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アメリカ大統領選
odd-hatch.hatenablog.jp
これを読むと、ミステリ(探偵小説)は形式の文学だなあと思う。形式は犯罪→探偵→捜査(解決)で構成される。そこにはしばしばテーマはない。形式を踏まえていれば、何の内容もなくてかまわない。量産されるミステリ(探偵小説)はそういうものだ。また作品はしばしば超歴史的。どこでだれがどのような状態で書いたかというのは、形式を検討するときに問題にされない。なので、19世紀の短編は21世紀の短編と形式において比較可能になる。 一方、サイエンス・フィクション(SF)は方法とテーマの文学だ。方法は科学的思考(ここでは知識と推論で代表される。別のなにかでいえそうだが、自分には見つからない)。その方法でいくつかのテーマを扱う。無理やりに統合すると予測(仮説とか外挿とかでもいいような気がするがぴったりすることばが見つからない)。このふたつがとりあえずそろっていれば、形式なぞなくてもSFは可能になる。とはいえ、19世
1970年代前半の論文が収録。哲学・思想系の「オカタイ」雑誌に掲載されたものだと思うけど、高校の世界史と倫理社会(今はなんて学科名だい?)の知識を持っていればだいたい理解できる。面白いのは、いくつかのキーワードを元にそこにリンクするほかの本・著者・知識が次々と披露されること。これだけのひろがりを提供できる人はそんなに居ないのでとても貴重。最初のふたつの論文の関心領域は生松敬三「二十世紀思想渉猟」(岩波現代文庫)に重なるけど、とりあげる範囲はこちらのほうが広いかな。まあ、論文の目的が違うので比べるのは不当かも。 二十世紀後半の知的起源 ・・・ 知を狭い領域の閉鎖された学問の中で捉えるのではなく、他の学問分野とかある観念でもって集結すると、新しいことが見えてくるんじゃね、という主張。書かれた年の前には、全共闘の「専門バカ」批判があったからなあ。その例として1920年代ハンブルグにあったワールブ
三里塚中央公園に行って印象深いのは、開港4年目の春の集会。そこにつくまでいろいろあったけど割愛し、さらに本集会前にさまざまなグループが集会をやっていたりとか春の雨がふってレインコートを着ていたとか、個人的なおもいでがあるけどそれも割愛して、本集会が始まってからこと。支援団体の演説は退屈であったのだが、目が覚めたのは、同盟のひとりが登壇し短い演説をしたとき。演説自体はどこかの機関紙にのっていそうな紋切り型だったのだが、演説者の顔に仰天した。彼はよくみるインテリや学生くずれではなくて、百姓の顔をしていた。自分の親が農家の出身なので、泊りにいったり、手伝いをしたりすると、人が出入りし、訛りの強い言葉で現状をしゃべる。それを横で見ていたから百姓の顔はよく知っている。その顔が、左翼機関紙に出てくるような言葉で空港建設反対を力強く主張していた。 この本は1970-71年にかけて朝日ジャーナルに掲載され
パトリシア・スタインホフ「死へのイデオロギー」(岩波現代文庫)-1 つづけてあさま山荘事件。10日間の籠城の最終日には、クレーンでつるした巨大な鉄球が建物を壊し、終日ガス弾が撃ち込まれ、放水が続けられた。ほとんどのテレビ局が現地から長時間の生中継を行った。たまたま風邪で学校を休んだ自分は、夕暮れまっくらになり逮捕者が護送車にのるまでテレビの前にいた。その一か月後、新聞のトップに、粛清犠牲者の遺体が発見された記事が載っているのを見た。読んでも、そのときは意味は分からなかった。 第四部 殲滅戦 そのアイロニー ・・・ 1972年1月下旬、リーダー二人が上京したところで、粛清はなんとなく終了する。サブリーダーが粛清に疑問を持っていたとか、非指導者は新しいリーダーの権威を承認していなかったとか(しかし服従はする)。所用で下山するものから離脱者がでる(しかし秘密は厳守)。警察の追求が強まり、小グルー
1969年春。70年安保闘争を控えた新左翼諸派の闘争方針を収録したもの。革マル、解放、ML、共同、中核など6派が論文を寄せている。まだ内ゲバの始まる前で、革マルと中核がいっしょに収録されているのが珍しい。内容についてはというと、今から35年前のことを現在(2005/5/25現在)の視点で批判しても仕方がないだろう。細部で正しいと思われる指摘も全体の論理の中ではばかげているというのが今のところの感想。 個別党派には関係なく指摘すると、どこの「理論」にも経済学がないこと、現実の分析がなく幻想を当てはめてしまうこと、根を捨てることや自己破壊することに陶酔していること、などの種種の問題がある。 内容からはずれるが、20世紀共産主義運動の問題は戦時動員体制(ないし秘密結社)でその運動や体制が作られたこと。そこでは、市場と構成員の自由が統制され、権力の範囲が拡大され、上位下達の指示系統が貫徹され、云々
これは半藤一利「日本の一番長い日」とあわせて読むのがよいな。「日本の…」では、8月14日から15日までのクーデター未遂が主に下級士官視点で書かれているが、こちらは開戦から終戦までの政府首脳の動きが書かれている。その資料は、「木戸日記」「杉山メモ」「近衛日記」など資料に基づくので、正確。それを対比すると、なるほど陸軍省の若手参謀といえど、天皇を見ることはできなかったのだなあ、まして言葉を交わすことなどとんでもない。それゆえに幻想とか妄想をたくましくしていって、実際とかけ離れた天皇像を自分のものにしていたのだなあ。幻想や妄想のうちにある「純粋天皇」は自分のことをよくわかってくれるので、暴力を使っても構わない(至純至誠な「私」の行動は無条件で許される)のだと勝手に思い込んでいたのだなあ。 鶴見俊輔「戦時期日本の精神史」(岩波現代文庫)では、明治維新から敗戦までのこの国のシステムを「顕教」「密教」
2015/01/05 荒井献「イエス・キリスト 上」(講談社学術文庫)の続き 教団ではなくイエスに遡ろうとしても、それは難しい。すなわちイエス本人は記録を残していないし、同時代の施政官であるローマ側の資料にも、イエスの批判したユダヤ教文書にもイエスの活動は記録されていない。残されているのは、複数の福音書と使徒行伝であるが、これはイエスの死後50年以上経過してから編纂されたもの。 そのうえ、この国に住む者には紀元0年前後のパレスチナの様子がまずわからない。参考になるのは、佐藤研「聖書時代史 新約編」(岩波現代文庫)あたり。それでもこの砂漠の地でどのように生活するか、さらにはユダヤ教の律法が生活を激しく規定していることや、ローマの属国であり差別が日常的であった事態を理解するのは困難。 この本によると、当時のユダヤ人はヘブライ語を読み、コプト語をしゃべる。ギリシャ語は支配者の言葉であった。福音書
こうやって聖書の解説書(のうち学術傾向の強いもの)を読んでいると、細部にこだわりすぎてしまう。要するに、聖書の本を読むと、次の3種類になるのだ。 一つは、これまで読んできたような専門研究者による学術書。ここでは聖書を読んでいることは前提のひとたちが19世紀からの研究史を踏まえて(それに考古学などの知識を加えて)、文献研究を行う。そうすると、脚注の脚注の脚注…という具合になって、いつまでも本文に届かないようになってしまう。 もうひとつは、聖書を長年に読んでいる人たちによる解説や注釈。ここでの問題は「イエスを語ることは自分を語ることだ」がそのまま書かれていること。ヒューマニスト、「神の国」運動の主導者、逆説を弄する犬儒学者、社会奉仕の組織者、「罪人」に寄り添う社会起業家…というような「自分」の見たイエスを語ることになる(そのうえ、この国の人が聖書を引用するときなぜか大正時代の文語訳を使うのだよ
小学校3年生のときに「ヨハネによる福音書」をもらって読んでから、イエスは気になる人だった。折に触れて福音書を読み直しているが、謎めいているのには変わりない。この人がとても重要であるのはわかるのだが、自分とのかかわりをどのようにまとめていけばよいのか手がかりがないのだ。 それは自分一人のことではないらしく、この本でも「イエスを語ることは自分を語ることだ」、さらに変形して「イエスを語ることはイエスによって変えられた自分を語ることである」と言っている。イエスを語ることが、自分語りになる、その境目を見極めて適切な位置を保つのは容易なことではないらしい。なにしろ、イエスの言行の解釈はローマ・カソリック教会、ギリシャ正教会、プロテスタント、イングランド国教会、コプト・シリアなどの国民正教会などに分かれていて、その中の分派がいったいいくつになるのか、そのうえ無教会派の人たちが研究会を開いているとなると、
1848年2月のフランス革命から51年12月のルイ・ナポレオンのクーデターまでをレポート。この時代、マルクスはパリの現場を見ているわけではない(4月上旬にケルンに移動。翌年のドレスドン蜂起のあとプロイセン政府の追放令がでて、フランスにもドイツにもベルギーにもいられなくなり、ロンドンに移住した)。情報は時々刻々と入手していただろうし、同じ亡命仲間からの情報提供もあっただろう。1852年2月に一気に書かれたらしいので、とても臨場感がある。状況が変動する渦中でもあるので、書き洩らしている事態もあるようだ(フランス軍のローマ遠征など)。この一冊で2月革命の全貌をつかむのはできないので、別途資料を参照することが必要。 (笠井潔「群衆の悪魔」の感想で、2月革命をまとめているので、そちらをご参考に。) 第1章 ・・・ 「ヘーゲルがどこかでのべている、すべての世界史的な大事件や大人物はいわば二度あらわれる
網野善彦「日本の歴史をよみなおす」(ちくま学芸文庫)-1 後半は「続・日本の歴史をよみなおす」というタイトルで出版されたもの。ちくま学芸文庫版は二つの本の合本。「日本中世の民衆像」(岩波新書)から10年を経ての講義なので、前著の内容を覆す発言も含まれる。 日本の社会は農業社会か ・・・ 「日本中世の民衆像」(岩波新書)の主張のさらなる追及。これまでの歴史の見方は農本主義的。それは奈良時代のころからの政権が土地を税金のもととし、農をこの国の主要産業とする政策をとってきた(1300年間も)。その強い影響が江戸時代にあって、たとえば城下町と古い町以外には「町」の名は使えない。そのために、港湾都市や貿易都市はそれだけの規模をもっていても「村」と呼ばれた。百姓はもともとは「普通の人」くらいの意味だったが、「農家」とされてきた。でも古文書をみると、農以外の生業を持っている人が百姓とされていた。「頭振」
あとがきによると作者は長年放送作家をしていたそうな。なるほど藤本儀一、井上ひさし、辻真先、景山民夫の系譜にある人だな。こういう人の作品は、読者を楽しませることに関しては手間を惜しまないはず。以下の18編のショートショートが収録されている。いずれも最後の一行でひっくりかえすコント、というか怪奇譚というか。 母の記憶 ・・・ 認知症の母が語るとりとめのない言葉から、家出した父のことを思い出す。 夜の訪問者 ・・・ 帰宅すると不倫相手が妻と談笑していた。不倫相手は妻にそのことを喋ってはいないようなので、次第に俺への家の中の行動を大胆にする。 そっくりさん ・・・ 優秀なビデオ編集人である夫はなかなか家に帰ってこない。ようやく帰宅した時、ソファーで寝る夫が「ひろし」とうわごとを喋った。夫への疑惑が膨らんでいく。 おとなしい妻 ・・・ おとなしい妻が、ときどき泣き出してしまう。聞くと、さまざまなとこ
1958年、大分県と県境にある小国町の集落にダム建設(下筌(しもうけ)ダム)の話が起きた。なんとなればその前年の未曾有の大雨が筑後川を氾濫させ、久留米市などで死者150名余をだす大災害となり、治水のために上流のダム建設が必要とされたからだった。ここで起きたのは、地主の室原智幸。かれは集落の約40戸200人の住民の指導者となり、以後十数年後の死亡の日まで、ダム建設反対運動を行ったのだった。その奇想天外な運動は、(1)ダム建設予定地の崖に数十の小屋と渡り廊下を造り、そこを砦としたこと(その土地の名と流行の映画タイトルから「蜂の巣城」と呼ばれ、大島渚がTVドキュメンタリー「反骨の砦」を撮影した)、(2)80件余の訴訟を起こし、法廷闘争を行った、(3)アヒル、牛、馬などを現場に放ったり(一羽でも行方不明になれば、損害賠償請求訴訟を起こす)、立ち木の所有者を多数にし頻繁に変更する(立ち木の伐採には全
なんとも懐かしい本が再刊された(といっても発行は1996年と昔のことだが)。もとは「ちくま少年図書館」という叢書の第3巻として1970年に発行された。その3年後、12歳で中学1年生だった自分は、夏休みにこの本を読んで読書感想文を書いた。それが市のコンクールで入賞した。授賞式は市の図書館で行われ、当日行われていた中学校の文化祭を抜け出して、同じ中学校で入賞した3人と会場にいったのだった。 それから実に30年を経ての再読。かつては教えられる立場として読んだが、今回は教える立場から読んだことになるのかもしれない。すっかり内容を忘れていたが、中学のときに非常に影響されたことを思い出し、ここに書かれていることにはほとんど異論がなく、今でも自分の行き方あるいは判断の規範になっているのだと思い直すことができた。 びっくりしたのは、中学生・高校生向けにかかれているにもかかわらず、文章と内容の非常に高度なこ
「旧約聖書を生んだユダヤの歴史から説き起こし、真のイエス像と使徒たちの布教活動を考察。その後の迫害や教義の確立、正統と異端との論争、教会の堕落と改革運動など、古代から中世を経て近代、現代に至るキリスト教の歴史を、各時代の思想、政治・社会情勢のなかで、いきいきと描く。一般の教会史や教理史とは対照的に世界史におけるキリスト教の歩みと影響を論述し、真の信仰のあり方を問う力作。」 http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1591789 自分がキリスト教を気にしているのは(とてもではないが研究するとも信仰を持つともいえない)、小学校高学年のときに近くのプロテスタント教会に出入りしていたこと(祖母は天理教、父は真言宗の宗徒であったが、自分の振る舞いに文句を言われたことはない。それに中学生でクラブが忙しくなったらやめてしまっ
この本は著者の第2作にあたり1984年に刊行された。当時和歌山大学講師であったが、31歳。浅田彰「構造と力」の26歳にもびっくりしたが、この著者の年齢にも驚いた。まあ、なんとたくさんの本を読んでいること、それにびしびしと評価を与え、明晰な論理を展開していくこと(そのかわりあまりに展開が早いので、自分は消化しきれないままになってしまった)。この本でもとても中身の濃い議論が進められるので、充分注意深く読むことが要求された。廣重徹、中山茂を後継してこの国の科学(社会)史を展開していくのだろうと思って、この人には興味を持っていた(でもすみません、他のことに興味を奪われて、2冊しか読まなかった)。中山茂「科学技術の戦後史」(岩波新書)で科学技術の日本型モデルを提唱しているが、そのアイデアには著者も参加しているはずなのだ。最近知ったところでは、科学社会史からこの国の原子力発電の社会史、研究史に移ったと
初出は1887年。もはや原文を読むことはかなわない。そこで桑原武夫による現代語訳でよむ(とはいえ「メートルがあがる」なんていう昭和20年代の流行り言葉がでてくるので、「現代」と呼ぶにはちょっと。「メートルがあがる」の意味がわかる人はすくなくなったはず)。 内容は、南海先生、洋学紳士、豪傑君の3人による政体論、戦争論など。それぞれがどのような主張をしているかは別に詳しいし、とくにここで要約することはしない。解説では、洋学紳士の子孫が馬場辰猪とか幸徳秋水などののちの社会主義運動に通じていき、豪傑君は北一輝のような民族主義運動につうじていくという。その点で、ここに書かれた思想は後の日本思想の流れを予測しているものだという。南海先生の穏健派もまたひとつの龍脈をもっている。 自分が面白いと思ったのは、 ・豪傑君の主張は、戦争の感情的な肯定で、隣国に没落している国があれば、さっさと占領しわが国の思想で
「今から百年前,アジアで最初の国会開設要求の国民運動が日本全国からわきおこった.一八八一年は,この自由民権運動の最高潮の時であり,民衆憲法草案が続々起草され,自由党が結成され,専制政府は崩壊の危機にまで追いつめられた.各地で進められている研究活動の成果をふまえ,自由民権の全体像を構築し,現代的課題を明らかにする.」 堀田善衛「若き日の詩人たちの肖像」は1940年前後の青春群像を描いているのだが、その中に主人公の祖母が出てくる。彼女は、明治初年ころの富山県の生まれで、その生涯において自由民権運動と米騒動を目撃・体験しているのだった。だから彼女にかかると、昭和初期の共産主義運動も先人の苦労に比べて、生ぬるいか稚拙なものであったということになる。このような記憶は、戦後の労働運動などにおいていったん失われたのかもしれない。「自由民権」運動の掘り起こし作業は1970年以降、左翼前衛の運動の退潮期から
「あの」戦争について書かれた本は多岐にのぼる。小学生のころに手にした太平洋戦記を皮切りに多くの本を読んできた。最近の問題意識は、「あの」戦争の個々の局面における決断や戦局推移にではなく、どうすれば「あの」戦争を回避することができたのか、どのような選択が開戦以前にできたのかということだ。 戦争という国家政策を遂行するにあたっては、哲学(フィロソフィー)、政策(ポリシー)、戦略(ストラテジー)、戦術(タクティクス)が一貫していて、かつ効率的に運用されていることが必須となる。通常の戦史ものでは、タクティクスあるいはそれより下位レベルの問題が取り上げられる。あるいは哲学あるいはフィロソフィーでの批判が行われる本もある。 この本では、タイトルのように「マクロ経済学」*1(もとというよりも当時の経済情報、指標を使うにとどまり、経済理論的な検討は少ない)を使って、1930年以降敗戦までの軍の意思決定や行
書かれたのは1981年。レーガンがアメリカ大統領になり、新たな冷戦の開始を意図した。共産圏の周辺国家に核兵器を配備しようとして、反核運動をおこす原因になった。日本には核兵器を配備することはできなかったが、大幅な防衛費の負担増加を求めた。そのためか、一部の評論家や政治家、産業界の要人などが徴兵制の復活を求めるコメントを発表した。1989年の共産圏の崩壊によって、その種の議論はしばらく消えている。「外敵」なるものが恣意的に選択されていることがよくわかる(以上2009年記述)。 さて、著者の主張を敷衍していうのであれば、戦前の軍隊や徴兵制というのは 1.政治においては、社会の不公正を助長する。金持ち、官僚、高等教育を受けたもの、特殊な技術(医師、研究者など、かなり恣意的な選択になりそうだ)を持つものなどが免れ、貧乏な人などマイノリティや権利を侵害されているものが兵隊になってしまう。 また軍隊の給
19世紀の日本史を読書するとき不満になるのは、尊皇攘夷論がどこから出てくるのか説明がないことだ。本書にもない。尊皇と倒幕という革命思想は、主従関係を求める儒教や武士道からはでてこない。 俺のつたない読書から説明するとこうだ。17世紀後半に列島では経済安定もあって知識欲が強まる。寺子屋ができるなどして識字率が上がる。彼らが勉強したのは漢籍と儒教だった。しかし百年も続けると飽きて新しい学問を勉強したくなる。この欲求にこたえたのは、18世紀末からの洋学と国学だった。前者は書籍にアクセスしにくいので知的エリートだけの運動になり、大多数(武士、町民、豪農など)は国学と神道に傾倒した。そこに書いてあるのは天皇エライと日本スゴイ。神がかりの言説は列島に住むものの向学心を満足させた。全国に国学者が住まい、神道団体ができ、一部は農村改革運動を起こす。19世紀になってからは儒教と武士道に代わって国学と神道が列
1962-64にかけての南ヴェトナムの従軍記。1960年にベトナム解放戦線が作られ、ゲリラ戦が始まる。ゴ・ディン・ジエム大統領は直ちに対抗。この政府をアメリカが支援し、軍事顧問を派遣する。ゴ・ディン・ジエム大統領が独身のカソリック教徒で、極めて質素な生活をする一方、親族を高官にし、とくに弟の妻が呵責な弾圧を仏教徒とゲリラに行ったことで民衆の憎悪を買った。ここらへんの状況は開高健「渚から来るもの」に反映しているので、両方合わせて読むとよいだろう(と絶版・品切れの本を紹介してしまう)。あまりに民衆の憎悪が高かったので、1963年に暗殺。翌年にはクーデターで軍事政権が樹立。ベトナムからは難民が出たことなどその他の理由で、隣接するラオスやカンボジアとの関係が悪化する。こちらの国でも共産主義の解放戦線ができて、政府軍を苦しめることになる。詳細な年表はwikiなどで補完してください。 ベトナム戦争 -
この本は、1983年夏に、今西錦司と柴谷篤弘が「今西進化論」について談論した記録。米本昌平の発案をリブロポートという出版社が企画して実現した。その背景になったのは、柴谷篤弘が「今西進化論批判試論」という本を出版していたから。もう少し背景を説明すると、1970年代後半の「科学批判」「巨大科学プロジェクト批判」があって、近代科学の還元主義に対する批判があった。また分子生物学の研究が進んでセントラルドグマに合致しない現象が見つかった。木村資生、グールドその他によるネオ・ダーウィニズムの批判が現れていた。そのような状況にあって、ダーウィニズムでない進化論であり、かつ日本発の思想である今西進化論に話題が集まっていた。たしかに、このころにはまとまった進化論の教科書はなかったなあ、そのかわりにいまなら「トンデモ」に含まれる進化論の本が自然科学の棚に並んでいた。 いくつかの科学史的なところからきのついたと
ソ連の「科学者」ルイセンコは1930年代にスターリンの知己を得て、国家的な遺伝学ならびに育種学の中心となり、彼の学説に基づく品種改良や農業生産がおこなわれた。彼の主張する遺伝学は、(1)獲得形質の遺伝、(2)細胞全体が遺伝体である、(3)進化の動因は自然選択や適者生存ではない、(4)生物の進化の方向は生物自身に内在している、(5)モルガン・メンデル遺伝学は西洋資本主義のイデオロギーを補完する、など。いくつかの研究はあったが実験やデータに粗雑さがある一方、マルクス主義的な理論構成を合致していた。人民が革命の意志を持つことにより、自身を「革命家」と位置づけ、党とともに反対勢力と闘争するというボリシェヴィキの思想と一致する部分があったわけだ。ソ連の政策が対ファシズムから対資本主義に変換するときに、科学も動員する必要があり、共産主義イデオロギーに合致する理論ということで政治的に使われたというわけだ
1970年から1972年にかけて書かれた雑誌論文、コラムなどを収録。初出雑誌には「蛍雪時代」「朝日ジャーナル」「思想の科学」「現代の眼」などが並ぶ。最初のを除き、著者のような在野の思想家ないし運動家に文章を書かせ発表するというメディアはなくなったのだなあ、の感。個人の意見発表はwebでできるようになったとはいえ、網羅的に新しい書き手を発見するのはwebでは面倒なのでね。こういうメディアは便利だった。 第一部 反大学における学問 Ⅰ 反大学における学問を求めて ・・・ 水俣病、新潟水俣病の闘争に参加する中で、田中正造の足尾銅山公害闘争を知った。明治末期においてすでに公害の出す側の理論、やり口、運動つぶしが出揃っていたことを知った。絶望的なのは著者の所属する東京大学の教授その他が資本・権力の側にたち(一見中立を装いながら)、資本や権力の利益を代弁し、被害者を抑圧してきたということ。そして、その
1968年に出版された新書。多くのページは水俣病の発生から1968年当時までの状況を主に新聞記事を使って紹介している。著者は1961年ころから個人的に水俣病の調査を始めているのだが、ここでは極力個人的な体験を後ろにおいている。新聞記事や委員会報告書などを使っているのは、客観的な記録を目指していることと、病気と地域から捨てられた漁民の生活の悲惨さを強調するためであるだろう。それは成功しているとはいえ、公害に対する著者の憤りはうしろに隠れていて、それはまた別の本で読まなければならない。 (追記 2023/8/6 原田正純「水俣病」岩波新書の刊行は1972年。) さて、自分なりに重要な指摘を抜粋しておく。 ・この国の公害は明治時代後期から始まっている。足尾、別使銅山の鉱毒事件、日立の煤煙事件が有名であるが、そのほかにもいろいろある。 ・場合にもよるが、当時は民衆、一般者、貧困者の主張を認める結果
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