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ノーベル賞
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ウクライナ史、ロシア史を専門とする松里公孝教授が、ロシア・ウクライナ戦争の端緒を「ウクライナからのドンバスの分離紛争」ととらえる視点から、旧ソ連の解体過程を踏まえて解説した。 司会 出川展恒 日本記者クラブ企画委員(NHK) ロシア史、ウクライナ史が専門の東大の松里教授は「この戦争を理解するためには1991年のソビエト連邦解体にさかのぼらなくてはならない」と強調した。2008年以降の旧ソ連圏の戦争は、いずれも旧連邦構成共和国(グルジア、アゼルバイジャン、ウクライナ)と旧自治単位(南オセチア、アブハジア、カラバフ、クリミア)の間で起きており、拙速なソビエト解体は15の連邦構成共和国の政治家やインテリだけに利益をもたらし、自治単位に不満を残したという。また、分離志向が強いバルト3国やグルジア、アゼルバイジャンは「ソ連に組み込まれたこと自体が違法。ソ連に占領される前の原状回復を目指す」という考え
取材ノート ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。 安倍晋三首相が悲願とした北方領土問題の解決は、首相の病気退陣により最終的に破綻した。安倍政権は戦後最もロシアに友好的な政権だったが、ロシアには通用しなかった。最後は「領土割譲禁止」を含む憲法改正という強烈なしっぺ返しを受けた。 「私とウラジーミルの手で必ず平和条約を締結する」などと期待をあおった首相の責任は重いが、交渉が難航した最大の理由はプーチン政権がすっかり国粋主義外交に転換したことにあろう。 ◆冷戦後、領土割譲容認の動きが 筆者は、ソ連による北方領土占拠後の75年間で、日本が3島以上を獲得する形で領土問題を解決できた機会は、1992年の一時期しかなかったとみている。91年末にソ連邦が崩壊し、新生ロシアがスターリン外交を否定し、北大西洋条約機構(NATO)加盟まで検討していたあの時期
取材ノート ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。 「印象に残る世界の指導者は?」 私の質問に田中角栄元首相、角さんは間髪入れず答えた。「周恩来だ」。「どんな点にですか?」とたたみかけると「官僚を束ねられる政治家だ」。 1983(昭和58)年9月。東京・目白の田中角栄邸応接間。いつものように午前11時45分、早朝からの陳情時間が終わった。私も帰り支度をしていたとき、偶然に最後の客を玄関先に送りに出てきた角さんから声が掛かった。「飯食っていけ。店屋物(出前)でいいか。チャーハンがいいな」。思いもよらぬ誘い。それから1時間、幸運な2人きりの昼食となった。だが角さんにとっては、1カ月後に5億円受託収賄罪に問われたロッキード事件の一審判決が迫る、緊迫した時だった。 食事を取りながら、問わず語りに角さんが口を開いた。 「日中の国交回復は裏安保なんだ
取材ノート ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。 「一寸先は闇」の永田町に、不思議な癒しの空間がある。凄まじい権力闘争の政治ドラマを演じてきた自民党本部内、階段を二階に上がった右側奥手前の、事務総長室である。部屋の主の名前は元宿 仁(もとじゅく ひとし)74歳で、文字通り党の事務方のトップを担う。政治ドラマの舞台にもなったこの部屋を、癒しの空間にさせているのが、壁に掛かる一幅の大きな油絵である。 「もらい湯」と題したその油絵は、日曜画家である元宿本人が描いたもので、20年近く前に初めて見た時、深い感銘を受けた。雪と月明かりが照らす寒い夜、隣の家でお風呂に入れてもらい、田んぼの畦道を通って帰る幼い4人兄弟の姿を描いている。ふる里の群馬県川場村では、戦後間もない貧しかった当時、薪を節約するために「もらい湯」の風習が残っていた。若くして亡くな
政府の新型コロナウイルス感染症対策に助言をしてきた独立行政法人地域医療機能推進機構の尾身茂理事長ら感染症、医療の専門家有志26人が、東京オリンピック・パラリンピック大会開催に伴う感染拡大及び医療逼迫を招かないための提言をまとめ、6月18日、組織委員会、政府に提出した。 有志のうち尾身茂さん、釜萢 敏・公益社団法人日本医師会常任理事、中澤よう子・全国衛生部長会会長、中島 一敏・大東文化大学スポーツ・健康科学部健康科学学科教授、前田秀雄・東京都北区保健所長、脇田 隆字 ・国立感染症研究所所長、押谷仁・東北大学教授、西浦博・京都大学教授の8人が会見し、提言に至った背景、提言の概要などについて話した。 ※押谷さん、西浦さんはリモート参加。 司会 伊藤雅之 日本記者クラブ企画委員(NHK) 写真左から中島さん、中澤さん、尾身さん、脇田さん、前田さん、釜萢さん、押谷さん、西浦さん オリパラ開催に伴う感
2020年06月24日 16:00 〜 17:15 10階ホール 「新型コロナウイルス」(29) 専門家会議構成員 脇田隆字座長、尾身茂副座長、岡部信彦構成員 新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の脇田隆字座長、尾身茂副座長、岡部信彦構成員の3氏が会見し、専門家会議の活動を総括するとともに、今後の感染拡大のリスクに備えて、新たな専門家助言組織のあり方について話した。 司会 内城喜貴 日本記者クラブ特別企画委員(共同通信社客員論説委員) 写真左から尾身茂氏、脇田隆字氏、岡部信彦氏 提言「次なる波に備えた専門家助言組織のあり方について」 会見資料pdf版 「本来の役割以上の期待と疑義。その両方が生じた」。新型コロナウイルス対策の政府の専門家会議メンバーの3氏が、4カ月間を総括した。次の流行に備え、助言組織のあるべき姿について提言を公表した。 まず、政府と助言組織の役割と責任の範囲を明確にする
取材ノート ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。 天皇陛下の退位(2019年4月30日)と、皇太子さまの新天皇即位(同年5月1日)が決まり、それに伴う改元問題が残された大きな焦点となってきた。 今のところ新元号発表の時期については、現在の陛下の在位30年記念式典が開かれる19年2月24日以降では、という見方が有力視されている。ということは、19年が明けたころから新聞・テレビ各社は激しい元号取材合戦を展開するに違いない。約30年前の「昭和」から「平成」への改元の際と同様、恐らく大変な激戦になるだろう。そうしたことを想像すると、「現役の政治記者諸君は大変だな」と同情せざるを得ない。 ところで私は「平成」改元の際、毎日新聞政治部の首相官邸記者クラブ・キャップだった。昭和天皇の大量吐血(1988年9月19日)以降、いわゆるXデーがいつ来るか分か
2018年09月25日 14:00 〜 15:00 9階会見場 著者と語る『大学生白書2018 いまの大学教育では学生は変えられない』溝上慎一・桐蔭学園トランジションセンター所長・教授 著書の元になった、2007年から3年ごとに実施してきた「大学生のキャリア意識調査」の結果を詳しく説明した。結論は、過去10年の文科省の政策の成果は上がっておらず、キャリア意識は上がるどころか落ちてきているとした。大学が取り組むべきは、ガバナンスの推進と教員がこれまで以上に学生を育てる意識を持つことだと述べた。 司会 土生修一 日本記者クラブ専務理事・事務局長 人生をやり直すことができたなら。 いくつもの分かれ道はあるけれど、大学時代にもうちょっと勉強すれば良かったかな、とは仕事を始めてから何度も思った。歴史や哲学、考古学。きちんと向き合っていれば、もっと深い考察もできるのでは、ともどかしさを感じるようになっ
取材ノート ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。 これは「しゃべれなかった話」である。 監督として甲子園夏春優勝の木内幸男さん(現常総学院・71歳)が先日、今夏の大会を最後に監督勇退の意思表示をした。 昭和59年(1984)夏甲子園、茨城県立取手二高は初めて決勝に進出した。相手は前年度優勝のPL学園。主力の桑田、清原はまだ2年生、取手は全員3年生。「2年生に負けてたまるか」の思いとPL有利のムードにプレッシャーはつのった。 木内監督は前夜のミーティングで「甲子園の決勝と県大会の決勝は天と地の違いがある」と話し始めた。甲子園に来たからこそ、毎晩の食卓にトンカツとステーキがのる。県大会は500円の駅弁だった。選手は天と地の違いを納得する。監督の話は続く。 「今日こうして甲子園で試合ができるのも、県大会の決勝で竜ヶ崎一高に勝ったおかげだ」。選
前サッカー日本代表監督のヴァイッド・ハリルホジッチ氏が会見した。 司会 宮内正英 日本記者クラブ企画委員(スポーツニッポン新聞社編集主幹) 通訳 臼井久代、名嘉地圭 サッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会の開幕を約2カ月後に控え、日本代表監督の職を突如解かれたバヒド・ハリルホジッチ氏。解任されてから前監督が公の場で初めて口を開くとあって、会見場には332人の報道陣が詰めかけた。 4月7日、パリのホテルで田嶋幸三・日本サッカー協会会長から契約解除を告げられたことを「最初はジョークかと思った。人生で最悪の出来事だった」と振り返る。解任の理由に、選手とのコミュニケーション不足や信頼関係の希薄化が挙げられたことも納得がいかない。「この3年間、誰とも、特に選手とは何の問題もなかった」。思い当たる節のない解任にW杯に臨む23人の最終メンバー選びが何らかのハレーションを起こした可能性をにおわせた。
取材ノート ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。 シリア等の国々から多くの難民が押し寄せ、ヨーロッパはこれにどう対応するか、EUの結束を揺るがす大問題に発展している。今から四半世紀前、1991年のソ連崩壊前後にも似たような現象があった。社会主義計画経済が行き詰まり、国が混乱すると、人々は不満のはけ口をユダヤ人に向け、迫害を恐れたユダヤ人たちがソ連を後にした。 私はソ連崩壊前年の90年春、TBS系列のJNNカイロ支局での3年間の勤務を終えた後、これを取材すべくモスクワに向かった。 ◆オランダ大使館前に長蛇の列 ソ連の首都モスクワは4月と言ってもまだまだ寒い。革ジャンパーにマフラーをしても早朝の風は冷たく感じる。そのモスクワのオランダ大使館前には毎日早朝から数百人の人々が集まり、大使館の門が開くのを待っていた。彼らは当時のソ連国内に住むユダ
「私が記者会見したのは1カ月ほど前ですが、国家戦略特区における獣医学部新設の問題を巡り、その後もさまざまな動きがありました。日本記者クラブのご依頼というのもいい機会と捉えまして、会見させていただくことにしました」――今回の会見に至った経緯に触れ、“渦中の人”前川氏が会見した。約30分用意したメモをもとに語った後、約1時間半、記者の質問に答え、会見時間は2時間にも及んだ。 司会 倉重篤郎 日本記者クラブ企画委員(毎日新聞) 加計学園事件とは何か。疑惑の深い闇が、最も高い証言能力を持つ人物によって、1枚ずつベールが剥がされていくような会見だった。 第1のベールは、いかに行政がゆがめられたか。国家戦略特区という特定主体が恩恵を受ける一種の利権行政が、十分な透明性、公平性なく進められた。最初に加計ありき。そこへもっていくために「獣医学部が広域的に存在しない」「2018年4月開学」との新条件が付加さ
国連の「子どもの売買、児童売春、児童ポルノ」に関する特別報告者を務めるマオド・ド・ブーア=ブキッキオ氏が、日本での初の調査を終えて会見し、記者の質問に答えた。 司会 土生修一 日本記者クラブ事務局長 通訳 池田薫(サイマル・インターナショナル) 8日間にわたって東京、大阪、沖縄・那覇など日本各地で児童の性的搾取の状況について調査を行った。 冒頭、「法の規制対象ではないが、児童の性的搾取につながりかねない深刻な状況がある」と指摘。散歩と称して男性客とデートする「女子高生(JK)お散歩」や、児童に露出度の高い衣服を着せて撮影する「着エロ」を例に挙げ「こうした行為がビジネスとして成立している」と懸念した。 昨年の児童買春・児童ポルノ禁止法の改正で児童ポルノを個人的に所持、保管する「単純所持」が禁止されたことや、インターネットを通じて出回る画像や動画への対策については評価。ただ、被害者の支援につい
山崎拓氏、亀井静香、藤井裕久、武村正義の各氏が会見し、安全保障関連法案への反対を表明した。 司会 倉重篤郎 日本記者クラブ企画委員(毎日新聞) 山崎氏から当クラブに2日前に申し入れがあった緊急共同会見。亀井氏以外は既に国会議員バッジを外し、今は党派もバラバラだが、1955年体制期には政権党の自民党にそろって身を置いた長老4氏が、口々に安全保障関連法案への危惧を訴えた。 「直接間接に戦争を知る戦前生まれが共通点」と山崎氏。自民党の古賀誠元幹事長も交えた5人で会食して「戦争で負けて以来、日本が最大の危機に直面している。ジジイだからと言って黙っているわけにいかん、という気持ちで一致した」(亀井氏)と「ジジイの決起」を宣言した。 藤井氏は米国が「世界の警察官」を担いきれなくなり、集団的自衛権の行使容認で、その肩代わりを日本に求めてくる、として「わが国の将来のあり方に大きな禍根を残す」と強調。「経済
取材ノート ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。 看板に偽りありで、正確には「私が出会えなかった小澤征爾さん」の話である。 入社してまだ数年の社会部遊軍記者であった私は、いまでは考えられないことだが兼務で宮内庁の担当を命じられて週に3日ほどは坂下門からお堀のなかへ通っていた。 昭和天皇はその日午前、上野の日本芸術院で開かれる第28回の芸術院賞授賞式に出席の予定だったが、当時喧擾を極めていた過激派の事件取材の応援だかがあって私は社内にとどまった。 通常の皇室行事では、報道機関に公開の場で天皇と参列者のやり取りはなかったから、短い予定稿をデスクに預けて現場の宮内庁の担当者と連絡をとり、「予定通り」に行事が終了したことを確認にして、それはそのまま夕刊の紙面の小さな記事となった。 夕刻、配られた各紙の夕刊を広げて「朝日」の社会面を繰ると、中央の
2013年04月24日 13:00 〜 14:30 10階ホール 研究会「サイバーセキュリティ」サイバー攻撃の実態と対策 宮本久仁男・NTTデータ 品質保証部情報セキュリティ推進室NTTDATA-CERTシニアエキスパート サイバーセキュリティ研究会の5回目。NTTデータ品質保証管理部情報セキュリティ推進室の宮本久仁男・シニアエキスパートが、サイバー攻撃の実態と対策について話した。 攻撃に使われる道具は、古くから流通しているものが多く対策は可能だが、実際はそれができていないことが多いという。また、高度な攻撃は、目的をもち資金も豊富な攻撃者によるものであり、既存の技術だけでは防御が困難だともいう。高度な攻撃に対処できるような卓越した技能をもつ人材が少なく、その育成が今後の課題だと述べ、宮本氏が関わる、セキュリティ・キャンプの取り組みなどについても紹介した。 司会 日本記者クラブ企画委員 杉田
日本記者クラブ賞は、報道・評論活動などを通じて顕著な業績をあげ、ジャーナリズムの信用と権威を高めた日本記者クラブ会員および法人会員社に属するジャーナリスト個人に贈られる賞です。スクープ賞ではなく、特に最近数年間の業績が顕著であることが重視されます。1972年、日本新聞学会(現・日本マス・コミュニケーション学会)の元会長、千葉雄次郎氏が自著『知る権利』の出版を記念してクラブへ贈った寄託金を基金として創設されました。その後、趣意に賛同した方々の寄付金を基金に繰り入れ運営しています。 日本記者クラブ賞特別賞は、クラブ賞創設40年を機に2011年、より開かれた賞をめざして新設されました。原則として、クラブ会員以外の内外のジャーナリストやジャーナリズム活動に贈られます。ジャーナリズムの向上と発展につながる特筆すべき業績や活動を顕彰します。 後藤謙次(共同通信客員論説委員・白鷗大学名誉教授) 権力の舞
2011年05月31日 15:00 〜 16:30 10階ホール シリーズ企画「3.11大震災」キアフォット ミシガン大教授(原子力工学) 放射線測定や被ばく放射線量評価を専門とするキアフォット教授が福島第一原発事故について語り、放射線の安全性や測定、人体への影響について日本政府が各国の専門家を集め。独立した国際パネルをただちに発足させるよう求めた。 ≪日本は米国や各国の原子力専門家に協力を求めるべきだ。プライドの問題があるかもしれないが、これほどの大事故が収束していない以上、変化がないと、プライドの問題は恥の問題になるかもしれない≫ キアフォット教授は、福島第一原発事故の教訓に基づき、日本の既存の原発の設計と運転をただちに改善すべきだ、と述べた。地震が想定外の大きさだったから事故は自然災害だ、という考え方は、原発設計思想にとって根本的な問題だ、と批判。福島第一のタイプの原発では最悪の事態
田中角栄元首相が逮捕されて30年が経った。検察キャップとして取材を担当したロッキード事件は、時間が経つごとに悔悟がつのる。 でも、それは田中元首相逮捕の取材戦争に負けたことではない。むしろ1976年7月27日の田中逮捕を当日に予告した他の新聞はなく、毎日は「検察重大決意へ 高官逮捕は目前 5億円の流れ突きとめる」と異色の朝刊を作っていたが、このことがかえって私の心を苦しませる。 1976年2月4日、アメリカ上院外交委で火を噴いたロッキード事件は日米をまたにかけた巨大な疑獄。東京地検特捜部は暗黒の帝王・児玉誉士夫の逮捕を長い間狙っていながら、その実態はアメリカ議会の方がよく知っていた。「もし、この捜査に失敗すれば検察の信頼は崩壊する」と特捜検察は必死だった。 その翌日には裏舞台を示唆する毎日新聞の外電があった。「【ワシントン五日】昨年夏ワシントンの上院外交委多国籍小委に、ロッキード航空会社の
これは日本記者クラブが、毎年、新年会の余興として行っている「予想アンケート」のこれまでの問題と結果です(2006年の分は問題のみ)。新聞のコラムなどで紹介されますので、職場、クラス、家庭などで誰が何問的中するかを競って楽しんでいる方々もいらっしゃいます。過去を振り返ってみると、はからずもそれぞれの年のビッグニュースや世相が浮かび上がってきます。
■会見速記録:会見内容を紹介する注目セクションです <新規掲載> ▼樋渡利秋 検事総長 「裁判員制度が必要な理由」(2008.8.21) ▼長妻昭 衆院議員 「私の調査活動」(2008.8.21) ▼スペースシャトル ディスカバリークルー 記者会見 (2008.7.29) ▼本間長世 東大名誉教授 「大統領のリーダーシップ」(2008.7.25) ▼木村汎 北海道大学名誉教授 「プーチンとメドベージェフ いわゆる『双頭体制』を診断する」(2008.6.20) ▼和田春樹 東京大学名誉教授 「『双頭の鷲』のこれから」(2008.5.26) ▼加藤良三 前駐米大使 「私の見た米国」(2008.6.25) ▼松永泰行 東京外語大准教授 「国会選挙後のイラン」(2008.4.7) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
■2024年度日本記者クラブ賞 受賞記念講演会のお知らせ■ 2024年度の日本記者クラブ賞は40年以上にわたり永田町を取材し政治ジャーナリズムの活性化に大きく貢献した共同通信社客員論説委員の後藤謙次さんに贈られました。また同特別賞は、選挙応援演説中の首相にヤジを飛ばした市民が警察に排除された問題を粘り強く検証してきた北海道放送ヤジ排除取材班(代表・山﨑裕侍さん)と、目の見えない少女の日常と自立を25年にわたり追い続け、命と家族について問うたテレビ静岡「イーちゃんの白い杖」取材班(代表・橋本真理子さん)にそれぞれ贈られました。プレスリリースはこちら 受賞者による受賞記念講演会を行います。印象に残る取材や報道にかける思いなどを語っていただくほか、参加者との質疑応答の時間も設けます。この催しには一般の読者、視聴者も参加できます。 今年度は2回に分けて開催します。それぞれ応募フォームが異なりますの
今年は、国政選挙がないので、政治的興味は、自民党のポスト小泉の総裁選挙に集まりそうだ。それと共に注目すべきは、小泉・竹中ラインの市場原理主義に便乗したファンド資本主義のなりゆきであろう。 小泉・竹中ラインの市場原理主義の大きな副産物は、村上世彰氏、宮内義彦氏、三木谷浩史氏、小粒だがホリエモンこと堀江貴文氏らの、いわゆるハゲタカ・ファンドの一群の台頭である。 ホリエモンは、ニッポン放送乗っ取りをカギに、フジサンケイグループ制圧の野心をむき出しにし、目的は果たせなかったが、かなりのもうけを得たようだ。ホリエモンに比べれば、知的に洗練された人と思われた三木谷氏も、結局はTBSに対し、 ��侵略戦争�� をしかけたが、停戦となった。村上ファンドは、阪神電鉄グループの乗っ取りを企て、伝統ある阪神タイガースの選手やファンを動揺させている。 弱肉強食の市場原理主義を信奉するハゲタカ跳梁の是非を問う
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