サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
sutarin.hateblo.jp
ひさしぶりだなあ。何年ぶりの更新か。 ところで、同人板にある某スレのコピペ 今当たり前に晒しといたずらと誹謗中傷が蔓延してるけど、ネットが無かった時代って明確にやってはいけない犯罪だと常識として共有されてたよな 今じゃ悪いとも思ってない、手段の一つとしてしか捉えてない若い世代とか多すぎて、こいつら人としてやばすぎるでしょ それとオタクブームにより一般からの当たりが弱くなったと言うけど、オタクの人間性のまずさを皆知ってるから、当たり障りなく静かにフェードアウトして関わりを持たないようにしてるだけなんだよな 昔はオタの発言なんて全く汲み取られなかったけど、それでよかったと思う その頃から非常識な奴らばっかだったし 今はそれより遥かに悪化してる 昔みたいに発言権は一切なくていいよ サブカル・オタク界隈自体に嫌気の差した同人者5 [無断転載禁止]©2ch.net 2段落目が真理すぎる。ヤバいと認識
『うみべの女の子』所感 『ソラニン』について 浅野いにおの叙情 成熟と喪失 忘れるということ 忘れることと複雑化 ありふれたストーリーを複雑にする 『おやすみプンプン』の中心 ヒーロー不在の世界観 破滅の最終章 愛子ちゃんの悲劇性 世界の終焉は何だったのか 最終回について 『おやすみプンプン』の主題 浅野いにおはファッション憂鬱なのか 村上春樹と新海誠の憂鬱性 浅野作品のリアリティ 泣き顔のリアリズム 憂鬱のリアリズム 浅野いにおの作画について おやすみプンプン 13 (ヤングサンデーコミックス) 作者: 浅野いにお出版社/メーカー: 小学館発売日: 2013/12/27メディア: コミックこの商品を含むブログ (14件) を見る昨年を振り返ると、浅野いにお作品について考えている時間が多かった。遂に『おやすみプンプン』が完結したことを受け、彼の作品について書いてみようと思う。 『うみべの女
うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー [DVD] 出版社/メーカー: 東宝発売日: 2002/09/21メディア: DVD購入: 4人 クリック: 390回この商品を含むブログ (350件) を見る押井守の映画は常に「恋愛」を正面から見据え描いているのではないかと思う。 それが初めて顕著になったのは『ビューティフル・ドリーマー』だが、『イノセンス』では「愛する人の不在」を描き、『スカイ・クロラ』では死ぬことさえできない「不変の少年少女たち」の恋愛を描いている。 押井の言動を見れば、すぐに分かることだが、彼は「成熟」を拒まないし、「若さ」を礼賛しない。押井が宮崎駿作品を「老人の妄想の産物」と批判した場合、宮崎アニメがいつまでたっても「恋愛」から逃げ続けていることを指しているのではないかと思う。その意味で、押井は徹底した「恋愛肯定論者」である。 しかし、ここでいう「恋愛」とは、男女の駆け
「読者はアッパッパーだからバカにも分かる話を描け」と編集者から言われたという話をよく耳にするが、実際に過去、自分も同じことを言われた経験がある。 その時は「読者をバカにすんな」と息巻いたわけだが、最近では本当にバカかもしれない…と思うようになってきた。 これは漫画における「読解力のスキル」についての話だ。 例えばどんな漫画にも「オチ」がないと納得しない人を見かける(関西人と言うわけではないようだ)。 ストーリーを放り投げた感じで終わるラストを全く理解できない人が確かに存在する。 さらに言えばモノローグがなければ、キャラの表情だけでは心情がわからないと言い出す始末だ。 経験主義的なことだけは言いたくないが、つげ義春でもいい、あの辺一帯の昔の『ガロ』系作家の作品をこういう人が読んでも、全然よさが理解できないんじゃないかと思うと、同じ漫画読者として戦慄してしまうのだ。 そういう人たちに共通して言
以前に虚淵がツイッターで 今でも所謂「アンチ」という生き様の虚しさ悲しさについては、キミらそんな人生で本当に満足なのかと嘆かわしくなるばかりである。巨人軍アンチを親に持つ息子が、読売新聞に足を向けて寝られなくなるような──そんな運命の悪戯だって、あるんだぜ? antimadoka @ ウィキ - トップページ と、発言していたらしいが、そもそもアンチの存在を許せない人間がもの創りに携わるべきではない。 発言の通り、こいつはただ自分を持ち上げマンセーしてくれる人間が欲しいだけで、創作に賭ける情熱など一つまみも持ち合わせていない。 だから、キャラクターの吐くセリフは、奴の自己陶酔した思想であり、そうでないキャラクターは不自然な形で不幸に陥れる。故に、キャラクターが人形でしかなく、退屈なのだ。 しかも虚淵はほとんど小説を読んだことがないらしいが、『Fate/zero』の文体を見る限りでは、なるほ
大概、信者もいるけどアンチも同数ほどいるんじゃないだろうかという作家には、水戸黄門の印籠のようなお約束パターンが必ずと言っていいほどある。 例えば虚淵を見てみよう。 『Fate/Zero』 Blu-ray Disc Box ? 出版社/メーカー: アニプレックス発売日: 2012/03/07メディア: Blu-ray購入: 14人 クリック: 1,037回この商品を含むブログ (118件) を見る『Fate/zero』のキャスター登場の時、龍之介に囚われた子供を助けるふりをしてつかの間の希望を与え、しかし直後に抹殺する。 一度もちあげて奈落に落すといった手法だ。 魔法少女まどか☆マギカ 2 【完全生産限定版】 [Blu-ray] [Blu-ray] (2011) 悠木碧; 斎藤千和; 水橋かおり; 喜多村英梨; 加... メディア: Blu-ray購入: 41人 クリック: 1,027回こ
ちょっと前の記事だが、自分なりに分析できたので書く。 「今年どんなキャラクターが一番ヒットしたかと自分なりに考えると、やはり『まどか☆マギカ』であろうかと思う」 「『エヴァンゲリオン』の後に何が来るかと思っていたのですが、それが『まどか☆マギカ』ではないか。『まどか☆マギカ』は、僕が漫画の原作を作ってきたのと全く逆の作り方だった。僕はまずキャラクターを立てて、設定を決めて、事件を起こす。そうやって分かりやすく進むけれど、『まどか☆マギカ』は何がなんだか分からない。謎が謎を呼び、ラストまでいってしまう。この引き方は、おそらく紙の文化の漫画の世界では作り得ない」 「魔法少女になれば魔女にならざるを得ない。魔女になれば悪を行わざるを得ない。悪を行えば希望が消える。こういう考え方は僕の上をいきます。僕は漫画の世界で、これだけ大きな世界観を持つことができませんでした。ですから、負けたなっていう感じを
※ハイクからの転載。 いい加減、性格が歪んでいるだけ、あるいは自意識過剰、あるいは自己愛、それ故に孤立しているキャラクターが、その性格ゆえに自ら不幸を呼び込み、そのせいで自暴自棄になり、暴走し、最後は破滅してエンドみたいな作品郡を「鬱展開」だの「毒がある」だのと、他の凡作とは違った特殊で崇高な作品だと持ち上げるのはやめるべきである。 こうした作品が退屈なのは、読者に対する作者の誘導があからさま過ぎるからだ。 わざわざ誘導しなければならないような展開を作ってしまうのは、読者を信用していない証拠だし、また見下しているからだ。 どうしてそうなるのかといえば、「自分以外の人間は、モブ程度でしかない」と内心思っているせいだろう。 サブカルチャー文学論 作者: 大塚英志出版社/メーカー: 朝日新聞社発売日: 2004/02/14メディア: 単行本 クリック: 22回この商品を含むブログ (22件) を
今の若い世代(10代)のオタクの子達がどういう環境にいるか見当もつかないが、おいらが学生だったころ、オタクと見なされた連中はことごとく差別され、クラスメイトらからは「キモい」と煙たがられ、無視され隔離され、孤立し、あるいはいじめの対象になっていた。彼らも当然、普通の生徒らに近づきはしなかった。これは90年代の頃の話。 おいらは結構年季の入ったオタクなわけだが、当然リアのころ既にオタクだった。しかし何故か、そういったオタク連中と群れることも、口を利くことはなかった。いつも一緒にいた友人らは全員、アニメ・マンガに対する興味はいたって標準の、いわゆる普通の学生で、オタクから言わせるとリア充と呼ばれる類の学生だった。 友人たちはおいらがオタクであることを知っていたが、そうした孤立したオタク連中と同類と見なすことはなく、いじめたりすることもなく、今思えば不思議だが、容認してくれていた。 そして、オタ
bolze.の冬コミ新刊が『サファー・リトル・チルドレン』っつータイトルの絶チル本なんだけど、このタイトル、ザ・スミスの『Suffer Little Children』からとっていると思うんだけど、これはいただけない。 <サークル『bolze.』サファー・リトル・チルドレン> いただけないっつーのは、もちろんザ・スミスのファンとして、なんだけど。 bolze.は以前から、同人誌のタイトルで洋楽に造詣が深いことを示していて、それはそれで別によかったんだけど、ザ・スミスだけは禁猟区でしょう。…という暗黙の了解があるとスミスファンなら思ってしまうんだけど、どういう意図でこの曲からタイトルを拝借したのか、チル本だから、『〜チルドレン』のつくタイトルを選んだのかもしれないけど、いくらなんでも牽強付会というもの。エロ同人のタイトルにするのは実在した殺人事件を基にした楽曲からというのは不謹慎な気もするし
ヴォネガット関連でネットを探索していたら、斉藤環のヴォネガットの文章を見つけたのでリンクしておきます。 斎藤環は「ゲーム脳」批判でも有名ですが、この人の「オタクは一種の精神的病」といった持論も十分に怪しいというかいい加減なので、森教授も環もどっちもどっち(似た者同士の同族嫌悪くらいにしか思わない)だと思っています。 斎藤環【カート・ヴォネガット 「無害な非真実」の伝道者】 そう言えば、今発売している「小説トリッパー」で大塚英志と斎藤環が対談しており、そこで大塚英志が斎藤環に噛みついているらしく、何でも、斎藤環が最近の文芸時評で、舞城王太郎とか佐藤友哉とか、西尾維新とか乙一とか滝本竜彦といったその周辺の若手作家を「文学的評価」していることに対し、「あれらの作家には文学的価値などない! 文学としてみればゴミですよ! 糞ですよ! てめぇは無闇に連中を持ち上げているが、その根拠はなんだ!」としょっ
スカイ・クロラ [DVD] 出版社/メーカー: バップ発売日: 2009/02/25メディア: DVD購入: 12人 クリック: 97回この商品を含むブログ (243件) を見る遅まきながらですが、今更『スカイ・クロラ』について書きます。まず、言っておきたいのだけれど、この映画は押井守作品の中で今のところ最高傑作だと思う。 押井は今作で遂に本当の意味での叙情の人になった。大島渚がそうであったように。 今作で押井は『イノセンス』で実践した常人には理解しがたかった「都市へのフェティシズム」への執着をやめ、キャラクターにスポットをあてた映画を撮ることに成功しています。いや、『イノセンス』にあったようなフェティッシュな表現はなくなったかと問われれば答えは否です。例えば空の描写、散香や空中戦の描写などにそれらを垣間見ることはできます。 しかし、それらは『イノセンス』の都市描写にあったような見るものを
シネフィルの友人が『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を観て、「俺はダメでした」と否定的な見解を言っていた。 「旧作にあった学校・ミサトの部屋・駅等の風景とネルフ本部のバランスが好ましかったのであって、新作では全ての場所が巨大要塞都市の一部になってしまって、戦闘シーンと要塞都市の描写しかない」というのが彼の意見だ。 俺の意見は、「今回のエヴァンゲリオンはキャラを含めた作品全体が機械として機能するメカニズムの圧倒感が面白いので、旧作の感傷性を切り捨てたのは勇断だと思う。 旧作にあった曖昧な人間性(機械は生物の隠喩に近い)と結託させないために、登場人物全員がポジティブな機械になり切っている。この光景は感動的だと思う」というものです。 これは所謂、映画やアニメで表象された機械が、機械そのものではなく人間や生き物のメタファーに終わることが少なくないことからきている。 例えば宮崎駿のアニメに出てくる機械
東浩紀の対談本に、伊藤剛の『テヅカ・イズ・デッド』をめぐる討論が収録されている。そこで議論の的になっているのは「キャラ」と「キャラクター」の区別である。 伊藤剛は記号だけで了解・流通されるものを「キャラ」と呼び、人格や同一性を備えた人物を「キャラクター」と呼んでいる。「キャラ」はJRのsuica のペンギンのようなもので、「キャラクター」は個々の作品の登場人物だと考えていい。でも有名なキャラクター、例えばシャーロック・ホームズやドラえもんは「キャラ」になりうる。その線引きは、二次創作になりうるかどうかだと言う。 さらに東浩紀は、ライトノベルの登場人物は「キャラクター」ではなく限りなく「キャラ」的だと提言している。こうなると、具体的な特徴が両者を区別するのではない感じになる。 このあまり生産性の無い議論について思うことは、「キャラ」としての流通・了解はきわめて日本的な現象で、おそらくその性質
会長コピペでは、大変お騒がせしました。 改めて「カトゆー」さんと「ゴルゴ」さんのアクセス爆弾には驚かされました。 さて、最初にこのスレを見つけた時、あまりに面白いので既に他ブログで紹介されているだろうと思いましたが、どこも紹介していませんでした。 ですから、ここにのっけて会長の降臨をのんびり待とうという目論見でした。 会長の発言から察するに、「はてな」好きそうというか、うろうろしているタイプかなと思ったので。 しかし、予想以上の反響を呼んでしまい…すべて会長のおかげです。 いろいろなトラバやコメントを見て、この業界に噛んでいる人は少なからず現状のオタクコンテンツに「危機感」というか疑問や問題点を感じているのだなあと思いました。(そうじゃない人もいるようですが) ほとぼりも冷めた頃ですし、のこのこと会長についてちょっと書いてみたいと思います。 オイラは「萌え絵描きとそのファンは死んだ方がいい
■ モダン 俺が知ってる範囲でのモダニズムは19世紀のなかば頃に始まって、20世紀前半にそのピークを迎えている。 20世紀後半から現在はポストモダンの時代で、モダニズムは過去の風潮だと見なす輩がいる。しかし俺はそうは思わない。 芸術のモダン、近代を始めた人は1850年代のフランスにいる。フローベールと詩人ボードレール。それから画家のマネとクールベ。 大雑把に言うと、モダニズムは「描く対象(事柄)を括弧に入れ、表現を前面に押し出す」ことだ。フローベールは文体を彫啄した。 その場合、味わうべきは書かれた話の内容以上にそれの「書かれ方」である。 マネの絵は浮世絵の影響もあるけど、描かれた対象の人物よりも、その表現に比重がある。笛吹きの少年が一体何者か?などと問うことには意味がない。 ということはつまり、それ以前の芸術は内容ばかり重視してきた、ということでもある。 ドラクロワの絵は見事だが、民衆を
<萌え絵描きとそのファンは死んだ方がいい<1日目>> のつづき。 元スレ<萌え絵描きとそのファンは死んだ方がいい> 「萌え絵根絶委員会」2日目討論と会長の留守中にいろんなキャラが降臨し、場はカオスになっていく。 188:スペースNo.な-74:2006/07/19(水)00:30:10 >>185 エロ本買いに朝の早くから(ヘタすれば徹夜で)ギンギン になって走り込んでくるような脂ぎったキモヲタ連中をナメ ずに接する人間がいたら聖人だと思うの。 194:スペースNo.な-74:2006/07/19(水)00:37:18 おれ会長に萌えてきた 早く会長の作品が読みてぇ!! 209:スペースNo.な-74:2006/07/19(水)00:49:21 昔は米帝や資本家や政治家を相手に出来たが 今は萌えを仮想敵にしなければならないのか ゲンダイの悩めるセイネンは難儀だな。 213:スペースNo.な
現存スレでほとんど動きがないのだが、あまりに面白い為、自分用にコピペでとっとく。 コピペに失敗したので改行がめちゃくちゃになってしまったが… たった2日間しか存在しなかった「萌え絵根絶委員会」会長の奮闘記。 この手の議論は同人板関連でよく見るけど、内容的にはどちらかというとVIP。 同人ノウハウでやるというのはスレ主がとんでもない電波かと思われたが、次第に会長の情熱と人のよさとそのボケっぷりにほだされてしまいましたとさ。 住人もキャラたってるのが多くて、進行自体がまるで漫画のようだった。 だから、会長にはぜひ戻ってきて欲しいとやはり思いました。 <萌え絵描きとそのファンは死んだ方がいい> 「萌え絵根絶委員会」1日目 1:スペースNo.な-74:2006/07/18(火)01:30:02 好みの画風を、とやかくは言いたくなかった。 だが萌え絵描きの奴らは、自分たち以外の方向性の表現をことごと
眼球譚(初稿) (河出文庫) 作者: ジョルジュバタイユ,Georges Bataille,生田耕作出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2003/05メディア: 文庫購入: 7人 クリック: 218回この商品を含むブログ (96件) を見る<ジョルジュ・バタイユ年譜> バタイユってのはフランス語で「戦争」という意味らしい。名前にふさわしいとうか、爆弾みたいな作品を書いていらっしゃった。 自分の中では名前だけはやたら有名で、読んでいる奴も周囲にいたし、やたらいろんなところで見かけたんだけど、なかなかどうして今まで読んでこなかった。 というのは、バタイユを哲学者だと思い込んでいたもんで、小説なんて書いていると思わなかったんだ。 だから、著作も全部思想書だと思い込んでいた。ジャック・デリダとかジル・ドゥルーズ系譜の難しくて、理解するのに倍の時間がかかる類の現代思想でも至極難解な部類の思想家
ケツ毛バーガー騒動で、非モテの卑屈さに驚いたりする今日この頃。 例えば… 一部では、このエロ写真が流出した女がキチガイになったから自粛しろとか消せとか言っているようだが、そんなもの、エロ写真を撮らせるようなバカ女が悪いのであって、自殺したならしたで自業自得というモノ。 ttp://blog.livedoor.jp/hayakun5232/archives/50711016.html(18禁画像有注意) でも、このブログ主は『ハルヒ』の同人誌で抜いたりしてんじゃないのか。 こういうこと書くからオタクは一般から嫌われるんじゃないのだろうか。あまりに現実の人々に対して思いやりが無い。非常識というか、普通に考えておかしい。 二次キャラだって現実があってこそ成り立つ虚構に過ぎないと考えれば、現実の女がいなければ二次元の女の子もいなかった、現実のこーまんがなければ二次元の女の子のこーまんもなかった、と
日本に本格的な漫画批評が定着しないわけ。 <1>本当に批評すれば、批判も盛んにやらねばならない。そのためには批評の基準――漫画の文法ではなく漫画の「良し悪し」――を定めなければならない。しかしそれを公言することは幾多の人間に噛みつかれる結果を招く。*1 伊藤剛は批評の基準を確立したと言いつつ、実際にしているのは漫画の文法を見定めることだけであり、東浩紀は漫画批評は周到に避けている。上の世代の呉智英、夏目房之助、竹内オサムまで含めて、良し悪しの基準を明らかにしないのは「大勢の人間に噛みつかれたくないから」である。東浩紀などそれをやったら体重は力士並に増え続けるだろう。 <2>そもそも批判に価する漫画が少ないという事実がある。称賛に価する漫画は幾つもあるが、下を見たらキリがなく、奈落の底と言える。 この状況で、「悪しき漫画を斥けて良き漫画を擁護する」などと言えたものではない。映画批評や文芸批評
『なるたる』はアニメのみ全話見ました。『ぼくらの』は3、4巻だけ読みました。 どうしてそれだけで語るのだ、といわれるとファンに対して申し訳ない気持ちになるが、端的に言えば「とりあえずこれで鬼頭莫宏の作風は理解できた」ということです。 細かい理由は後に書きますけど、そういう立場の人がのたまうことを前提にして、読んでほしい。 そもそも鬼頭莫宏についてはセカイ系の系譜で知った作家であり、Wikiや前評判で興味をもったわけです。以下、その資料になったもの。 そして表紙絵等に見られるファンシーな雰囲気は後になるにつれて姿を見せなくなり、性に対する作者のエゴとも取れる描写も多分に見受けられるようになる。 一方で性の陰湿さや暴力性、単純な快楽として描く反面、生を授ける為の営み、愛情の確認行為としても描かれる等、性=生という図式を命あるものの死と合わせて描いていく作品である。それは12巻での作者の巻末カバ
既に980超えているので、見れるのは今のうちだろうが…多分すぐに落ちるでしょう。 < 【定番】絵柄、漫画表現の流行史【斬新】 > このスレは随分昔から同人板に常駐していて、名前はよく見かけたけど興味がなかった。だが先日、暇だったのでのぞいたら思いのほか、まじめかつ丁寧な議論が交わされていて面白かった。 議論しているのは恐らく女性が中心な気がする。…絵の「流行」を気にするのは女子に多い気もするが、それにしてもこの話題だけでよくここまで話ができるなあと感心した。 何より、スレ用のお絵かき掲示板が、やたらうまいじゃないか…という。 < http://fox.oekakist.com/4251/ > < ログ倉庫 > 自分は昔から絵柄のはやりすたりに興味がない。物心ついた時から(ここで言われるオヴァ絵の部類に入るのだろうか)、アニメ絵がとにかく好きだった。 しかし、さすがに今『ダーペ』を見ると、も
キャラクター小説の作り方 作者: 大塚英志出版社/メーカー: 講談社発売日: 2003/02/20メディア: 新書購入: 5人 クリック: 37回この商品を含むブログ (147件) を見る大塚英志が『キャラクター小説の作り方』(講談社教養新書)の中で、スニーカー文庫の新人賞の募集要項に付けた編集者の言葉を批判している。 「次のような欠点がある作品はいつまでも一次選考を通過しません」として、6つの欠点が挙げている。 構成が破綻している 描写と説明を混同している キャラクターが借り物である 設定に関する考察が足りない ――等々。 見ての通り馬鹿げた指摘です。この忠告を守って書こうとしたら、必ず小説は詰まらなくなる。 大塚英志もそう言っている。 この編集者は全く有用な助言をする気がなく、むしろスニーカー文庫の読者=投稿者に対して心ない、と。 なぜならその欠点のほとんどは既存のスニーカー文庫に
ぜつぼう 作者: 本谷有希子出版社/メーカー: 講談社発売日: 2006/04/28メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 50回この商品を含むブログ (69件) を見る今さらだけど、オイラがアンチ松尾を標榜していることはいうまでもなく、その弟子にあたる本谷有希子も相当イタイと以前に書いた。 ところが当時、彼女の小説は読んでいなかった。ので、読んでみた。 筆者3冊目となる本作は、『群像』に掲載された長編だが、驚いた。 3冊目にしては「下手すぎる」!!!!! 『ロックンロールミシン』というしょぼい小説でデビューした鈴木清剛でさえ、最近はやっと「普通につまらない小説」のレベルになったと聞いていたが、書けばそれなりに地味にも派手にも上達するのが小説の世界、しかしそれは本谷有希子には当てはまらない。 理由はおそらく彼女が、小説を読んでいないままに書いていることにある。読めばそれが、一目瞭然で分
チリの地震―クライスト短篇集 (河出文庫) 作者: ハインリヒフォン・クライスト,Heinrich von Kleist,種村季弘出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 1996/10メディア: 文庫購入: 5人 クリック: 68回この商品を含むブログ (17件) を見る 古典主義とドイツ・ロマン派のはざまで三十四年の凄絶な生涯を終えた孤高の詩人=劇作家クライスト…。カタクリスム(天変地異)やカタストロフ(ペスト、火災、植民地暴動)を背景とした人間たちの悲劇的な物語を、完璧な文体と完璧な短篇技法で叙事詩にまで高めた、待望の集成。貴重なエッセイ二篇を付し、今はじめてこの天才作家の全貌が明らかとなる。 Amazonレビューより クライストは19世紀最高の劇作家との呼び名も高いドイツの作家です。彼の一生についてはwikiが詳しい。(しかし作品についてはほとんど触れられていないが) <クライスト
スミスは、いつかは卒業される運命にあるバンドだと思われがちだ。落ちこみがちな若者が聴く音楽であり、完全に立ち直ることができたときには捨て去られる音楽だ、と。そうした偏見のせいで、スミスはロックの神殿の一員になることを拒まれ続けてきた。無数のインディーズ・ロックバンドにインスピレーションをあたえただけでなく、ロックンロールにおける男性優位的な固定観念に果敢に挑んだバンドであるにもかかわらずだ。 Amazonエディターレビュー やってみたかったが、相当暇じゃないとできなかった企画。 『ハリーポッター』シリーズのJ・K・ローリングもご執心の80年代UKインディーバンドの最大のカリスマ、ザ・スミスの音源を以下の2枚を中心にYoutubeから拾ってきました。 何度も書いているけど、ザ・スミスはオイラにとっての青春であって(結構そういう人多いんだけど)、ロックにおける男根主義を完全に否定し、リリシズム
更新期の文学 作者: 大塚英志出版社/メーカー: 春秋社発売日: 2005/12メディア: 単行本購入: 2人 クリック: 14回この商品を含むブログ (23件) を見る 大塚英志の『更新期の文学』によると、アメリカで開発された小説用のプロット作成ソフトに「Dramatica」というのがあり、それを用いれば素人でもそれなりのストーリーを備えた作品が書けるようになるという。 ネットで評判になったアプリケーションには、既成作家の文体を模倣作成してくれるソフトがあるらしく、これを使えば宇能鴻一郎ふうのポルノ小説ぐらいは簡単に作れるという。 そのことから類推して大塚英志は「夏目漱石も大江健三郎も中上健次もアプリケーションひとつで書けてしまうし、小説の作者というものに意味がなくなる」と語るわけですが、この失笑モノのヨタ話をどう受けとればいいか。 本気でそう言っているのだとしたら、大塚英志は文体はテク
<素直になれないオタクたち - このページを読む者に永遠の呪いあれ>*1 この文章に対し自分なりのアンサー文章を書きました。 さて、少女漫画の「コード・様式」は絵柄に宿らないことは書いたとおり。 専ら「表現のしかた」や「表現の特徴」、独特の「画面づくり」にあります。 ありがちな少女漫画コード 背景が白い。 つーか、画面全体が白。 大ゴマのごちゃっとした街並や風景「どーん」を描きたがらない。 要するに背景は小さいコマに追いやられる。 (必然性なき)大ゴマに入るのは大概キャラのバストショット。 効果系トーンが好き。 花とか「自然」モチーフが好き。 画面ぶちぬき、変形コマ多様。 外界と内面の境界がうすい。画面上ではほぼ一体化している。 モノローグが多い。大ゴマで背景などは描かれないことが多い。 雰囲気や心理描写で話を作る傾向がある ネーム主体でストーリーが進行するので、セリフを読まずに絵だけ見て
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『このページを読む者に永遠の呪いあれ』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く