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ドラクエ3
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初めて聴いたのは大学院在学時であったと記憶する。最初はレコードに針を落として聴取したスティーヴ・ライヒの[18人の音楽家のための音楽]のライヴ演奏に立ち会うことは私にとって長年の夢であった。実は2008年にこの楽曲はアンサンブル・モデルンによって日本でも演奏され、その際にはライヒ自身も参加しているが、情報を得ることができなかったために私は聴き逃している。これはライヒの二度目の来日であったはずだ。最初の来日、1991年のライヒのコンサートには大阪で立ち会った。それなりに感銘を受けたことを覚えているが、[ディファレント・トレインズ][セクステット]を中心とした渋めの選曲であったため、ライヒのミニマリズムの愛好者としてはやや不完全燃焼の思いがあった。ライヒ自身が来日しないことは当初から告知されていたとはいえ、このたびコリン・カリー・グループとシナジー・ヴォーカルズによって[18人の音楽家のための
このところ、外部の関係者にキューレーションを依頼するコレクション展が話題を呼んでいる。先にレヴューした豊田市美術館における岡崎乾二郎による「抽象の力」に続いて、佐倉のDIC川村記念美術館で美術批評家林道郎をゲスト・キューレーターに招いた「静かに狂う眼差し―現代美術覚書」が開催され、関連書として水声社より本書が刊行された。展示はすでに終了しており、残念ながら私は見ることができなかったが、カタログというより一種のコンセプトブックとして刊行された本書によって展示のおおよその輪郭を知ることができる。この美術館について私は開催された展覧会についてこのブログで何度か論じているし、ロスコ・ルームを含むコレクションについてもよく知っている。この美術館がとりわけ戦後アメリカ美術に関しては優れたコレクションを有している/いたという事情、あるいは同じ批評家による「絵画は二度死ぬ、あるいは死なない」という連続公演
久しぶりにパリとロンドンの美術館をめぐった。いずれの都市も最後に訪れてから10年以上の時間が経過している。以前は仕事でヨーロッパに出張することも多かったが、その場合もコレクターや批評家との面会をすませるとそそくさと次のアポイントメント先に向かうことが多かったため、いわゆる大美術館を訪ねる機会はあまりなかった。今回はプライヴェイトな旅行であり、久しぶりにルーブルやロンドンのナショナル・ギャラリーといった有名美術館に足を運ぶことにした。思い起こせば、私がこれらの美術館を初めて訪れたのは大学院の修士課程を終えて初めて海外に出かけた一人旅の折であり、今年はそれからちょうど30年目にあたる。最初にルーブルを訪れた際の感動を私は今でもありありと思い出すことができるが、現在、同じ美術館を訪問する若者は果たして同じ感動を抱くことができるだろうか。21世紀を迎えて大美術館は大きな変質を遂げつつあるように感じ
しばらく前から予告されていた藤枝晃雄の批評集がついに刊行された。ペーパーバックながら上下二段組、600頁余という大著である。私の世代であれば藤枝はよく知られた批評家であるが、今日ではその主著を手に入れることはかなり困難だ。ポロックについての名高いモノグラフが10年ほど前に復刊され、そのほか下に示した四冊の論集が刊行されているが、インターネットで確認した限りにおいても中古本としてしか入手できない著作が多い。今日では美術関係者でさえ相当に意識しない限り、藤枝のテクストに触れることは難しい。また藤枝は70年代以降、多くの雑誌に文章を寄稿しているが、これらについても論集に収められていない限り、原典にあたる苦労なしには読むことができなかった。このような困難は私にマイケル・フリードを連想させる。藤枝同様にフォーマリズム批評を代表する論客であったフリードもまた1998年にシカゴ大学出版局より「芸術と物体
本書はイタリアの戦後美術において最も重要な動向の一つであるアルテ・ポーヴェラを主題とした研究であり、2014年度に京都大学大学院に提出された博士論文に加筆修正した内容であるという。日本においてアルテ・ポーヴェラはかつて『アール・ヴィヴァン』誌で特集されたことがあり、私は未見であるが、展覧会としても2005年に豊田市美術館で大規模な回顧展が開催されている。ヤニス・クネリスやジョゼッペ・ペノーネなどの作品は一部の美術館に収蔵されているから、日本でもその片鱗に触れることは不可能ではないが、ミニマル・アートやアンチフォームなどの関連する動向と同様、アルテ・ポーヴェラはこれまで紹介される機会が少ない美術運動であった。これから述べるとおり、その理由自体もこれらの動向の本質と深く関わっている。したがって本書はこれまで十分に論じられることのなかったこの運動に関して日本語で書かれた初めてのモノグラフといえよ
きわめて刺激的な論考を読んだ。タイトルが主題を示している。ユダヤ人と近代美術、しかしこれはきわめてデリケートなテーマでもある。本書の中に美術史家エルンスト・ゴンブリッチの1997年の時点における発言が紹介されている。96年にロンドンで開かれた「オーストリア・ユダヤ文化祭」において「世紀末ウィーンの造形芸術におけるユダヤの影響」という講演を依頼されたゴンブリッチは、このような講演のテーマ自体が問題であることを表明するために講演を引き受け、次のように述べたという。「ユダヤ文化という概念は、昔も、今も、ヒトラーとその前身者たちと、その後継者たちによってでっちあげられたものだと私は考えています。」一組の美術を一つの国家や民族と結びつけることは文化本質主義につながる危険性を秘めている。実際にそのような例を私たちは第四章で言及される悪名高い「退廃芸術展」に認めることができる。かかるアポリアを回避するた
現代美術に関する実に刺激的な研究書が刊行された。日本人の研究者によるこれほどの水準の研究を私はほとんど知らない。本書が発表された経緯を知るならばその理由も明らかであろう。あとがきによれば、本書は「Dislocations: Robert Rauschenberg and the Americanization of Modern Art, circa 1964」というタイトルで2007年にイェール大学に提出された博士論文が原型であり、その後、序章を完全に書きかえて「The Great Migrator: Robert Rauschenberg and the Global Rise of American Art」というタイトルとともに2010年にThe MIT Pressから出版された研究の日本語版である。著者も述べるとおり、二つのタイトルの相違に著者の問題意識の微妙な変化がうかがえる。
小学館版「日本美術全集」の第19巻、「拡張する戦後美術」が刊行された。編者は椹木野衣。『日本・現代・美術』の著者による編集であるから、初めから常識的な通史となるはずがなかったとはいえ、予想をはるかに超える過激な内容である。図版が掲載された作家のうち、岡本太郎、草間彌生、杉本博司であれば理解することは困難ではない。しかし例えば次のような「作家」を私たちはどのようにとらえればよいか。山下清、三松正夫、山本作兵衛、杉山寧、ジョージ秋山、糸井貫二、牧野邦夫、神田日勝。おそらく私も含めて初めて目にする名前がいくつかあるはずだ。そしてこれまで知っていたとしても美術の文脈から排除されてきた「作家」の名も多い。彼らを果たして一つの文脈に組み込むことが可能であるかという点が本書の賭け金だ。本書には椹木以外にも総論として山下裕二、コラムとして四本の論文が掲載されている。しかし私の見るところ、福住廉の「肉体絵画
ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵のバーネット・ニューマン「十字架の道行き」連作14点が信楽のMIHO MUSEUMで特別展示されるとの情報を得た時には二重の意味で驚愕した。このような展覧会が日本で開かれることが一つ、そしてMIHO MUSEUMという会場で開かれることが一つ。しかしいずれにも理由があった。まずワシントン・ナショナル・ギャラリーは現在改修中のため、作品の大規模な貸し出しが可能となったようである。そういえば先日も私は三菱一号館美術館で印象派を中心にしたこの美術館のコレクション展を見たばかりであった。ニューマンの14点組はミュージアム・ピースと呼ぶべき作品であるから通常であれば貸出しはありえない。(唯一の例外は作家の回顧展であろう。私は2002年、テート・モダンで開かれたニューマンの回顧展でこの作品を見ている)このような機会に、こともあろうに日本への貸与が実現したことは奇跡
雑誌であったか新聞であったか、先日、私はカタールに完成した驚くべきプロジェクトについて知った。それはリチャード・セラによる「East-West/West-East」という作品であり、カタールの荒涼とした砂漠に等間隔で屹立する高さ16.7mもしくは14.7mの四枚の巨大なモノリスだ。この鉄板はドイツで加工されたとのことであるが、かかる巨大かつ重量のある作品をいかに製造し、輸送し、設置したか、私の想像をはるかに絶している。インターネットの記事などを参照するならば、セラ自身もこのプロジェクトを自身のキャリアにおいても最も成功した例の一つと見なしているとのことであるから、風景の中でいかなる偉容を呈しているか大いに気になるところだ。以前このブログでも触れたことがあるが、セラにはこの作品同様、野外に垂直的なモノリスを設置した例がある。アイスランドに設置された「AFANGAR」である。極寒と灼熱、二つの
20世紀の美術史は展覧会によってかたちづくられたといっても過言ではない。印象派展から「大地の魔術師たち」まで、かかる系譜をたどることはたやすい。その中でも1960年代後半は展覧会の名が一つの運動の代名詞となるような歴史的な展覧会が陸続と開催された時期であった。私はその中でもほぼ同じ時期に開かれた三つの大展覧会が現代美術の極北を示していると感じる。すなわち1969年3月、スイスのベルン美術館における「態度がかたちになるとき」、同じ年の5月、ニューヨークのホイットニー美術館における「アンチ・イリュージョン 手続き/素材」そして70年5月に東京都美術館で開催されたいわゆる東京ビエンナーレ「人間と物質」である。これらはいずれもコンセプチュアル・アート系の作家を多く含み、通常の展覧会の形式を逸脱した作品が多数出品されていた。それらの作品は永続的なかたちをもたない場合が多く、今日では写真によってかろう
以前、クーリエの仕事でマドリードのレイナ・ソフィア芸術センターに赴いたことがある。仕事を終えてもまだ十分な時間があり、特別展(確かドイツの現代美術に関する大がかりな展覧会であった)を見た後、私は常設展を巡った。この美術館のコレクションとしてはピカソの《ゲルニカ》が有名であり、ミロやダリといったシュルレアリスムの名品も多いのだが、戦後美術のセクションで思わず足を止めてしまった。1950年代の抽象絵画が素晴らしいのだ。タピエスとサウラは知っていた。しかし私が初めて見るほかの多くの画家の作品もレヴェルが高く、私はスペインでアンフォルメルがこれほどの充実を示していたことを初めて知った。そして数年前、フランクフルト近代美術館のブックショップを訪ねた際に私は「アンフォルメルの反乱」というサブタイトルをもつ『À REBOURS』という展覧会の分厚いカタログを見つけて買い求めたのであるが、ドリー・アシュト
国立新美術館で「アンドレアス・グルスキー」展を見る。グルスキーの作品は日本でも既にいくつかの展覧会で紹介されており、私も初見ではない。しかしいずれもグループ展の中での紹介であったのに対して今回は日本で初の大規模な個展であり、巨大な作品の数々に圧倒された。私は写真の専門家ではないが、展示の中でもしばしば触れられていたとおり、グルスキーの作品は写真という文脈よりも、現代絵画あるいは現代美術との関係において検討した方が理解しやすい。彼の作品はデュッセルドルフ芸術アカデミーでベルント&ヒラ・ベッヒャーに学んだことに多くを負っており、私は一種のコンセプチュアル・アートとしてとらえることさえ可能ではないかと考える。 ひとまず上に掲げたイメージ、カタログの表紙とされた2007年の《カミオカンデ》から始めてみよう。ポスター等にも使用され、おそらく今後グルスキーの代表作の一つとみなされるであろうなんとも壮麗
東日本大震災から二年が経過しようとしている。私は最近船橋洋一の『カウントダウン・メルトダウン』を読み終えて、今回の原子力災害に関わった東京電力の関係者や官僚たちのあまりの愚かさというか無責任、人間としての卑しさに暗澹たる思いを新たにしたところである。この優れたドキュメントにはこのブログで応接するかもしれないが、その作業が楽しいものとなるとは思えない。 さて、震災と原子力災害という未曾有の事態に対して、作家たちはどのように応接したのだろうか。文学の領域では高橋源一郎の『恋する原発』や川上弘美の『神様2011』が思い浮かび、写真であれば東京都写真美術館における畠山直哉の個展やせんだいメディアテークにおける志賀理江子の「螺旋海岸」(私はこの展覧会は未見だが、先日、国立新美術館での「アーティスト・ファイル」でその片鱗に触れた)などが直ちに連想される。美術ではどうか。いくつか思い浮かぶ作品や展示がな
具体美術協会の活動の全貌を紹介する「『具体』―ニッポンの前衛 18年の軌跡」展が国立新美術館で始まった。1954年に芦屋で結成され、1972年にリーダー吉原治良の死去とともに解散した「グタイ」は日本の戦後美術において海外に最もよく知られた作家集団である。今回の展覧会の売り物は彼らの活動の全幅を初めて東京で紹介した点であるという。グローバリズムが喧伝される今日、東京で回顧されることに何か意味があるのかとも感じられようが、このグループが甘んじてきた地政学的な不利益を考えるならば一定の感慨がある。具体は当初から東京を意識し、実際に何度も大規模な発表を東京で行ったにも関わらず、東京の美術界から徹底的に黙殺された。かつてクレメント・グリーンバーグはすべての優れた美術はニューヨークを経由すると言い放ったが、日本においてもこれまで美術に関する展示施設や大学、ジャーナリズムや批評家が集中する東京で評価され
「原子力ムラはなぜ生まれたのか」というサブタイトルを付した『「フクシマ」論』を読む。タイムリーな著作とも感じられようが、本書は3・11以前、2011年1月14日に東京大学大学院に修士論文として提出され、2月22日に受理されている。したがって刊行時に追加された最後の補章以外には今回の原子力災害に触れた文章はないし、社会学系の学術論文であるからさほど面白い内容でもない。次に述べるとおり、形式的にやや問題も感じられもするが、やはり今読むべき研究であろう。ひとまずレヴューを記す。 元々の論文名は「戦後成長のエネルギー―原子力ムラの歴史社会学」であったらしい。福島出身の開沼にとって原子力発電所の問題がかねてより身近に感じられたことは想像に難くない。タイトルからは明確でないが、実はこの論文の主題は原子力やエネルギー問題というより、明治期から今日にいたる中央と地方の関係であり、この問題を考える一つの手掛
『存在論的、郵便的』を携えての東浩紀の登場は衝撃的であった。1998年のことである。以前より『批評空間』に連載されていた論考に親しんでいたとはいえ、全面的に改稿されて上梓されたデリダ論は実に斬新で、新しい世代の登場を強く印象づけた。その後も私は東の著述を比較的熱心に読み継いだが、『動物化するポスト・モダン』にはさほど感心しなかったし、インターネット上のふるまいやSF小説を発表するなどの多角的な活動が伝えられるにつれ、むしろ興味が薄れ、近年の「思想地図」に関連する仕事はほとんどフォローしていなかった。しかし今回、久しぶりに本書を通読して私はあらためて「思想家」としての東の資質に感心した。 帯にも掲げられた冒頭の文章がよい。「筆者はこれから夢を語ろうと思う。それは未来社会についての夢だ。わたしたちがこれからさき、21世紀に、22世紀に作るであろう社会についての夢だ」ただし本書ではこの前に序文が
日本のSFに関して、私は黄金時代とも呼ぶべき1970年代にはそれなりに同伴して読み継いだ自負があるが、80年代以降は必ずしも熱心な読者ではなかった。その後もこのブログで取り上げた『グラン・ヴァカンス』のごとき話題作についてはそれなりにアンテナを張ってきたつもりであるが、今回取り上げる『マインド・イーター』についてはその存在すら全く知らなかった。帯に『グラン・ヴァカンス』の著者、飛浩隆から「日本SFが成し遂げた最高の達成」なる賛辞が寄せられているのを読んで、あらためて一読する。なるほど日本のSF史上に残る傑作であろう。 今回の創元SF文庫版にはタイトルに「完全版」と冠されている。『マインド・イーター』は最初、1984年にハヤカワ文庫から刊行され、その際に収録されなかった二編を加えて、今回新たに上梓された。作者の水見は89年以後、新作を発表していないとのことであるから、最初に刊行された際に見落
あまりにも遅かったか、それともかろうじて間に合ったか。日本で最初の本格的なジャクソン・ポロック展が開催される直前に刊行された新しい批評誌『ART TRACE PRESS』を手にした読者の胸にはどちらの思いが去来するだろうか 対談と論文、三本の翻訳、合わせて五篇から成立するポロックの特集は松浦寿夫と林道郎という適任の編集者を得て、スタンダードかつ最新というなかなかぜいたくな内容となっている。すなわちマイケル・フリードとウィリアム・ルービンによるもはや古典と呼ぶべき二つの論文が収録されるとともに、松浦と林による対談、そして沢山遼とマンクーシ=ウンガロの論文は1998年にニューヨーク近代美術館が組織した大規模な回顧展以降の成果を十分に反映して読みごたえがある。 まず古典的な論文に目を向けよう。マイケル・フリードの「ジャクソン・ポロック」とウィリアム・ルービンの「ジャクソン・ポロックと近代の伝統」
今年の初めに国立新美術館で開催されたポンピドー・センター所蔵の「シュルレアリスム」展を機縁としているのであろうか、今年に入ってシュルレアリスム関連書の出版が続き、『水声通信』で何度かシュルレアリスムに関する特集を組んだ水声社がこの状況の一つの焦点となっている感がある。この出版社から最近刊行された齊藤哲也という若い研究者のシュルレアリスム研究を読む。 序章とそれに続く六つの章によって構成された本書のうち、序章はある研究会における口頭発表に基づいており、既に『水声通信』34号に掲載されている。ほかの六章はいずれも書き下ろしであるが、序章に倣ってあたかも講演の記録であるかのような口語体が用いられている。このため語り口は平易な印象を与え、難解な文章が多いシュルレアリスム研究のなかでは異色である。そしてシュルレアリスム研究に対する姿勢そのものが従来の関連書と大きく異なる。各章のタイトルとして「シュル
四方田犬彦は私がかねてより愛読する批評家である。比較的最近ではテルアヴィヴとコソヴォという峻烈な地に半年ずつ教師として滞在した記録『見ることの塩』、あるいは大学時代の恩師である由良君美との交流と断絶をつづった『先生とわたし』などが印象に残る。『ハイスクール1968』など一連の回想記における事実誤認と自己美化がインターネット上で散々に批判されているが、世代と問題意識が比較的近いためであろうか、扱われる多様な主題もその大半が私の関心の内にあり、新刊が出るたびに必ず店頭で手に取る書き手である。 四方田の名から最初に連想されるのは映画批評家としての側面であろうか。『映画史への招待』『日本映画史100年』といった概論からルイス・ブニュエルや若松孝二といった特異な監督に関する作家論まで私も四方田の研究から多くを学んだ。さらに四方田は紀行文の名手でもある。今挙げた『見ることの塩』、三島由紀夫の実兄や石川
ブリヂストン美術館で開催されている「アンフォルメルとは何か?」を訪れた。「抽象絵画の萌芽と展開」と題された導入部と付け足しのようなザオ・ウーキーの作品群はコレクションを無理やり加えた印象を与えてやや苦しいが、全体としてはこれまで紹介されることの少なかったアンフォルメルという運動の全貌を伝える充実した内容である。 1950年代にヨーロッパに勃興したアンフォルメルはその輪郭をつかむことが難しい。アンフォルメル、別の芸術、タシスム。入り乱れる批評家によって様々の呼称が時に肯定的、時に批判的に使用され、フォンタナやアペルが展示に加えられている点からも了解されるとおり、空間主義やコブラといった多様な運動やグループが時にその内部に配置される。本展ではアンフォルメルをその主要な唱導者ミシェル・タピエによって定義された狭義のそれに限定することなく、むしろその周縁を含めた広がりの中に捉えている。このような姿
驚くべき研究書が刊行された。まずその存在感と装丁に圧倒される。小口の部分まで黒く塗られた厚さ5センチはあろうかという大著だ。銀文字で記された『肉体のアナーキズム』という表題と「黒ダライ児」という奇怪な著者名。みるからに怪しげな書物である。 しかし作者について多少の知識があれば、これは奇書どころか刊行が待ち望まれた研究である。筆者は黒田雷児という福岡アジア美術館に勤務する学芸員。黒田は1988年に福岡市美術館で「九州派」という画期的な展覧会を企画し、大きな注目を集めた。その後も1993年に「ネオ・ダダの写真」という注目すべき展覧会によって一貫する問題意識を示すとともに60年代の一連のアナーキーな美術活動に関していくつかの論考を発表してきた。いつかそれらが一つの書物にまとめられることは予想できたが、これほどの大著となろうとは。そもそも今日このような研究を刊行する出版社が存在すること自体,驚き以
先日、出張の車中で『サヴァナの王国』という新潮文庫の新刊を読んでいたところ、思いがけない名前に出会った。2022年に原著が発表され、ゴールド・ダガー賞を受賞したこの小説自体もアメリカの暗黒の歴史が色濃く刻まれたジョージア州サヴァナと呼ばれる地域をめぐるかなりきつい暗黒小説であったが、その中で登場人物がフラナリー・オコナー、サヴァナで生まれ、短編の名手として知られながら40年ほどで短い生涯を終えた女性作家に何度か言及しているのだ。 うちの女性たちはフラナリーを読もうとしない。サヴァナが舞台だから、去年「精霊の宿る宮」を読ませてみたけれど、やっぱり反応は芳しくなかった。だって、モルガナ、登場人物がみんなグロテスクなんだものって、彼女たちは言うの。みじめったらしいって。 そういえば最近復刊された彼女の短編集を確か求めていたはずであったと書棚から取り出してみる。「精霊の宿る宮」も含まれている。かく
このブログでは基本的に時事的な話題は扱わない方針であるし、ネガティヴな議論は控えたいと考えているが、さすがに今回はこのタイミングで批判すべきだと感じる。 『美術手帖』の今月号は「総力特集 村上隆」である。最初に断わっておくが、私は村上隆という作家に対して特に関心をもたない。2001年の東京都現代美術館における回顧展や同年、ロスアンジェルスのパシフィック・デザイン・センターで開催された『スーパーフラット』、あるいは2003年のヴェネツィア・ビエンナーレに際して「ラウシェンバーグからムラカミまで」というサブタイトルとともに開かれたフランチェスコ・ボナミの企画による絵画展などで作品を見た記憶はあるが、いずれもたまたま開催されていた時期にそれらの都市を訪れたからであり、特に作品に関心がある訳ではない。村上のような表現があってもよいとは思うが、それは村上が評価する平山郁夫という画家の作品があってもよ
テーバイの王権をめぐる争いの後、敗れたポリュネイケスの遺体は弔いを禁じられ、反逆者として野晒しにされる。遺体が放置されることに耐えられぬポリュネイケスの妹、アンティゴネは自らの死を覚悟して兄の亡骸を埋葬しようとする。よく知られたギリシャ悲劇、ソフォクレスの『アンティゴネ』のエピソードである。この物語が暗示するとおり、人間の死体を遺棄することは人倫への重大な侵害であり、人間の尊厳と関わっている。しかしこのような人間性への侵犯は絶えることがない。つい先日も大阪で私たちはなんとも胸のつまるような事例を知ったばかりである。 1982年、ベイルート。長く続いた内戦はアメリカの調停でようやく終結し、パレスチナ解放戦線(PLO)の戦闘員たちは、シリアやヨルダンへの果てることなき転進に旅立っていった。監視にあたっていたアメリカ軍、多国籍軍も撤退する。停戦の合意内容の中にいわば丸腰で残されたパレスチナ民間人
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