サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
掃除・片付け
skyk.hatenadiary.org
政府に歩調をあわせるように、自民党側も、臨床研修を見直すべきだとの意見は強い。元厚労相の尾辻秀久参院議員会長は「科目、地域の偏りを大きくしたのは事実。何らかの方法で、無理やりにでも医師を配置する方法を考えなければ」と主張する。 これに対し、民主党も臨床研修制度の見直しを提唱。都市部の研修人数を調整し、別の研修先に振り向ける必要性を指摘している。 http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2009010502000075.htmlより引用 極論してしまえば、日本にはもともと医学教育など存在しなかったのだ。 いや、もう少し正確に言うと、研修医に対する臨床教育が存在しなかった、と言ったほうが正しい。 少し考えてみよう。 なぜ、新臨床研修制度が始まったとたんに、大学医局は地域に派遣していた医師を引き上げざるを得なかったのだろう? それは、新
10月4日とかすごい昔に書いたエントリが、1年のうちで一番おいしい年末休みの明け方からホッテントリに入るという、とんでもない大フィーバーに見舞われてうれしいskykです。 いやー、これはもう修士論文ちゃんと書けよというsomething greatからのプレゼントでしょうな。あと2週間で提出なのに第1章第1節第1項までしか書けていないってことはひみちゅですが。 本当にありがとうございます。 このアクセスボーナスに、なんかエントリあげなきゃなー、なにがいいかなー、と思っていたところ。 そういえば修論が書けない現実逃避に、わたくし、いまさらシーマンなんぞを飼い始めたのですが(PS2版)。 昨日、ヤツが交尾したいとか言い出して、いまムカつくメスのシーマンに飼い主としての技量を試されているところでして。 あー、このネタなら、なんかいいことあるかもな、と思いましたです。 まあここやここなどで、はてな
久しぶりの更新です。 修論で尻に火がついてるskykですが。 いままで論文管理にはRef2000を使っていたのですが、なんだか調子が悪くなったので、現実逃避に新しいアイテムを探してみました。 そしたら、こんなに便利なものが。 Zotero: Firefox で簡単に文献管理 | Lifehacking.jp Zotero | Your personal research assistant JabRef�ɂ���BibTeX�����Ǘ���Jab2HTML JabRef 基本的にフリーウェアで固めるのがすきなので、Endnoteとか見向きもしません。あはは。 BibTex形式なら、GeNiiで調べた文献もまとめてインポートできますんで、JabRefいっこでかなりラクに管理できます。 私は、「修論ドラフト」っていうデータベースをつくって、その中にとにかく引っ掛けた文献や本やらをがしがしいれ
コンビニをふらふらしてましたら、なんとなく目に入っちゃったのが、とある雑誌のこんなコピー。 息をするのも疲れるけど、 この街の ネオンの下を選んだ。 ここが私たちの 本当の目的地ではないけれど ……おいおい、これなんて「ぬかるみの女」? 小悪魔agehaという雑誌です。 小悪魔 ageha (アゲハ) 2008年 11月号 [雑誌] 出版社/メーカー: インフォレスト発売日: 2008/10/01メディア: 雑誌購入: 3人 クリック: 93回この商品を含むブログ (6件) を見る生きている乳酸菌と死菌 小悪魔ageha - Wikipedia 前にも見たことがあったけど……う〜ん、こんなぬかるみなノリだったっけ?と思いつつ、 ぱらっとめくってみると……特集記事は「私たちが今、生きている街'08」。 これがまたすごかった。 札幌・仙台・新潟・千葉・銀座・六本木・歌舞伎町・静岡・名古屋・祇園
やる夫で学ぶ後期高齢者医療制度【働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww】を拝見しました。 私自身は政策を理由に民主党を支持することは(今のところ)ありませんが、後期高齢者医療制度そのものは、かなりバランスの悪いシステムで、改善が必要だと思っています。 「やる夫で学ぶ後期高齢者医療制度」は、小泉改革を推進した側の主張を良く表していると思いますし、「民主党の反論がもっとも票になりやすい世代をターゲットにしている」という点も分かりやすかったと思います。しかしながら、「やる夫で学ぶ後期高齢者医療制度」は基本的に小泉改革が何を行ったかを改革サイドの主張に沿って解説したものであり、本質的な論点を提供できていないと感じました(まあ報道にのってくる反論があの程度なので仕方ないですが)。 今後20年を現役として生きなければならない世代としては、小泉改革では言及されなかった未来予測についても、いっと
先日のゼミでこんな話が出た。 「はじめた時にはいろいろ書こうと思っていたテーマがあるのに、いざブログに向かうと『全部は書けない』ことに気づいて、いつのまにかあいまいなエントリになってしまう」 この言葉は、「ブログを書く」ということが持つ根本的な問題をストレートに表現していると思った。 この言葉をきっかけに、「今、ブログを書くということ」とは個人にとってどんなことなのか、考えてみる。 センシティブでパーソナルだったインターネットと私 表現する、というのは、センシティブな行為だ。 青春の頃に表現に取り付かれるのは、心身ともに不安定になっていく自分の変化の過程を、瞬間ではあるけれど切り取ってとどめることで、それが自分自身であると確認できる気がするからだろう。 私を知ってほしい。 それが、表現に向かうプリミティブな感情だ。 コンピューターに向かう、というのは、とてもパーソナルな行為だ。 私とディス
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『skyk.hatenadiary.org』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く