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机に広げっぱなしだった転入先の中学校に提出する書類。 そこに記入されたぼくの「日本名」を見て親父が激昂したのを、今もよく覚えている。もう15年も前なのに、怒りで震えて真っ赤に染まっていく般若の顔を、ありありと思い出すことができる。 「おまえ、恥ずかしくないんか。この名前で、こんなレベルの低い学校に通うことになって、おまえは民族の誇りを捨てる気か」 書類を引っつかんでぼくに投げつけるが、しかし2〜3枚しかなかったそれらははらはらとフローリングに落ちるだけだった。 “知らねえよ、民族の誇りなんて。” そう胸中で毒づきながら、ヒステリーを起こした親父の投げた書類を拾い、丁寧にしわを伸ばす。日本による植民地支配、その末の創氏改名。ぼくたちの「日本名」は、非常に屈辱的な歴史の中で強制的にあてがわれたものだ。その「日本名」を自ら名乗ることは、すなわち民族の誇りを捨てることと同義である。 親父の──上の
マイノリティ女性と対話する動きはあったが… ――前編では、日本においてインターセクショナリティという言葉や考え方が広く知られていない理由について伺いました。しかし、日本にもマイノリティの女性は数多くいるわけですし、過去にマイノリティ女性からマジョリティのフェミニズムに対して、異議申し立てはなかったのでしょうか。 たしかに在日コリアン女性や障害女性、部落女性による運動など、マイノリティ女性の運動は数多く存在しています。また、マジョリティのフェミズムの中でもそういった運動について学ぼうとする動きや、対話しようとする動きはありました。 しかし、「マイノリティの問題について学びましょう」という姿勢だと、自分のマジョリティ性を直視したり、問い直したりせずに済んでしまいます。「勉強になった。よいお話を聞いた」で終わってしまう。 結果、フェミニズム系の研究会やイベントにマイノリティ女性が呼ばれ、登壇する
フェミニズムやブラック・ライヴズ・マター、そしてフェミニズム内部でのトランス排除問題に関連して耳にすることが増えてきた単語「インターセクショナリティ」。しかしその意味を詳しく知っている人は意外にも少ないのではないか。 「交差性」とも訳されるインターセクショナリティだが、なぜフェミニズムを学ぶ上で必須の概念なのか。 東京大学大学院教育学研究科附属バリアフリー教育開発研究センターに所属し、クィアと障害(*)、フェミニズムについて研究している飯野由里子さんにお話を聞いた。 「障害」という用語については、そこに含まれる「害」という字が人びとに否定的な印象を与え、障害者に対する負のイメージに結びついてきたと考えて「障がい」や「障碍」といった表記を用いる人もいる。他方、障害学においては、多数派(たとえば非障害者)の利便性を前提に社会が作られていることで生じている障壁(バリア)が少数派の側にもたらす不利
「韓国好き」は良くも悪くもいろいろ覆い隠す 日本の大学に留学して、多くの人々に出会った。 通っていた大学は比較的韓国人留学生も多く、韓国関連の講義も複数用意され、韓国の文化に触れる機会は多かったと思う。 私が韓国からの留学生ということで、「韓国好きだよ」「K-POPが好き」と話しかけてくる同級生もいた。 自分の国のことを好きだと言われて、素直に嬉しかった。 しかし、彼らに韓国を好きになった理由を尋ねてみると、思わず首をかしげてしまうこともあった。 例えば、「日本のアイドルと違って、ダンスや歌も上手く、かっこいいから憧れる」と言われると、私は「日本にもダンスと歌がうまいアイドルや歌手はいるし、かっこいいの基準はそれぞれ違うからなんとも言えないな」と思う。 実際に韓国の人々と交流し、「日本人とは違う温かさに感動した」と話してくれる人もいた。 もちろん韓国に対して良いイメージを持ってくれるのは嬉
こんにちは。さるころです。 事実婚しながら男児を育てているイラストレーター・マンガ家です。 離婚経験からの再婚(事実婚)を経て、自分自身のジェンダー観を洗い直す生活をしております。 マンガや本を読んで「これは…!」と思ったジェンダーの話を書かせていただきたいと思います。 最初が「世界一周ホモのたび DX」です! こちらの本は作者のサムソン高橋さんが世界中のハッテン場をめぐるゲイカルチャー&旅マンガです。 まず「世界一周ホモのたび」があり、こちらは続編、2巻的な扱いの本です。 私は仕事で世界一周を2回して(2周?)いて、その体験をマンガにしているので、「世界一周」マンガとしてシンパシーを感じつつ拝読させていただきました。 いやー、これがすごく面白い。 旅マンガとしての醍醐味、その土地ならでは食や宿泊などの情報もしっかりありつつ、世界各国のゲイカルチャーについて描かれています。 私は元々ゲイカ
街中にあふれる、外見へのコンプレックスを煽る広告たち。 その前提となる外見至上主義に、SNSでは異論を唱える女性も増えている。 美容大国と言われる韓国出身の筆者が脱毛広告をもとに、広告で謳われる「主体的な女性」への違和感をとりあげた。 「脱毛して」「美容整形して」と言わないでほしい 都内に通勤する人は、ほぼ毎日電車に乗るのではないだろうか。 「電車 脱毛」と検索すると、次のキーワードに出てくるのは「多い」と「なぜ」である。 多くの人が何かしらの疑問を抱いているのだろう。 私は通勤のたびに東京メトロを使う。スマホを見る余裕もないほど押し潰される時は、なんとなく電車内広告を見てしまう。 そうすると広告たちは私に「夏の海を満喫したいなら、脱毛しなきゃ」、「シワは化粧では隠せないから、美容整形すれば?」と語りかけてくる。 同じコンプレックス商材の広告には薄毛治療や英会話もあるが、特に「脱毛広告」は
私は下着がすごく好きだ。 なんで好きかって、単純に心がときめくのだ。 多分それは、インスタでおしゃれな人たちが「#OOTD」とハッシュタグをつけて今日の洋服のコーディネートを載せる、そんな感覚と遠くない気がする。 ランジェリーショップは宝石箱のように思える。いろんな色やいろんな素材やいろんな形の下着がたくさん並んでいる。 それらを見ている時、「今度彼と会うときにこれを着てみようかな」「この下着で撮影したらいい写真が撮れるかな」「この下着は着心地が良さそうだから仕事の時に使いたいな」など、様々なシーンに思いを巡らせている。 あ、「女友達とスーパー銭湯に行くときに着てたら可愛いって言ってもらえるかな」とかも。 グラビアの仕事をしている時も、水着より下着の写真を撮られる方が好きだった。 多分、海でもない場所で水着を着ることに違和感があったのだと思う。グラビアという、男性のために自分の個の部分は極
学生時代からのゴルフ好きが高じて大学卒業後ゴルフ雑誌の編集部に就職した筆者。 男子プロゴルファーと比べて、女子プロゴルファーへのルックスに偏重した取り上げ方や過度な性的視線に違和感を持つことが多かったという。 メディアの作り手だった頃を振り返り、現在そして未来の業界について寄稿してもらった。 結局、賞金女王はどっち? 最近のできごとで違和感を覚えたのは、昨年の国内女子ツアー最終戦『LPGAツアー選手権リコー杯』の中継だ。今年の賞金女王が決まる大一番であり、当然ながら注目は高まっていた。 もちろん私も注目していた。賞金ランク1位の鈴木愛が逃げ切るか、2位の申ジエが逆転するのか、3位の渋野日向子にも可能性がある。誰が今年の賞金女王になるのか、と。 しかし、テレビ中継はそうではなかった。 とにかくカメラが渋野に集中していて、画面右上にも「逆転賞金女王へ 渋野日向子」と表示されていて、「渋野追いつ
現代の女性がほとんど使っていないにも関わらず、映画やテレビドラマ、小説といったフィクションの中に根強く残る「女ことば」。 前回は女ことば研究の第一人者・中村桃子教授に、女ことばを現代まで守り伝えてきた者の正体について、続く第2回は女ことばと類似する「おネエことば」について訊いた。 最後の第3回は、思春期に入り一人称が「僕」になる女児や、「僕」から「俺」に一人称が移り変わる男児の内面にフォーカスして、言葉の選択の可能性について考える。 一人称が「僕」の女の子たち ――「女ことば」を使う女性がほとんど見られないのに反して、一人称が「僕」の女性は身近にいたという人が少なくないと思います。特に思春期の頃に。 小学校高学年とか、中学に上がる頃ですね。 私が調査したときには、「”女”から逃げたかった」といった言葉を複数人から聞きました。身体が女性として発達していくことへの戸惑いや、社会的に女性性とされ
現代の女性がほとんど使っていないにも関わらず、映画やテレビドラマ、小説といったフィクションの中に根強く残る「女ことば」。 前回は女ことば研究の第一人者・中村桃子教授に、女ことばを現代まで守り伝えてきた者の正体について訊いた。 第1回:ハーマイオニーと女幹部 「女ことば」は男が作る【言語学者・中村桃子】 続く第2回は、ドラァグクイ―ン、「キャンプ」の概念、『クィア・アイ』などを通して女ことばと類似する「おネエことば」について考える。 ――前回は「女ことば」の成り立ちについて伺いました。 女ことばを研究する中で、類似する概念であるいわゆる「おネエことば」についても研究を進めてるんですけど、これまでに出した本にはきちんと章立てして載せてないんです。当事者の皆さんのためになるような書きかたにしたいので、もう少しきちんと突き詰めたくて。 当事者の皆さんの中でも、「おネエことば」については思ってること
魔法使いの学校に通う眼鏡の少年と赤毛の少年の無茶な提案を、小さな魔"女"がこう諌める。「あら、それはちょっとおバカさんね!」 主演"女"優賞を勝ちとった俳優がこうスピーチする。「このオスカー像は作品に関わったすべての人のものよ! 分かちあうべきだわ」 ただ実際のところ、2人ともこんなことは言っていない。翻訳の過程で添加物を加えられ、ニュアンスが歪められた表現だ。添加物とはすなわち「女ことば」。現代を生きる女性たちがまず使っていないと言っていいその言葉は、なぜかこう呼ばれている。 「女ことばが存在していたほうが都合のいい人たちが、作為的に現代まで残し続けてきた」 そう語るのは「女ことば」研究の第一人者・中村桃子教授。 もうとっくに使われなくなったはずの女ことばを今に伝えているのは誰なのか。それによって歪められ聞こえなくなっているものは何なのか。また本当に生きた言葉とは。 『ハリーポッター』や
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