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当記事は「東京DEEP案内」で公開していた神奈川県平塚市の「湘南日向岡住宅」について書き上げた記事を加筆修正・写真追加の上、諸事情により有料記事として再公開しているものです。ご了承下さい。 東海道新幹線に乗って出張する機 […] The post 【インスタ蝿スポット】神奈川県平塚市、東海道新幹線の車窓から見える三角屋根のカラフル住宅群「湘南日向岡住宅」を見に行った first appeared on 東京DEEP案内.
当レポートは2010年11月から東京DEEP案内で掲載していた記事を諸事情により有料記事として再公開しているものです。ご了承下さい。 東京の北の玄関口「上野」。昔から東北人の溜まり場だったが今では怪しい外国人の溜まり場になってしまっている。この街は特殊産業が集積する一面も持っていて、お疲れ気味のお父さん達をリフレッシュするその手の店の豊富さは群を抜いている。そんな上野の駅前からさほど遠くない、とあるマンションがまるごと無法地帯ビルと化していて「上野の九龍城」と呼ばれているという話を聞き、実際の様子を確かめてきた。 そこは上野駅浅草口を出てわずか一分の場所にある「アルベルゴ上野」というマンションだ。建物は昭和55(1980)年に建てられ、当初はビジネスホテルに使われていたらしいが、経営者が破綻。その後分譲マンションに鞍替え、2000年代頃から違法エステの店舗ばかりが入居するようになり、怪しげ
東アジア屈指の過密都市・東京を中心とした首都圏に暮らす人々、あれだけコロナ禍でドエライ目に遭っているにも関わらず、すっかりそんな状況にも慣れてしまったのか毎朝の通勤列車の混雑ぶりはコロナパンデミック前の状況に戻りつつあるという。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」「赤信号みんなで渡れば怖くない」が日本人の特性だとすれば、感染拡大が止まらない第三波襲来の今が最も危険な状況ではなかろうか。ただでさえ、正月休みに病院は開いてませんよ?どう年末年始を乗り切るんですかね、皆さん。 そんな首都圏でも最も経済的・精神的に余裕のない人達が過酷な家賃相場の高さと通勤利便性の兼ね合いから仕方なく妥協して住みたがるのが、川崎駅を起点に多摩川に沿って川崎市内の南北を走り、府中や立川に至る「JR南武線」の沿線地域である。ここからは当然ながら直接東京都心には出られないわけだが、川崎・武蔵小杉・武蔵溝ノ口・登戸といった乗換駅か
当サイトでも度々紹介してきた、埼玉県川口市、JR蕨駅近くにある中国人だらけのマンモス団地「UR川口芝園団地」…日本社会の多国籍化の試金石、亡命クルド人の集住地“ワラビスタン”に加え、市内の公園ではセミを喰らう中国人に向けて「食用を目的としたセミの幼虫等の捕獲はやめて下さい」と注意書きが張り出される、それが川口市の夏の風物詩… 傍らを走るJR線の車窓からも見える超巨大団地の姿は今見ても「圧巻」の一言である。昭和53(1978)年、日本車輌製造東京支店蕨工場の跡地に建てられた旧日本住宅公団の団地だが、元の住民の高齢化に加えて次第に中国人世帯が移り住むようになった。団地がある川口市芝園町の人口約5千人中、既に日本人より中国人の人口が多くなっている。 日本一のチャイナ団地で年に一度行われる「夏祭り」を見に行こう そんな芝園団地で年に一度「夏祭り」が行われるという話を聞いて、居ても立っても居られなく
当ページは2019年7月から東京DEEP案内で公開していた記事を諸事情により有料記事として再公開しているものです。ご了承下さい。 戦後日本屈指の極左過激派による「三里塚闘争」の古傷が今も疼いているのか、どうも成田空港の周辺はわけのわからない鉄道関連施設が多いような気がしてならない。誰が使っているのかよく分からない「芝山鉄道線」、1991年から旧空港駅をそのまま使っていて廃れ感半端ない地下駅「東成田駅」…しかしここ十年の間にももう一つ「わけのわからない鉄道駅」が増えていた。 一応京成線の駅になっているが、成田スカイアクセス線の一部です それが千葉県成田市、成田ニュータウンの北端部に存在する「成田湯川駅」である。ここは2010年、それまで手前の印旛日本医大駅でどん詰まりとなっていた北総線を延長する形で成田空港方面に延伸した際、新たに設けられた唯一の鉄道駅である。てっきり北総鉄道の駅かと思いきや
当ページは2019年6月から東京DEEP案内で公開していた記事を諸事情により有料記事として再公開しているものです。ご了承下さい。 当方、個人的には「割と物騒な事件が多い」と感じてしまう「小田急線沿線」。言わずと知れたDQNと都落ちヤクザの溜まり場である「町田」、この間無差別殺傷事件が起きた「登戸」、2017年に起きたおぞましい「座間アパート9遺体事件」があった「相武台前」、そしてつい最近では厚木市の小田急の踏切でDQNが転がしていたアルファードが線路上で立ち往生して電車に激突、車は大破、電車は脱線し、多数の小田急線ユーザーが通勤難民と化し泣きを見た。 小田急線の「新百合ヶ丘」、住所が川崎市なんですけど… そんな地雷臭漂う小田急線沿線でも、いわゆる高級住宅街扱いされているエリアがあるにはある。有名なのは世田谷区の成城学園前と、こちら川崎市麻生区に属する「新百合ヶ丘」…通称“しんゆり”。新宿か
30年続いた「平成」の時代がもうすぐ終わる。国内メディアでは「平成最後」と銘打って懐メロやら懐かしニュースやらを放送しまくっているわ、もうすぐ始まるゴールデンウィークの10連休で、いよいよ新時代「令和」への改元を迎えるわけで、なんだか日本中が盛り上がっているようであるが、そんな中で我々がやってきたのは横浜である。 ここは横浜の本牧という地域。ここは紛れもなく横浜における中心を成している「中区」に属する土地であるが、場所で言えば山下公園や中華街などがあるところから南にズレた一帯。近くに鉄道駅は無く、アクセスは横浜駅から片道30分もかけて市バスに乗って来るか、もしくは石川町駅や元町・中華街駅からやはり市バスで来るかという、陸の孤島のような場所だ。 さて、この本牧という街、幕末のペリー来航の時代から始まった港町ヨコハマの中でも歴史的にも重要なポジションを占める地域ではあるが、鉄道が今まで通らなか
東上野キムチ横丁の一部の焼肉店が火災で営業休止中 東上野二丁目15番地のほんの狭い一画に十数軒もの焼肉店や韓国料理店、韓国食材店が密集するこの一画、古い木造の建物がぎっしり集まっている中で昔ながらのガスコンロで焼くタイプの焼肉屋ばかりで、いつか火災が起きてしまうのでは…と危惧していた中、今年9月12日に本当に火災が起きてしまっていた。 それもキムチ横丁の数ある店舗の中で最も味わい深い店構えを誇る、こちら「京城苑」が火事による被害で長期休業を余儀なくされている。これはショックである。しかし建物の外観自体は辛うじて無事。店内が焼けてしまったという事らしい。 我々が訪れた時にはちょうどリフォーム業者が内装工事の最中だった。京城苑の玄関口に貼り付けられた紙には「近隣の火災により」という一言が付けられていた。どうも火元はここではなく、すぐ裏側に隣り合っている「富士吉」からの延焼でやられてしまったらし
近年中国人住民が急増し新興チャイナタウン化が著しい街「西川口」…これまで当サイトでも何度も伝えている場所だが、ネット上の他のニュースサイトや地上波テレビ放送でも取り上げられる機会が増えて、認知度がいよいよ高まりつつある昨今。 さて、今回やってきたのはJR西川口駅東口より徒歩10分ちょいの位置にある「青木町公園」という場所である。西川口住民にとって最も代表的な公園であり、普段は地元のご老人達の憩いの場になっていたりするのだが、ここも近年中国人住民の“ある行動”を受けて、また行政と一悶着している模様。 鋳物の街・川口市が誇る総合スポーツ公園「青木町公園」 西川口駅方向から青木町公園にやってくると公園入口から見える「川口市営球場」。この青木町公園は市営球場、総合運動場、川口市民プールにテニスコート、隣接地に体育武道センターといったスポーツ関連施設が集中しており、総合スポーツ公園の様相を呈している
2020年開催の東京五輪に向けてますます変貌を遂げつつある、東京の顔でもある山の手の副都心「新宿」、そこからさほど離れてもいない場所に、よもやそうであるとは思えない程に時代の流れに取り残されたまま、行き遅れた地域が存在する。 「都営戸山ハイツアパート」(戸山ハイツ)と称する大規模都営住宅群である。もともと戦前までは旧陸軍の演習場などがあり「戸山ヶ原」と呼ばれていた一帯が戦後になって戸山公園という都市緑地と、それを取り巻く大小35棟ある都営住宅に生まれ変わった。 都心のマンモス老朽化団地、老人と猫しかいない この団地、昭和40年代には高層棟が連なる今の姿になっているが、住民は高齢化も甚だしく、都営住宅であるゆえに低所得者層ばかりで、いつぞやのプレジデント・オンラインが公開している東京の所得分布図では都営戸山ハイツアパートのある新宿区戸山二丁目だけが最も低所得者である事を示す「濃い青色」で塗り
国籍は問わず、首都圏における最近の外国人コミュニティの発達ぶりは目を見張るものがある。数年単位で新たなコミュニティが爆誕してはメディアに報じられ、「え?そんな所もあったの?!」と驚いてしまう機会がなんだか増えているような気がする。 そんな街の一つが新宿区にあるダウナー系学生街「高田馬場」。新宿や池袋から山手線でそれぞれ二駅。西武新宿線の乗客が都心に出るため否応なく乗り換えする事になることでお馴染みの街である。 本来ならマンモス大学である早稲田の門前町でもあり学生の多さだけは都内屈指のレベルであるはずだが、ことごとくアカデミック感が乏しく、ホームがレスになってしまったのか駅前に裸で寝転がるオッサンがいても誰も気に留める事はない。ズボンがずれ落ちて中の具がはみ出ていても、やはり誰も気に留めはしない。これがダウナー系学生街「高田馬場」なのである。 しかし今回はそんなお粗末なものを見に来たわけでは
首都圏一極集中とは言うものの、特に都内は地価の高さから低所得者層が住める街が非常に限られていて、そうした人々が住む場所に選ぶのが東京に近い埼玉や千葉に属するビミョーな住宅地である。特に急増ぶりが著しい外国人世帯のうち最も人口の多い中国人は、既に埼玉では西川口や蕨駅を中心としたエリアに一大新興チャイナタウンを築き上げている。 ところが千葉に来てみると一体どのへんがチャイナタウン化しているかと聞くと全体的にのっぺりと多い気がするだけなんですが、それでも団地だらけになっている千葉市美浜区の京葉線「稲毛海岸」あたりはかなり凄い事になっている。というわけでやってきたんですが…さすがにここは東京から遠いっすね… 千葉県屈指のチャイナ団地タウンと化す街「稲毛海岸」 東京駅地下ホームから京葉線に乗って約35分の「稲毛海岸駅」を降りると目の前には「マリンピア」と称する旧時代的佇まいのショッピングモールと、や
横浜で2009年に開催された「開国博Y150」なる博覧会。横浜開港150周年記念するイベントであり、横浜市の威信を掛けて約5ヶ月間の会期で開催されたものの、ネット上ではすこぶる酷評で「タダでも高い」「蜘蛛以外見所なし」「なめとんのかワレ」などと散々な話しか聞くことがなかった。 そこまで酷い博覧会とは一体どんなものなのか、身をもって体感してみなければ何も語れまい。何があってもネタとして寛大な心で受け止めてみようではないか。いつの間にか閉幕日である9月27日が迫っていたのを急に思い出して、その前日26日に横浜みなとみらい21の赤レンガ倉庫付近にある開国博の会場を訪れたのだ。 横浜みなとみらい21と言えば、横浜港の一部の広大な敷地を埋め立てて作られた人工都市であるが、当初の計画よりも企業の誘致が進まず空き地のまま放置されている場所も目立つ。言うなれば大阪南港コスモスクエアに良く似た問題を抱えてい
東京ベイエリアのタワマン乱立地帯として名を馳せる江東区「豊洲」から運河一本隔てたお隣の街「枝川一丁目」…ここは昭和15(1940)年、日中戦争の影響で開催中止となった幻の東京五輪を前に、都内一帯のスラム街の住民を立ち退かせて、当時何も無かった「5号埋立地」と称していた当地に集団移住させて以来の歴史を誇る、古いコリアタウンとして知られている。 この枝川一丁目、2009年に一度訪れてレポートにしているのだが、ネタがいい加減古くなってしまったのと、前回のレポでは伝えきれていなかった部分が大きく残っていたので、久方ぶりの再訪となった。豊洲駅から徒歩10分。タワマン成金ゾーンと化した豊洲エリアの一部であるが、運河に架かる朝凪橋を渡った先はまるで雰囲気が違う。 枝川一丁目に非常に多い高層都営住宅。中国人世帯も増えてきている 朝凪橋を渡ってすぐの一帯は、枝川一丁目の中でも駅に近い事もあって民間分譲マンシ
埼玉県川口市、かつては関東屈指の裏名所として名を轟かせていた「西川口」駅周辺が近年新興チャイナタウンとして急激に発展しまくっている件、既に何度も当サイトでは紹介しているのだが、とうとうテレビ朝日の長寿番組「タモリ倶楽部」にまで西川口の中華街ネタが取り上げられる事態となってしまった。 というわけで、当サイトでも西川口中華街の地上波デビューと川口市の人口60万人突破&中核市移行を記念して西川口の中華街レポ2018バージョンを急遽増量してお届けする事にした。最初に申し上げておくが、今まで当サイトで取り上げた中国人経営の店舗や街の風景は、この底なしの無法地帯タウン西川口の中の、ほんの氷山の一角に過ぎない。 西川口駅前の不動産屋が軒並み外国人ウエルカムな件 西川口駅西口ロータリーに誇らしげに掲げられた「平成30年4月 中核市 川口 誕生」の横断幕。この通り、今年4月から中核市に移行する事が決まってい
当方が足立区で最もガラが悪いと認識している「竹ノ塚」エリアの中でも、外れも外れ、隣が埼玉県八潮市に面している花畑や南花畑といった、まさに東京辺縁部と呼べる地域には、まだまだ知られざる人々の営みがある。そんな地域では、よもやこんな所まで「東京」なのか…と絶句するほどの衝撃を受ける事がままあるのだ。 ここまで来るともはや23区の風情はなし。足立区南花畑五丁目 今回やってきたのは、東武伊勢崎線(意地でもスカイツリーラインとは言わない)竹ノ塚駅から東へ約2キロ離れた、足立区南花畑五丁目付近である。ここまで来ると、警察は竹の塚警察署の管内であるには変わらないのだが、もはや「竹ノ塚」と呼べる範疇の場所でもない。実際に鉄道アクセスも新しく出来たつくばエクスプレス線六町駅の方が若干近くなるが、住民の足はやはり竹ノ塚駅から出ている路線バスに頼らざるを得ない、陸の孤島である。 【有料配信記事】全文お読みになり
コロナ禍も完全に収束する事のないまま、糞暑い夏を迎えようとしている受難の2020年。相変わらず首都東京では毎日数十人単位で新規患者が出ている中、それでも経済活動を止めたままにするわけにもいかないと自粛解除の流れが止まる事もない。それで“新しい生活様式”とやらに従って、容赦なく30度以上の気温でもマスクを付けて外出せねばならなくなったわけで、むさ苦しいったらありゃしない。最近じゃ「マスク熱中症」なんてのもあるくらいだ。くれぐれも気を付けたいものである。 しかし今回の記事ではそんな事情も吹っ飛ぶような街の話題でもお届けするとしよう。やってきたのは東京から高崎線で小一時間揺られて辿り着く“日本一暑い街”の東の横綱「埼玉県熊谷市」の玄関口、JR熊谷駅前である。どうも熊谷市民というのはこの“クソ暑い街”という土地柄の中で独特の食文化を持っているらしい。その事情をちょいと伺いに我々は訪れたのだ。 —-
当記事は「東京DEEP案内」で公開していた埼玉県戸田市美女木のフィリピン人コミュニティについて書き上げた記事を諸事情により有料記事として再公開しているものです。ご了承下さい。 東京都内から荒川一つ挟んだすぐ隣にある「埼玉県戸田市」。都心からの距離に対して土地の値段がお安く、昭和60(1985)年の埼京線開通後、初めて鉄道駅が市内に開業した事で後発的に発展をしてきた街である。埼京線一本で池袋から約15分、新宿から20分で来れる(戸田公園駅からの場合)という地の利の良さで人口急増地帯になっている訳だが、満員痴漢列車の悪評高い埼京線に毎日乗って都内に通うという事はそれだけでも治安上のリスクを伴う。 埼京線沿線の最凶エリア、戸田市美女木でございます 都心からも比較的近い戸田市には、家賃の高い都内に住めないビミョーな人種がこぞって移り住んだ結果、隣接する川口・蕨両市と並ぶ「埼玉貧民トライアングル」の
近年工場跡地が再開発されタワマン乱立ゾーンに変貌してしまった川崎市中原区の「武蔵小杉」。東急東横線とJR南武線が交わる街にJR横須賀線ホームも新設され、都内主要部の大部分を乗換なしで行ける事になった地の利の良さも相まって、川崎のくせに地価もうなぎのぼり、しまいには「ムサコマダム」と称する勘違いセレブ層も現れだして、豊洲と並ぶタワマン街ならではの殺伐ぶりを某まちBBSのスレで「武蔵小杉をムサコと略すな」「昔からの住民は小杉と略しているのに」などと延々と言い争う不毛なやりとりを見るにつけ思い知らされる。 一方で、そのような武蔵小杉のゴタゴタを横目に、隣町の変貌ぶりなどどこ吹く風とばかりに普段通りの日常風景が繰り広げられている街が、武蔵小杉の一つ先にある「元住吉」、通称「モトスミ」である。各停しか止まらないローカルな駅ではあるが、東急東横線に加え東急目黒線も並走しており二路線使用可能なのは武蔵小
東京23区中でも端っこにあるにも関わらずとりわけ「優良住宅地」のイメージが浸透し中高所得層の流入が著しい「世田谷区」。その人口は23区中最多の89万8千人(2017年7月現在)、既に一部の弱小県の人口を上回っており、今後も人口増加傾向にある。そして渋谷から横浜市北部の田園地帯を抜け大和市の中央林間まで伸びる「東急田園都市線」は首都圏最悪の混雑ぶりを見せる鉄道路線であるが、この沿線もまた世田谷区内を東西に走っている。そのうち多摩川の手前、世田谷区内最後の駅となるのが「二子玉川」である。 通称ニコタマなどと呼ばれる河川敷タウン「二子玉川」の玄関口となる東急田園都市線二子玉川駅で降りる。過密運転状態となる朝のラッシュ時は急行電車が全て準急となり、この駅から渋谷まで全列車が各駅停車となる。さらに地獄の痛勤ラッシュで悪評高い田園都市線のバイパスとして機能する大井町線が溝の口を始発駅にここから分岐して
新宿から小田原の間を結ぶ小田急電鉄小田原線(以下小田急線)は23区随一の優良住宅地を自認する世田谷区民の足でもある。小田急、東急、京王などの私鉄各線が世田谷区内を走っているが、小田急線沿線に限ると実に10駅もの区間が世田谷区に属している。東北沢に始まり下北沢、世田谷代田、梅ヶ丘、豪徳寺、経堂、千歳船橋、祖師ヶ谷大蔵、成城学園前…とまでは何となく頭に入ってはいるが、あれ?あと一駅はどこだ?と名前に出てこない駅がある。 それが世田谷区の最も外れに存在する「喜多見」という駅だ。新宿からは成城学園前乗り換えで片道20分、各停だけだと片道30分近くも掛かる、便利とも不便とも言えないビミョーな立ち位置にある駅だ。もちろんDEEP案内取材班は過去に一度たりともこの街を訪れた事もなかった。無論、今回が初めてである。 喜多見駅は各停以外オールスルーという安定のローカルっぷりで、しかもすぐ隣はミスチルが1DK
五反田が戦前、花街として賑わったという歴史はそこかしこで耳にしたものの、今更来て見てもどこにその名残りがあるのかさっぱり分からない。 先にも記した通り、五反田駅西側一帯は戦時中の空襲で焼け野原となった経緯があるためだが、そんな五反田の街、目黒川沿いの一角に奇跡的に花街時代の趣きを残す宿がある。 で、またしても池上線の鉄橋が見える大崎橋の上にやってきた。春には川の両岸に植えられている桜が開花して、周囲のマンションやオフィスビル、池上線、遠くに見える大崎駅前のタワーマンション群と一体となって、壮観な都市景観が見られる。 大崎橋の目黒方面を見ると、目黒川のほとりにやけに場違いな料亭風の建物が見える。 「海喜館」という古い旅館だ。 一部では「怪奇館」などと揶揄される程、その建物だけが時間が止まったまま、まるで幽霊屋敷さながらの状態で佇んでいる。 大崎橋を渡った真ん前が海喜館の正面玄関にあたる。周囲
概ね荒川一つ隔てて対峙する東京都と埼玉県、兎角住む街によって露骨に格付けされてしまう首都圏の住宅事情であるが、新座市にある練馬区の飛び地のように埼玉の中の「東京都」だけ土地の値段が高くなるなど、のっぴきならない東京と埼玉の格差を見るたび、両都県境の風景を見るとゾワゾワしたものを感じてしまう。今回訪れた場所もそんな東京と埼玉の境目にある土地だ。 東京都板橋区と埼玉県戸田市の境目にあたる荒川…水害から街を守るべく整備されたスーパー堤防が延々と連なり、その先には東北・上越・北陸新幹線と並走する埼京線の鉄橋、そして国道17号戸田橋が遠目に見える。場所は板橋区舟渡四丁目あたり。埼京線浮間舟渡駅から西へ約1.5キロ、都営三田線西台駅から北へ1キロ離れた地点だ。 真正面には荒川放水路を挟んだ対岸の戸田市街地を望むことができる。1964年東京五輪の競技会場として整備された戸田漕艇場やギャンブラー親父御用達
発売たちまち3万部突破のベストセラーと化し首都圏在住者・不動産関係者をざわつかせる驚愕の東京DEEP案内本! 2008年2月に開設し、東京及び首都圏各地の裏町探訪、アレな街ネタレポートをダラダラと提供し続けて参りました「東京DEEP案内」、今年で10年目を迎えることになりましたが、紆余曲折を経てとうとう2017年6月15に単行本が発売となりました。発売から僅か一週間で全国書店から売り切れ続出、Amazonでも即刻品切れを起こし、さらに増刷を行いましたがそれでも即刻完売という状況で、現在第五刷33,000部突破という、まさかのベストセラーと化してしまいました。 「東京DEEP案内」が選ぶ 首都圏住みたくない街 (駒草出版) マスメディア紹介・これまでのキャンペーン等 2017/8/5(土)放送、TBS王様のブランチ「ブックランキング」にて4位にランクイン(三省堂書店有楽町店 文芸書ランキング
「令和を迎えて解体される昭和の建物」という括りでシリーズ化できそうなくらい、最近になって著名なレトロ建築物の解体事案が相次いでおりますけれども、今回は東京の巨大ターミナル駅・新宿のお隣にある「代々木」駅前のこちらの物件… この場所と言えばもはや改めて説明するまでもなかろう。オッサン世代のさらに親の世代まで遡れば恐らく馴染み深い昭和のテレビドラマ「傷だらけの天使」のロケ地として知られ今もなお“代々木の魔窟”だの“プチ九龍城砦”だの呼ばれる「代々木会館」なる老朽化ビルディング…どうも2019年8月の時点で「取り壊しが決まった」という話を聞いて急遽訪問したのである。 聖地巡礼・代々木会館“傷だらけの天使”から“天気の子”へ 新宿駅南口からも歩いて来られる距離にあり、代ゼミと日本共産党で有名な代々木駅前の一等地にありながら、長年所有権が複雑化していたあまり、建物の建て替えもできないばかりか管理状態
エベネザー・ハワード『田園都市論』に基づく郊外型高級住宅街を作るべく高度経済成長期以降に東京急行電鉄の主導で開発された「東急田園都市線」沿線のニュータウンの数々。その中でも「横浜市青葉区」は平均年収765万円、区民の4人に1人は年収1000万円以上の高所得者層で、80年代に放送されたTBSドラマの影響で「金妻タウン」と持て囃されバブリーな風に流されてやってきたプチセレブ層が集まった街ばかりが連なる。 青葉区には、たまプラーザと並んで区内で著名な高級住宅街として扱われる「青葉台」という街がある。青葉台駅は田園都市線の数ある駅の中では利用者も多く、乗換駅でない駅としては最大の乗降客数(11万427人、2014年度)を誇り、駅前の発展度も高い。たまプラーザ駅ほど派手ではないにせよ、やっぱり東急的シャレオツ感の漂う空間だ。 たまプラだけでなく青葉台も東急グループが駅前を占領 この青葉台駅とその周辺
桜ヶ丘住宅地が凄まじく寂れていてヤバイという話 それは「日刊SPA!」サイトの記事で桜ヶ丘住宅地が以下のように触れられているのを見て、実際どんなものか確かめに来たかった、という理由である。とんでもない秘境や通勤困難地帯に存在するニュータウンを「限界マイホーム」と称し大好物である我々がこの場所を押さえていないのは、ちょっとどうかと我ながら思いましたね。はい。 宮崎アニメでも知られたあの高級住宅街が寂れた街に…まるで「陸の孤島」!? この桜ヶ丘住宅地がニュータウンとして整備されたのは戦後の昭和30年代のことである。昭和31(1956)年に当時の京王帝都電鉄が田園都市建設を目指し山林だった当地一帯を買収し住宅や道路、水道・電気といったインフラをごっそりと整備、当時は都市ガスもなかったので、京王ガスという会社を立ち上げガスを供給していた。昭和37(1962)年に第一期分譲が開始、その後昭和46(1
首都圏の数ある私鉄沿線の中には東急や小田急のようにブランド化に成功し、憧れだけでその街に住んでしまう浮かれポンチ層を取り込むことに成功したところもあれば、西武や東武のように地の底に這いつくばるように地味ったらしく貧乏人や田舎者や埼玉県民を相手に堅実にやっているところもあるわけで落差が激しいんですが、そのどちらとも言えないビミョーな立ち位置にあるのが京王線という路線。 だがそんな京王線沿線でも一応ながらブランドタウン的なものを作ろうと試みたような郊外型ニュータウンというべき街がある。「聖蹟桜ヶ丘」という街だ。天皇行幸の地を意味する”聖蹟”とはえらく大層な字面だが、明治天皇が兎狩りに来ていた御狩場が近くにあったことに由来している。駅周辺は京王聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンターを中心に京王電鉄および京王グループ各社の本社が集中する「京王グループのシマ」である。 新宿から京王線特急電車で約26分という
三河島に西新井、新大久保に枝川、川崎の戸手や桜本や池上町、横浜の福富町…これまで首都圏各地のコリアタウンと呼ばれる場所を数々巡ってきた当取材班も、最近までうっかり見過ごしていた場所がある。それは多摩川の河口の街、川崎市川崎区から28キロ上流に遡ったところにある「調布市多摩川」という土地だ。 著名なコリアタウンである川崎市幸区戸手四丁目の多摩川河川敷不法占拠バラック村からも相当離れた多摩川中流部にあるこの土地も、かつて戸手と同じように関東大震災後に多摩川の砂利採取事業の労働力として集まった在日朝鮮人の飯場があり、戦後にコリアタウンとして残ることになった。 なぜ調布多摩川コリアタウンは今まで見過ごされてきたのか 多摩川河口から28キロ地点の、多摩川原橋を中心とする川沿い一帯をグーグルマップで確認すると、いかにも在日な苗字の方々が経営する建設会社やスクラップ工場やキムチ屋などがあり、確かにフラグ
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