サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
ノーベル賞
kidnapping.jp
統一教会の信者に対する、拉致監禁・強制改宗について、その根絶を求めます。続・拉致監禁 侵された信教の自由。監禁下の熾烈な攻防 解放時は、栄養失調状態 韓国ニュース報道 韓国に来た統一教会の日本女性7千人、拉致の恐怖 駐韓日本大使館に嘆願「1966年、最初の拉致事件後、4,300人被害」 ブレイクニュース報道 ムン・イルソク記者 moonilsuk@korea.com 統一教会の国際合同結婚式を通じて韓国に嫁入りし、暮らしている日本女性たちの数字は、7千人余りに達する。これら日本女性たちの中で、母国である日本で拉致監禁される事件が頻発、日本の新種の社会問題になっている。「日本の統一教会員拉致監禁による韓国人権被害者対策委員会」の代表、日本婦人50人余りは、3月23日午後2時、日本大使館の前で日本の伝統衣装であるキモノを着て、拉致監禁に対する恐怖によって日本に行くことができない切迫した状況を解
統一教会の信者に対する、拉致監禁・強制改宗について、その根絶を求めます。マスコミよ、いつから神になったのか ジャーナリスト・坂上史朗 奇妙な山崎さん脱出劇 「メディア仕立ての奇妙な会見」(毎日)、「文春セットTBSで会見」(読売)、「文春.巧みなメディァ戦略」(産経)。 山崎さんの脱会記者会見を報じた各紙の見出しである。 奇妙な会見だった。これらの新聞の扱い方がそれを物語っている。 昨年、山崎浩子さんが合同結婚式参加を表明して以来、ワイドショーは毎日のように統一教会がらみの報道を繰り返してきた。中には取材の行き過ぎを指摘する声も多かった。今回も、殺到する取材人にもみくちゃにされた桜田淳子さんが大けがをするというトラブルがあった。有名人のプライバシーや、統一教会合同結婚式という未知なるものは好奇心を煽り、テレビの格好のネタになる。次第に取材はエスカレートし、越えてはいけない一線を踏み越えるこ
統一教会の信者に対する、拉致監禁・強制改宗について、その根絶を求めます。真のご家庭に対する批判 - 強制改宗をくつがえす統一神学 多くの反対牧師たちは、真のご子女様の問題、特に孝進様の問題を取り上げて、真のご家庭を批判し、真のご家庭の価値を否定しようとしている。それに対してコメントをしてみようと思う。 筆者はアメリカ在住の日本人として長年の間、孝進様とは個人的な交流があった。1975年のある日、筆者が教会の館のある部屋の中で独り感傷に浸りながらクラシック・ギターで叙情的な調を弾いていた時、突然その部屋に、13歳の腕白盛りの孝進様が大声で友人と追いかけっこをしながら走り込んで来られた。しかし、ギターのメロディーを耳にされた途端、孝進様は筆者の直ぐ前に座り込み、しんみりと聴かれたのである。曲が終ったら、もう一曲アンコールされ、筆者の腕前がそんなによくないのに、それにもジーッと耳を傾けられた。さ
掲載にあたって 太田朝久著『「原理講論」に対する補足説明』(1995年5月29日初版)をPDFで掲載いたします。同書は現在、在庫切れとなっており、各方面から「同書をぜひ入手して読みたい」という要望が数多く寄せられていました。 太田朝久著『踏みにじられた信教の自由』(光言社、2008年7月1日)の中でも、同書が参考文献として引用されており、『踏みにじられた信教の自由』の内容をより深く理解していくために必要不可欠な書籍となっています。 この『「原理講論」に対する補足説明』を熟読していたおかげで、長期にわたる反対牧師の脱会説得にも屈せず、信仰を守り通すことができたという拉致監禁被害者の証しがあります。統一原理の理解と確信を深めていただくためにもご活用ください。 なお、掲載したファイルは同書の「第一部」に当たる部分で、1996年5月の再版本を用いています。また、資料として追加した[注a]~[注d]
統一教会の信者に対する、拉致監禁・強制改宗について、その根絶を求めます。被害者の声。陳述書 監禁を苦に自殺未遂 美津子・アントール 美津子・アントール - 監禁を苦に自殺未遂 - 陳述書(要約) 1.経歴 私は1971年5月21日、埼玉県本庄市にて父、母の長女として生まれました。兄弟は1才上の兄と、双子の妹がいます。私は地元高校を経て1990年4月、関東短期大学初等教育学科に入学しました。1992年3月、同大学を卒業後、同年4月に伊勢崎信用金庫に入庫しました。 2.統一教会との出会い 1992年4月、当時看護婦をしていた妹を通じて、統一教会の教義である統一原理を学び始めました。同年7月26日、統一教会に入会しました。 1995年3月末、伊勢崎信用金庫を退職し、その後は教会関連施設に住み込み、アルバイトに通いました。同年5月25日、実家に帰り、統一教会で勉強していることを父に話すと、父は突然
2024/03/18 3/12 浜田聡参議院議員が参議院総務委員会にて拉致監禁問題を質問 詳細 ► 2024/03/18 3/15 浜田聡参議院議員による質問主意書に対する岸田内閣の回答・・ほぼ無回答 詳細 ► 2024/02/03 鈴木エイト氏に対する名誉毀損訴訟・第一回口頭弁論 報告会動画公開! 詳細 ► 2024/02/01 『公正な報道と記事の訂正を求める要望書』を中山達樹弁護士が弁護士ドットコムに送付 詳細 ► 2023/12/22 ビラ作成しました「刑務所よりも過酷な拉致監禁現場」 詳細 ► 2023/11/09 11/3 新潟シンポジウム『家庭連合信者に人権はないのか』YouTube配信のお知らせ 詳細 ► 2023/11/01 当会代表 後藤徹の手記が月刊『正論』2023年12月号に掲載されました! 詳細 ► 2023/10/12 9/10開催 拉致監禁問題を考える特別シン
強制改宗をくつがえす統一神学 神明忠昭博士がキリスト教による統一教会批判に答える 統一教会信者に対する拉致監禁・強制改宗に携わっている牧師たちは、統一教会の信仰が「異端」であるということをその活動の動機としています。とりわけ「福音派」と呼ばれる、聖書を文字どおりに解釈する教派の牧師たちは、統一教会がキリスト教を名乗りながらも聖書をでたらめに解釈して人々を惑わすので、その信者に「正しいキリスト教」を教えてあげることが救いであると信じて疑いません。 そのため、彼らは監禁の現場で自らが寄って立つ福音派の神学に基づいて統一教会の教えである「統一原理」を批判し、信者の信仰を破壊しようと試みます。神学に対する専門的な知識を持たない一般の信者たちは、こうした牧師たちによる統一原理批判に対して答えられないばかりか、外部との接触を完全に遮断され、長期監禁・説得をうけるという異常な環境下のもので、彼らの教えこ
統一教会の信者に対する、拉致監禁・強制改宗について、その根絶を求めます。冊子「拉致監禁」シリーズ3 - 反対派の悪辣な手口。反対派の手口(統一教会信者の親に対する働きかけ) 冊子「拉致監禁」シリーズ 3 反対派の悪辣な手口 2 反対派の手口 2.統一教会信者の親に対する働きかけ (1)相談に来た統一教会信者の親に対する指導 統一教会信者の親が、高澤牧師に相談しに来た場合、どのような指導を行うのかについて、高澤牧師は次のように証言しています。 まず、統一教会が「社会悪」であることを話し、信者が「マインドコントロール」されていることを、親との間で確認し合っていくといいます【注10】。その際、統一教会問題は「家庭問題」「親子問題」という側面が強いため、子供が統一教会に通うようになった心理状況を把握してもらうための「ガイダンス」や「教育」を心掛けているといいます【注11】。そして、親に対し、信者を
統一教会の信者に対する、拉致監禁・強制改宗について、その根絶を求めます。冊子「拉致監禁」シリーズ3 - 反対派の悪辣な手口。反対派の手口 冊子「拉致監禁」シリーズ 3 反対派の悪辣な手口 2 反対派の手口 1.高澤守牧師の経歴 高澤守牧師は1942年、新潟県生まれ。1965年に洗礼を受け、1972年に神戸聖書学院に入学。1979年、牧師資格を取得し、1981年、単立・キリスト教神戸真教会に赴任して現在に至っています【注1】 高澤牧師は、1972年の神学生時代、八王子で開拓伝道をしているとき、統一教会信者の改宗を行ったといいます【注2】。そのときは任意の話し合いで脱会させて、監禁はなかったとのことです【注3】。彼は神戸真教会に赴任してからも改宗活動にかかわり【注4】、約10年前(86年ごろ)から信者を監禁して脱会の説得を行ってきました【注5】。現在(1996年)まで約200名を脱会させ【注6
統一教会信者に対して行われる「拉致監禁」による強制改宗事件が、1966年から今日まで多数発生してきました。 脱会説得を担当するのは一部のキリスト教牧師ですが、これまで彼らは、「脱会説得は、親に頼まれて話しをしただけで、拉致監禁にかかわっていない」と主張してきました。 ところが、神戸地裁の「青春を返せ裁判」(平成四年ワ第一七三二号事件)に、原告側証人として出廷した高澤守牧師(単立・キリスト教神戸真教会)は、統一教会信者の親族に対し、子供を拉致監禁するよう働きかけていたこと、自ら拉致計画の立案・実行に深く関与し、親と密接に連絡を取り合って親を操っていたこと、監禁場所で凶器を持ち出し、信者に対話を迫っていたことなどを認める発言をしています。この高澤牧師の証言に基づいて、反対牧師の手口を明らかにしたいと思います。
統一教会の信者に対する、拉致監禁・強制改宗について、その根絶を求めます。冊子「拉致監禁」シリーズ2 - その時警察はどう動いたか。三度の拉致体験 監禁行為に荷担した警察官 小林宗一郎 油断させて、二度目の拉致監禁 冊子「拉致監禁」シリーズ 2 その時警察はどう動いたか 3 三度の拉致体験 監禁行為に荷担した警察官 小林宗一郎 油断させて、二度目の拉致監禁 二度目は、1995年3月でした。両親が、私の大学卒業のお祝いをしてくれるということになりました。親戚も来ると聞き、私は「両親や氏族を伝道できるチャンスだ」と思い、喜んでいました。当日、親戚は教会のVTR「丹心」を見てくれ、拍手までするのです。その後、ボーリングと食事を一緒にし、私はお祝いまでもらって大喜びでした。 ところが、それは私を油断させるための罠だったのです。私は騙されていることに全く気づかず、帰宅の車に乗りました。ところが、私の乗
統一教会の信者に対する、拉致監禁・強制改宗について、その根絶を求めます。冊子「拉致監禁」シリーズ2 - その時警察はどう動いたか。三度の拉致体験 監禁行為に荷担した警察官 小林宗一郎 助け求める私の頭たたいた刑事部長 冊子「拉致監禁」シリーズ 2 その時警察はどう動いたか 3 三度の拉致体験 監禁行為に荷担した警察官 小林宗一郎 助け求める私の頭たたいた刑事部長 1992年11月30日、教会から自宅に帰った真夜中のことです。ベッドに入った直後、両親と親族らが「話し合いだ、牧師先生の話を聞くんだ」と私を羽交い締めにして無理やり車に押し込み、目隠しをしたまま上野のウィークリーマンション10階まで連行し、監禁してしまいました。 私は、暴力的に連れ去って閉じ込めるという、その不当なやり方に抗議して騒ぎました。足で思いっきり窓を蹴飛ばすと、窓ガラスが割れ、大声で「拉致監禁です、助けて下さい」と叫んで
統一教会の信者に対する、拉致監禁・強制改宗について、その根絶を求めます。冊子「拉致監禁」シリーズ2 - その時警察はどう動いたか。拉致監禁事件に終止符を打つため、両親・牧師を告訴 今利智也・理絵夫妻 冊子「拉致監禁」シリーズ 2 その時警察はどう動いたか 2 拉致監禁事件に終止符を打つため、両親・牧師を告訴 今利智也・理絵夫妻 「両親を訴えることに躊躇いがなかったと言えばウソになります。 でも、自分と家族の身を守り、信仰を守り、統一教会の会員を襲う拉致監禁問題に終止符を打つため、さらには日本に真の信教の自由を打ち立てるためにも、この方法しかなかったと思います。?肉を切らせて骨を断つ?というような信念でした」 今利智也さん、理絵さん夫妻は、神奈川県内の自宅で両親などを訴えた心境をこう語った。 理絵さんはこれまでに二度、家族と牧師の手によって拉致監禁された経験を持つ。1995年10月下旬の時は
統一教会の信者に対する、拉致監禁・強制改宗について、その根絶を求めます。冊子「拉致監禁」シリーズ2 - その時警察はどう動いたか。はじめに 冊子「拉致監禁」シリーズ 2 その時警察はどう動いたか 1 はじめに 2000年4月20日。衆院決算行政監視委員会で、桧田仁自民党衆院議員(当時)は人権侵害・信教の自由に関して次のように質問した。 「拉致、監禁、暴行、傷害罪など刑事罰行為に触れる行為は、たとえば、親子や夫婦なら問われないということがあるか」 これに対して、当時の警察庁長官、田中節夫氏はこう明言した。 「親子や親族であっても、刑罰に触れる行為があれば、何人に対しても法と証拠に照らし厳正に対処する」 2009年9月28日、離婚した日本人の元妻が、アメリカから日本の実家に子供と帰国したため、元夫が8歳の長男と6歳の長女を無理やり連れ去るという事件が起きた。福岡県警柳川署は、この男性を逮捕し、
統一教会の信者に対する、拉致監禁・強制改宗について、その根絶を求めます。冊子「拉致監禁」シリーズ1 - 痛哭と絶望を超えて。残された心の傷 塩谷知子(偽装脱会) 冊子「拉致監禁」シリーズ 1 痛哭と絶望を超えて 4.残された心の傷 塩谷知子 〈偽装脱会〉 監禁から解放されるために、「今日こそ、統一教会をやめると言おう」「今日こそは……」と、毎日そう思いながら、なかなか言い出す勇気がでてきませんでした。 「本当に偽装脱会ができるだろうか……。また、言ったとしても、私がその後、統一教会に戻ったら、親は悲しんでしまうだろう……」。そう思うとなかなか決意ができませんでした。 ちょうど40日が経った朝方、夢をみました。真のお母様が真っ赤なチマチョゴリを着て大きなおなかをされ、しんどそうに座っておられました。そして、その隣に真のお父様がおられ、「今回は難産なんだ」とおっしゃったのです。 私が監禁された
統一教会の信者に対する、拉致監禁・強制改宗について、その根絶を求めます。冊子「拉致監禁」シリーズ1 - 痛哭と絶望を超えて。残された心の傷 塩谷知子(監禁されたマンションの中で) 冊子「拉致監禁」シリーズ 1 痛哭と絶望を超えて 4.残された心の傷 塩谷知子 〈監禁されたマンションの中で〉 パニックになっている私に対し、両親は「知子すまん。これしか方法がなかったんや」と何度も言いました。私は、「こんなことして良心が痛むでしょう!」と言いました。 部屋は、厳重に鍵がかけられており、トイレに行くときも父が見張っていました。 無理矢理連れて来られた時のショックは、体が覚えており、異常なほどの恐怖心と、寝るときにも私が逃げないよう、家族が常時見張っていましたので、強い精神的圧迫を受け、苦痛を感じる日々が始まりました。 両親は、「話し合いをしたい」、「統一教会のことを知りたい」、「統一教会に詳しい牧
統一教会の信者に対する、拉致監禁・強制改宗について、その根絶を求めます。冊子「拉致監禁」シリーズ1 - 痛哭と絶望を超えて。残された心の傷 塩谷知子(監禁開始) 冊子「拉致監禁」シリーズ 1 痛哭と絶望を超えて 4.残された心の傷 塩谷知子 塩谷知子と申します。私は1992年8月25日、韓国ソウルで挙行された「3万双国際合同祝福結婚式」で結婚し、その後、家庭をもち、現在3人の子供がおります。 私は2006年8月、鬱(うつ)病になりました。子育ても家事もできなくなり、真っ暗なトンネルに入ったような心境を味わいました。「この思いは……、どこかで味わったことがある……」 13年前に体験した拉致監禁を思い出したのです。 私は忘れようとしてきた過去にようやく向き合い始めました。そして、その事を通して拉致監禁を体験した私だけでなく、当時婚約者であった主人も大きな心の傷を受けていたことが見えてきたのです
統一教会の信者に対する、拉致監禁・強制改宗について、その根絶を求めます。冊子「拉致監禁」シリーズ1 - 痛哭と絶望を超えて。拉致監禁による強制棄教事件の歴史 冊子「拉致監禁」シリーズ 1 痛哭と絶望を超えて 2 拉致監禁による強制棄教事件の歴史 反対牧師が暗躍した43年間を概観すれば、4つの期間に区分できる。 第I期が1966年~76年まで。この期間は、森山諭牧師が福音派の立場から「統一教会は異端」という動機をもって強制改宗を始めた。翌年7月7日、朝日新聞夕刊に「親泣かせ原理運動」の記事が掲載され、不安をあおられた親族が森山牧師に相談して事件が増える。76年3月4~6日、森山牧師が東京・八王子大学セミナーハウスで「統一協会問題対策セミナー」を開催し、監禁して説得する改宗法を他の牧師に伝授する。 ※ ※ ※ 第II期が1976年~87年まで。この期間は森山牧師の他、船田武雄牧師、高澤守牧師、
統一教会の信者に対する、拉致監禁・強制改宗について、その根絶を求めます。冊子「拉致監禁」シリーズ1 - 痛哭と絶望を超えて。はじめに 冊子「拉致監禁」シリーズ 1 痛哭と絶望を超えて 1 はじめに 2000年1月12日、新潟県柏崎市のS宅で、毛布にくるまった一人の女性(当時19歳)が保護された。この女性は、小学校4年の時の1990年11月13日の下校途中で拉致監禁され、自宅に連れ込まれていた。女性は、実に9年2カ月ぶりに家族と再会できたのである。この事件が発覚した時は、新聞テレビがセンセーショナルで報じており、記憶されている人も多いことだろう。犯人のSは、懲役14年の刑が言い渡されている。 この女性の恐怖と、解放された後もなお、リハビリの道は厳しいものと想像するのだが、統一教会信者で拉致監禁された経験を持つ美佐さんは、自身のホームページで、新潟事件に言及し、こう語っている。 〈新潟の監禁事
3月23日、韓国在住の拉致監禁被害者や統一教会信者約50人が日本大使館を訪れ、日本での統一教会信者に対する拉致監禁問題の解決を求める嘆願書を提出しました。その後、同大使館前で記者会見を開き、AP通信、ロイター通信、AFP通信、共同通信等が取材を行いました。当日の夕方5時のニュースでは韓国の大手テレビ局MBCが報道し、そのほかにも様々なメディアで取り上げられました。 以下、取り上げられたニュースサイトの一部を紹介します。 MBCニュース朝鮮日報ウェブ(choson.com)「拉致監禁・日本統一教信者の涙」毎日経済「日本政府 統一教信者拉致監禁対策を」聯合ニュース「日本統一教信者「安心して日本に行きたいです」」聯合ニュース「日本政府 統一教信者拉致監禁対策をするべき」NEWSIS「嘆願書提出の為に大使館を目指す統一教会信者たち」NEWSIS「日本統一教 拉致監禁問題デモ」NEWSIS「日本人統
世にも恐ろしい「人さらい事件」に関わった弁護士、牧師、マスコミ人らの非道な実態を実名で白日のもとにさらす。 ►書籍紹介
江里子さんは、Nさんの失跡が明らかになった翌日、Nさん宅最寄りの東京・杉並警察署に出向くと、窓口で生活相談課を紹介された。対応した一花剛・防犯係巡査部長は、婚約者宅の見回りや所在確認に尽くすことを約束してくれた。 また江里子さんは、統一教会の信者がこれまで受けてきた拉致監禁のケースとNさんの失跡が酷似しているから、至急対応してほしいと訴えた。しかしその点について、同巡査部長は「心配するに及ばない」と答えるだけだった。 1週間後に、一花巡査部長から「(Nさんの)両親と連絡が取れ、居場所が分かった」と電話があった。「両親が『(Nさんは)自由に出入りできる(所にいる)』と言っている。本人と連絡が取れてはいないが、事件性は無く、家族の話し合いだ」という内容だった。 そこで、江里子さんが「出入りが自由ならなおのこと、婚約者の私も連れて行ってほしい」と頼むと、「待ちなさい、彼と親を信じなさい、警察が顔
慶応大学院を修了した男性NKさん(25)が、6月13日の深夜から14日未明にかけて東京都杉並区の自宅から失跡した。それから45日以上たつが、消息はつかめていない。 昨年9月、Nさんと婚約した菅野江里子さん(25)は悲嘆に暮れるばかりだ。2人は統一教会の信者で、Nさんは強制棄教を迫られ、脱会屋や両親に拉致監禁された疑いが濃厚だが、地元警察は「事件性はない」として積極的に動く様子が見られない。 髪を切ってCuteさが更にupしてしまったえりこさま。一瞬で(犬の目と鼻がハートマークになったイラスト)になりました。こうして2人でDATEできるなんて、何て幸せなんでしょう。ぴったり寄りそう二人は、二子玉(ニコタマ=東京・二子玉川)で「がぁがぁ食堂」で庶民派な中華をたんのうし、晴天の二子玉をお散歩♪… 失跡する1週間前6月5日の日付で、Nさんは江里子さんとの交換日記に、その日のデートの様子をこう書いた
統一教会の信者に対する、拉致監禁・強制改宗について、その根絶を求めます。冊子「拉致監禁」シリーズ3 - 反対派の悪辣な手口。はじめに 冊子「拉致監禁」シリーズ 3 反対派の悪辣な手口 1 はじめに 1966年、森山諭牧師(日本イエス・キリスト教団荻窪栄光教会)の主導によって、統一教会信者に対する最初の強制改宗事件が起こりました。 翌年7月7日、朝日新聞が「親泣かせ原理運動」という批判キャンペーンを開始。その報道に不安を煽られた親族が森山牧師とつながって指導を受けたため、拉致監禁事件が多発していきます。 反対派から指導を受けると、親族はさらに不安をあおられて、結局、反対牧師や元信者と協力態勢を組みながら、統一教会信者に対する強制棄教に取り組むようになります。 脱会説得するには聖書等に関する専門的知識が要るため、統一教会信者を子にもつ親は、脱会説得を専門に行う牧師や元信者につながって約半年から
2024/02/03 鈴木エイト氏に対する名誉毀損訴訟・第一回口頭弁論 報告会動画公開! 詳細 ► 2024/02/01 『公正な報道と記事の訂正を求める要望書』を中山達樹弁護士が弁護士ドットコムに送付 詳細 ► 2023/12/22 ビラ作成しました「刑務所よりも過酷な拉致監禁現場」 詳細 ► 2023/11/09 11/3 新潟シンポジウム『家庭連合信者に人権はないのか』YouTube配信のお知らせ 詳細 ► 2023/11/01 当会代表 後藤徹の手記が月刊『正論』2023年12月号に掲載されました! 詳細 ► 2023/10/12 9/10開催 拉致監禁問題を考える特別シンポジウム 講演者別の動画をYouTubeにアップ 詳細 ► 2023/10/12 当会代表 後藤徹が鈴木エイト氏を東京地方裁判所に提訴 詳細 ► 2023/09/14 「拉致監禁」問題を考える特別シンポジウム―家
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『全国拉致監禁・強制改宗被害者の会 統一教会信者への人権侵害の実態』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く