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アメリカ大統領選
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沖縄への帰りの機内で日経を読んでいましたら、エアーバッグ事故の対応で企業活動が大きく破綻したタカタの記事がでていました。読んでいるうちにこれはまるでわたくしが非常に気にしている研究不正がおこなわれた組織による開示の問題とどこかよく似ていると、強く感じました。 記事の見出しは民事再生法申請へ、とあります。エアーバッグの不具合が米国で問題になってからもう10年も経ち経営陣の拙い対応、責任感の乏しさで迅速にして抜本的な対応が遅かったので、とうとうここにまでの破綻に至ったということが記事からよく読み取れます。 この対応の遅さは現代日本の多くの組織のいまや宿痾の業病とでもいえるようになってます。 なんでこんなに対応が遅いのか。小組織のトップとして40年間やって来て、必要なら当日もしくは翌日に決断をし続けてきたわたくしにはただただ歯がゆいことが多いです。 かつてタカタは安全のシンボルでありバッグを使用
京都に休みに来た一つの理由は、「ときんど」さんつまり岡田節人さんの偲ぶ会に出るつもりでした。一に奥様に会いたい、お顔を拝見してひと言でも二言でも言葉を交わしたい、これがわたくしの強い気持ちでした。それが満たされてとても幸せです。 節人さん、奥様あっての節人さんでした。奥様にあえれば元気な時のときんどさんが芋づる式に記憶のひだから立ち上がってきて、おい柳田さん、どうしとる元気かという、例の声色が聞こえるようです。 しのぶ会ではときんどさんの独演会の録音でも聞けるとかと思っていたのですが、工夫をこらした音楽が流れていて、聞いたことがない曲が沢山、でも岡田先生のウイット溢れたことばでの説明が欲しかったのでしたが、ご子息がそのさわりをすこしやって頂いたので満足です。
もう45年近くも昔、スイスのジュネーブ大学で研究をしていたまだ20代のわたくしに、実験の再現が出来なくなったことがありました。非常に残念で、今でもかなり強く記憶に残っています。 当時わたくしは電子顕微鏡を使って細菌ウイルスの一種T4がつくる構造体の観察をしていました。突然変異体を用いたので、正常なウイルス構造のかわりに長い筒状の構造がよく見えました。ウイルスDNAは入っていないので前駆体のようなものというのが関係研究者のあいだでの理解でした。わたくしは、当時としては斬新な画像解析方法光濾過法を使って、この構造体の詳細に観察する実験をやっていました。 ある時、その筒状構造を含む試験管液を一晩放置して次の日に観察したら筒状の表面に見える格子の模様ががらっと変わっていました。顕微鏡の視野で観察していても歴然と違って見えるのでこれは面白いと思いました。ほとんどの筒状構造がそのようになっていました。
5月31日のブログに日本でのポスドク問題を論じました。 そこで書いた意見に変化はないのですが、日本の現状はたいへんたいへんに二度繰り返したくなるくらい深刻だと思っています。 twitterで書いていても、若手らしい人たちのレスポンスにしても今のボス先生達にしても、関心は非常にあるみたいです。でもあまり問題の本質を理解していない(失礼!)かたがたが多いのではないか、と感じざるを得ません。 どうしたらいいのか、誰もが納得する答えは持っていませんが、一つあるので、それを下に書きます。 この問題、すべての研究者がそれぞれの立場で胸に手をあててよく考える必要があると思うのです。現今の日本人研究者(生命科学はすくなくとも)の最大の課題かもしれません。 学位取得者を沢山輩出することは、世界的観点からは本当は大いに貢献している(はずな)のだと思います。ただし、日本の博士取得者が世界に出て行って引っ張りだこ
わかい研究者たちはこれからどうなっちゃうのでしょうか?よく話題になるし、またよく聞かれる質問です。 わたくしは生物系というか生命科学系の人間なので物理や化学などの若い研究者の将来は日本でどうなっているのかわかりません。 生命系ではあまりかんばしい将来を考えるのは正直難しいでしょう。 研究者はだれだって好きこのんで苛烈な競争におかれるような環境を好むはずがありません。 だれもが落ち着いてやりたい研究をしたいと願うものです。それが3年、よくても5年で職が無くなり、次がみつかるかどうか分からなかったら不安だし毎日が楽しいはずがありません。 そういう分野にどうしても行きたいと願う若者が減るのは当然でしょう。 いったいなぜどうしてこのようなトレンド(流れ)の研究社会環境になったのでしょうか。誰かが意図して計画したわけでなくせいぜい「健全な競争のもとにおける生命科学の発展」を企図して研究者つまり学位取
けっきょく今日の会は小保方氏が報道を相手に、国民に向かってアピールして、自分は不正をしていないのでもういっぺん調査をしてほしいということでしたね。本来は彼女の説明と嘆願を聞く会でしたよね。 小保方対報道であるので、あの場には研究者はいなかったので、報道が研究者の役割をしようと思っても無理ですね。小保方対研究者、それは調査委員会でやればいいのでは。理研外部の研究者を主体にもう一度しっかり調査をしたらどうか。 2時間以上の質問時間があっても、報道側の疑義は解けなかったのでしょうが、でも彼女のアピールを国民に媒介してしらせるのがあのような会の一次的な機能なのでは。 その点ではとても良く機能したとおもいます。 わたくしはもういちど調査をしてほしいという彼女のアピールをうけいれて理研はなんら損をすることはないとおもいました。 彼女一人だけがすべての非を受けとめる役割となっている状況に疑念をいだく国民
耳が聞こえないのに素晴らしい作曲をするとかで人気のあった佐村河内氏(この人の名前憶えられなくていまネットで調べました)が「実は」ということでいっぺんに破綻した話が最近ありました。わたくしは疎くてこの方まったく知りませんでしたが、テレビでヒゲもじゃもじゃの人物が記者会見できれいさっぱり剃って出てきてその違いに驚きました。作曲の代役がいて極めて長期に世間を騙していたのですね。しかし、記者会見の盛り上がりのせいかその後あまり話題になりません。 元都知事の猪瀬直樹氏、当選時は最高得票だったのにもう都民の多くは思いだしたくないようで、最近罰金50万円で決着したようですが、もうしばらくすると誰も話題にしないかもしれません。猪瀬氏は記者会見をして謝罪を繰り返しておりました。オリンピック誘致の立役者だったはずですが5千万円のことでいっぺんに破綻して知事辞職という目に会いました。公民権も5年間失ったとのこと
STAP細胞作成手順の公開でこれでおさまるかとおもったのですが、どうもそうはいかないようですね。前の発表論文との内容の整合性とか、手順がやはり不十分とか、とくにこれが極意とかいうものもないようで、専門家の中にはかなり不満を持つひとたちもいるらしいとの話を聞きました。 残念です。ただ、時間が解決するはずです。しかし、これから1年半もかかるとなるとかなり長い。 小保方さん、その後一度も公の場には出てきませんが、そろそろ出ていっぺん話したほうがいいのではないでしょうか。 研究者としてはいまはたしかに他のグループからの再現性有りとの発表もなく、苦境でしょうがでも正直にまさるものはないのですから、ぜひ報道の方の前で現状を説明して頂けるといいです。手順の説明も筆頭著者は小保方さんでした。 絶好調のときも不調のときもおなじように科学についてしゃべるという経験はなにものにも代えられないものでしょう。 きつ
STAP細胞論文についての報道や周囲のひとたちの意見などをきいてますと、ノバルティス社の薬剤ディオパンについての論文不正や東大加藤研論文のあたりから顕著になった傾向がますます顕著になってきた感じをもちます。 つまり当該研究者よりも当該研究機関が問題に対応するということです。 この場合の機関は大学のトップというか問題の起きた教室とか研究科でなく大学全体が問題に当たると言うことです。 これが芳しくない効果を生みだしていることは間違いありません。 STAP細胞についての報道はいまやだいたい理研とか早稲田大学の組織から出てくる情報が多くなりました。若山教授の意見などは個人のものとして大変貴重なものとなりつつあります。 組織は人間でなく、人間の集合体の意志ですので、一義的に組織防衛に向かい、真相解明は多くの場合二の次ぎ三のつぎになってしまいます。 STAP細胞は色々な意味でビッグな内容を伴っており、
ことしの正月、子供達の家族がみな集まっていろいろよもやまばなしがありましたが、娘と長男がいうには、分子生物学会の表紙が、学会とは無縁とも思える人々のなかで評判になっているとのこと。 嬉しい話です。ツイートがあるらしいですが、ツイート検索は自分がツイートしていいる癖に知らないので、グーグル検索しました。そうすると、以下のようなものが。 ある方から教えてもらったのだけど、日本分子生物学会の学会誌の表紙イラストとタイトルがどの号も センス良すぎて!!! もうこれで充分です。努力がむくわれた感じです。 参考までに、この表紙は絵案をおもいつき実際に描く人Tさんとわたくしどもの意見を聞くT社のWさんと絵案にコメントをするわたくしども編集の人間によって作っています。 周辺には(秘密で)、この雑誌の論文のかなりの部分は将来消えてしまうだろうが、この表紙はひょっとすると100年後も残るかもしれない。この表
いろいろと刺激的な情報が東のほうから聞こえてくるのですが、いまは書くべきでないらしいので、やめておきまして、きょうは論文刊行とはそもそもなんなのかについての自分の考えを書いておこうとおもいます。 論文を書くとは結局宣伝告知の類ではないのか、とおもいます。昔論文投稿の経費は研究費に入っていませんでした。研究費で払うものではない、機関か個人かが払うものだ、などという理屈だったのかもしれません。いまは研究費で堂々と払えます。公開が必須のジャーナルでは30万円とかかかるのはざらです。つまり研究の完結は論文をだして研究成果内容を一般に公知するということなので、パブリックの利益になるはずで、だから国民の血税も刊行費に使ってよろしいということになります。個人の欲望を満たすための私利私欲の論文刊行なら血税を使うべきでない。当然のことです。 ですけれども、論文刊行や学会発表はやはり宣伝だと感じています。 発
十年に一度とか言う大きな勢力をもった台風が本土にむかっているそうです。 あしたの朝、沖縄に向かう予定ですが、どうなることやら。出発時の風は比較的飛行機は強いと聞きます。あした朝が駄目なら早めに通報が入るはずですが、ぎりぎりいけるのではないか、ともおもえます。駄目なら午後遅くでもなんとか戻らないといけません。17日に用事があります。 東北地方にあたらしい医学部をというニュースを最近よくみます。もちろん賛成ですが、どうもこの論議つまり例外的に新しい医学部を作るのを許可する、という議論の流れは根本的におかしいとわたくしは思っています。これからは沢山の医療に従事しない医師資格者が必要になるでしょうに。 これからの日本(実はこれまでも)、医学教育を受けて医師の免許をもちつつ医療にたずさわらない人々が増えることがたいへん望ましいのではないか,と思っています。 医師になるための教育の大半は疾病についての
前回書いたのにはもうすこし追加したいことがあります。 わたくしはもう国内学会にも真面目にいかないし、研究費も一緒にもらうような仲間がいないので国内の様子があまりわからない。でもだからこそというか、孤立者の感覚で、捏造の新時代に日本は入ったという感触があるのです。その理由は研究費の流れが新時代にはいったので、とうぜんそこでおきるストレスや軋轢もタイプが変わってきて、生存のためにやってしまう捏造のタイプも新時代に入ったということなのです。世間ではあまり知られてないですが、捏造論文をだしたとして懲戒処分をうけたひとたちが裁判に訴えて、かなり高い確率で勝訴であったり示談になったりしているのです。 でも今日言いたいことはそういうことではないのです。 つまり捏造データが生みだされる環境はかなり単純でない。外部からみると、研究主宰者の意にそいすぎるようなデータがでてくる不自然なしくみがラボ内にあることが
なんべんも捏造データ論文についてこのブログでも触れています。わたくし、この問題について若い頃はゴシップ的な知識は割合豊富でした。そういう知識を基に捏造データを避けるために、ラボ内では極力「正直がすべて」という方針でいきました。つまり論文での明白な過ちは恥ずかしいがしかし人間である以上過ちはしかたがない、しかし意図的なデータ改竄はこれは学問上の犯罪なので、判明したら、即刻永久レッドカードと、ラボヘッドとして、躊躇なく言っていました。しかし、それは近辺にそんな人物など出るはずがないという強い思い込みがあったことも事実です。 運良く今日まで京大の生物物理で若い仲間と研究を始めてから、40年になりますが一度もありませんでした。 いっぽうで、いわゆる2勝1敗のデータをどう扱うかは難しいものです。 つまり繰り返す実験の結果データが2方向に向いた場合です。正直、難しい。どうにもならなければ実験回数を増や
朝日新聞に、東大分生研から発表された大量の論文に捏造データがあったという記事がありました。他の新聞ではまだ出ていません。スクープというかたちになっています。論じたいのですがすこし時間をあけたいと思います。 そのかわりこのあいだ飛行機内で書いたブログはロイヤルベビー誕生でアップしなかったので、きょうはそれを出しておきます。 忙しいので、話題は沢山あるのですが、すこしずつです。 若い頃、つまり20年か30年か前ですが、長老の先生に学会の懇親会などで、君たちのはなしは細かいねえ、といわれて鼻白んだものです。そりゃそうですが、でも細かい話以外に持ち種がないので、しかたないでしょう、がまあ無言の返事だったわけです。 わたくしもその長老の年齢になって、やはり同じようなことを言いたくなる衝動に駆られることが最近は多いです。国内の会合でとみに多いです。 でもそれはまずい、かれらも返事もしにくいだろうし、嫌
明日は京都駅近くで会議があります。わたくしには重要会議で出席者のご意見を注意深く聞かないといけません。 前からラボや昔の研究室の仲間に会ったときには折々にいっているのですが、まだこのブログではあまりいってないようなことを今回書いてみようかと思います。 生命科学をやるものにとって時代が変わった、という認識は多くのかたたちが共有しているのだとおもいます。 現状はけしからん、もっと基礎科学を大切にしないと、というのももちろんありだと思います。 しかし、いっぽうでわれわれは生き続けなければいけないので、先の長い若い世代にどう三度の食事を得られるようにするか、こちらのほうが現状の改革よりまったなしの急務になっているわけです。 それでわたくしが自分の言うことをあまり誤解しない人たちにいっているのは、ひらたく言えば、二刀流でいきなさい、頭を切り換えて基礎と応用、どちらもやりなさいよ。というものです。そん
研究者を志望する若者たちが減っていることはわたくしにとっては大きな関心事ですが、志望者が減っているのは、志望しても先が見えない。たとえ志望しても破綻してしまうのではないか。自分のケースというよりは、周囲の年長の人たちを見てもうまく経歴が伸びている人はごく少数にしかみえない。 破綻するよりはより確実な安心そうにみえる職業にいた方がましなのでは。 ここで話題にしたいのは、「破綻」というコンセプトです。先行きの人生が破綻してしまう。 計画通りにいかない、期待通りの人生にならない、破綻人生を歩むのではないか。 破綻とは英語辞書ではfailureと訳語にあります。つまり失敗人生に終わってしまうのではないか。 しかし、破綻という言葉の字をよくよく見るとちょっと違うのかも。 破はまさに破れるです。綻はほころぶ、縫い目がほどけてしまう。つまり、布でいえば、破綻は破れて糸がほつれてしまう、ということで失敗と
昨日の書いたものは途中で終わってしまいました。またいつか気分が変わったらまとめて見たいとおもいます。 いろんな人々と話しましたが、米国では基礎研究の続行は非常に難しくなって来ていると言われました。端的には研究費をえるための競争率が高くなってきたので、この程度やれば前は研究を続行できたのに、いまでは駄目というケースが増えているようです。 基礎研究をするのはますます狭き門ということなのでしょう。 それではどういう研究が続行しやすいかと言えば、医療と結び着くような研究が奨励されている。基礎研究の成果を医療に応用する流れです。 もしくはバイオテクノロジーとかいわれる種々の生物をもちいたなんらかの工業や産業に直接むすびつような研究です。基礎研究がかなりおうように許されていた米国もとうとうそうなってきたようです。 しかし、そうは言っても米国の懐は深いのですね。こんかいBaltimoreでは旧友のところ
80才で工学博士を取得した大阪の妹尾さんの朝日記事がほろりとさせ、かつこのような人こそ今の日本が一番欲しい人なのだと思いました。 http://digital.asahi.com/area/osaka/articles/OSK201304170125.html?ref=comkiji_redirect 博士論文は「木質バイオマス炭化によるカーボンシンク効果の評価に関する研究」。木炭を土中に埋めると大気中の二酸化炭素を減らせる。その炭を効率よく焼く炭化炉を設計した。炉のメーカーで長年培った経験と技術が生きた、なのだそうです。 指導する、石川教授は、実習が多い工業大で教える時は、博士号よりも技術士などの資格がものを言うと実感している。「企業や現場で働きながら、発明や技術革新を成し遂げる人も多い。一方で、博士号は足の裏の飯粒といわれる。その心は『取っても食えない』」と言うのだそうです。 まあそう
日本の論文数の問題について朝日新聞の社説の意見はわたくしの考えとはずいぶん違うものでした。 http://digital.asahi.com/articles/TKY201303310216.html 日本の科学力―研究の場を育てる意味 というタイトルです。 問題となる状況について3つの原因を挙げています。 原因の一つは国際共同研究の流れに乗り遅れていることだ。欧州各国は意識的に「多国籍研究」を進めている。米国の共著相手トップに躍り出た中国は、米国留学組が帰国後も共同研究するケースが多い。 もう一つは、学際・分野融合的な部分で次々に生まれているホットな研究領域へのかかわりが弱いことだ。たとえば、数学や工学、生化学、感染症学などの境界ですすむ「ネットワーク科学」への関与は薄い。 大学の学部や学科の壁が強固すぎるのではないか。内向きの姿勢をあらため、世界の潮流を見失わないことが重要だ。 この処
日本の論文数が外国に比較して地位低下が著しいとの記事をみました。 そうだろうな、とおもいます。 もう長らく続いている日本の研究費の集中、重点化、5年おきに生まれる新研究分野への研究費特化による研究者の先鋭化による結果に違いありません。 研究者といういきものはニッチ的なもので、たとえ年間50万円の研究費でもひとたび頂ければ一生懸命論文になるようなだれもやってないトピックを探して研究をするのです。 論文を書こうとする研究者の数が減ればとうぜん論文数も減るでしょう。こう推測します。 わたくしが研究費をひろく浅くばらまかなければ大変なことになると要職の人に会えば常にいっているのもこういうことをおそれてきたからです。 1960年代から70年代の頃の乏しい研究費ではあるものの一律の大学や研究所の講座費で広く浅くやって来た研究の広がりもとうとう枯渇してきたのかと思います。わたくしなどがそういう環境の中で
ネットで読みました。以下、桑田さんの発言です。 桑田真澄さん:体罰に“反論”殴られ愛情感じたこと一度もない 2013年01月12日 ◇「体罰」について 小学生の時、グラウンドで監督やコーチから殴られない日はなかった。 殴られて愛情を感じたことは一度もない。「なぜだろう」「おかしい」と思ってきた。体罰が嫌でグラウンドに行きたくなかった。体罰で力のある選手が野球嫌いになり、やめるのを見てきた。子供は仕返しをしない、絶対服従だと思っているから体罰をする。一番ひきょうなやり方で、スポーツをする資格はないと思う。 体罰をする指導者はたくさんいる。そうした人たちのほとんどが情熱家だが、熱意が空回りしてしまっている。殴って何が解決するのか。体罰を受けた子供は「殴られないためにどうしたらよいか」と、その場しのぎのことを考えるだけだ。これではうまくならないし、自立心がなくなってしまう。 体罰が減らないのは勝
今年最後のブログを書いておきます。 若い先生と話をすると大学院にきて博士をとろうとする若者が激減しているとしばしば聞きます。理由をきけばやる気がないのじゃないかという類の返事なのでわたくしには役に立ちません。要するに、大学院博士取得のコースは人生設計として危ない、という感覚が非常に強いのでしょう。 成功すれば素晴らしいだろうが,大半は成功しないのだから、こういう「賢い」判断なのでしょうか。それについてはわたくしは言葉がありません。 ただ、わたくしの場合では、大学院にいくかいかないかを最終的に決める頃の学生実習で、実験室であくせく働くのが非常に面白い,やみつきになる、こういう体験をしたのでした。 しかもそれを普通の学部の学生実習で体験したのでしたから、誠に幸運でした。 随分前のこのブログで一度書いたことがありますが、くり返しも悪くないでしょう。 学部4年生になって、実習はもうそろそろ大人扱い
わたくしがいま若い研究者に将来性のあるテーマはと聞かれたら、政府のサポートのないような研究かな、というでしょう。 それじゃ、研究できないじゃない、といわれそうです。まったくその通りです。 でも日本のどこか、世界のどこかでそのテーマを将来推進するに必要な準備として役立つ研究をしているはずですから、そこへいって準備したらいいでしょう。 本当にやりたい研究は自前の研究室を持ってから初めても遅くないでしょう。 たぶん、こんな忠告に耳を傾ける若い研究者は非常に少ないでしょうが。 ただ、もうすこしプラクティカルにいえば、その準備のための研究に対していまは政府の強いサポートがあるのなら、そこで時間をすごして、成果もあげればいいじゃない。ミイラ取りがミイラにならなければ,わかものにとって、悪くない時の過ごし方のはずです。
京大の阿形さんから、皆川貞一先生がお亡くなりになったという連絡を受けました。 12月1日に逝去されたとのことです。寂しいです。百万遍のバス停で奥さまともどもばったり会ってあのとき挨拶だけでなくもっともっと話しておけばよかったと後悔しきりです。 88才、先生は米寿の年に亡くなったのでした。 わたくしが京大で働き始めて最初の10年いろんな先生のお世話になりましたが、いちばん世話になったのは皆川先生にちがいありません。わたくしはよくいって荒削り、悪くいうとあちこち抜けて、かつ人間性の欠点がもろに表に出てました(いまもかな)。皆川先生、わたくしのことをあずまえびすだからしょうがないとからかいつつ、でも背後でいろいろ気がつかないように助けてくれていたのでした。皆川先生の助けがなかったらたぶん挫折していたような気もします。それなのに、なにもおかえしもできないうちに年月が経ってしまいました。慚愧に堪えま
たしかにこの森口氏の公表しているものは論文ではなく、意見みたいなものが多いのです。 ちょっと文献リストを見ると沢山あるようでしかもけっこう有名ジャーナルです。 でもよく見ると、要旨もついてないような短いコメントみたいなものが多い。 なんか上げ底のお菓子箱みたいな文献リストのようにも見えます。 でもこれで、ともあれ肩書きは東大(特任)教授だし、高額な研究費も文科省などからもらっていたことも記録にあります。 実体はどうあれ、書類上は東大を代表する医療系のiPS細胞研究者だった(ちょっと言い過ぎかな)ようでもあります。だから読売新聞がなんどもなんども記事を書いたのも分かるような気がします。 でもこうなってくると、また東大か、という気持になってしまいます。 どうもいかさまかもしれない研究者が全国的に増えてきて、どれが本当のいかさまか、どれがそう見えるだけで本当は真面目な研究者か区別がつかなくなって
昨日はいろいろ忙しくて、気がついたら遅い時間になっていました。 多くの人が感じるように日本はだんだん変わってきました。幸か不幸か隣国とのつきあいのなかでいろいろと覚醒することがあるのだとおもいます。その結果、忘れていた「日本の体質」が復活してきたのかもしれません。 ひとことでいって、日本(人)は「尖鋭」になってきたという感じです。 経済大国ではあっても、尖鋭さに欠けていた、日本(人)にそういう部分があちこちで出てきているのです。 というか、歴史の流れで、そうならざるをえないのかもしれません。 尖鋭になるのに一番抵抗しかつ貢献したのは65才くらいになった団塊の世代であり、しかも日本の尖鋭さが明瞭になったのが、かれらが社会現場の一線から(みかけ)退場する時期と一致するのが不思議です。 尖鋭さをもった人材が社会にいっせいに沢山出てた感じがしませんか。 たとえていうと、日本の野球のヒーローが米国に
わたくしも一時はゲノムの研究をしていました。でも分裂酵母のゲノムですからたかはしれています。でもある時期はフロンティア的な研究状況もありそれなりにおもしろかったのでした。チャーリーカンターとゲノムを物理的に理解しようとして共同研究したり、コールドスプリングハーバーにいたビーチとか水上さんとか一緒に分裂酵母のゲノム構造を明らかにすべくやった時期はそれなりに面白く先端的でした。そのころは中村祐輔さんとはしばしば学会などであっていました。かれは医学出身で医療経験があるのでヒトゲノムを見る目はわたくしなどとはまったく異なりますが、それでも時代の潮流を共にした時期がありました。 だから、かれが東大の大きなヒトゲノムセンターの責任者となり大プロジェクトを率いるのも当然と見ていました。しかし、きのう述べたように彼が日本を去るという経過をマスコミ的にしか分かりませんが、たいへん残念と思っています。ただわた
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