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パリ五輪
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新宿から八王子、高尾山、橋本方面を結ぶ京王線はほぼ並走するJR中央線と比較すると二軍的なマイナータウンが多く住宅地としての人気も中央線沿線のそれに劣る。しかしその中でも調布市や府中市、多摩市といったベッドタウン都市もあって独自の生活圏が形成されている。そう言えば調布や府中あたりはちょいちょい行っていたんですが、その途中駅はさっぱり立ち寄った記憶がない。 というわけでふらりと訪れたのが調布市にある「国領」という地域だ。京王線では調布駅が言うまでもなく調布市の中心であり京王相模原線と分岐する故に全ての列車が停車する一大ターミナル駅となっているが、その他にも仙川、つつじヶ丘、柴崎、国領、布田、西調布、飛田給、京王多摩川と結構な数の駅がある。調布駅の二つ手前にあるのが今いる国領駅で、ここは各停電車しか止まらない。 国領駅は2012年に地下駅化しており、2000年代に駅周辺が大胆に再開発されて分不相
東京都東久留米市滝山町、西武新宿線花小金井駅から西武バスに乗らなければ辿り着けない多摩北部の田舎臭い田園地帯に高度経済成長期に作られた大型団地「滝山団地」は約3200世帯もの公団住宅と戸建住宅で構成されたニュータウンだが、既に街開きから半世紀が過ぎ、交通便の悪さと住民の高齢化もあって街がじわじわ衰退している。 そんな団地の住民がわざわざバスに乗って遠くまで行かなくとも普段遣いのお買い物ができる商店街があるにはある。滝山団地の中心部に位置する「滝山中央名店街」である。団地が完成してから数年経った昭和45(1970)年に商店街が発足し、今も地域住民の買い物の中心となっている。鉄道駅のない土地でここまで大型の商店街がある場所は、多摩地域でも珍しい気がする。 滝山団地住民のための商店街「滝山中央名店街」を見る 商店街の中心は、滝山中央通りから一本南側に入ったところにあり、この通り開放的な幅の広い遊
同じ東京でも23区外にあたる多摩地域はその多くが戦後に開発されたベッドタウンとして発展してきた街だが、中央線や京王線、もしくは小田急線が走る多摩中南部とは打って変わって、しょぼくれた昭和なボロ団地や狸でも出そうな雑木林や田畑が広がり、埼玉同様に山田うどんのかかしがロードサイドで回っているような、21世紀の今の時代にも平然と田舎臭い光景が残っているのが多摩北部の西武線沿線の街である。 今回やってきたのはそんな多摩北部の鄙びた田園地帯が中途半端に残る地域に存在する「滝山団地」という場所。車で行く分には新宿から青梅街道へ田無へ、さらに新青梅街道を経て片道1時間もあれば来られる。しかし鉄道駅はとても歩ける距離にはなく、西武池袋線東久留米駅か、西武新宿線花小金井駅から西武バスに乗らなければならない。つまり陸の孤島と言われるような場所にある。 それにこの団地は東久留米市に属するが、同市内の中心となる東
板橋区という地域の中でも、東武東上線が走っている大山から成増までの区間とは生活圏を異にしているのが都営三田線沿線の街だ。荒川と新河岸川が流れる低地が戦後工業地帯として発展し、その労働力として集まった新住民が生活する公営住宅が大量に建設された。高島平団地が特に有名であるが、それ以外にも団地が腐るほどあるのがこの地域の特徴だ。 そしてこの特徴はまるで当方の出身地であるナマポ貧民窟・大阪市のそれにも似ている。板橋区はなんだか大阪の下町みたいな雰囲気がするのだ。 高島平団地の手前に位置する都営三田線の西台駅を降りると、高架駅舎となった西台駅の向こう側に重厚な構えの高層団地が複数建っているのが見える。昭和43(1968)年の都営三田線開業と同時期に建設された「都営西台アパート」の5~8号棟(うち5号棟のみ公社西台住宅)である。 都営地下鉄車庫と一体化する巨大団地 都営西台アパートは昭和45(1970
長々と続いてきた西武新宿線沿線の街レポートも今回は「鷺ノ宮」である。西武新宿、高田馬場両駅を過ぎると鷺ノ宮駅までは各停しか止まらないローカル感半端ない街ばっかりだったが、最初の急行停車駅である当駅周辺はさすがに発展度が高いかと来る前までは何となく想像していたものの… いざ鷺ノ宮駅前に降り立つと、何でしょうかこの場末感極まる駅前一等地の姿は。一気に都県境を越えて埼玉まですっ飛んできたかのような感じすらするのである。一応住所は東京都中野区なんですけど…駅前の「西武鷺ノ宮名店コーナー」も何だか古めかしい。入っている店はただのチェーン店ばかりだが。 鷺ノ宮住民を悩ませる西武新宿線「開かずの踏切」問題 そして駅前には西武新宿線ではデフォルトとなっている平面交差の踏切にぶった切られたメインストリートという構図。しかもこの道路は杉並区の阿佐ヶ谷からずっと北へ伸びている中杉通りで、路線バスや車の通行も非常
サブカルかぶれの群がる街、JR中央線「高円寺」は東京都杉並区にあり、誰に聞いても杉並区以外の何者でもない場所だが、実はれっきとした高円寺エリアであるにも関わらず、はみ出し者扱いされている地域がある。「中野区大和町」だ。 高円寺駅北口から庚申通り商店街を抜けると早稲田通りに出る。ここから北側は杉並区ではなく中野区大和町。一丁目から四丁目まである大和町だが、同じ中野区に属する西武新宿線野方駅に近いのはごくわずかで、大部分は高円寺駅が最寄り。圧倒的多数の住民がチャリンコに乗るなりして高円寺駅までやってくる。 お家賃安めで高円寺ライフが楽しめる中野区大和町 さて、そんな中野区大和町に足を踏み入れてみよう。やはり高円寺駅周辺同様に風呂なしトイレ共同っぽいボロアパートがそこらじゅうに点在している。しかも大体駅から徒歩10分以上離れている上に中野区に属しているので家賃相場も随分お安くなる。それに足立区や
先日に引き続いて街ネタレポートをお届けするのは西武新宿線「新井薬師前」。中野駅にも比較的近いところにあり、家賃が高くて中野駅最寄りに住みたくても住めない人達の選択肢となっている下位互換的存在と何度も言っておりますが未だ「昭和の東京」が生き残る素朴な下町です。 新井薬師前ゆかりの有名人と言えば芸人の江頭2:50だけではない。かつてこの新井薬師前には昭和の時代に栄えた花街があり、あのイチモツちょん切り殺人を引き起こした戦前の大事件の渦中にあった「阿部定」ゆかりの地でもある。まずは西武新宿線新井薬師前駅からイマイチパッとしない商店街を抜けて中野駅方面に向けてウロウロしてみることにしましょう。 新井薬師参道に渋い焼肉屋が妙に多い件 新井薬師前駅周辺一帯の商店街をひっくるめて「新井薬師駅商店会」と呼ぶのだそうだが、特に駅名の由来ともなっている新井薬師梅照院や中野駅方面に連なる通り沿いには歩道部分にア
最近の東京DEEP案内は西武新宿線沿線の街ばかりを取り上げている気がするのだが、逆に言えば今の今までまともに足を運んだ事もないようなマイナーでローカル街ばかりしかなかったからだという理由に他ならない。さて今度は高田馬場から3つ目にある「新井薬師前」だ。芸人の江頭2:50が住んでいる街として一部ではよく知られている。 下落合、中井に続いて新井薬師前駅。やはり駅前は洒落っ気の欠片すらない地味な光景である。西武新宿線が「本当は中央線沿線に住みたいけど家賃が高くて住めないから仕方なく選ぶ下位互換路線」である事は常々何度も言っているが、新井薬師前の場合は「本当は中野に住みたいけど家賃が高くて住めない人達が選ぶ街」と言える。徒歩20分掛かる中野駅はともかく手前の早稲田通りくらいまでなら全然徒歩圏内だ。 昭和のまんまな微妙に廃れた駅前一等地に咽び泣く しかし徒歩圏の中野駅前と比べてもこの新井薬師前駅南口
高田馬場から西武新宿線で二駅目にある新宿区「中井」。先のレポートでは漫画家・赤塚不二夫ゆかりの地である駅周辺の商店街や、90年代に勃興し、後に高田馬場に移動したミャンマータウンの痕跡などを中心に見てきたが、まだまだこの街には気になるものがいくつかある。 それが、駅前一等地を東西に流れる妙正寺川の、どうしようもなく深いコンクリート護岸の底に沈む水面と、そこに面して断崖絶壁ギリギリにそびえる商店や民家の数々。こうして見るとなかなか圧巻ではなかろうか。 特にこのあたりの古びた中華そば屋「幸楽」の建物あたりは外壁にパッチワークのように貼り付けられたサビサビのトタン板といい、グッと来るものを感じないだろうか。こんな風景は、中央線沿線などに住んでいてもお目にかかる事は出来ない。 ある年代以上のオッサンにとっては昭和の歌謡、南こうせつとかぐや姫の「神田川」のメロディが流れてきそうな情景がそのまま残ってい
中井駅前にある二つの商店街 隣の下落合駅前は商店街すらない惨憺たる光景を見せていたが、こちら中井の駅前は決してそんな事はない。大江戸線の駅もあるという事で人通りもそれなりに多く「中井商友会」「中井商工会」と似たような名前のパッとしないネーミングの2つの商店街が駅周辺に広がっている。 とは言え中央線沿線などと比べるとやっぱり地味な感じなのは否めない。独身世帯には使い勝手の良い個人経営の定食屋や松屋だの日高屋だのといった外食店舗が割と不自由しない程度にはある。あと徒歩5分強の位置に地下鉄東西線落合駅もあるので、実は鉄道路線が3つも使えるという地味に便利な街である事も付け加えておこう。 西武線沿線ではお馴染みの地味な中華料理チェーン店「福しん」の店舗も中井駅前一等地に店を構えている。総じて住民の単身世帯率の高い街に「あなたの街の食卓です」と堂々アピールする「福しん」があるんですが、どの店舗もU字
新宿歌舞伎町(西武新宿駅)を起点に所沢、本川越までを結ぶ「西武新宿線」と言えば、人気の住宅地として家賃相場がべらぼうに高いJR中央線沿線の北側を並行し、そのお家賃の安さから本当は中央線沿線に住みたいけど予算の面で妥協して住む「負け組路線」扱いされる不遇の鉄道路線である。終点も新宿駅の手前でぶつ切れとなり乗り換え利便性も悪いので、実質的なターミナル駅は高田馬場。沿線はろくに高架化もされず通勤時間帯の開かずの踏切も酷いったらありゃしない。 そんな高田馬場から各停電車に乗って一駅、下手すれば高田馬場駅からも全然徒歩圏内にある隣の駅が「下落合」である。何と言っても字面が宜しくない。地名に「下落」の二文字だもの。負け組路線西武新宿線沿線としてある意味相応しい地名であるが、あまりに地味過ぎて存在自体を忘れていた。しかし先日たまたま下落合に立ち寄る機会があったので、少しぶらぶらとこの街をレポートしてみよ
「西早稲田2-3-18」にあったもの 「東京都新宿区西早稲田2-3-18」は、地下鉄東西線早稲田駅からも程近い「穴八幡宮」の裏手の一帯である。国内屈指のマンモス大学である早稲田大学キャンパスからも近いこの住所に何があるかというと、「公益財団法人早稲田奉仕園」というキリスト教系施設である。日本キリスト教会館、日本基督教団早稲田教会、日本パブテスト同盟東京平和教会といったキリスト教に係る施設が集まっている。 別にここ自体はキリスト教関連施設でしかなく敷地内には自由に出入り可能だ。一際威厳のあるレンガ作りの教会が目に入る事であろう。こちらが日本基督教団早稲田教会「スコットホール」である。戦前の大正11(1922)年に建設されたものだ。実は早稲田奉仕園はその前身から遡ると創立100年以上の歴史を誇るキリスト教施設なのだ。 スコットホールは東京都の歴史的建造物に選定された由緒ある建物である。反日の巣
日本の首都であり極東アジア最大の国際都市でもある東京には様々な国籍の外国人が暮らしているが、そんな外国人コミュニティが気になる当サイトでもこれまで三河島や西新井のコリアタウンに始まり中華街化する西川口やらクルド人難民自治区ワラビスタンと化す蕨、パキスタン人がやたらと多い八潮まで、それなりに手広く取材を掛けてきた訳であるが、今度の外国人タウンネタはミャンマー人が集まる新宿区の「高田馬場」である。 高田馬場と言えば早稲田大学や東京富士大学といった大学キャンパス及び各種専門学校が集まり古くから学生街として栄えてきた街としては対外的に知られる訳だが、一方では負け組臭半端ない後進鉄道路線であり客層の悪さでは定評のある西武新宿線の事実上のターミナル駅でもあり、2016年9月に起きた西武高田馬場駅構内での催涙ガス異臭騒動は逮捕された自称アイドルの36歳女のキャラのキョーレツさと言い皆様の記憶に残っている
5年前にはホームレスしか居なかった戸山公園・大久保地区 今から5年前の2012年1月にこの場所に訪れた当時、公園内は見ての通りブルーシートで覆われ不法占拠されたホームレスのテントや小屋があちらこちらに点在していて何とも陰鬱極まりない光景を見せていたのだ。 公園内で小屋を建てられるスペースがあれば、ほぼ例外なく小屋が置かれている、という状態が5年前の戸山公園・大久保地区の状況で、こんな公園では子供を遊ばせる親御さんも居る筈がない。ホームレスに占拠された公園、という事で西成の三角公園や山谷の玉姫公園あたりと変わらない。 公園内の地形を利用して石垣積みの下にダンボールを組んでその上にブルーシートを雨除けに被せているホームレスハウスの一例。 「この植込地での寝泊り、及び荷物・ダンボール等の放置を禁止します」誰も言う事を聞いていない、存在意義を失った空しい警告看板の数々。 ホームレスの寝床として最適
新宿区の百人町三・四丁目と大久保三丁目、戸山一帯はかつて戸山ヶ原と呼ばれ、明治以降は旧陸軍用地として使われ、それ故に空襲の標的となり灰燼に帰し、戦後その跡地は都営戸山ハイツなどの広大な都営住宅乱立地帯に生まれ変わっている。今でも建設工事などで土を掘り返すと人骨が出てきたり猛毒の化学物質が出てきたりオッカネー話題には事欠かない地域である。 そのうち都営戸山ハイツや百人町三・四丁目は過去の記事で触れてはいるが、今回はその中間にある「西大久保アパート」という都営住宅ゾーンの事に触れてみようと思う。住所で言う所の大久保三丁目にあたるが、大久保射撃場などがあった旧陸軍用地だった為に個人所有の戸建住宅は殆ど存在せず、その大部分を戸山公園(大久保地区)と早稲田大学西早稲田キャンパス、それに都営西大久保アパートが占めている。 都営西大久保アパートと呼ばれる都営住宅群のうち、1~4号棟は副都心線西早稲田駅が
当サイトが毎度の如くアホの一つ覚えのように使う言葉に「戦後のドサクサ」というものがある。これは読んで字の如く、終戦直後の混乱期のドサクサで土地が不法占拠されたり、駅前一等地が在日コリアン資本のパチンコ屋や台湾華僑の雑居ビルなどになったり、はたまた一部の公用地が住宅不足解消に暫定的に簡易住宅が建てられたりという様々な事象をごっちゃにまとめて一つの「便利な言葉」として括ったものである。 そんな「戦後のドサクサ」という言葉がこれほど似合う街は無いな、と常々思うのが新宿のすぐお隣にある「新大久保」だ。この街が国内屈指のコリアタウンとして隆盛を誇るのも、駅の近くに巨大なロッテのチューインガム工場がある(2013年に工場閉鎖)のも、昭和の時代にドヤ街になっていたのも、またバタ屋稼業の人々がガード下の土地を不法占拠していたのも、全てこの言葉を当て嵌めれば納得が行く。今回はその延長線上にある「百人町三丁目
新大久保と高田馬場の間にあった「幻のドヤ街」 そのタワーマンション群の北側には「西戸山公園」がある。今でこそこの場所に来ても何の変哲も無い街にしか思えない訳だが、以前はこの西戸山公園に隣接する場所に「ハローワーク高田馬場労働出張所」があった。 高田馬場労働出張所は日雇い労働者向けの職安であり、かつてこの場所は山谷や高橋ドヤ街などと同じ「寄せ場」で、山手線沿いには早朝から西成の泥棒市のような露天商や食事を出す屋台などが連なっていた場所だという。今となっては、ちょっと想像できませんけどね… ほんの5年程前までは西戸山公園と山手線の線路に挟まれたこの通り沿いにはホームレスと思しきオッサン軍団が私物を勝手に置いては道路上を占拠する状況を拝む事が出来た。この時代と比べると東京も街中から随分ホームレスの姿が減ったものだ。 なお、ドヤ街というからには決まって存在していた簡易宿泊所は最近まで新大久保駅近く
首都東京は江戸時代から着々とその土地を沖へ沖へと伸ばし拡大してきた。昔は築地あたりから海が広がっていたが、それも戦前、戦後を通して夢の島やお台場辺りまで新しい土地が増えだして、今ではさらにその沖合に土地が出来ている。 今回訪問したのは、お台場からさらに沖に出来ている「中央防波堤」と呼ばれる土地だ。この中央防波堤、名前だけ聞くと字面通りの「防波堤」かと受け取りそうになるが、実は防波堤の周辺に埋立地が広がり、れっきとした人工島の一つとして存在している。厳密には「中央防波堤埋立地」と呼んで然るべきものだ。 都民の9割は行った事が無さそうなお台場の先の謎の人工島 東京では昔から夢の島あたりに処理したゴミを埋め立て続けてきた訳だが、今では夢の島ではなく、この中央防波堤の南側にある「新海面処分場」に埋立てられている。 いまだ多くの都民には謎の存在であり続ける「中央防波堤」へは、お台場の東京テレポート駅
これでもかと関西各所のコリアタウンを渡り歩いてきた「大阪DEEP案内」は東京に来ても、やはりコリアタウンを探し回っているのだ。 日本の首都は東京でも「在日」の首都は大阪民国だと常々言ってはおるが、東京だって負けてはいないさ。大阪府が15万人ならば東京都だって10万人もの在日韓国朝鮮人が居るのだ。 東京は新大久保あたりがどうしても目立つのだが、あそこはニューカマー系ばかりが目立ち、どちらかというと「在日」という香りがしない。 東京で最も大規模なオールドカマー系コリアタウンはなんと言っても台東区・荒川区にまたがる、上野から鶯谷、日暮里、三河島と続く一帯である。特に上野と言えば「アメ横」を代表として、なにやら「戦後のドサクサ臭」が漂う街並みが印象的な界隈だ。 その中でも東上野の一角にある「キムチ横丁」と呼ばれる場所は、小規模ながらもかなり強烈なオールドカマー系コリアタウンである。 夕方、日も落ち
この日本には人智を超越した領域にある奇妙奇天烈な物件が時として近隣住民の好奇の目に晒されながら長年その土地に根付いている事がある。特にその中でも自宅の外壁や窓などのテリトリーに家の主が意味不明な電波文や怪文書を張り巡らし完全防備している家屋の事を当サイトでは「電波住宅」と呼んでいる。 それを求めてやってきたのはJR根岸線の港南台駅。一応ここも横浜市港南区という住所になるようだが場所的には大船に近い鎌倉市寄りのエリアである。ここも横浜だと言われてもねえ。新興住宅地らしく没個性的な駅前風景が広がっている。この何の変哲も無い街に「ノドチップおばさんの家」と呼ばれる電波住宅が存在すると聞いて訪れたのである。 港南台駅からさほど離れていない住宅地の一角に、その物件があった。実物を見てみても外観からしてもさほど強烈さは感じられず、注意して見てないとうっかり素通りしてしまいそうになる。両隣も普通にアパー
新宿・歌舞伎町(西武新宿)から所沢・本川越の間を結ぶ「西武新宿線」でずんずん川越方面に進んでいくと、終着駅である本川越駅の一つ手前に「南大塚駅」というのがある。この駅からかつて「西武安比奈線」という聞き慣れない路線が枝分かれして伸びていたらしい。一体どんなものか以前から気になっていたので現地まで見に行く事にした。 西武新宿線で高田馬場から片道50分超、関越道川越インターチェンジにも程近い場所にある南大塚駅の北口に降り立つと、駅前には人っ子一人居ないという状況。同じ川越市でも繁華街に近い東武東上線川越駅付近とは勝手が違うようだ。そもそも西武新宿線経由だと都心に行くのも遠回りだし、自家用車があった方が便利な土地柄なのだろう。 駅前ロータリー沿いにそびえる五階建ての店舗兼マンション「大晃ビル」がさしずめ南大塚駅北口のランドマークか。一階に不動産屋とカラオケが入居しているくらいでそれ以外が殆ど空き
去年の国勢調査の結果で、埼玉県の人口は過去最高の726万人(2016年)に増加したというのだが、首都圏一極集中の流れで家賃の高い東京に収まりきれない人種が隣の埼玉にもどんどん流れ込んでいる構図が改めて浮き彫りとなっている。やはり人口増加が激しいのがさいたま市、川口市、戸田市など、軒並み東京に近い自治体名ばかりが挙がっている。 一方で、同じ東京のベッドタウンなはずなのに人口が6千人以上減少している街が存在している。「西武王国」所沢市だ。あくまで国勢調査の結果だが、所沢市の人口は前回(2010年)と比べて6049人減で県内ワースト1の人口減少自治体となってしまっている。それは何故なのか、なんとなく気になってやってきたのは西武新宿線の「新所沢駅」。地元民の通称は「しんとこ」。 相変わらず某巨大ネット掲示板上では「至高の住宅地」コピペでお馴染みの街、所沢。しかしこの駅は所沢駅から西武新宿線でさらに
足立区に属し、かつてのコンクリ殺人事件の汚名を被りながらも地下鉄千代田線が直通している事で駅前がそこそこ発展している街「綾瀬」には地元民しか知らないであろう「パンダグループ」という超ローカル外食チェーンが存在する。居酒屋、定食、ラーメン、お好み焼等複数店舗を運営、そして何故か中古車屋も手掛けているという、綾瀬の地における一大コンツェルンだ。 …という訳で綾瀬へ。北千住からひと駅で便利っちゃ便利ですけど、事件から四半世紀経っても「綾瀬と言えばコンクリ殺人」と言ってる人がそこら中にいるし、なかなか汚名が晴れる兆しはありません。足立区は犯罪多発地域であるというイメージを一番に印象付けた事件なので、しょうがないんでしょうか。旨い店も多いし個人的には割と好印象なんですがね。 綾瀬駅北口のパンダストリートを目指せ ひとまず綾瀬駅北口から北東側の「武道館東口」交差点まで行くとそこから北側の「川の手通り」
どうやら今夜(7月16日)テレビ東京「出没!アド街ック天国」で足立区竹ノ塚が放送される予定らしいので、当方もそこに竹ノ塚ネタをぶつけてみました。今夜は当サイトのレポートをお読みの上、アド街もご覧になって頂ければ街の表裏がハッキリ分かって良いかと思われます。 日比谷線直通電車の始発もある東武伊勢崎線都区内最北端の「竹ノ塚」と言えば、夜の繁華街がプチ歌舞伎町状態でヤバい事が有名だ。その繁華街は竹ノ塚駅東口から南側の、当方が勝手に「殺人踏切」と勝手に呼んでいるこの大踏切の前から伸びる道沿いを中心に広がっている。 人身事故が絶えない竹ノ塚裏名物・開かずの大踏切 竹ノ塚駅周辺は高架化が遅れていて平面に線路が走っている故、竹ノ塚駅の北側に小踏切、南側に大踏切とそれぞれ呼ばれる踏切があり、朝のラッシュ時には殆ど遮断機が降りたままになる「開かずの踏切」として悪名を轟かせている。複々線化された線路が四つもあ
渋谷、新宿と並ぶ山の手三大副都心の一つの数えられるはずの場所なのに「埼玉の植民地」だの「中国の植民地」だの言われてイマイチ洗練された感じのない、豊島区の「池袋」。最近になっても暴走車が突っ込んで通行人が巻き添えを食らって死ぬ事故が起きたり色々と物騒な話題に事欠かない訳だが、そんな池袋もいつまでも負のイメージを引きずっていられないとばかりに、シャレオツにリニューアルされた公園をオープンさせていた。 それが池袋駅東口からも程近い場所にある「豊島区立南池袋公園」。2016年4月2日にリニューアルオープンしており昔とは全く雰囲気が変わってしまい、場所柄に合わずイマドキな意識高めの作りになっている。 この南池袋公園、リニューアル以前はホームレスの溜まり場になっていて、頻繁に支援団体の炊き出しが行われていた公園だったが、2009年9月に公園整備工事と変電所建設を理由に長期閉鎖されていた。6年半もの間閉
中央線沿線のうち、中野から吉祥寺に掛けての一帯はとりわけ「中央線文化」がどうこうと言われる土地柄で、各界サブカル系文化人や学生やおのぼりさん一同には人気の高い住宅地になっている訳だが、あまりにメジャーな街ばかりなので逆に当サイトで取り上げる機会がこれまで少なかった気がする。 そうこう言ってるうちにまたまた高円寺にやって参りましたよ。新宿から快速電車を使えば片道6分、総武線各停でも10分。そりゃ杉並三駅に中央線快速を停めるのはおかしいと言われるもんだ。北口ロータリーからも見える純情商店街のアーチ看板の上に杉並区のマスコットキャラである某イモムシ野郎がひょっこり顔を出してやがります。 高円寺で最も「臭い」商店街、それが中通りだ! 今回お送りするのは高円寺駅北口に3つある商店街の中の一つ「中通り商店街」界隈。北口から馬橋通り方向に350メートル程伸びる、最も高円寺らしい「サブカル臭」漂う商店街で
少子高齢化を基に容赦なく進む日本の人口減少社会、その反面どんどん外国人人口が増えまくっているのが今の東京都である。そんな中で先日、「23区ではどこの国籍の人口が多いのか?」というタイトルの記事が出てきた。この記事では6月27日に東京都が公表した「東京都の人口(推計)」の概要に基いて、23区の中で外国人人口が増加した区、特に中国人が増加した区をグラフや地図上にプロットするなどして可視化したデータを掲載している。 記事では外国人人口の割合を国別に円グラフでまとめているがその中でも「中国」が42%(台湾・香港も含む)で見るからにダントツなのだが、そんな中国人が多い区を上位4区で新宿、江戸川、江東、豊島と挙げているのだ。新宿区は極東最大のエスニックタウン新大久保があるし豊島区は東京最大のチャイナタウン池袋があるのでまだ分かる。しかし気になるのが東京東側の江戸川区と江東区だ。 江戸川区も江東区もJR
○○ビデオ専門店があったりハッテン場のサウナがあったりするかと思えばキムチ横丁やらパチンコ村があったりするのが上野の東側なのだが、上野駅の入谷口にほど近い、とある一角に行くと、なぜかバイク屋ばかりが軒を連ねる「バイク通り」と呼ばれる場所がある。 狭いエリアに密集しているのでうっかり通り過ぎそうになるが、上野駅北東の国道4号沿いを中心にバイク屋ばかり数十店舗が点在している。 ところがとある店の前だけがどえらい事になっている。店の表を全て真っ赤な労働団体の旗で覆われた奇妙な風景。やはりここもバイク屋のようだが… その店は「光輪モータース」という名前でこの場所で営業していたようだが、今では完全に休業状態。この通りの並びには同じ「光輪」の店舗があちこちにあるのだが、全ての店が同じような状態。 物々しい労働団体の旗やのぼりだが、一見バイクとはあんまり関係のなさそうな「国鉄労働者」の鉄道運輸機構訴訟原
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