サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
衆院選
www.manetama.jp
『男はつらいよ』(山田洋次原作・脚本、1969~1995年)は、今なお日本の「国民的映画」の筆頭に数えられる作品だ。 26年間・シリーズ全48作という途方もない規模で制作された本作は、1シリーズの作品数でギネスブックに認定され、国内の累計観客動員数は約8000万人にものぼるという。 主人公の車寅次郎を演じた俳優・渥美清(1928~1996年)の死によってシリーズは一度幕を閉じたが、戦後日本のポピュラーカルチャーの頂点にある映画といってよいだろう。 この「寅さん」シリーズに関して、少し前、ネットで興味深い記事を読んだ。はてな匿名ダイアリーに投稿された「『男はつらいよ』という作品が嫌い」という記事と、その投稿への反応や記者自身の感想も含めて紹介したキャリコネニュースの記事だ。 元投稿は「嫌い」と強めのタイトルが付されているが、その論旨をストレートに読めば、「『男はつらいよ』という作品が分からな
華々しい成功の裏には、失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く『失敗ヒーロー!』。前編に引き続き、プロインタビュアーの吉田豪さんが登場。ご自身の著書『聞き出す力』にも書かれている通り、独自のインタビュー術によって芸能界の裏事情にも精通する吉田さんですが、「忖度」という言葉がよく聞かれる昨今、危ない裏事情を表に出すことの難しさもあるはずです。そこで後編では吉田さんが肌で感じる時代の変化に迫りつつ、危険な香りすらもおもしろさに変える、そのインタビュー術の根幹をヒモ解きます! いかに自由に書けるか。それが吉田豪の仕事のテーマ ――前編でお話しいただいた、人に心を開くことのおもしろさ。2004年発行の『人間コク宝』をはじめ、吉田さんは危険な香りのする人への取材で知られていますが、その危うさを世の中に出すことのボーダーが変化しているのではないでしょうか? 吉田 豪(よしだ・ごう)
華々しい成功の裏には、失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く『失敗ヒーロー!』。今回はプロインタビュアーの吉田豪さんが登場。時に取材相手が忘れているエピソードまでも調べ上げる徹底した事前調査で知られ、著名人からインタビュー指名を受けることもある吉田さんですが、かつてはバイトを転々とし、肩身の狭い想いをした時期もあるとか。そこで吉田さんの歩みをヒモ解くと、プロインタビュアーという現在のお仕事からは想像もつかない過去の一面が明らかに。さらには天職の見つけ方にも迫ります! 幼少期から知っていた「僕は主役になれない」 ――吉田さんはパンクミュージックに造詣が深く、学生時代にはバンドも組まれていたそうですね。しかしステージで弾けられない自分に気づき、書く道を選ばれたのとのこと。この方向転換に、悔しさはなかったのでしょうか? 吉田 豪(よしだ・ごう) 1970年生まれ、東京都出身
華々しい成功の裏には、失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く『失敗ヒーロー!』。今回は自身初の著書『読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術』が16万部を超えるヒットとなった、田中泰延さんが登場。“青年失業家”を自称する田中さんですが、かつてはコピーライター、CMプランナーとして広告代理店に勤務。当時の激務によって入院も経験されたといいますが、人生のモットーは「気楽に、不機嫌を避けて生きること」。いかにしてそのモットーにたどり着き、実現してきたかをヒモ解くと、他人の都合に呑み込まれず、自分を重んじることの尊さが明らかに! 僕のしんどさとみんなのしんどさは関係ない ――田中さんは「小さいころから、気楽に生きようという方針だけはあった」というお話をされていますが、幼少期のどのような経験が、この方針を芽生えさせたのでしょう? 田中泰延(たなか・ひろのぶ)
華々しい成功の裏には、失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く『失敗ヒーロー!』。今回は昨年12月に新シリーズの放送がスタートした人気テレビ番組『水曜どうでしょう』のカメラ担当ディレクターを務める“うれしー”こと、嬉野雅道さんが登場。現在はテレビ番組の制作のみならず、文筆家やYouTuberとしても活躍する嬉野さんですが、過去には7年半にも及ぶ引きこもりを経験。いかにして引きこもりを脱し、『水曜どうでしょう』にたどり着いたのか。その歩みをヒモ解くと、けっして受動的ではない、“流される”ことの極意が明らかに! 自分ゴトなのに、自分ではコントロールできない ――嬉野さんは過去に、7年半にも及ぶ引きこもりを経験されているそうですね。そのきっかけは、頭髪の悩みだったとか。 嬉野雅道(うれしの・まさみち) 1959年7月7日生まれ、佐賀県出身。北海道テレビ放送(HTB)所属のテレ
華々しい成功の裏には、失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く『失敗ヒーロー!』。前編に引き続き、ラジオパーソナリティやコラムニストとして活躍するジェーン・スーさんが登場。今では、ラジオで多くの悩み相談に答えるジェーン・スーさんでも、過去には笑える失敗から笑えない大失敗まで、経験してきたと言います。 ジェーン・スー 1973年生まれ、東京生まれ。TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』のラジオパーソナリティを務める他、『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。2019年6月には、中野信子氏との共著『女に生まれてモヤってる!』が発売され、女性の生きづらさに関する発言も注目されている。 仕事の価値観を合わせるのは時間のムダ ――平日の5日間、生放送のラジオ番組『ジェーン・スー 生活は踊る』のパーソナリティを務めていらっしゃいます
大学名や会社名に価値はない。その人自身ができることに価値がある ――日本では、若い世代とそうでない世代との間で「働き方」に対する意識のズレが生じているように思います。こうした世代間ギャップは、アメリカにもあるのでしょうか? 厚切り:ありますね。1980年代から2000年代初頭までに生まれた僕たち「ミレニアル世代」は、「すぐにお金持ちになりたい。すぐに出世したい」と、短期間で物事を達成したがる傾向があります。ってそれ僕なんですけど(笑)。そして評価されないと嫌になって、すぐ次の目標を探します。 一方で僕たちの上の世代はより現実的で、「すぐに成果が出るものなんてないんだから、それなりに時間をかける必要がある」と考えています。 ――ミレニアル世代が納得して仕事に取り組めるよう、アメリカの会社はたとえばどんな対策を行っているのでしょうか。 厚切り:比較的すぐに結果が見えるような、責任ある仕事を任せ
成功の裏には、逆境が隠されている。そんな逆境をはねのけ活躍する“インディペンデントな人たち”の成功の秘訣に迫る『逆境ヒーロー!』。今回はNEWPEACE代表の高木新平さんが登場。フリーランス時代から『よるヒルズ』編集長として注目を集めていた高木さんですが、NEWPEACE設立までにはやはり逆境がありました。空っぽな自分に対する虚しさと向き合い、どのようにして自分らしくいられる場所までたどり着けたのか、詳しく伺っていきます。 服作りにこだわった学生時代 ――早稲田大学時代は、洋服を作っていらっしゃいましたよね。どのような大学生生活を送っていたのでしょうか? 高木新平(たかぎ・しんぺい)Vision Architect / NEWPEACE CEO 大学卒業後、(株)博報堂に入社。SNSなどを活用した統合クリエイティブに携わった後、独立。「よるヒルズ」「リバ邸」などコンセプト型シェアハウスを全
華々しい成功の裏には、失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く『失敗ヒーロー!』。お迎えしたのは37歳の若手評論家で、TBSラジオ『荻上チキ・Session-22』にてラジオ・パーソナリティを務める荻上チキさん。評論家としての仕事術をお聞きした前編に引き続き、ご自身の失敗談やマネジメント論、今後の理想のメディアに関してより突き詰めて語っていただきます。 メディアを通して、人を変えようとは思わない ――荻上さんご自身はメディアとどのように向き合っているのでしょうか? 荻上チキ(おぎうえ・ちき) 1981年、兵庫県生まれ。評論家。ニュースサイト『シノドス』元編集長。著書に『日本の大問題 残酷な日本の未来を変える22の方法』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)ほか多数。ラジオ番組『荻上チキ・Session-22』(TBSラジオ)メインパーソナリティを
華々しい成功の裏には、失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く『失敗ヒーロー!』。今回はTBSラジオ『荻上チキ・Session-22』でメインパーソナリティを務める評論家の荻上チキさんが登場。本番前の時間にTBSラジオにお邪魔して、気鋭の評論家の仕事論、マネジメント論について伺っていきます。 情報源に辿り着くために、生の情報をインプットする ――本日は本番前のお忙しい時間にありがとうございます。荻上さんは週に5日間ラジオに出演されていらっしゃいます。そんなお忙しい生活の中で、常に新しい情報をインプットし続けていくのは大変かと思いますが、荻上さんはどのように情報を整理していらっしゃるのでしょうか? 荻上チキ(おぎうえ・ちき) 1981年、兵庫県生まれ。評論家。ニュースサイト『シノドス』元編集長。著書に『日本の大問題 残酷な日本の未来を変える22の方法』(ダイヤモンド社)、
華々しい成功の裏には、失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く『失敗ヒーロー!』。そのスピンオフ企画として新たにスタートした新連載『逆境ヒーロー!』。さまざまなフィールドで活躍しながら“ビジネスパーソン”として注目を集める人物にフィーチャーしていきます。連載2回目となる今回は、90年代にCM女王に輝き、『ポンキッキーズ』をはじめ数々のバラエティ番組でブレイクした鈴木蘭々さん。40代になった今も若々しく肌もきれいな彼女。なんと化粧品会社の社長になっていました。まずは会社を起こしたキッカケから、お話を伺っていきます。 芸能界とは別のこともずっとしてみたかった ――鈴木蘭々さんが、現在は社長業をされていると聞いて驚きました。化粧品を販売されているそうですが、まずは始められたキッカケからお聞かせください。 鈴木蘭々(すずき・らんらん) 1975年8 月4日生まれ、東京都出身。1
先日、映画館に『寝ても覚めても』(濱口竜介監督、2018年)を観に行った。原作小説が好きで、公開前から楽しみにしていた作品だ。 『寝ても覚めても』は、主人公の朝子(唐田えりか)が顔は瓜二つだが性格は正反対の二人の男に恋をする、古典的といえば古典的なプロットの恋愛映画。後半は息をのむようなシーンの連続だったが、なかでも印象に残っているのが、自分と同じ顔をした男に婚約者・朝子を取られた亮平(東出昌大)の、深く深く傷ついた表情である。 はじめは魂が抜けたように茫然とし、それから少しずつ自分の生活を取り戻すが、再び目の前に朝子が現れると、亮平の表情は永遠に血を流し続ける傷口のように悲しみで歪んでしまう。 誤解を恐れずに言えば、イケメンが一世一代の恋に破れズタズタに傷ついた表情はなんてセクシーなんだろう。 私は映画のなかでも恋愛映画が好きだが、『寝ても覚めても』の東出昌大を観て、特に恋愛映画で男性の
華々しい成功の裏には、失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く『失敗ヒーロー!』。今回ご登場いただくのは、お笑い芸人、DJとさまざまなステージで息長く活躍されているふかわりょうさん。後編では、その活躍ぶりにますます注目度が高まっているMCの仕事へ対してのマインドやチームで仕事をする時の意識や大切にしていることについて語っていただきます。 視聴者との信頼関係があれば「予定調和」はいらない ――『5時に夢中!』では、例えばタモリさんのようにふかわさんご自身も“白米”のような存在なのでしょうか? ふかわりょう 1974年8月19日生まれ、神奈川県出身。在学中の1994年に芸能界入り。現在、TOKYO MX『5時に夢中!』MCのほかTBS『ひるおび!』コメンテーターなどお笑いタレントの枠にとどまらない活躍で注目を集め続ける。ROCKETMAN名義でDJとしても活動。 ふかわりょ
世界のビジネスシーンをリードしているアメリカ社会の働き方やマネジメントは、日本と比べてどう違うのでしょうか。「Why Japanese people!?」と叫びながら、日本や日本人のおかしなところにツッコミを入れていくネタでお馴染みのお笑い芸人・厚切りジェイソンさん。実は日本に本社を構えるITベンチャー企業、株式会社テラスカイのグローバル・アライアンス部部長と、100%子会社のアメリカ法人、TerraSky Inc.の役員も務めています。 アメリカと日本、双方の国で大手企業とベンチャー企業で働いた経験を持つ厚切りジェイソンさんに、お話を伺いました。 会社役員とお笑い芸人。異色のハイブリッドワークを両立させる秘訣とは? ――そもそも、厚切りジェイソンさんがお笑い芸人になろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか? 厚切りジェイソン(以下、厚切り):単純に「楽しそうだったから」ですね。やってみ
2017年6月、認知症の人がいきいきと接客をする不思議なレストランが2日間限定でプレオープンしました。その名も「注文をまちがえる料理店」。 もしかしたら時々注文をまちがえるかもしれないけれど、「こっちもおいしそうだし、ま、いっか」と思ってもらいたい。そんな思いのもとにスタートした「注文をまちがえる料理店」は大きな反響から、自治体なども巻き込み2018年の今日までに数回オープンしました。 どんなに防ごうと思っても、起きてしまうのが「まちがい」です。このまちがいをどう捉えるかは、認知症のあるなしに関わらず、大切なことのはず。そこで今回は、「注文をまちがえる料理店」の発起人であり、フリーランスのプロデューサーとして活動する小国士朗さんに「まちがいの捉え方」についてお聞きしました。 グループホームで見た風景をもう一度見たい。「注文をまちがえる料理店」を始めたシンプルな動機 ――2017年6月のプレ
マネたま > インタビュー > 変わり種マネジメント > 名作を生み出した文豪たちも悩んでいた! 話題の書籍『〆切本』の編集者に聞いた、「〆切」をマネジメントする方法 どんな仕事にもつきまとう「〆切」。その形式は様々だとしても、社会人なら誰しも〆切に苦しんだことが一度はあるはず。〆切に追われると精神的にも追い詰められて、急がないといけないとわかっているのに、なぜかつい現実逃避をしてしまうこともあるのではないでしょうか。 実は、世に名作を残してきた偉大な作家や漫画家たちも、〆切との戦いの中でおおいに悩んだり苦しんだり、現実逃避をしたりしていたよう。 そんな〆切にまつわるエピソードをまとめたのが、株式会社左右社から出版された、『〆切本』と『〆切本2』です。 そこで今回は、仕事をするうえで避けては通れない〆切のマネジメントについて、本書を企画された左右社の代表・小柳学さんにお話を伺いました。 ど
華々しい成功の裏には、失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く『失敗ヒーロー!』。今回ご登場いただくのは、たけし軍団の一員として、若き頃からビートたけしさんと師弟関係を結んできた水道橋博士。最近ではバラエティタレントとしてだけでなく、コメンテーター、作家としても活躍する水道橋博士の人生哲学とは一体どんなものなのでしょうか。後編では、師弟関係の本質から、お笑いの世界とサラリーマン社会の共通点まで、水道橋博士節炸裂のお話を伺いました。 ビートたけしとは「人生の道標」 ――水道橋博士にとってビートたけしさんはどのような存在ですか? 水道橋博士(すいどうばしはかせ) 1962年8月18日生まれ、岡山県出身。86年にビートたけしに弟子入り、翌年、玉袋筋太郎とともにお笑いコンビ「浅草キッド」を結成。テレビ・ラジオや舞台を中心に活躍の場を広げる一方、ライターとして雑誌等にコラムやエッ
華々しい成功の裏には、失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く『失敗ヒーロー!』。今回ご登場いただくのは、たけし軍団の一員として、若き頃からビートたけしさんと師弟関係を結んできた水道橋博士。最近ではバラエティタレントとしてだけでなく、コメンテーター、作家としても活躍する水道橋博士の人生哲学とは一体どんなものなのでしょうか。前編では知られざる水道橋博士の生い立ちや芸人を目指すきっかけ、そしてビートたけしさんとの出会いについて伺いました。 親として、父親を反面教師だと思っている ――水道橋博士の幼少期からのお話を聞かせてください。一体、どのようなご家庭で育ったんですか? 水道橋博士(すいどうばしはかせ) 1962年8月18日生まれ、岡山県出身。86年にビートたけしに弟子入り、翌年、玉袋筋太郎とともにお笑いコンビ「浅草キッド」を結成。テレビ・ラジオや舞台を中心に活躍の場を広げ
マネたま > インタビュー > 変わり種マネジメント > 炎上させないのは意外と簡単!? 虚構新聞に学ぶ、炎上とフェイクニュースが蔓延る時代に必要なネットリテラシー 「円周率、割り切れた」など、Twitterで流れてきたニュースの見出しに驚いて記事を読んでみると、そのネタ元が「虚構新聞」だった。そんな経験はないでしょうか? 微妙にありえそうで、でもやっぱりありえない。そんな虚構のニュース記事を10年以上にわたって書き続けている「虚構新聞」。その主催者UKさんに、フェイクニュースが蔓延る時代の真実の見抜き方や炎上を防ぐ方法など、現代のネットリテラシーについて伺いました。 ネットリテラシーは、個人や法人を問わず、情報を発信する側にとって必須のもの。発信する情報の、ある意味マネジメントともいえます。4月に入り、SNSやメディアを使って情報発信する現場へ配属される方もきっと多いはず。そんな方の役に
華々しい成功の裏には、失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く『失敗ヒーロー!』。今回ご登場いただくのは、ドラマ・映画監督として『モテキ』をはじめとした数々の大ヒット作を世に送り出してきた大根仁さん。深夜ドラマからミュージックビデオ、そして映画作品と幅広いジャンルで活躍される大根さんの人生哲学とは何なのでしょうか。その秘訣を伺っていくうちに、何事も「プレイ」だと思うことが大事だという、キーワードが出てきました。 「サラリーマンになれない」人生を変えた数々の出会い。 ――大根さんがテレビ・映画の業界に入られるきっかけは何だったんですか? 大根仁(おおね・ひとし/映画監督・演出家) 1968年生まれ。映像系の専門学校時代に作った作品が堤幸彦監督に認められ、アシスタント・ディレクターとしてキャリアをスタート。TVドラマ『TRICK』(00)、『演技者。』(02〜04)など深夜
「役員への新規事業企画発表プレゼン」、「事業部メンバーへの四半期売り上げ発表」、「重要顧客への営業プレゼン」など、、マネジメント業務をしていると、重要なシーンでパワーポイントを使ったプレゼンをする機会が多くあると思います。しかし、パワーポイントの知識や経験がない中で取り組むと見やすい資料が作れなかったり、カンタンな発表作成でも数時間掛かってしまうこともあるでしょう。 そこでマネたまでは、「マネジメントシーンで役立つパワーポイント術」として、マネジメントの皆さんにとって役立パワーポイントの使い方をたっぷりご紹介していきます。 今回ご紹介するのは「印刷の余白」についてです。パワーポイントはパソコン画面上やプロジェクターで映し出す資料の作成を目的としていますが、聞き手に配る配布資料としても使用できます。印刷時には見やすいように余白を設定する必要があります。今回は印刷時の余白設定について、ご紹介い
もう何から何まで破格のこのコーヒー店は、いかにして生まれ、そして経営されているのでしょうか? 一歩足を踏み入れれば、そこはまるで時が止まったような不思議な空気の流れる「ザ・ミュンヒ」店内にて、マスターである田中完枝(たなか かんじ)さんにお話を伺いました。 3年間で“1800万円”貯金したアルバイト時代 ――このお店「ザ・ミュンヒ」を開くまでは何をしていたのでしょうか? 学生時代は国分寺の牛乳屋さんで配達のアルバイトをしていて、そこで3年かけて250万円を貯金したんですよ。今の価値でいう1800万円くらいかな(※)。学生運動で逮捕されたりして、まじめな大学生ではなかったけどね。 ――1800万円!? 毎月の給料をたくさんもらっていたから。でも自分で持っていたら使ってしまうから、大阪の実家に書留で送って貯めてもらってたんですわ。5千円(今の3万5千円)くらい残して。 住み込みだったから食費も
あらゆるジャンルのプロに弟子入りし、その極意に触れる「弟子入り!マネたまくん」。今回、ご登場いただくのは、ライムスターのメンバーとして日本語ラップを世に知らしめたパイオニア、宇多丸(うたまる)さんです。 宇多丸さんと言えばラッパーとしてのみならず、ラジオパーソナリティとしても超一流。そこで宇多丸さんの冠番組『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』の生放送現場に密着! 放送終了直後に敢行したインタビューから見えてきたのは、アーティストという職業にとどまらない、私たちの誰もが社会を賢く、そして心地よく生き抜くための術でした。 宇多丸(うたまる) 大学在学中の1989年に「ライムスター」を結成し、日本語ラップの黎明期からシーンを牽引。トークスキルにも定評があり、2007年4月にスタートした『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』(TBSラジオ)では、ラジオパーソナリティとして
83歳の「はっちゃん」と呼ばれるおばあちゃんが、群馬県桐生市にて一人で切り盛りする激安食堂「はっちゃんショップ」。500円で好きなだけご飯やおかずをビュッフェ形式で食べられるという、その驚きのコストパフォーマンスから各メディアでも話題のお店ですが、どうしてこのようなお店を始めようと思ったのか? そしてどうしてこの値段で料理を提供できているのでしょうか? 今日も地元の皆さんや遠方からのお客さんがひっきりなしに訪れる店内で、はっちゃんにお話を伺いました。すると、そこには驚きのストーリーがありました。 いじめられていた子ども時代。57歳の日本一周で思い出した、あの頃の夢。 ――はっちゃんはどんな子どもでしたか? 生まれも育ちもここ群馬の桐生市なんだけど、貧乏な家に生まれてしまったから、10歳の時に奉公に出されたんだ。その奉公先では「学校にも行っていないバカ」と同い年くらいの連中にいじめられていた
華々しい成功の裏には、失敗や挫折がある。その失敗エピソードから成功の秘訣をヒモ解く「失敗ヒーロー!」。今回ご登場いただくのは、『フリースタイルダンジョン』のモンスターとして大活躍し、9月6日にはミニアルバム『大海賊』でメジャーデビューを果たしたサイプレス上野とロベルト吉野のサイプレス上野さん。 『フリースタイルダンジョン』でのイメージが強い上野さんですが、インディーズのヒップホップシーンでは以前から伝説的な存在となっています。しかし、横浜の悪ガキからプリンス・オブ・ヨコハマと呼ばれるまでに上り詰めるのは、決して平坦な道ではなかったはず。上野さんを作り上げてきたのは何か。深く掘り下げてみると、そこにあったのは、誰にも「負けたくない」という強い精神と、誰の色にも染まらないという意思、そして、もう一人の自分自身との対話でした。 暇だからヒップホップに足を突っ込んでみた ――まず、上野さんがヒップ
もはや日常的なコミュニケーション手段となったLINE。同サービスの「スタンプ」は、言葉では伝えられない感情の機微を表現する手段として重宝され、サービスの象徴ともなっています。そんなLINEスタンプにおいて、2016年に「72歳のおじいちゃんがつくったスタンプ」が大きな話題に。 なぜか工事現場や団塊の世代がモチーフになっているという内容や絵柄も強烈だったのですが、なんと制作に使われたのが、ビジネスシーンに欠かせない表計算ソフトとして知られる「Excel」ということも大きな驚きをもって迎えられました。先日は77歳の緻密なエクセルアート職人、堀内辰男さんを取材しましたが、今回は73歳のLINEスタンプ職人である田澤誠司さんにインタビューを行いました。 絵を描くツールとしてExcelを選んだ理由は「シェア」 ――仕事でWindows 95を触ったときに「これからパソコンの時代が来る」と感じたそうで
爆笑問題の太田がテレビで、ラジオで、今日も不謹慎なことを言って、相方の田中に「やめなさい」とたしなめられている。二十年近く見てきた光景だ。不謹慎といっても、不祥事をおこした芸能人の名前を無意味に出すくらいのもので、忌野清志郎のように生放送中に放送禁止用語を叫ぶわけではない。不祥事をおこした芸能人を否定するわけでも肯定するわけでもないことは、その無邪気な顔つきから分かる。その人物に触れてはいけない空気、同調圧力にたいして、わざわざ挨拶をして茶化しているだけで、要するに遊んでいるのだ。爆笑問題の太田光は、テレビやラジオに出演することを「仕事」だと思っていない。では、彼にとっての「仕事」とは何だろう。 「漫才のネタ作り」と「原稿書き」は、俺の仕事のなかでは、ちゃんとしてる仕事だと思う。 とくに、原稿書きは一般の人で言う「休日」に書いているから、余計にその思いが強い。テレビやラジオの収録のない日が
木根尚登(きね なおと) 1957年生まれ。東京都出身。1983年に、小室哲哉氏・宇都宮隆氏とともに音楽ユニット・TM NETWORKを結成。1984年、アルバム『RAINBOW RAINBOW』でEPIC・ソニーよりメジャーデビュー。シングル『Self Control(方舟に曳かれて)』や『Get Wild』などのヒットにより、一躍人気バンドとなる。ソロとしても、執筆活動やトーク&ライブの開催などを精力的にこなしながら、2016年には音楽演劇ユニット『劇団こどもみかん』を結成。2017年2月に旗揚げ公演を成功させるなど、多方面で活躍中。 木根尚登(以下、木根): TMの楽曲しか聴かれていない方は意外に思われるかもしれませんが、中学生の頃は吉田拓郎さんにハマっていました。1970年代の初頭なので、ベトナム戦争を背景にした反戦歌が外国から入ってきたり、安田講堂では東大紛争が起きていたり……。
ビジネスシーンに欠かせない表計算ソフトとして知られる「Excel」。そのExcelを使って緻密な絵画を描く、Excelアートの第一人者が堀内辰男さんです。なんと絵画未経験にして60歳の定年を機にExcelで絵を描き始めて、現在77歳。とてもExcelを使って描かれたとは思えない緻密な描写は現在も進化中。飽くなき挑戦を続ける堀内さんにそのモチベーションの維持方法について伺いました。 技術の発明と、絵の上達それ自体がモチベーションだった初期。 ――Excelで絵を描くということだけでも驚きなのに、堀内さんの絵は緻密で美しい作風が特徴です。ここまで上達するには相当量の練習をしたと思われるのですが、いかがでしょうか? 堀内辰夫(以下、堀内) いや、練習をしたという意識はないですね。というのも、Excelアートというものは私が世界で初めて描き始めたものだから、毎日が試行錯誤。「次はどんなことができる
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『マネたまおすすめの転職エージェント|マネたま転職|転職エージェントのおすすめを...』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く