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応仁の乱から555年!「西陣」の今昔 - 京都観光オフィシャルサイト_京都観光Naviぷらす
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応仁の乱から555年!「西陣」の今昔 - 京都観光オフィシャルサイト_京都観光Naviぷらす
西陣 西陣といえば、世界に名だたる高級織物「西陣織(にしじんおり)」を思い起こすとともに、京都市上... 西陣 西陣といえば、世界に名だたる高級織物「西陣織(にしじんおり)」を思い起こすとともに、京都市上京区から北区にわたる地域名としても知られています。ところで、なぜ「西陣」と名づけられたのでしょうか?それは、室町時代中期の応仁の乱にまでさかのぼります。京都で勃発した応仁の乱は、東軍と西軍に分かれて戦いました。その際、西軍は総大将・山名宗全(やまなそうぜん)の屋敷に本陣を構えます。この「西」軍の本「陣」から、山名邸跡地の付近を「西陣」と呼ぶようになりました。 山名宗全邸 跡地 (京都市上京区堀川通今出川上ル山名町) 西陣は平安時代から織物が盛んな地域でした。応仁の乱後、戦乱から逃れていた職人たちがこの地に戻ると、町衆の尽力もあって「西陣織」として大きく発展します。祇園祭の山鉾が現在のように絢爛豪華になったのもこの時代のことで、西陣織が山鉾の美しさに色を添えたといわれています。ちなみに、応仁の乱