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前回の続き。全国的にも珍しい #水鳥形埴輪 が出土した #津堂城山古墳 考察。#古市古墳群 中の最古級、最大の応神天皇陵に次ぐサイズ。さてどのような人物が埋葬されていたのでしょうか。#消された河内の古代史 #恵我5か村 目次 津堂城山古墳・考 津堂八幡神社(旧 深居神社) 「恵我、えが」地名は古代勢力のこん跡? 忘れられた河内の古代勢力 本文 前回(津堂城山古墳)の続き。 www.zero-position.com 津堂城山古墳・考 津堂城山古墳 後円部の墳丘 応神天皇陵(誉田御廟山古墳、惠我藻伏崗陵/5世紀初頭=古墳中期)を中核とした世界遺産・古市古墳群の最北に位置し、 津堂城山古墳 墳丘から前方部。このラインの先に二上山(大鳥)を眺望 応神天皇陵に先行する4世紀後半築造の津堂城山古墳(リンク先に出土品一覧)は、銅鏡・碧玉多数・円筒埴輪とともに、水鳥形の形象埴輪を出土するという 津堂城山
新大和川ウォーキング中 #二上山 の雄岳と雌岳の真ん中に手前の丘(羽曳野市飛鳥)が重なる所を探していたら #津堂城山古墳 に。世界遺産 #古市古墳群中、最古級の前方後円墳で、ここからは最大最古の #水鳥型埴輪 が出土しています 目次 大鳥を正面に見る場所を探して寄り道 津堂城山古墳(つどうしろやまこふん) 二上山の大鳥を正面に見晴るかす所 「近つ飛鳥」と「遠つ飛鳥」 本文 大鳥を正面に見る場所を探して寄り道 www.zero-position.com 前回、志貴皇子の万葉歌「鴨の羽交(はがい)」を紹介しましたが、 手前の丘が、二上山の雄岳と雌岳のちょうど真ん中におさまって「大鳥」のように眺望できる所はどこだろうと、ウォーキング途中でしたが、寄り道スタート。 大和二上山 津堂城山古墳(つどうしろやまこふん) 新大和川の堤防を離れ、ゆるやかな坂道を下ってゆくと、津堂城山古墳(古市古墳群)の案内
桜のシーズンの京都の大混雑を避け #琵琶湖疎水 の水辺から #京都御苑 まで #花見 がてら歩いてきました #蹴上インクライン #京都動物園 #平安神宮大鳥居 目次 蹴上インクライン(旧傾斜線路) 京都動物園〜京セラ美術館〜平安神宮大鳥居 京都御苑(京都御所) 本文 蹴上インクライン(旧傾斜線路) 花粉もスギが終わりましたが、後半のヒノキの時期に。 私の場合、黄砂と相まって、後半の方がキツく、あまり出歩かないのですが、 京都で花見をしたいという奥さんのご要望に応えて、今年は蹴上(けあげ)インクラインから、京都市内(鴨川まで)を東西に流れる琵琶湖疎水の水辺を歩くことを提案。 蹴上〜京都御苑(京都御所)〜出町柳(5〜6キロコース) 蹴上インクライン(旧傾斜鉄道)と琵琶湖疎水。左)琵琶湖方面、右)岡崎の船溜り方面 朝早くに出ましたが、すでに人混み😅…やや甘かった。 蹴上インクライン 明治期に琵
新大和川の河川敷を #二上山 を眺めながらテクテク。大和と河内・摂津を往来する人たちの道標であるとともに、縄文時代からの信仰の山。数々の#万葉集 にも詠われました #志貴皇子 #鴨の羽交 目次 新大和川の河川敷を東へテクテク 上古からの信仰の山 志貴皇子の万葉歌「鴨の羽交」 大鳥の羽易(はがひ)の山/柿本人麻呂 本文 www.zero-position.com 新大和川の河川敷を東へテクテク 中臣須牟地神社(なかとみすむちじんじゃ)を参拝後、少し南に下って新大和川。 ここから柏原市安堂(奈良県境付近)まで、約10キロの河川敷をほぼ直進、ひたすら歩きます。 お日様の上る東へテクテク 上古からの信仰の山 このあたりから、大阪と奈良の県境にそびえる二上山(にじょうざん)がくっきり見え始めます。 新大和川河川敷から二上山の眺め 大阪府側から見る二上山は雄岳が左、雌岳が右で、奈良県側からの景色とは真
河内の古代史 を考えながら #新大和川 河川敷をウォーキング。流域周辺の神社をお参り。#中臣須牟地神社。飛鳥時代の官道 #磯歯津路 のこん跡に #藤原氏 として栄華を極めた #中臣氏 の原点がうかがえます 目次 中臣須牟地神社(なかとみすむちじんじや) 古墳時代の息長河(おきなががわ)、飛鳥時代の磯歯津路(しはつみち) 境内の様子 本文 中臣須牟地神社(なかとみすむちじんじや) (34.6040215, 135.5384870)/大阪市東住吉区住道矢田2丁目9−20/近鉄南大阪線矢田駅から東に徒歩十分。駐車場はありません 中臣須牟地神社(なかとみすむちじんじゃ) 大阪の「超がつく」難読地名のひとつ。「住道」は「すんじ」と読みます。 (一方、大阪府大東市の「住道」は「すみのどう」と読みます。ご注意を😀) 住道矢田(すんじやた) 古墳〜飛鳥時代、住吉と大和の都を往来した官道 磯歯津路(しはつ
新大和川の南、松原市 #屯倉神社(みやけじんじゃ)。かつての大穀倉地帯 #依網屯倉(よさみやけ)のこん跡。今は #菅原道真公 を祀ります。境内に屯倉の米と銘水(酒屋井)による酒造の神を祀る #酒屋神社。境内の梅が見頃でした 目次 屯倉神社(みやけじんじゃ) 境内(屯倉神社の歴史) 季節の梅で彩られた屯倉神社 本文 古地図(1700年頃)の旧大和川流域/現在の新大和川/屯倉神社(みやけじんじゃ) 屯倉神社(みやけじんじゃ) (34.5884082, 135.5548994)/大阪府松原市三宅中4丁目1−8/近鉄南大阪線河内松原駅から20分 屯倉神社(みやけじんじゃ) 御祭神:菅原道真公、須佐之男命(すさのおのみこと)、品陀別命(ほんだわけのみこと) 本社は字「宮の内」にあり、縁起によれば河内國丹北郡依網三宅(よさみやけ)天満宮として、上古より鎮座の天神にして「穂日の杜」と言い、天慶五年(94
春の堤防をウォーキング&歴史散策。大和と河内を繋ぐ古代の水路・陸路のハブ #柏原市安堂。かつて #大和川 はここで北に向かい扇状地を形成しながら現在の大阪城の東一帯の内水湖に流れ込んでいました。飛鳥~奈良時代には最果ての #シルクロード #龍田道 目次 春うらら。新大和川堤防を歩く。 わずか8ケ月で完成した新大和川の流れ 大和と河内を繋ぐハブ。安堂あたり。極東のシルクロード 本文 春うらら。新大和川堤防を歩く。 三寒四温で寒暖の差が激しいこのごろですが、先週末、暖かくなってきたので、新大和川の堤防をてくてく。 大和川 堤防 江戸期(元禄年間、1700年ごろ)の古地図で説明しますと、赤いラインのコースを10数キロ歩いてきました。 大和川・付け替え工事直前の古地図(江戸時代1700年ごろ)に開物が書き込み。原図は柏原市サイトより かつて大和国から河内平野に流れ出た(旧)大和川は、安堂村(現在の
千五百年にわたり #住吉大社 神主家であった #日本三家のひとつ #津守氏 の居館があったところに #アラハバキ 的な陽石(石棒)と陰石(胎内石)。住吉さんに残る子孫繁栄・五穀豊穣を祈る南北ラインと関係か。#仁徳天皇陵 目次 住吉の南北を繋ぐライン 出雲後物部。弥生時代と古墳時代が交差したところ 南北ラインと繋がる仁徳天皇陵 本文 www.zero-position.com www.zero-position.com 住吉の南北を繋ぐライン 今でこそ、住吉大社は東西に第一本宮から第三本宮が並ぶ東西のラインで参拝しますが、 創建の古墳時代中期(西暦300年代)の地形を考えると、古代難波津の入り江「住吉の津(墨江の津)」を海上交通の権益とする一帯で、 南北ラインが主軸であったことが推測できます。 生根神社-大海神社-住吉大社-石舞台-正印殿を繋ぐライン 「地政学的」に考えて、それ以前の弥生時代
住吉大社の歴代神主であった #津守氏 居館があったところ。今は史跡保存されている住吉行宮跡・正印殿跡(二回目)。域内には小祠がいくつか。そのうち #結の神社 のそばに #陽石(石棒)と #陰石(丸石)。#アラハバキ信仰 目次 住吉さんの南。古代「住吉の津」の名残り 津守氏について 古いアラハバキ信仰のこん跡!? 陽石と陰石 本文 住吉さんの南。古代「住吉の津」の名残り 前回。 www.zero-position.com 住吉大社の歴代神主家・津守(つもり)氏の居館(神主館)に隣接して創建されたのが正印殿で、 江戸期の摂州住吉宮地全図には、現在でも残る大社の南を東から西に流れる疎水(名称不詳)の右側(南)に描かれています。 摂州住吉宮地全図(江戸期)、住吉大社の南に描かれた正印殿。隣接して神主館。 現在でも残る大社の南を東から西に流れる疎水(名称不詳) ちなみにこの水の流れは、すぐ近くの浅澤
かつて #住吉大社 神主家であった #津守氏 の居館があったところの #正印殿跡。#南北朝時代 には #南朝 #後村上天皇 の仮御所(#住吉行宮)が設けられました 目次 住吉行宮跡(正印殿跡) 住吉行宮(すみよしあんぐう) 本文 住吉行宮跡(正印殿跡) (34.6088977, 135.4938765)/大阪市住吉区墨江2丁目7/住吉大社・東南の鳥居から徒歩5分。阪堺電車阪堺線(チンチン電車)細井川駅から南東へ徒歩5分。住宅地の中で駐車場はありません 住吉大社の東南の鳥居から南の長居公園通を渡り、一筋入った住宅地の中に住吉行宮跡(正印殿跡)。 住吉大社 正印殿跡 住吉大社の歴代神主・津守(つもり)氏の居館があったところで、平安時代、中興の祖と云われる津守国基(くにもと、1026~1102年)の時代に、ここに大社の「正印」を収めた正印殿が創建されたと伝えられます。 住吉行宮跡(正印殿跡)案内
大阪市の(超)高級住宅街、帝塚山(てづかやま)の閑静な住宅地の中に #帝塚山古墳。市内4ケ所の古墳史跡のうち #前方後円墳 の原型をとどめているのはここだけ。隣接していた #大帝塚山 は消失し現在は #小帝塚山 だけが残されています #大伴金村 #鷲住王 #浦島太郎 目次 大阪の高級住宅街の中に残された前方後円墳 史跡 帝塚山古墳 大帝塚山と小帝塚山 本文 大阪の高級住宅街の中に残された前方後円墳 (34.62160952217957, 135.49675334200487/大阪市住吉区帝塚山西2丁目8−5/難波から南海高野線・帝塚山駅から西に徒歩数分。天王寺から阪堺電車(チンチン電車)上町線・帝塚山三丁目から西に約10分。駐車スペースはありません) www.zero-position.com 先日紹介した阿部王子神社から南に約2キロ。 国土地理院(標高地図)帝塚山古墳 大阪市の(超)高級
大阪市阿倍野区という地名の起源となった #阿部王子神社。#仁徳天皇 の古墳時代、ヤマト桜井から移住した#阿部氏 の #難波津 拠点でした。境外末社 #安部清明神社 境内には #海人族 としてのこん跡 古代船の錨 #鎮石(孕み石)が残されています 目次 古代の海岸線と熊野街道 安倍清明神社に残る海辺のこん跡 太陽と月と星を見る一族 エミシとヤマト 本文 古代の海岸線と熊野街道 大阪市内の南北に走る上町台地は、古代には、東の古代河内潟と西の難波津の間に突き出した上町半島でした。 www.zero-position.com 古代上町半島のイメージ(国土地理院地図・色別標高図で作成) www.zero-position.com 前回、阿部王子神社は、仁徳天皇の時代、大和の桜井から移住してきた阿部氏の拠点(〜江戸期の安倍野村、現在の阿倍野区)のこん跡であることを紹介しました(阿部王子神社由緒、摂州東
先週末は #淡路島 に一泊二日。今年は観光と美味しいものに集中。#菜の花 #鳴門のうずしお #淡路ビーフ #淡路島たまねぎ を堪能しました 目次 菜の花の沖 鳴門の(小)うずしお 淡路島たまねぎ 淡路たまねぎづくしの1週間 本文 菜の花の沖 当初夫婦で行く予定が、つい最近 傷心💔の 次男が運転手兼私の監視役として急遽同伴(笑) 昨年(同時期の伊勢旅行では)私の趣味が結構入っていてクレームが発生したことと監視付きのおかげで、今年は観光と美味しいものに集中。 この季節なら、鮮やかな菜の花畑と、その向こうに広がる瀬戸内海ですね。 司馬遼太郎さんの『菜の花の沖』の景色です。 早咲きの菜の花畑(あわじ花さじき) www.zero-position.com 鳴門の(小)うずしお 神社仏閣・史跡が無いならどーぞ、という感じで二人に旅程を組んでもらっていたのですが、 「神社仏閣史跡(遺跡)以外で行きたい
先日紹介した #円空展(#あべのハルカス美術館)。見学後、美術館売店で #棟方志功 さんの版画を数点鑑賞。その中の #お不動さん と凡聖一如という文字が描かれた作品を見て気づかされたことがありました。 目次 棟方志功さん ミニ棟方志功展(笑) お不動さんの藪睨みの秘密 本文 棟方志功さん www.zero-position.com 前回紹介した円空展。 自然木に刻まれた素朴で荒々しいタッチの神仏像の数々に魅了されました。 円空展の見学後、売店で見かけた円空さん関係の書籍類 作品を見学しながら、数年前に棟方志功記念館(青森市)で見学した 『志功さんの画にタッチが似ているねぇ…』と奥さんと話していました。 棟方志功作 さくらまつり ポスター(レプリカ)。弘前城公園にて www.zero-position.com 志功さんは青森市の出身で、子どもの頃は、近くの善知鳥神社(うとうじんじゃ)の境内で
あべのハルカス美術館(大阪市阿倍野区)で #円空展 が始まり、早速、見学に。初期から晩年までの代表作を集めた貴重な展覧会。仏師だけでなく歌人としての #円空 さんも紹介されていました 目次 円空展(あべのハルカス美術館) 放浪の布教仏師・円空(1632〜1695) 歌人・円空 本文 円空展(あべのハルカス美術館) 円空展 あべのハルカス美術館 2024年2月2日(金)~4月7日(日) ※当記事の写真は、ポスター・パンフレット、会場のレプリカ、購入した目録を使用しています 目録の表紙には今回の展覧会の目玉でもある両面宿儺(りょうめんすくな)*1の木彫りの像。 円空展 展示目録 展覧会場入り口のレプリカ 放浪の布教仏師・円空(1632〜1695) 江戸時代初期の仏師であり歌人でもあった円空さんは美濃国(岐阜県)の出身。 独自の解釈を表現する独特な作風の神仏像を、生涯を通じて十万体以上彫ったとさ
京都伏見から淀川を下り、天満の八軒家浜に上陸。大阪市内を南北に縦断する #上町台地 を南に下る #熊野街道。遠い紀伊路への休憩と遥拝のために設けられた熊野九十九王子の一社。#阿倍王子神社 前半 目次 熊野街道(大阪市内) 阿倍王子神社 遥か熊野へ。導きのヤタガラス 古代氏族・阿部氏(安倍氏)のかつての本拠 本文 熊野街道(大阪市内) 熊野街道(大阪市内、上町台地を南北に通る) 大阪市内の熊野街道は、平安時代(中期)に興った熊野信仰で、紀伊路に向かう熊野詣の出発地として、朝廷の熊野行幸を始まりとして以来、人々の往来が盛んでした。 阿部王子神社 熊野街道マップ www.zero-position.com 阿倍王子神社 (34.6309375, 135.5094883)/大阪市阿倍野区阿倍野元町9−4/駐車場あり。阪堺上町線(チンチン電車)天王寺駅前(あべのハルカスの前)発、東天下茶屋駅下車。バ
今日は立春。まだまだ寒い日が続きますが、これから少しずつ春の気配が強まります。ここのところ週末の朝は #大阪城梅林 へ。夜に上がった雨粒が、梅の枝で朝の光を受けてキラキラ輝いていました 目次 一期一会の神光しさ 立春の朝 大阪城梅林 立春の空と大阪城公園 本文 一期一会の神光しさ 写真は昨日(2月3日、節分)の朝。 大阪平野の東、南北に長い生駒山系。 大阪城天守閣広場の石垣の上からの眺め。 写真の左に生駒の大鳥。 生駒の大鳥と神光 こういう「こうごうしさ」は、水平線の雲が薄い日の朝、少しの間しか見ることができません。 一期一会 「神光しい」という字をあてたくなる景色です 立春の朝 大阪城梅林 深夜に雨が上がった今朝、大阪城梅林へ。 二月に入ってだいぶん色づいてきました。 立春の朝。大阪城梅林 本日は立春。 まだまだ寒いですが、一雨ごとに春の気配が濃くなります。 逆光の中でキラキラ光る雨粒と
北津軽、今泉 #賽の河原 二回目。優しいまなざしで南の十三湖と岩木山を見つめる #イタコ 装束のお地蔵さま。本堂の祭壇には #オシラサマ(男神木)。安倍安東氏の古い #アラハバキ信仰 のこん跡 目次 イタコ装束のお地蔵さま 祭壇のオシラサマ 安倍・安東氏が信仰したアラハバキ神とオシラサマ信仰を繋ぐ点と線 境内地に並ぶオシラサマ装束のお地蔵さま 本文 www.zero-position.com イタコ装束のお地蔵さま 国道339号線の入口から、丘の上に続く石段を登ってゆくと、今泉・賽の河原の広い境内地に。 左の写真は十三湖の方向、右の写真に本堂を含むいくつかの建物。 今泉・賽の河原 境内地 本堂前に二体のお地蔵さま。 本堂前のイタコ装束のお地蔵さま 右側のお地蔵さまには、イタコさんが身に着けるイラタカ数珠(コンタチ念珠とも)が掛けられています。 優しいまなざし、イタコ装束のお地蔵さま 何とも
津軽 #今泉賽の河原(看板に「安倍安東氏霊場」)。入口には #十三湖 の南に見晴るかす #岩木山 を想起させる かっぷくの良い#布袋さん 像。一帯には数多くの #安倍安東氏 の史跡。津軽と大和の繋がり、そして蝦夷と云われる人々について考えてみました 目次 晩秋の十三湖とお岩木山 今泉 賽の河原 十三湖北部の安東氏と大和 本文 晩秋の十三湖とお岩木山 昨年11月1日。津軽の十三湖(じゅうさんこ)。 北の中泊町、湖畔の駐車場(今泉PA)兼展望場からの景色。 渡りのコハクチョウの群れと南にお岩木山がうっすら見えます。 十三湖 北からの景色 遠くにお岩木山 今泉 賽の河原 (41.0316642, 140.4094983)/青森県北津軽郡中泊町今泉/国道339号線(鯵ヶ沢蟹田線)今泉PA 今泉PAの国道339号線を挟んで向かいに「今泉 賽の河原」の看板。 「安部 安東氏霊場」という表示も気になり、
正月二日 #厳島神社 参拝の後 #宮島ロープウェイ で #弥山 登拝。麓の紅葉谷駅から終点の獅子岩駅まで約20分、さらにそこから山道を30分でようやく山頂の、わりと険しい道のり。巨大な花崗岩が露出した山頂から瀬戸内海を一望できます 目次 宮島 弥山(みせん)登拝 弥山本堂・霊火堂・三鬼堂 弥山山頂 本文 宮島 弥山(みせん)登拝 www.zero-position.com 宮島ロープウェイ 獅子岩駅 天狗の図 獅子岩駅から弥山山頂まで、山道を30分登るコースでそれなりに体力が必要です。 獅子岩駅展望台から弥山山頂。 山頂までの登拝道には、厳島神社の別当寺*1、大聖院の堂塔が並んでいます。 獅子岩駅から弥山山頂までのコース案内 弥山本堂・霊火堂・三鬼堂 山頂までのコース途中に、弥山本堂・霊火堂・三鬼堂が並ぶ境内。 弥山本堂。御本尊は虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ) 弥山本堂 弥山本堂 御本尊
この正月も奥さんの実家の広島。二日の早朝 #安芸の宮島 #厳島神社 に初詣。干潮で #大鳥居 の足許から #日の出 を遥拝。見上げた鳥居には「厳島神社」と「伊都岐島神社(古名)」二枚の扁額が掲げられていました。 目次 安芸の宮島 厳島神社 大鳥居 大鳥居の日の出(正月二日) 「厳島」と「伊都岐島」の扁額 本文 安芸の宮島 コロナの影響が残っていた一年前と違い、今年は十倍ぐらいの人出。 フェリーの切符を買うのに行列している間に一番船が出てしまい、ふ頭で並びました。 朝日影となるこちら側の山肌は真っ闇ですが、浜辺中央の明かりのあたりに厳島神社の大鳥居があるはずです。 後背の弥山(みせん、535m)は、花崗岩質に特徴的なゴツゴツした山容。 JR宮島フェリーの渡船乗り場から宮島 www.zero-position.com 厳島神社 大鳥居 フェリーの初詣特別サービスで、大鳥居を正面に見るコースを航
明けましておめでとうございます🌅 新年も引き続きよろしくお願いいたします。秋の #津軽 行きでは、何体かの #龍神さん に出逢いました。#辰年 を記念して紹介いたします。#津軽龍神霊場 目次 久渡寺 龍神堂 猿賀神社 あかい堂(水天宮) 廣田神社 黒龍の神池 その他津軽の龍神さん 本文 久渡寺 龍神堂 津軽三十三観音霊場・第一番の久渡寺(弘前市)。 長い石段を登って観音堂の手前に龍神堂。 久渡寺境内 龍神堂 三体の仏さまの後ろの祭壇に龍神さま。金糸の衣をまとっています。 額に「金蛇八大龍神、かなへびはちだいりゅうじん」。 右側の祠の中には金ピカのお姿の仏像二体。 久渡寺境内 龍神堂 龍神さま www.zero-position.com 猿賀神社 あかい堂(水天宮) 前回紹介した、猿賀神社(平川市)境内の鏡ヶ池畔のあかい堂(水天宮)。 「あかい」は「閼伽井」と書き、水神を祀る井戸や湧水池に
10月末日の朝、空に浮かんだ月と朱色の #お岩木山 を眺めながら弘前市から #猿賀神社 へ。隣接する #鏡ヶ池 中島に浮かぶ #胸肩神社 も鮮やかな朱色。古い水神・龍蛇神信仰の地は、ハスの北限の地 目次 朱いお岩木山 胸肩神社(猿賀神社境内地) 北限のハス 中島の本堂 本文 朱いお岩木山 毎年秋に津軽に通って数年、こんな穏やかな晴天ははじめて。 道すがらの景色。空に浮かんだお月さま。 朝の光に映える山腹、紅葉の朱い衣装をまとったお岩木山。 晴天の朝、お岩木山と朝の月 胸肩神社(猿賀神社境内地) (40.6164769, 140.5640263)/〒036-0242 青森県平川市猿賀石林/猿賀神社の参拝者用駐車場あり。弘前市内から車で東に約20分 御祭神:市杵島姫命(いちきしまひめ、弁天様) 鮮やかな朱は弁天さまのお社。 胸肩神社とお月さま(猿賀神社境内地) 岩木山神社、高山稲荷神社とともに
桑の木でつくった男女一対の木像を御神体とした #オシラ講 の信仰と #津軽三十三観音霊場 巡礼の伝統。第一番札所 #久渡寺(くどじ)。毎年5月の大祭では津軽各地の家庭や集落から持参され、重ね着させた #オシラサマ を祭壇に並べて祈りを捧げる大祭が催されるそうです 目次 護國山 観音院 久渡寺(くどじ) 津軽三十三観音霊場、オシラサマ(当ブログで紹介) 境内の個性的な石造たち 本文 護國山 観音院 久渡寺(くどじ) (40.53984255543722, 140.4295302627105)/青森県弘前市坂元山元1/弘前市内から車で約20分。専用駐車場あり 津軽三十三観音霊場 第一番札所 久渡寺 各札所で唱える御詠歌があります。 補陀落*1や 恵も深き 観世音 罪も報いも はらす宮舘*2 (ふだらくや めぐみもふかき かんぜおん つみもむくいも はらすみやだて) 第一番札所の御詠歌 久渡寺
青森市内から車で一時間少し。#十三湖 の北の丘の #相内神明宮(#アラハバキ神社)を再訪。ねじれのある鳥居の笠木、参道の樹の #藁蛇 。境内地は縄文前〜中期 #オセドウ貝塚 #円筒土器 が出土した遺跡としても知られています #長髄彦 目次 相内神明宮(アラハバキ神社) 「笠木にねじりのある樹の鳥居」があらわすもの オセドウ貝塚(縄文前期〜中期) 東日流外三郡誌について 本文 www.zero-position.com 相内神明宮(アラハバキ神社) 一昨年に続き、二回目の参拝。 (41.0502376, 140.3604182)/青森県五所川原市相内露草190/鳥居前に駐車スペースあり 相内神明宮(アラハバキ神社)案内板 境内地は十三湖北畔の丘陵で、縄文時代の オセドウ貝塚(史跡)でもあります。 神明宮(アラハバキ神社)十三湖の北。青森県五所川原市 「笠木にねじりのある樹の鳥居」があらわすも
山門前の #狛虎さん。それもそのはず #鞍馬寺 は、虎を使いとする #毘沙門天 を御本尊として創建されました。インド神話の北を護るクベーラ神が源で #四天王 の中では #多聞天 とされ #聖徳太子 も信奉しました 目次 都の北を護る毘沙門天のお寺 あうんの狛虎 鞍馬寺 本堂 毘沙門天(多聞天) 本文 www.zero-position.com 都の北を護る毘沙門天のお寺 鞍馬寺山門 鞍馬寺の山門の前に、二頭の狛犬ならぬ狛虎さん。 鞍馬寺 山門前の狛虎さん 現在は三尊(毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊)を御本尊としますが、もともと 毘沙門天(びしゃもんてん)を信奉するお寺として創建(770)されました。 鞍馬寺 案内 京都市 インド神話の北を護る財宝のクベーラ神を源とし、大陸を通じて日本に伝わった時に、虎が眷属(けんぞく、使い)となりました。 京都市の北に位置し、平安京の北方鎮護、そし
天狗で有名な京都市北部の #鞍馬山 #鞍馬寺に参拝。たくさんのおとぎ話や地域伝承に登場する赤い顔・長い鼻の #天狗。猿田彦(サルタヒコ)にも似ているところは古代妄想がそそられます 目次 叡山電鉄 鞍馬駅の巨大な天狗 妖怪なのか神なのか…英雄譚にも登場する天狗 天狗いろいろ 鞍馬寺の寺紋は天狗のうちわ!? 本文 叡山電鉄 鞍馬駅の巨大な天狗 まずはドドーンと! 叡山電鉄 鞍馬駅 巨大な天狗像 鞍馬寺への行き道。 叡山電鉄・鞍馬駅の巨大な天狗。 真っ赤なお顔に立派なお鼻。 鞍馬駅 巨大な天狗 妖怪なのか神なのか…英雄譚にも登場する天狗 おとぎ話や伝承に登場する天狗は、山奥に棲む妖怪であったり、 山伏の格好をした山の神のようであったり。 ひょうきんで親しみやすいキャラであったり… 鞍馬駅舎に飾られた天狗とカラス天狗 時に英雄譚に登場するあたりも「鬼」に似た存在です。 牛若丸の修行の相手をする鞍馬
前回の永観堂から東山を北に少し足を運んで #銀閣寺(東山慈照寺)。見ごろの #紅葉。#白川砂 #銀沙灘(ぎんしゃだん)#向月台(こうげつだい) 目次 東山月待山麓 慈照寺 銀閣寺 銀閣寺 銀沙灘(ぎんしゃだん)と向月台(こうげつだい) 紅葉と銀閣寺 本文 東山月待山麓 慈照寺 銀閣寺 銀閣寺。上層は潮音閣。下層は心空殿 室町幕府八代将軍・足利義政の引退(文明5年、1473)にあわせて建設が始まった「東山殿」が起源。 義政の祖父の第三代将軍・義満が建てた北山殿(後の鹿苑寺 金閣寺)と並び、銀閣寺と称せられるようになりました。 銀閣寺 銀沙灘(ぎんしゃだん)と向月台(こうげつだい) 東山の大文字山一帯で産出する 白川砂(風化花崗岩) で盛られた、本堂前の銀沙灘(ぎんしゃだん)と向月台(こうげつだい) (後者は三角の砂盛の頂点をカットした形。写真向こうに見えます) いずれも中世の創建時ではなく、
京都東山の懐 #紅葉スポット 一番人気の #永観堂(#禅林寺)。シーズンには一時間待ちもザラなので、どうせならと、9時開門の一時間前から並んで見学してきました 目次 京都東山 紅葉スポット一番人気 永観堂 お堂巡りの紅葉 お庭巡りの紅葉 本文 京都東山 紅葉スポット一番人気 永観堂 (35.0146711, 135.7937820/京都市左京区永観堂町48/紅葉の混雑期は駐車場は使用できません。京都市営バス5系統・南禅寺永観堂道下車、徒歩10分) 東山と永観堂の紅葉 京都東山の懐、紅葉スポット一番人気の永観堂(禅林寺)。 朝早く五番目に並びましたが、おつりなしの拝観料の支払いがスムーズで、トップで山門をくぐりました\(^o^)/ 人影のない永観堂の紅葉(レア写真😀) 入場が始まる9時ごろには、数百人の行列が出来上がってました😅 永観堂 紅葉 お堂巡りの紅葉 古刹のお堂を渡り廊下で巡りな
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