サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
yururi3ptl.hatenablog.com
イザヤ書35章3節~7節 弱った手を強め、よろめくひざをしっかりさせよ。 心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ、恐れるな。 見よ、あなたがたの神を。復讐が、神の報いが来る。 神は来て、あなたがたを救われる。」 そのとき、目の見えない者の目は開き、 耳の聞こえない者の耳はあく。 そのとき、足のなえた者は鹿のようにとびはね、 口のきけない者の舌は喜び歌う。 荒野に水がわき出し、荒れ地に川が流れるからだ。 焼けた地は沢となり、潤いのない地は水のわく所となり、 ジャッカルの伏したねぐらは、葦やパピルスの茂みとなる。 私が20代前半の頃、京都奈良旅行に祖母を招待した時の1枚。 鹿がペットのようにすり寄ってきました。 祖母の独特の装いについては何れ機会をみて。
朝夕の暑さが和らいで相変わらずのコロナ禍の中にあっても季節は何事もないかのように廻っていますね。 今日から9月。10時半頃に教会に向けて車を走らせていたら、早や集団下校する小学生たちに出会いました。緊急事態宣言中は短縮授業とのことですが、今日は特に防災訓練があって早い下校になったようです。色々ありながらも2学期ですね。どの子も病気、ケガ、コロナから守られて元気に過ごしてほしいものです。 9月からは私も聖書学校での授業を受け持ちますが、緊急事態宣言下での夜クラスなのでいきなりon-line授業です。通常は対面授業しかありません。とはいえ、初めてのことではなく昨年6月までも自分で授業を録画してネットにアップしていました。この1年は受け持つのを休ませて貰っていました。 受講生しか見ることができないとはいえ自分の顔がネットに晒されることに抵抗があるのですが、慣れるしかありませんね。仕事でなければ自
毎週木曜午前は教会で祈祷会を導いています。個人の願いを互いに祈り合う祈祷会もありますが、木曜日の祈祷会は個人的なことは祈らず世界と国の平和を祈るものです。 今朝私はいつも通り時間30分前に教会に着いて祈祷会の準備をしました。早い人だと15分前に会堂に姿を見せます。会堂は150人収容の広さですが、コロナ禍の中ですから60人に制限しています。使用時の会堂は決して閉め切ってはならないことと途中で必ず換気する決まりになっています。 ところが、今日は5分前になっても誰も来ません。おかしいなと思いを巡らしていてハッと気づきました。本来今週の私の予定は帰省していることになっていて、その為に祈祷会を休みにしていたのです。若い頃には考えられなかったポカにアチャー(ノ∀`)です。最近増えました。それでも感謝です。おかげで祈りの家である教会に行って祈る恵みに与ったのですから。 帰る道すがら2週間前までは母はショ
ヨハネの福音書9章1節~3節 またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」 人生の不幸とも思える出来事の前に「なぜ我が身に、我が家にこのようなことが起きたのか。」「なぜあの家庭にあのような不幸が起きたのか。」「いったい誰のせいで、何が原因で。」と考えるのはごくごく普通のことのようです。そして、そのことで思い悩み、親としての咎めを感じる人、自分の血筋へのコンプレックスで苦しむ人も少なくはありません。 今日の聖書でイエス・キリストの弟子たちは当時の常識的な思いから師に質問を投げかけました。しかし、イエス様の答えは思いもかけないことでした。「誰
契約書に私の印鑑が必要だというので午前中の仕事を終え、午後からSさんが入所している老人ホームに行ってきました。 感染対策で入所者との面会は出来ないとのことでしたが、Sさんたっての希望で会うことが許されました。 ヘヤーカットして小ざっぱりしたSさんは少しふっくらとして色艶も良かったのですが、顔を合わせた第一声が「先生〜、寂しいの〜。帰れないと分かっているけど帰りたい。」でした。 何と言って励ましたら良いのか分からず「そうよね。そうよね。」としばらく腕をさするばかり。本当にボキャブラリーが乏しい私です。 Sさんが教会に来たのは幾多の試練を経て人生のドン底の時でした。毎日私が仕事をしている部屋に来て胸を押さえて「ここがペチャンコなの」と泣く彼女をハグして祈りました。 やがて彼女は癒やされ、面倒見の良い姉御気質を発揮するようになり、ホームレスや孫のような若者など幅広い交友関係を築くまでになりました
世間では「自分らしく」という言葉をよく聞きます。また「自分に正直に」という言葉もそうです。私はその言葉を聞く度に本当に自分を自分として捉えていれば良いな、自己中心や我欲を綺麗な包装紙で包んだ自己欺瞞でなければ良いなと思います。町田市にある教会の牧師、平野耕一先生が書かれた「私を映す鏡」という本があります。その本に興味深いことが書いてありますので少し紹介したいと思います。***** ◎鏡は語る 私たちは鏡が大好きです。 誰もが毎日鏡を見るのはなぜでしょう。それは第一にみっともない格好を人に見られたくないからで、みっともないところはないか、自分自身を鏡でチェックします。 しかし、私たちには外面だけではなく、自分の内面も知りたいという欲求があります。「自分」という人間がどういう者であるのか知りたいのです。そして、自分を知るには自分を映し出してくれる鏡が必要になってくるのです。私たち自身を映し出し
マタイ11:28~30節 すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。 エレミヤ書31章25節 わたしが疲れたたましいを潤し、すべてのしぼんだたましいを満たすからだ。
このコロナ禍では少し熱が出たり体調不良を感じると感染を疑ってしまう。我が家でも1ヶ前に夫が発熱、体のだるさを訴えた。感染が疑われたのでその日から予定をしていた帰省を取りやめた。 今は航空券を直前キャンセルしても手数料は取られないので有難い。夫婦2人ともすぐにPCR検査を受け、結果は陰性。やれやれ。 その時の予定では担当者会議を開くことになっていた。介護認定が変わったことでケアマネ、介護事業所、訪問看護事業所、福祉用具の業者が私の署名捺印を待っていた。 もう既に1ヶ月近く待たせていたので、それ以上彼らの事務作業を滞らせる訳にはいかないと思い兄嫁に担当者会議に参加して貰えないか頼んでみた。 実は母と兄嫁の関係はなかなかスッキリ回復とはいかなかった。一緒に住んでいた時は何年も口を聞かなかった2人の傷は深かった。けれど私は帰省する度に必ず1回は兄嫁と会ってきた。彼女は何か問題があると私に打ち明けて
人間が他の動物と違うのは祈ることだと言われていますが、こんなジョークを目にしたことがあります。 ある人がライオンに遭遇しました。絶体絶命の中、地に倒れて目を閉じ「神さま助けてください。」と必死に祈っていましたが襲ってくる気配がありません。少し目を開けて様子を窺うとライオンも目を閉じて座っていました。「何をしているのですか?」と尋ねたら「食前の感謝の祈りをしています。」と答えたそうな。(怖いですね) クリスチャンは日常的に祈ります。自分の祈りが確かに聞かれているという体験をする中で祈りが生活に溶け込んでいきます。 祈るのは自分のため、家族のため、だけではなく聖書に互いのために祈るようにとあり、その模範が示されているので他の人のためにも熱心に祈ります。 実際私の周りの人々は私のためだけではなく、一度も会ったことのない私の母のためにも長年祈り続けています。私にとっての大きな支えであり、励ましです
詩篇103篇2節 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。 仕事でカウンセリングをすることがありますが、カウンセリングの専門的勉強をしたわけでもない私が相談者に向き合う基盤は聖書と祈りです。そして、相手の話にじっくり耳を傾け、一緒に祈ります。 沢山の方の悩みを聞いてきましたが、その中の1人、Sさんは一度のカウンセリングで劇的に変わった1人です。Sさんは長年持病で苦しみ、その持病の故に誤解されることが多いこともあって怒りでいっぱいの人でした。ちょっとしたことで怒り、攻撃的になるので人間関係がうまくいく筈はありません。 そんな彼女が私のところに相談に来た時は怒り、批判、苦々しさでいっぱいでした。病気の苦しみだけではなく、その為に長年人々の好奇の目にさらされてきたのですから、それだけを考えても彼女の抱えている苦悩がどれ程のものか、その経験のない私などに分かる
母はどうやら自分でメニューを考えて調理をするのが難しくなったらしいということで、夕食だけ配食サービスを利用したことがあった。その弁当が届くのは午後2時頃だった。ある時カメラで見ていたら母が弁当を受け取ってすぐに食べようとしていたので慌てて電話をした。 「そのお弁当を今食べちゃうと夕ご飯がなくなるから、まだ食べないでね。」と言うと、「うん、ちょっと味見をした。」ということだったので「良かった。ちゃんと聞こえた。」と思ったのも束の間、またもや弁当に手をつけ始めた。 「夜中お腹が空いて困るよ。」ともう一度電話をすると、「別のを少し味見しただけ。分かっている。まだ食べないよ。」と答えた。 しかし、カメラで見ていると私との電話を切るなり「いつ食べようと私の勝手だわ。」と言って弁当を食べる母の姿が。私は思わず「そりゃ、そうだわね。」と笑ってしまった。 昔から自分の思いを通す人だと知ってはいたが母がそん
イザヤ60章2節~3節 見よ。闇が地をおおっている。暗黒が諸国の民を。 しかし、あなたの上には主が輝き、 主の栄光があなたの上に現れる。国々はあなたの光のうちに歩み、 王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。 イザヤ61章10節~11節 私は主にあって大いに楽しみ、 私のたましいも私の神にあって喜ぶ。 主が私に救いの衣を着せ、正義の外套をまとわせ、 花婿のように栄冠をかぶらせ、 花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ。 地が芽を出し、園が蒔かれた種を芽生えさせるように、 神である主が、正義と賛美を すべての国々の前に芽生えさせるからだ。
見守りカメラを設置するまでに母が買い物に行かなくなっていることに気づいた私はネットスーパーを利用することにした。食料品と日用雑貨はネットスーパーで、寝具や衣類はA○○や楽〇で購入。カメラで見ていると、物が届いた時に母が嬉々として梱包を開ける姿があり、可愛かった。 しかし、母は物が届いた直後は私が送って来たと認識できていたが、しばらくすると全て自分が買い物に行ったつもりになっていた。記憶が消える一方、かつての日常生活の記憶でその穴を埋めていたのだ。 その頃の母は転んで傷をつくっても転んだことを忘れてしまった。傷を見せて「転んだでしょう。」と言っても「転んではいない。傷は自然に出来たもの。」と言い張った。学習しないために痛い思いをしても同じ行動を繰り返した。 それには困ったけれど、ある時から悪いことばかりではないと思うようになった。というのは、母が失敗を記憶に留めず数年前の元気な頃のセルフイメ
ホセア書10章12節 あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。 あなたがたは耕地を開拓せよ。今が、主を求める時だ。 ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。 箴言21章21節 正義と誠実を追い求める者は、いのちと正義と 誉れとを得る。 カナダ ビクトリア州議事堂内 ビクトリア州議事堂外観
ここ数日いろんなことがありまして、今日も気がつくとこの時間(午後5時前)になっていました。そこで前に友人たちに書き送ったものに少し手を入れて掲載します。 5,6年前にメディアでアドラーの心理学がよく取り上げられていました。アドラーの心理学はフロイトと同時代を生きたアルフレッド・アドラーが創始して後継者たちによって発展させられたということで、日本では「嫌われる勇気」(岸見一郎・古賀史健著)が知られるようになりました。 その頃私はたまたまネットで見かけたその本のタイトルに興味をもち、取り寄せて読みました。読みながら微かに聖書のエッセンスを感じたのですが、それもその筈、アルフレッド・アドラーはオーストリア出身のユダヤ人ということですから、少なからず旧約聖書を知っていたのだろうと思います。 とはいえアドラーの心理学が聖書的という訳ではありません。「嫌われる勇気」には人生は人間関係が鍵とあり、乱暴な
インドネシアは国土面積が世界14位、人口が世界4位の大きな国です。私は10年前に2回インドネシアに行きました。それまではインドネシアをイスラム教国の小さな国と思っていたのですが、その時初めて国土の大きさを知って驚きました。 ジャカルタ到着後、チャーターしたバスで宿泊するホテルがあるボゴールに移動したのですが、ひどい渋滞でした。道路は何車線あるのか分からない状態になっていて強引な割り込みは当たり前。 まるで競争のように割り込んだり割り込まれたり、クラクションを鳴らして相手を煽ったりしながら時にスピードを出して進んで行きました。事故が起きないのが不思議なくらいでした。 ホテルの門では全ての車両がセキュリティチェックを受けなければなりません。爆破物が仕掛けられてないか目視とX線でチェックされ、安全が確認されてからでないと敷地内に入ることが出来ません。 日本のホテルでは見かけない光景ですので、最初
ヨハネの手紙第一4章7節~12節 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。 愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、 神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。 なぜなら神は愛だからです。 神はそのひとり子を世に遣わし、 その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。 ここに、神の愛が私たちに示されたのです。 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、 私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。 ここに愛があるのです。 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、 私たちもまた互いに愛し合うべきです。 いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに 愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、 神の愛が私たちのうちに全うされるのです。 Hさん作 2021イースターに
母のことをいつも心にかけているつもりの私だったが、母が抱えている問題は難聴だけではなく文章読解が出来なくなっていることに加え、短期記憶障害が始まっていることに気づけずにいた。 こちらが電話をかけても一方的に母が話して私の話を聞かずに切ってしまう。最初はその難聴ごまかし作戦に面食らった。2回3回と電話をかけても同じ対応をしようとする母に大きな声で「待って。待ってー!」と言ってもダメ。聞こうとしない母が腹立たしかった。 仕方がないのでFaxを送ることにしたがそれも読めなくなっていた。大抵は宅急便を送ったことと到着日を知らせる用件が多かったのだが、母はかなり困惑し、ストレスにもなっていたことだろう。 結局はヘルパーを介しての連絡に落ち着いたが、伝わってもすぐに忘れて用をなさないことが多かった。母はもともと込み入った自分の思いや状況を言葉で説明できない人だったため顔が見えない中での母との意思疎通が
詩篇143篇8節 朝にあなたの恵みを聞かせてください。 私はあなたに信頼していますから。 私に行くべき道を知らせてください。 私のたましいはあなたを仰いでいますから。 詩篇32編8節 わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。 わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。 ブッチャートガーデン
途絶えていた交友関係が回復し、自分の思い通りに使える住まいを得て、明るい毎日を送るようになった母。実家に居た時は私が帰省してもホテルに宿泊するしかなかったので、独居になって私と一緒に同じ屋根の下で眠れるというのは母にも私にも嬉しいことだった。 母の独居が始まった時に安否確認をどうするのかを色々考えた。そして多くの介護者がそうしているように母のところも色んな利用料金の支払いを集金にして貰い、電話のやりとりもマメにした。 母の老化はまず耳から始まった。自分がキッチンに居てもケトルの笛が聞こえなくなって空焚きをするためケトルの胴体部分が黒くなった。水道の水を出しっぱなしにすることも増えた。 これはまずいと市独自で設けていた独居高齢者宅にシルバー人材センターからヘルパーを派遣する制度を利用した。母とわりかし年の近い方が母を訪問、簡単な家事支援と話し相手になってくれた。 母のところは何時行っても小ぎ
苦々しさや怒り、憤りが心に満ちていた頃の母は腰痛がひどく、買い物に行けるのは具合が良い時だけで不調が続いて食料品が底を尽くと食事抜きの生活になっていた。 そのような母の苦境をたまたま親戚の人が知って慌てて私に電話でそのことを知らせてくれた。それ以後私は母宛てにレトルト食品やインスタント食品を送るようになった。 腰痛の原因は脊柱管狭窄症だったが、何年も会話がなくて互いが互いを無視して生活していた為に兄家族はそのことを知らなかった。私から食品が届くようになっても母の腰痛がそこまでひどいとは思っていなかった兄嫁は母が私にそのような面倒をかけていることを気にしていた。 しかし、「主治医に手術を勧められたので会って答えを出してほしい。」と母から連絡を受けたので、私はすぐに帰省して主治医に会った。そして、説明をよく聞いた上で手術はお断りした。兄夫婦にもそのことを報告して私は引き続き食品を送り続けた。
コロサイ人への手紙3章12節~14節 神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、 あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、 寛容を身に着けなさい。 互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱く ことがあっても、互いに赦し合いなさい。 主があなたがたを赦してくださったように、 あなたがたもそうしなさい。 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。 愛は結びの帯として完全なものです。 町内の高齢者が育てているバラです。
詩篇145篇8節~9節 主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、 恵みに富んでおられます。 主はすべてのものにいつくしみ深く、そのあわれみは 造られたすべてのものの上にあります。 詩篇31篇19節 あなたのいつくしみは、なんと大きいことでしょう。 あなたはそれを、あなたを恐れる者のためにたくわえ、 あなたに身を避ける者のために、 人の子の前で、それを備えられました。 ブッチャートガーデン
ダカーポが歌った「裸の大将」の主題歌、「野に咲く花のように」は今も多くの人に愛されている歌ですね。私も好きな歌です。その歌が生まれる遥か昔、私がまだ小学校1、2年生の頃にほぼ同じフレーズで「野に咲く小さな花のように」と語ってくれた教会学校の先生がいました。 その先生は当時まだ20代前半の若者でしたので私たち兄妹は彼のことを「ヒロアキ兄さん」と呼んで慕っていました。私たち家族だけではなく、教会の老人も幼子も皆がヒロアキ兄さんを慕っていました。 ヒロアキ兄さんは散歩が大好きで、毎日朝早くに野や林を散策していました。自然の豊かさ、美しさ、力強さを観る時に、それら全てを創造された神様の素晴らしさを感じると話していました。 そのヒロアキ兄さんがある時、教会学校の子どもたちを散歩に連れ出してこんなことを話してくれました。 「先日の朝、ここを歩いている時に踏みつけられて弱っているこのスミレの花を見つけた
エレミヤ29章11節~13節 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。― 主の御告げ。― それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。 あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。 もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。 ブッチャードガーデン
小さなハプニングが起きる毎日は時に汗だくになりながらも穏やかなものだった。ある日、姑は車椅子に乗せられてデイサービスから帰って来た。車椅子に乗るようになったことでデイサービスの外出イベントへの参加が増えて楽しそうだった。 そうしてデイサービスを満喫している姑の姿を見ると、最初の頃に姑がデイサービスを嫌がっているからといって諦めなくて良かったと思った。ある意味何もかもが順調だったが、そんな時に想定外な事態を迎えた。 その年の暮れ、姑はいつものように元気にデイサービスに行き、いつもと変りなく帰って来た。翌日からはデイサービスも正月休みだというので送って来たスタッフに「良いお年を。来年もよろくしく」と挨拶をした。そして、その日の夜は穏やかに床に就いたのだが、明け方にベッドから落ちた。驚いたもののとりあえず骨折もなく、他に異常もなかったので一安心した。世の中の殆どは正月休みに入っていた。 その日を
介護3年目に入って姑は内科的には何も問題はなかった。コーヒーや紅茶に大匙山盛り3杯の砂糖を入れ、食欲も旺盛だったが血液検査の結果は毎回基準値内で私よりよっぽど健康だった。ただ、幻視、幻聴が増えた。悪い人が入って来るとか家に火をつけようとしている人がいるとか毎日不安を口にした。そういう時は顔つきが険しくなり安心させようと声をかけても納得しなかったが、祈ってあげると落ち着いた。 姑の遺品 こういう可愛いのが好きだった。 ある日の夜中に1階から何かが焦げている臭いがしてきた。キッチンの電気は点いておらず、姑がリビングに居たので「何か焦げ臭いですね。」と言うとキョトンとして臭いの元を探し回る私を不思議そうに見ていた。結局その時は分からなかったが、翌朝トースターの中に真っ黒に焦げた物が入っているのを見つけた。何かと思ったら四角く畳まれたティッシュだった。昨夜の臭いの元だ。おそらく食パンのつもりで焼い
出来ていたことが出来なくなり。その自覚がなくなるのが老いと認知障害というものだ。同じ手がかかるのでも子育ては成長を見守る楽しみがあるが、介護は失われ、壊れていくのを見つめ寄り添う生活である。姑のそばに居て何故あの聡明だった方がこうなったのかと信じられない思いになったこともあったが、その時間が決して意味のない時間ではないと知っていることが私の幸いだった。 姑の足腰が弱って尻もちや座り込みをした時に、最初の頃は私1人で姑を引き上げて低いスツールに座らせることが出来たのが私自身にその力がなくなった。姑の両脇に私の両腕を入れて目いっぱい踏ん張るがダメ。こんな風に自分が気づかないうちに年を取っていくのだと実感した時だった。 そんな時はいつも仕事中の息子に電話で助けを求めた。しかし、息子が到着するまでの10分ほどの間、床に座ったまま待たされる姑が落ち込んでいくのが分かった。決して言葉に出すことはなかっ
母親が夜中でも赤ちゃんのか細い泣き声に反応するように、2階で家事をしていても、3階に居ても1階からの小さな物音に私のセンサーが反応するようになった。傾眠で舟を漕ぎ過ぎて椅子から転げ落ちた時、歩行器を使わずにトイレに行こうとして手すりがない3歩ほどの距離でへたりこんでしまった時等なぜか姑は声を上げないので私が気づくしかなかったが、不思議なことに夜中であろうとすぐに気づいた。 それでも、万が一のことを考えて姑の寝室にワイヤレスチャイムを付けて私たちの寝室と繋いだ。ボタンを押すことを覚えた姑が夜中に何度もチャイムを鳴らすようになった。何事かと降りて行くと、大抵はせん妄に動かされた姑が私に用事を言いつけるための呼び出しだった。ありがたいことに姑は少し相手をしてなだめると大人しくベッドに戻った。 さて、あれからケアマネはデイサービス探しに手を尽くしてくれていた。そして、ほどなくあるデイサービスのパン
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『yururi3ptl.hatenablog.com』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く