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リレー連載【80年代アニメソング総選挙】vol.2 シティポップのイメージをわかりやすく表現した稲垣潤一「246:3AM」 松原みき「真夜中のドア」や竹内まりや「プラスティック・ラブ」が動画サイトなどを通じて話題になったのは、2015年あたりだっただろうか。日本のシティポップが多くの国の人々に愛されるようになり、令和になる頃には多くの隠れた名盤がアナログ盤で復刻されるという不思議な現象も起きている。 ただ、シティポップというジャンルは1980年代からすでに存在はしていたものの、近年のシティポップとは確実にニュアンスが違っていた。現在のシティポップはサウンド面から語られることがほとんどだが、80年代は歌詞の世界観も重要だった。 80年代シティポップのイメージをわかりやすく表現したのは、稲垣潤一のファーストアルバムのタイトル『246:3AM』だろうか。要約すると “青山通り、午前3時” 。これ
連載【教養としてのポップミュージック】vol.3 ローランドのドラムマシンが使用されたピコ太郎の「PPAP」 2020年12月16日、ローランド株式会社が東京証券取引所に再上場を果たした。この会社は、1972年の設立以来、国際的に電子楽器や音響関連機器を展開してきており、音楽ファンの皆さんにはそれなりに馴染みがあると思う。かく言う僕も例外ではなく、ギターアンプやエフェクターを愛用してきた、とてもお世話になった会社である。 ローランドは電子楽器の先駆けとして、新たな製品を生み出し続け、特に1983年の世界共通規格『MIDI』(Musical Instrument Digital Interface)誕生の際には中心的な役割を果たした、まさに名門企業であった。だが、リーマンショック以降は4期連続の赤字となり、2014年にはMBO(経営陣が参加する買収)によって上場を廃止。その後、収益構造を見直
高橋幸宏がどんなふうに時代と向き合い、あるいは時代の先を行ったか 2023年は、本来なら「YMO結成45周年& “散開” 40周年」のメモリアルイヤーになるはずだった。まさか「高橋幸宏と坂本龍一が共に逝った年」になってしまうとは……。その2023年も終わりに向かう11月15日、幸宏のソロ作品を集めたベスト盤がリリースされた。『THE BEST OF YUKIHIRO TAKAHASHI[EMI YEARS 1988-2013]』(ユニバーサル・ミュージック)。タイトルどおり、EMI在籍時の1988年から2013年までの26年間に、幸宏がどんなふうに時代と向き合い、あるいは時代の先を行ったかがよくわかるベスト盤だ。 ただ幸宏の場合、存命中に創りあげた音楽は本当に幅が広く、ベスト盤の選曲が困難なアーティストだ。誰がどう選ぼうが「なんであの曲が入ってないんだ?」と横ヤリが入ることは確実だからだ。
大手アパレル会社勤務後、独立して渋谷で古着屋を経営。そのかたわら “渋谷の母” として、日々悩める方々にとって頼れる占い師の顔も持つ。10代の頃から洋楽邦楽問わず、ライブ会場に足しげく通い、新宿ロフトでのBOØWYデビューライブをはじめ数々の伝説を目撃している、リマインダーのフォレスト・ガンプ的存在。 https://twitter.com/ronnietanaka
かつて表参道の同潤会アパートにあった丸玉商店 同潤会青山アパートメント。現在表参道ヒルズがある場所には、大正15年に竣工された歴史的な集合住宅が表参道のシンボルだった。80年代の半ばからは、この建物にハイセンスなブティックやギャラリーが数多く入居。ラバーソールをはじめとするロンドンから直輸入されたシューズを扱う “丸玉商店” もそのひとつ。 当時、いわゆるラバーソールは入手困難品。クラッシュのメンバーがこの靴を履いている姿を雑誌で見て原宿の老舗店に行くがサイズがない。何とかならないものかと男性のラバーソールを履いたが、ぶかぶかに加えて重過ぎる。これに3万円近くは出せないのが本音。売っている店は限られていたし、値段も当時としては高価だった。 そもそもレディースのサイズがないから仕方ない。でも、クラッシュと行動を共にしていた女性シンガー、パール・ハーバーのように履いてみたい。知り合いのデザイナ
日本のロック、ポップミュージック史においてきわめて重要な存在だったはっぴいえんど はっぴいえんどが、日本のロック、ポップミュージック史においてきわめて重要な存在だったことは間違いない。けれどその活動時期も実質的には3年間あるかどうかだったし、リアルタイムで彼らを評価したのもごく一部の音楽ファンにすぎない。いわば知る人ぞ知るバンドだった。むしろ解散後のメンバーたちの活躍に伴って、はっぴいえんどは “伝説のバンド” として知名度を獲得していった側面もあったと思う。 この度、はっぴいえんどのオリジナルアルバム3作品(『はっぴいえんど』『風街ろまん』『HAPPY END』)が貴重な未発表音源を新たに収録し、CDとアナログ盤でリイシューされることになった。この機会にはっぴいえんどが日本の音楽の歴史に果たした役割を考えるために、彼らが活動した時代を振り返ってみたい。 世界的に見ても独特の音楽ムーブメン
『突如解散した伝説のバンド “UGUISS”【佐橋佳幸、柴田俊文、松本淳】濃厚鼎談 ①』からのつづき 佐橋佳幸の仕事 1983-2023 vol.6(UGUISSメンバー鼎談 ②) UGUISS始動、しかしレコードデビューまでの道は険しく… 佐橋佳幸、柴田俊文、松本淳が語り尽くす、40年目の【UGUISS物語】その2。 ついに “UGUISS” という名のもとに本格的に動き始めたバンドに、結成当時から彼らをずっと応援してくれていたキーボード奏者の伊東暁が正式メンバーとして加入。ハモンド奏者でもあった伊東が、ベーシスト不在の変則編成バンドでシンセベースを担うことになる。メンバーも揃った。音楽関係者からも、若き辣腕バンドの評判は悪くなかった。あとはレコードデビューに向けて一直線。とはいえ、道はまだまだ険しく…。 佐橋佳幸(以下、佐橋):あっちゃん(伊東)と最初に知り合ったのは僕。EPOセンパイ
飯島真理デビュー40周年!初のオールタイム・ベスト「All Time Best Album」 1983年に、坂本龍一プロデュースのアルバム『ロゼ』でデビューし、1984年に自ら主演も務めたアニメ『超時空要塞マクロス』の劇場版主題歌「愛・おぼえていますか」がオリコンTOP10ヒット、そして1989年に渡米してからも、精力的に音楽活動を続けてきた飯島真理。そんな彼女が、2023年10月4日に、デビュー40周年を記念した初のオールタイム・ベスト『All Time Best Album』を発表する。 彼女は数多くのヒット作や話題作を出しているのだが、それらがアルバムに集中していることもあり、楽曲単位では前述のマクロス関連やアニメ『スプーンおばさん』などのタイアップ曲を幾つか知っている程度という読者も多いかもしれない。そこで、本インタビューでは、彼女の音楽を初めて聞く若い世代の方や、タイアップ曲だけ
日本が誇るトップギタリスト【佐橋佳幸の音楽物語】サハシなくしてJ-POPは語れない!からのつづき 佐橋佳幸の仕事 1983-2023 vol.2 初めてのエレキギター、音楽のことで頭がいっぱい 1976年、佐橋佳幸は都立松原高校へと進学する。 「先生に “絶対受かるところ、どこですか?” って聞いたら、《25群》だっていうの。 “じゃ、そこでいいです” って。もう、進学に関しては意欲も何もなかった。すでに大学行くつもりもなかったしね。とにかくどこでもいいから高校に入って、そこで軽音楽部に入って、バンド活動に明け暮れるぞ… と。そのことしか考えていなかった。その頃にはもう、初めてのエレキギターも手に入れていたんだ。だから音楽のことで頭がいっぱいで、受験勉強もしなかったしね」 東京の都立高校には、1967年から1982年まで学校群制度というものがあった。住んでいるエリアによって “学区” が決
佐橋佳幸の仕事 1983-2023 vol.1 変幻自在に音楽活動を繰り広げてきた佐橋佳幸デビュー40周年 ギタリスト、アレンジャー、プロデューサー、そして時にはシンガーソングライターとして八面六臂の活躍を続ける佐橋佳幸。高校時代に結成したバンド “UGUISS” を率いて1983年9月にEPIC・ソニーからデビューを飾ってから40周年を迎えている。 小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」のイントロで聴かれる超有名なカッティング・フレーズはもちろん、山下達郎、佐野元春、桑田佳祐、藤井フミヤ、そして公私にわたるパートナーである松たか子など、それこそ無数のアーティストたちを幅広くサポートしてきた彼のギターの音色を耳にしたことがない人など1人もいないはずだ。 とはいえ、その活動があまりにも多彩かつ多岐にわたるためか、彼の仕事ぶりの全貌が語られる機会は意外と少ない。誰もが知っているようで知らない佐
新・黄金の6年間 ~vol.13 ■ 小沢健二「LIFE」 発売:1994年8月31日 オマージュによって、その “スタイル” が継承された「琳派」 江戸時代の日本絵画の流派の一つに「琳派(りんぱ)」がある。 「琳派」とは、江戸時代の初期に俵屋宗達によって創始され、江戸中期の尾形光琳の手で発展し、後期の酒井抱一の時代に完成を見た流派である。大和絵の伝統を基盤としながら大胆な構図を取り入れたり、「たらしこみ」と言われる今日で言うグラデーションの技法を編み出したり、それまで特権階級の御用文化(狩野派=幕府がパトロン、土佐派=宮廷がパトロン)だった芸術を、広く町人も親しめる大衆文化へと開放した。欧州の印象派にも影響を与えたと言われる。 そんな琳派の最大の特色が、他の流派が世襲による継承だったのに対し、私淑―― 今日で言うオマージュによって、その “スタイル” が継承された点。オマージュ元と継承者
地元のガールズバンドでドラムを担当していた森高千里 ガールズバンドで一番可愛いコはドラムである。 ―― 僕が、常日頃から唱える音楽界の定説(セオリー)だ。セオリーと言っても、ちゃんとリサーチしたワケじゃない。というか、思い当たるサンプルは一人しかいない。 森高千里サンだ。よく知られた話だが、彼女はデビュー前―― 地元・熊本県の女子高時代、ガールズバンドを組んで、ドラムを担当していた。よくレベッカをコピーしていたそう。そして―― 以前、僕が当リマインダーに書いたコラム『誰あろう、森高千里。その最高傑作はデビュー曲「NEW SEASON」である』でも触れた通り、当時から「熊本市内で一可愛い女子高生」として、地元ではちょっと知られた存在だった。 まぁ、ガールズバンド自体、まだ珍しかったし、熊本市内の有名ライブハウス「ペパーランド」(後に森高サンのアルバムタイトルにもなった元ネタである)でライブを
売野雅勇が中森明菜「少女A」で書いた危なげなフレーズ 売野雅勇という作詞家の名前を初めて知ったのは、1982年5月1日にデビューしたアイドル歌手、青葉久美の「恋はティニィ・ウィニィ」。「ティニィ・ウィニィ」という、聞き慣れないけど妙に語感の良い言葉と、途中に出てくる「シュワ シュワ シュワ〜」「ワン・ツー・スリー・クイック!」というフレーズがとても印象的な明るい曲だった。 その翌月にリリースされた伊藤銀次の「まっ赤なビキニのサンタクロース」でも「作詞:売野雅勇」という文字を見つけて、「アイドルからアーティストまで幅広く書かれる方なんだなぁ」と思っていたところに出てきたのが中森明菜の「少女A」である。 「あなためがけてティニィ・ウィニイ シュワ シュワ シュワ〜」という歌詞を書いていた方が、まさか「上目遣いに唇濡らし きっかけぐらいはこっちで作ってあげる」なんて危なげなフレーズを書くとは!
新・黄金の6年間 ~vol.9 ■ 王様のレストラン 脚本:三谷幸喜 主演:九代目松本幸四郎 放送開始:1995年4月19日 「王様のレストラン」を俯瞰する格言とは? 「人生で起こることは、すべて、皿の上でも起こる」 ―― とあるフランス人シェフの言葉である。今から28年前の1995年に放映されたドラマ『王様のレストラン』(フジテレビ)の冒頭には、決まって彼―― ミッシェル・サラゲッタの料理にまつわる格言が回替わりで登場した。ただ、先の言葉だけ、第1話と最終回と、2度も登場。その意味では、同ドラマ全体を俯瞰する格言とも言える。ついでに言えば、ミッシェル・サラゲッタなるシェフはこの世に存在しない。脚本家のシャレである。 そう、ドラマ『王様のレストラン』の脚本家は、三谷幸喜サンだ。今やNHK大河ドラマを3作も手掛けた国民的脚本家であり、『ザ・マジックアワー』などの映画監督でも知られるが、『王レ
初回プレスで売り切れが続出デジタルリマスター版「FOR YOU」 先だって発売されたデジタルリマスター版『FOR YOU』(『山下達郎「FOR YOU」最新リマスター!アナログレコードとカセットテープで再発売』参照)。なんと初回プレス版は売り切れ続出で、慌てて追加プレスが決まったそうだ。ちなみに追加プレス分は7月上旬から随時発送されるとのこと。いやはや、改めて達郎人気を思い知らされたのは言うまでもない。 さて、ネットを検索すると、1982年にリリースされたオリジナル盤と最新リマスター盤を聴き比べたファンから、「僕はやっぱりオリジナル盤だな」とか「デジタルリマスター盤の聴きやすさが絶妙」など賛否両論のレビューが出始めている。 このザワつき加減… 音質や音圧などコアなこだわりを持つ達郎ファンの層の厚さを如実に表している。まぁ実際のところ何がどうなのかは自分の耳で確かめるしかないので、散見される
「シン・仮面ライダー」の客層に感じた特撮ヒーローファン特有の世代間の断絶 庵野秀明監督の手による70年代特撮ヒーロー作品の復刻版ともいうべき映画「シン・仮面ライダー」がこの春公開され、ファンの話題を呼んだ。その観客にはライダーファンのみならず、エヴァからの庵野作品ファンや、ゴジラ、ウルトラマンと続いた一連の “シン” シリーズとあって注目していた層が入り混じっていたことだろう。 ただダークな雰囲気が漂う内容と暴力描写もあってR12指定となっており、とりわけ現在毎週日曜朝に放送している通称 “ニチアサ” の仮面ライダーシリーズに慣れ親しんでいた層からすれば、その内容にかなり面食らったと思う。 庵野監督がこれまで手掛けた“シン…”と名付けられた作品と同様、まさに “新解釈” で作られた “新作” の “真実” の仮面ライダーであった。 私が劇場に足を運んだ時は、観客の年齢層は確かにおそらく20
映画「ランディ・ローズ」で鮮明になった不遇時代 2022年に公開されたドキュメンタリー映画「ランディ・ローズ」。関連のコラム『ランディ・ローズ没後40年、ドキュメンタリー映画で明らかになるギターヒーローの輝き』を執筆後に僕も鑑賞したが、ランディが在籍した70年代のクワイエット・ライオットにまつわる描写が多く、バンドそのものにも改めて興味を抱くきっかけとなった。 バイオ等を通じて既知の出来事も、貴重映像や当時のバンドを知る様々な証言を通じてリアリティを帯び、LAのクラブシーンでくすぶっていた姿が鮮明に甦るようだった。同時期に西海岸から飛び出したヴァン・ヘイレンが全米を席巻した後も、彼らは本国でのディールさえ獲得できずにいた。 日本のみで2枚のアルバムリリースを実現したものの、ランディがオジー・オズボーンのオーディションを受け電撃加入。残されたケヴィンらはクワイエット・ライオットの名を封印する
全米ナンバーワンヒット「ワナビー」に何が起こったのか? 2023年4月下旬のこと―― 25年以上前に全米ナンバーワンとなったスパイス・ガールズ「ワナビー(Wannabe)」の、サブスクリプション再生回数、ダウンロード購入数、楽曲検索アプリの検索数等が、軒並み上昇するという現象が勃発した。某サブスク再生回数では260%、某ダウンロードでは700%という驚異的伸びを記録、ちょっと尋常ではない数字をたたき出した。 昨今ならばTikTokやInstagram等のSNSで、ある楽曲がバズるとそういう現象が起こったりするが、その場合ここまでの瞬間突発的な伸びを見せることはない。このスパイス・ガールズの場合、ある日を境に一気に数字を伸ばしたという印象なわけで… いったい「ワナビー」に何が起こったのか。 イギリスで大ウケした “とにかく明るい安村” BGMはスパイス・ガールズ「ワナビー」 これは日本のメデ
時代ごとに姿を変えたヒップな街、原宿 確か小学校4年生の頃だから、78年だったと思う。夏休みの自由研究で、山手線一周をテーマにしたレポートを作った。ひとつひとつの駅の特徴と様子を写真に撮り、文にまとめるというものだ。祖父に連れられて夏休みの昼下がり、まだ冷房がない黄緑色の車体の山手線に乗り、駅ごとに目を凝らしていった。その時の事でハッキリ覚えているのは、原宿駅のコメントで、「人の乗り降りが少ない一番静かな駅」と書いたことだ。 この時期の原宿は、ラフォーレ原宿が開業する直前で、それまであった教会が取り壊されラフォーレビルとなるのだが、その周辺の表参道には、文化人、夢想人のたまり場であった喫茶店レオンがあり、また後の “渋カジブーム” で、不良少年たちの必須アイテムとなったインディアン・ジュエリーのゴローズや、80年代後半のガールズブランドとして Olive、キューティ少女の憧れとなる MIL
映画「恋する女たち」の主題歌にもなった「MAY」 私は、斉藤由貴の瞳は、占い師の水晶玉のようだと常々思っている。デビューした時から、あの輝きをウロウロと浮遊させる視線が美しくて怖かった。この世のものではない何かを見つめているようで。 普通の女の子とはちょっと違う、一つの言葉で100の意味を考えるようなキャラクターイメージは、デビューシングル「卒業」から早くも確立していた(「でも もっと哀しい瞬間に 涙は取っておきたいの」という松本隆の詞が見事!)。自分の世界を持っている、頑固で繊細な哲学的乙女。 彼女の歌声も曲も大好きだ。雰囲気も大好きだ。けれど、友達にはなれそうにない。勝手にそう分析し見ていた。 しかしある作品で、彼女がふっと隣に降りてきた気がしたのである。それは音楽ではなく映画。彼女が主演をつとめた『恋する女たち』である。 氷室冴子の原作ファンだった私は迷わず映画を観に行った。すると、
ザ・ストリート・スライダーズのライブアルバム「天国と地獄 LIVE AT BUDOKAN 1987 40th Anniversary Edition」発売日
みんなのブルーハーツ ~vol.14 ■ THE BLUE HEARTS『チェルノブイリ』 作詞:真島昌利 作曲:真島昌利 編曲:THE BLUE HEARTS 発売:1987年8月2日 「チェルノブイリ」がインディーズでリリースされた理由とは? ―― チェルノブイリには行きたくねぇ 出自が複雑な曲である。 私が持っているのが、1988年7月1日発売の8cmCDシングル。『ブルーハーツのテーマ』『チェルノブイリ』『シャララ』の3曲入り。あまり深く考えず、お得だなと思って買ったのを憶えている。 同日に、アナログのドーナツ盤でもリリースされている。こちらはカップリング(B面)のない片面レコード。オリコンで55位を記録。 この2つの『チェルノブイリ』、レーベルは、当時契約していたメルダックではなくジャグラー。これは当時のブルーハーツが所属していた事務所が運営するレコード会社。つまりインディーズで
舘ひろし&柴田恭兵の曲もいいが、実は挿入歌が凄いサウンドトラック そんな稀有な刑事ドラマに関連した2枚組CD『あぶない刑事 オリジナル・サウンドトラック スペシャル・エディション』が2023年4月19日にリリースされる。Disc1は第一作『あぶない刑事』の放送当時のサントラ盤「あぶない刑事オリジナル・サウンドトラック」&「あぶない刑事 オリジナル・サウンドトラック総集編」を新編集&全曲収録したもので、Disc2には関連音源とTV用BGMがセレクト収録されている。 ここでは、同CDの発売にちなみ、刑事ドラマとして―― いや、日本のテレビドラマとして極めて画期的だった『あぶない刑事』の音楽についてクローズアップしてみたい。 テレビドラマ『あぶない刑事』、『もっとあぶない刑事』は、舘ひろし作曲によるオープニングテーマで始まる。そして、見せ場であるアクションシーンを柴田恭兵が歌う「RUNNING
マイケル・マクドナルド参加、ドゥービー・ブラザーズ6年ぶりの来日公演 2022年11月28日、ドゥービー・ブラザーズの来日公演決定が発表された。17年以来6年振りとなる今回のジャパン・ツアー。23年4月15日から25日にかけて、盛岡・東京・横浜・名古屋・金沢・大阪・広島での8公演が予定されている。 このバンドはこれまでに何度も日本に来ているので、来日自体はそれほど珍しいことではない。だが、今回は少なくとも2つの点で、その喜びも “ひとしお” だ。それが何かと言うと、1つ目は今回の公演が彼らの結成50周年のリユニオン・ツアー(50th Anniversary Tour)の一環として実現すること、そして、2つ目はマイケル・マクドナルドが参加することである。 奇跡的とも言える50周年ツアーを実現 1970年に米国カリフォルニア州サンノゼ(サンフランシスコの南、約60km)で結成されたドゥービー・
ヒッピーのような長髪、坂本龍一との出会い 坂本龍一の功績についてはすでにさまざまな形で語られているし、それに関して付け加えたいことも無い。それに、これからも彼が残してきた作品に触れることができるのだから彼の音との対話は続けられる…。そう思うしかないな、というのが正直な気持ちだ。 坂本龍一は、確かに類まれな才能の持ち主だと思う。しかしそれと同時に、彼のような音楽家が登場したことも、日本の70年代以降の音楽シーンの “空気” を象徴していたのではないかとも感じられるのだ。 坂本龍一を知ったのは1974、5年のこと。当時、僕はオープンしたばかりの荻窪ロフトでブッキングを手伝っていたので、かなりの頻度でロフトに通っていた。そこで客として来ていた坂本龍一と会っているのだ。 ヒッピーのような長髪でいつもラフな黒っぽい服に身を包んでいた彼は、ライブ後のミュージシャンと音楽の話をしたり、一緒に飲んだりして
新・黄金の6年間 ~vol.3 ■ COUNT DOWN TV 放送局:TBS 放送開始:1993年4月8日 1993年4月8日に始まった『COUNT DOWN TV』 新・黄金の6年間がある。 1993年から98年にかけてエンタメの世界に新しい才能たちが台頭し、大ヒットを連発した時代である。テレビドラマはフジテレビの月9を筆頭に、視聴率25%超えが当たり前になった。 音楽界は小室ソングが牽引するように、ミリオンセラーを連発した。『週刊少年ジャンプ』は『SLAM DUNK』などを核に最大発行部数653万部を記録し、アニメ界は庵野秀明監督の『新世紀エヴァンゲリオン』が社会現象となった。 しかし―― そんな栄華も1998年、ひとりの天才歌姫(ディーバ)、宇多田ヒカルの登場で時代は次なるステージへ移行し、新・黄金の6年間は終わりを告げる。小室哲哉曰く「ヒカルちゃんが僕を終わらせた」――。 新・黄
山下達郎、リズム隊ベストパフォーマンス 今回は、山下達郎の楽曲からリズム隊のベストパフォーマンスを5曲ほど挙げてみた。ベースを嗜む僕の主観で恐縮だが、選んだ楽曲はどれも素晴らしい演奏なのでぜひ聴いてほしい。 ちなみに、それぞれタイプが違う演奏なので甲乙つけられずランキング形式にはしてません。あしからず。では早速始めよう。 BOMBER アルバム『GO AHEAD!』(1978年) Drums:上原 “YUKARI” 裕×Bass:田中章弘 思わず身体が動きだしてしまう16ビートのファンクナンバー。僕もそうだったけど、ベーシストなら一度はコピーしたくなるチョッパーのリフがめちゃくちゃカッコイイ。粘っこいハンマリング・オンの連続がクセになる気持ちよさ! 聴きどころはもちろんベースソロだ。 それにしても歌モノの楽曲でここまでベースが前面に出るのは珍しいと思う。この曲で繰り出される田中章弘のゴキゲ
コンピレーションアルバム「シティポップ・ストーリー CITY POP STORY ~ Urban & Ocean」がリリースされた日
リ・リ・リリッスン・エイティーズ〜80年代を聴き返す〜 Vol.39 坂本龍一 / B-2 UNIT 坂本龍一が、どんなに忙しくてもどうしてもつくりたかったソロアルバム 以前、大貫妙子の『ROMANTIQUE』について書いた時にもちょっと触れましたが、坂本龍一 “教授” の1980年は(その前後もそうなんですが)、信じられないくらいの過密スケジュールでした。列記してみます。 1979年 12月19日、“Yellow Magic Orchestra” の最初のワールドツアー「TRANS ATLANTIC TOUR」 最終日(東京・中野サンプラザ) 1980年 2月1日、YMOライブアルバム『パブリック・プレッシャー/公的抑圧』リリース 3月21日→4月15日、YMO最初の国内ツアー「TECHNOPOLIS 2000-20」 3月25日、Phew1stシングル「終曲(フィナーレ)/うらはら」リ
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