私の母はトシコという名の巨漢…否、巨婦である*1。今日はトシコ生誕53周年を記念し、KBをして「パンチョ伊東」と呼ばしめたトシコのパンティー、すなわちパンツ・オブ・パンチョの話をさせていただきたいと思う。(注:食事中の方はご遠慮願います。) その前にまずトシコが如何にして「パンチョ」になったのか――この問題は我が思春期における最大の関心事だった――についての考察を述べたい。 トシコは長女で3歳下の気弱な弟が一人おり、神経質な母親と浮気な父親に育てられた。AB型で、高校は私立のお嬢様学校に無理やり入学させられたが、お嬢様学校特有の校則の厳しさに馴染めず反抗的な態度をとるようになる(その都度親が呼び出され厳重注意を受け、母親は激怒、父親が陰で甘やかすという構図ができあがる)。トシコは元来負けん気が強くわがままで、また内向的でもあったため女友達があまりできなかったが、その反面男友達は多かった。当