.「得」がある人 「得」という字は、得意、損得、獲得、習得、得策など、手に入れる、利益を得るなどの意味に使われる。 仕事であれば、売上に貢献してくれたり人脈が広いなど、成果を出してくれる人。 付き合って、メリットがある人だ。 相手がこれを求めている限り、あなたが相手にとって
農民の生まれにして天下統一を果たした豊臣秀吉。家柄もなく人脈ゼロの彼が、いかにしてスピード出世していったのか、それは秀吉が持つポテンシャルの高さに他ならない。 気配りの良さと頭の回転の速さから「人たらし」の天才と呼ばれていた秀吉だが、重要な場面での情報収集や周囲の度肝を抜く行動力など、天に愛される才覚の持ち主でもあった。 なかでも、秀吉の人脈を築くセンスには目を見張るものがあり、加藤清正や福島正則といった武力者や、石田三成や黒田長政など知的能力ある人材を何人も配下につけている。 やがて一大勢力を築き上げ、信長の亡きあとを継ぐ覇者として天下統一を果たすのだ。 この能力は、現代のビジネスシーンでも活かせるスキルではないだろうか。 そこで今回は、人たらしの天才と呼ばれた秀吉から、人脈をつくるセンスを学んでみたいと思う。 人を褒める天才 事あるごとに人を褒めるのが上手だった秀吉。おだてて喜ばし、自
「今日からスタイリストです」でスタート 大山旬さんはファッションスタイリストとのことですが、どんなお仕事なのでしょうか? 多くの男性は、学生時代や結婚前だと「モテたい」という気持ちがあってオシャレに関心が高いのですが、年齢を重ねるとその感覚が低下して、ファッションへのモチベーションがなくなって行くんですね。じゃ、みなさんファッションに興味がないのかというと、「自分にしっくりくる服を着てみたい」とか「素敵な格好もしてみたい」という願望は多少はあるんです。ただ、どう実現すればいいのかという方法論がわからない。雑誌を見ても価格の高い服しか載っていない。モデルは自分の体形と違う。そこで諦めてしまう。 僕はそんなファッションを諦めた人にまず、何をしたらいいのかを伝えたいと思って、一般人向けのスタイリストという仕事をしています。 大山さんはそもそもどうしてスタイリストになろうと? 大学は社会学部で、教
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