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大谷翔平
tvmatome.net
日米が激しい死闘を繰り広げた太平洋戦争。戦時中、アメリカの歴史に大きな汚点を残す事件が起きました。日系人の強制収容です。アメリカの西海岸に住む日系人12万人が強制収容所に送られました。突如、敵性市民としてアメリカ社会から排除されてしまった日系人たち。誰もが理不尽な状況に耐え忍ぶしかありませんでした。 そんな中、声を上げたのがフレッド・トヨサブロー・コレマツ。アメリカ生まれの日系二世です。戦争の最中、フレッドはアメリカが行ったことは人種差別ではないかと裁判を起こしました。しかし、彼を待っていたのは孤独な闘いでした。 僕はアメリカ人だ! フレッド・コレマツは1919年にアメリカで生まれました。アメリカは世界各地から移民を受け入れており、1940年代にはアメリカ本土には13万人近い日系人が暮らしていました。フレッド・コレマツの両親も福岡県から来た移民で、カリフォルニアでバラ農園を営んでいました。
千葉県市川市には、かつて国府台陸軍病院がありました。終戦までの7年の間に1万を超える精神障害の兵士が収容され治療と研究が行われていました。 当時、代表的な戦争神経症とされていたのがヒステリー(臓躁病)です。手足が痙攣したり、立ち上がることや歩行ができなくなる失立失歩も特徴的な症状の一つでした。臓躁病は重症になると激しい痙攣発作を起こしました。 当時、陸軍は第一次世界大戦中ヨーロッパで多発した「シェル(砲弾)ショック」と呼ばれる戦争神経症を認識していました。しかし、日本軍にはこうした精神障害兵士は一人もいないと、その存在を隠していました。 その一方で、陸軍は優秀な精神科医50人余りを集め、秘密裏に国府台陸軍病院で戦争神経症の研究を続けていました。 敗戦後、焼却を免れた病床日誌は元軍医らによって分析が始められました。その後、アメリカで戦争によるトラウマの研究が盛んになると、改めてこの病床日誌に
モンゴルの草原地帯で日本とソビエトが凄惨な戦いを繰り広げました。1939年に勃発したノモンハン事件です。 作家の司馬遼太郎は、ノモンハン事件こそ日本が破滅へと突き進んだ時代を読み解くカギだと考えていました。 一体こういう馬鹿なことをやる国は何なのだろう 日本とは何か 日本人とは何か (司馬遼太郎「『昭和』という国家」) 取材を進めた司馬遼太郎は陸軍の上層部のあり様に嫌気がさし、執筆を断念したとされています。 昭和の大作家が書けなかったノモンハン事件とは一体何だったのでしょうか?日本陸軍の上層部が敗北の舞台裏を赤裸々に語った150時間に及ぶ音声記録が見つかりました。 モンゴル大草原 日本軍 激闘の痕跡 モンゴル東部にある大草原、当時日本側はこの一帯をノモンハンと呼んでいました。今もモンゴルの警備隊が厳しい国境管理を行っています。 草原には79年前の激闘を物語る痕跡が数多く残されています。ソビ
時男さん(66歳)は統合失調症と診断され、精神科病院に39年入院していました。時男さんの退院の日は、突然やってきました。2011年に起きた福島第一原発事故です。時男さんが入院していたのは、原発から5キロ圏内にある病院。すぐに避難指示がでました。ところが、避難先で「入院の必要なし」と診断され退院したのです。 時男さんのように原発事故をきっかけに精神科病院を退院した人は数多くいます。「時男さんも、そもそも長期入院の必要はなかった」と退院後の時男さんを見守ってきた精神科医は言います。薬を飲み穏やかに暮らす時男さんと話すたび、その思いを強くすると言います。 どうしてこの人が精神病院に40年も入ってなきゃなんなかったんだろう。人格の崩壊とか崩れとか、そういう類の状況も見られないし、大変しっかりした人。その人が40年いたっていう。そのことに私の方がむしろ衝撃を覚えたというか。彼もまた精神病院の犠牲者で
眼光鋭き孤高の指揮者エフゲーニ・ムラヴィンスキー。旧ソ連時代、半世紀ものあいだ世界屈指のオーケストラ「レニングラード・フィル」の首席指揮者として君臨した人物です。監視の厳しい社会に生きながら信じる音楽のためにはどんな圧力にも屈しなかった男です。 「鉄の結束」のオーケストラ エフゲーニ・ムラヴィンスキーはごく限られた手の動きと鋭い眼差しに、100名を超す楽団員全ての意識を集中させ一糸乱れぬアンサンブルを作り出しました。堅く結ばれた楽団員との絆は今もクラシック界の伝説です。 ムラヴィンスキーの指揮のもとで演奏できたことで、初めて本物の音楽家になれたように思います。(元レニングラード・フィル バイオリン奏者 リュドミーラ・オディントソワ) 言うまでもなくムラヴィンスキーはとても気難しい人で一緒に仕事をするのはかなり大変でした。でも、なぜ彼がそれほど厳しくするのか、ほとんどの場合私たちにはわかって
福島県立医科大学 会津医療センター整形外科・脊椎外科教授の白土修(しらどおさむ)先生によると、長引く腰痛を抱える患者さんに共通するのは、ある悪い癖だと言います。そして、その癖こそが腰痛を悪化させ長引かせてしまう落とし穴だというのです。 その癖とは安静にすること。安静にすることで、脊柱起立筋や多裂筋といった背中の筋肉がやせ細っていってしまいます。その結果、背骨をS字状にキープすることができなくなり、なだらかなカーブが失われてしまうことに。本来、背骨がS字であれば全体がたわむことで身体にかかる負担を分散できるのに対し、真っ直ぐになった背骨では負荷が一点に集中しやすくなります。そのため、腰痛がどんどん悪化するという負のスパイラルに陥ってしまうのです。 背骨S字チェック!壁ぴったりテスト 1、壁の前に立つ 2、かかと・尻・背中を壁にぴったりつける 3、目線が真っ直ぐ前を向くようにあごを引く この状
ひざ痛は長年に渡って体重を支え続けてきたひざ関節のクッション軟骨がすり減ってしまい、そのせいで炎症が起き痛みが生じます。実は、薄くなった軟骨が再び厚みを取り戻すことはありません。つまり、根本的に治す方法は存在しないというのが医学界の常識でした。しかし、最新の研究で例え軟骨が薄くなっていても劇的に膝の痛みを改善できる可能性があることが分かってきたのです。 順天堂東京江東 高齢者医療センター特任教授の黒澤尚(くろさわひさし)先生です。黒澤先生によれば、ひざ痛を起こす主な原因は、ひざ関節の滑膜(かつまく)が分厚くなってしまうことだと言います。実は、誰の膝にも滑膜は存在するのですが、通常は薄くエコーでは見えません。しかし、何らかの原因で軟骨がすり減り始めると、その時に発生した小さな軟骨の破片が滑膜に付着。そこで炎症を起こすことで痛みが発生。滑膜自体も次第に厚くなってしまうと考えられています。 滑膜
ロシア国内では戦争への不満が増大し、帝政打倒の動きが強まっていきました。しかし、ニコライ2世は戦争に勝利すればおさまると対策をとらずにいました。 2月革命 1917年にはいると、都市の労働者たちによるストライキが各地で頻発。首都ではパンが不足し長い行列ができました。女性たちがパンを求めてデモを行い、労働者がゼネストにはいり首都は混乱状態に陥りました。 皇帝はデモ隊に発砲。非常事態を宣言しました。しかし、民衆の争乱をおさえきれずロマノフ王朝は崩壊しました。2月革命です。皇帝一家は逮捕され後に銃殺されました。 人々は300年続いたロマノフ王朝の圧政から解放されたと革命を歓迎しました。 3月、臨時政府が成立。ロシアの民主的ブルジョアジーの政党カデットを中心とした連立政権でした。レーニンが率いるボリシェビキ党はまだ勢力が弱く参加できませんでした。 臨時政府は言論や集会の自由、憲法制定会議の招集を約
1983年放送の「積木くずし」は最高視聴率45.3%を記録。これは30年経った現在も破られることのない歴代民放連続ドラマ1位という金字塔です。 「積木くずし」は実話 実は「積木くずし」は原作者・穂積隆信(ほずみたかのぶ)さんとその家族の人生を描いた実話です。 主人公は13歳で非行に走った娘とその両親。娘はイジメをきっかけに暴走行為、万引き、シンナーと非行を繰り返していきます。娘の気持ちを理解できないものの、必死に向き合い続け200日間にも渡り親子の壮絶な闘いを描いた物語です。 ドラマの結末は、娘が更正の道に踏み出し家族に希望の光が差し込むものでした。 晒し者にされた娘 しかしその後、穂積家では更正したはずの娘・由香里さんが覚せい剤で2度も逮捕されてしまいました。 由香里さんは積木くずしの大ヒットによって晒し者にされ「人生を終わらされた」と感じていたのです。 元妻の人生も… さらに妻・美千子
ユダヤ民族基金という団体の施設には、永久保存されているゴールデンブックがあります。ゴールデンブックにはユダヤ国家建設のために大きな貢献をした人が記載されています。ここに名前が刻まれることはユダヤ人にとって最高の名誉です。 そんなゴールデンブックに、樋口将軍という意味の「ゼネラルヒグチ」の名が刻まれています。ゼネラルヒグチこと大日本帝国陸軍中将・樋口季一郎(ひぐちきいちろう)は一体どんな人物だったのでしょうか? 樋口季一郎は1918年、陸軍大学校を卒業。当時のエリートでした。各国の情報収集にあたる情報武官としてヨーロッパやロシアに赴任し、順調に出世街道を歩んでいました。 そして日中戦争が勃発した1937年、満州の関東軍で諜報活動のトップ特務機関長に就任しました。 ユダヤ難民を救う 1938年、ナチスのユダヤ人狩りから逃れて来た数千人のユダヤ難民たちが死にかけているという情報が入ってきました。
1978年11月18日、ある宗教団体の集団自殺が起こりました。ジャングルを切り開き作られた教団施設には、約1000人の信者が自給自足の生活を送っていました。 当初、新聞にはそのうちの300人が死んだと報じられましたが、実際には914人もの遺体が発見されました。死者914人のうち18歳以下が267人。その中には幼い子供や赤ん坊までもが含まれていました。 罪なき人々を地獄へといざなったのは「人民寺院」の教祖ジム・ジョーンズです。FBIが押収したテープには、信者に自殺を促す教祖ジム・ジョーンズの肉声が記録されていました。 使用されたのはシアン化物。主に工業用金属の精錬やメッキ製造時に用いられる劇薬です。青酸カリを含み、ごく少量で死に至ります。赤ん坊には注射、大多数は自ら服毒し914人が絶命したのです。教祖ジム・ジョーンズも自らこめかみを撃って自殺しました。 これ以来、アメリカでは社会的に危険とみ
71年前の8月、突然のソビエト軍の侵攻により、旧満州に取り残されていた8万人以上の開拓民が戦闘に巻き込まれるなど犠牲になりました。これだけ多くの民間人が海外で命を落としたのは例がありません。 満州の支配の強化や食料増産のために行われた満蒙開拓は、国が重要政策として進めた国策でした。終戦までに送られた開拓民の数は27万人以上。戦局が悪化し、安全が脅かされていった昭和18年以降も6万人以上が海を渡りました。 なぜ、これほどの数の人々が終戦間際まで送られ続けたのでしょうか?これまで関係資料が散逸したとして、その経緯は分かりませんでした。しかし、戦後70年が過ぎ、その空白となっていた経緯がようやく明らかになってきました。 長野県の豊丘村の北部はかつて河野村と呼ばれ、2900人が住んでいました。急峻な地形で田畑が少なく、慢性的に食料にも困窮する貧しい村でした。戦争末期、27世帯95人の村人が満州へ送
2016年5月、アメリカの現職大統領が初めて原爆が投下された広島を訪れました。大統領から謝罪の言葉はありませんでした。 1945年8月6日、アメリカは広島に原子爆弾を投下しました。当時の大統領ハリー・トルーマンはアメリカの全国民に向けラジオ演説でこう語りました。
2014年5月、ロシアのプーチン大統領がウクライナ南部のクリミア半島の併合を決定。これをきっかけに始まった各国の対立は各地で紛争の火種を生みました。 隣国ロシアの攻勢で激戦地となったのがウクライナです。東部で「親ロシア派」と呼ばれる武装集団が独立を求め蜂起。ウクライナ政府軍との間で激しい戦闘を繰り広げてきました。2年に及ぶ戦いで、市民を含む犠牲者は9000人を超えています。 旧ソビエト時代には一つの国だったロシアとウクライナ。独立後もウクライナには多くのロシア系住民が暮らし、密接な関係を築いてきました。しかし、ウクライナ東部で戦闘が始まるとロシアは親ロシア派の後ろ盾となり、両国はいがみ合うようになりました。 対立に拍車をかけたテレビ 対立に拍車をかけたのは両国のテレビメディアです。テレビが政権の強い統制下におかれるロシアでは、各局が足並みをそろえウクライナを敵視する報道を行ってきました。
愛知県あま市の圓周寺で、日本のハンセン病医療の歴史に新たな光を当てる資料が発見されました。それは京都大学の医師が書いた日記、10年分の記録です。医師の名は小笠原登(おがさわらのぼる)ハンセン病患者を社会から隔離する国の政策に一貫して反対した人物でした。 小笠原登は、古い歴史を持つ寺に生まれ4歳から漢文や書に親しみました。生涯独身を貫き、仏教者として朝晩のおつとめを欠かさなかったと言います。 京都大学の医学部で学んだ小笠原登は、皮膚科にすすみ、当時不治の病と恐れられていたハンセン病の治療に携わりました。小笠原登が勤務していた京都大学医学部附属病院には、かつて皮膚科特別研究室と呼ばれる独立の医療施設がありました。設立は昭和13年。ハンセン病専門の外来と入院棟をそなえ年間300人の患者を診察していました。戦前の国立大学でハンセン病の外来と入院診療を専門に行う唯一の施設でした。この皮膚科特研の初代
近年、赤ちゃんの研究が進み、小さな体の中で起きていることが徐々に解明され始めています。赤ちゃんには大人にはない特別な能力があります。順応性にも優れています。赤ちゃんは生まれてから2歳までの間に他のどの時期よりも成長し学びます。一生のうちで最も大切な期間なのです。 しかし、多くの人はその頃のことを覚えていません。私たちみんなが体験し記憶にはない赤ちゃんの世界をのぞいてみましょう。 生きるための本能 母親のお腹の中で守られてきた赤ちゃんは生まれた途端に全てが変わります。産声と共に始まる赤ちゃんの初めて呼吸。酸素を取り込む場所が胎盤から肺へと移行する瞬間です。小さな体に起こる目に見えない変化を経て赤ちゃんは成長していきます。 生まれたばかりの赤ちゃんはか弱く見えますが、小さな手足はかなり強い力で握ることができます。これは本能的な反応で把握反射と呼ばれています。人間がサルだった頃の名残かもしれませ
阪和興業は、戦後間もない1947年に北茂(きたしげる)と2人の兄が設立した会社でした。日本の高度成長を支えた鉄鋼の流通を担い、急速に売り上げを伸ばしました。国内外に30近い拠点を展開し、社員は1000人を超えていました。 70年代、2度のオイルショックを境に日本の高度成長に陰りが見え始め、鉄鋼の需要もそれまでのような増加が望めない時代が来ようとしていました。創業以来、右肩上がりを続けていた本業の売上高は80年代横ばいに転じました。 本業が頭打ちになる中、財テクに乗り出していった北茂社長。この頃、日本を取り巻く世界の金融市場で大きな変化が起きていました。 金融自由化 アメリカでは、国境を越えた資金調達や金利の自由な設定などが進められていました。当時、アメリカは日本にも金融自由化を働きかけていました。金融自由化でもたらされた新たな投資手法は、日本企業を財テクに駆り立てました。 財テク 阪和興業
即身仏(そくしんぶつ)とは僧侶が苦行の末、自らミイラ化するという日本独自の仏様です。人々の暮らしに身近な存在として、山形県を中心に古くから信仰を集めています。 謎の仏 即身仏を訪ねて そもそも即身仏はどのような経緯で生まれたのでしょうか? 始まりは、空海がひらいた高野山です。高野山で最も聖なる場所とされる奥之院。その立ち入りが禁じられている御堂の中で、空海は今も生き続け人々を救っているとされています。 空海のように永遠に生きて人々を救い続けるにはどうすればいいのか?そこで誕生したのが即身仏だと考えられています。即身仏は平安時代以降、全国に広まりました。 現在、山形から京都まで17体が伝わっています。中でも多いのが湯殿山の周辺。10体が安置されています。 木食行 即身仏を目指すには、木食行(もくじきぎょう)と呼ばれる修行を行う必要がありました。米や麦などの穀物を食べず、山にわけいりそこで採れ
今、ついに解明されようとしているアレルギーのメカニズム。きっかけとなったのは私たちの体の制御性T細胞(Tグレ)の発見でした。制御性T細胞はアレルギーを根本からおさえこむ力を持っています。 制御性T細胞(Tレグ)の重要性はアレルギーの人がほとんどいないアーミッシュの調査から明らかになりました。200年以上前、先祖がヨーロッパから移住したアーミッシュは、宗教的な理由から今なお当時の暮らしを徹底して守り続けています。アーミッシュは撮影されることを嫌うため、その暮らしぶりはあまり紹介されてきませんでした。 アーミッシュは基本的に自給自足の生活で、牧畜が盛んで、幼い頃から家畜の面倒をみる習慣があります。アーミッシュは都会で暮らす人に比べ花粉症は20分の1、アトピー性皮膚炎は10分の1と極端に少ないことが分かっています。なぜアーミッシュはアレルギーが少ないのでしょうか? その謎にせまったのがミュンヘン
1位:朝日ジャーナル 2位:週刊少年マガジン 3位:世界 4位:文藝春秋 5位:中央公論 6位:週刊少年サンデー 7位:週刊朝日 8位:展望 9位:エコノミスト 10位:サンデー毎日 (1970年 学生実態調査) お堅い雑誌かマンガ誌ばかりでした。 そんな中、1973年にそれまでとは一線を画す「宝島」が現れました。雑誌の顔、責任編集をつとめたのは植草甚一(うえくさじんいち)さん。植草甚一さんは大の散歩好きで、街で見つけた雑多な情報や経験を雑誌に書き綴り、63歳にして突如大ブレイク。若者たちの教祖となりました。 彼が散歩で集めてきたのは情報だけではなく、切手やマッチ箱、雑貨、古本など気に入った物は何でも買い集めていました。そんなサブカルチャーの帝王を旗印にした誌面は音楽、映画、マンガ、まだ世に知られていないアメリカンカルチャー何でもありでした。読者は、まるで宝探しをするように貪り読んだのです
北極海の海底で巨大なタラバガニが増殖し、旺盛な食欲で獲物を食べつくしています。タラバガニは、元々ヨーロッパの沿岸には見られない生物でした。人の手によって運びこまれた外来種なのです。 ノルウェーの北部に現れたのは1970年代。今では北極海に面したヨーロッパの沿岸全体に生息しています。タラバガニは生息域をどこまで広げ、生態系にどのような影響を及ぼしているのでしょうか? 実はヤドカリ! タラバガニは最大級の甲殻類です。大きいものでは重さ10kg、足を広げた時の長さが180cmにもなります。 名前にカニとついていますが、生物学的にはカニではなくヤドカリの仲間です。学名はパラリソーディズ・カムシャティカス。ラテン語で「カムチャッカのカニ」という意味です。 ロシア東部のカムチャッカ半島沿岸が生息地の一つですが、現在はユーラシア大陸の反対側、北欧の沿岸にも生息しています。冷たく栄養分を豊富に含んだ北極海
立花隆さんがこの謎を解く大きな鍵だと考えているのが臨死体験です。心停止などで脳が活動しなくなったと思われる人たちが見るという不思議な現象です。心が体を抜け出し、光輝く美しい世界に行き着くという体験。心は死んでも存在し続ける特別なものだと体験した人の多くが考えています。 しかし今、この不思議な現象を脳の働きで解き明かそうという研究が急速に進んでいます。 臨死体験 深まる謎を追う 今、心停止から蘇生した人の5人に1人は、臨死体験をしているとも言われています。臨死体験は、心停止や深刻な昏睡状態で脳が全く働いていないと思われる時にする体験です。臨死体験者の証言によれば、その内容には似通った特徴があります。 まず、自らの心が体を抜け出すのを感じると言います。体外離脱と呼ばれる現象で、天井付近からその場に横たわる自分の体や医師たちの姿を見たりします。その後、トンネルのような場所を通って光輝く美しい世界
テレビ東京の「ワールドビジネスサテライト(WBS)」で32歳で運用資産20億円のカリスマ投資家について放送されました。片山晃(かたやまあきら)さん(32歳)は都心の2LDKの部屋に一人暮らしをしています。実は片山晃さんは市場では名の知れた投資家ですがテレビの取材に応じるのは初めてです。運用資産は20億円近くにもなると言います。 片山晃さんは19歳で専門学校を中退しニート生活を送るように。毎日ネットゲームにあけくれる依存症状態だったと言います。しかし、23歳の時にアルバイトで貯めた60万円で投資を始めました。そして約10年で運用資産を3000倍以上に増やしたのです。片山晃さんの手法は業績。決算短信を手がかりにして有望株を見つけていると言います。決算短信とは上場企業の業績を最も早く知ることができる資料です。この手法はいわば投資の王道です。普段注目を浴びにくい中小型株を中心に業績や将来の成長性を
南米ブラジルのアマゾン川流域の密林に、ピダハンと呼ばれる400人ほどの人々が暮らしています。ピダハンの生活は、何世紀もの間ほとんど変わっていません。今、彼らの使う言葉とコミュニケーションの方法に世界が注目しています。 ピダハン語は、しゃべってもハミングしても歌っても口笛を吹いても伝わります。ピダハンはアマゾン川の支流に広がる4つの村で生活しています。300年前、金を求めてやってきたポルトガル人と出会っただけで、後は長い間外からの影響を拒んできました。ピダハンはピダハン語しか話しません。 しかし、1950年代に麻疹が流行し、ピダハンはアメリカの伝道師を迎え入れることにしました。そうしてやってきた伝道師の一人がダニエル・エヴェレットでした。ダニエルは1977年、25歳の時に妻と幼い子供たちを連れてピダハンの元を訪れました。 ピダハンは今は服を着るようになっていますが、定住するための家や耕作地は
NHK総合テレビの「クローズアップ現代」で男はつらいよ1000人の心の声が放送されました。男性の幸福度は女性より低い傾向が続いてきました。先月、政府が発表した平成26年度の男女共同参画白書では「現在幸せである」と回答した女性が34.8%だったのに対し男性は28.1%でした。働き方や価値観が大きく変わる中で最近、国も企業も女性活用の重要性を重視し女性に光が当たっていますが、日本はまだまだ男性中心の社会と言えます。働く女性で非正規の仕事に就いている人の割合は53.9%と、19.4%の男性よりもはるかに高く、女性の平均賃金は男性の7割程度。さらに1日に家事に費やす時間は女性が男性の5倍。いまや共働き世帯が片働き世帯を上回るなど求められる女性、男性の役割が変化しています。しかし、なぜ男性の幸福度は女性より低いのでしょうか?国際的な調査では日本の男性、女性の幸福度の差は他の先進国より際立って大きく、
今、全国でストーカーによる凶悪な事件が相次いでいます。被害は過去最悪の年間2万件を超えました。規制や取締りの強化にも関わらずおさまる気配はありません。この3年で命を奪われた被害者は14人にのぼります。 悲劇を防ぐにはストーカーの心理に迫り犯行を未然に防ぐしかありません。 相手が拒否しているにも関わらず付きまといなどを繰り返すストーカー。世界の専門家の間では危険度が3つに分類されています。 1.リスク 「やり直したい」などと相手にすがり、今後行為がエスカレートする恐れがある。 2.デインジャー 相手の拒絶によって怒りが芽生え攻撃性を増す。この段階までは警察の警告によって8割は行為がおさまると言います。 3.ポイズン 人の命を奪いかねない。ここまで来ると警告や逮捕も抑止にならなくなります。 加害者の心理に迫る 20代の男性は、知人の女性へのストーカー行為を繰り返し「殺す」というメールを送って警
16世紀~17世紀にかけヨーロッパで猛威をふるった魔女狩り。ごく普通に暮らしていた人がある日突然近所の知り合いから魔女と疑われ魔女裁判にかけられる。その結果、殺された人の数は約6万人。なぜ自分の隣人が魔女だと信じ込み、執...
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