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京都市内のタクシー運転手の人種差別発言がひどい。京都精華大学教員に着任してから4年目を迎えるが、事態は悪化するばかりである。10回タクシーを使えば6-7回は「中国人」「韓国人」「外国人」を罵倒する運転手にあたる。その都度運転手に抗議、運転手の登録番号や氏名を伝えてタクシー会社やタクシー協会に報告、運輸局に通報してきたが、まったく改善しない。それでも抗議は続けていくつもりである。 内々でよそ者を差別し、それを快とし、その快楽を分かちもつことによって結束を固めるのが京都人の性なのか?そうは考えたくない。しかし京都の人々がこの事態を許しているのは事実だ。 是非みなさんもヘイトタクシーに遭遇した時には抗議の声をあげてほしいと思う。
京都精華大学レクチャーガーデン「いま、大江健三郎を読む」のお知らせ。(11月15日火曜より全5回) 2016/10/9 来る11月15日(火)から、今年もまた京都精華大学レクチャーガーデンで連続公開講座を行うことになりました。どなたでも受講できますので、ぜひお運び下さい。 今年、坂口安吾論を上梓しまして、当初その内容をとのことでした。が、「ぜひどこにも発表していない、これから本にする題目を」との要請がありまして、このようになりました。実は昨年度後半の早稲田大学のゼミで大江健三郎読解ゼミを行い、学生諸君にたいへん好評だったので、それをそのままアップデートして圧縮した内容になっています。お楽しみいただければ。 お申込みはこちらから。 ———————————— 気鋭の哲学者としてことばと厳格に向き合い、小説家として文学の限界に挑む講師が、「世界最高の作家のひとり」と断言する大江健三郎。この講座で
「わたしはこの本で人類への最大の贈り物をした」(ニーチェ)。 あかるく澄み切った日本語による正確無比な翻訳で、いま、ツァラトゥストラが蘇る。現在もっとも信頼に足るグロイター版ニーチェ全集原典からの文庫完全新訳。読みやすく、しかもこれ以上なく哲学的に厳密な、ツァラトゥストラ訳の新標準(ノイエ・シュタンダルト)が、遂にあらわれた。ーー この危機の時代のために。ふたたび。 諸君、ニーチェは、ここにいる。 2015年8月6日刊行 フリードリヒ・ニーチェ 著 佐々木 中 訳 『ツァラトゥストラかく語りき』 河出文庫 ▷www.kawade.co.jp 定価:1296円 本体価格:1200円 文庫 568頁 978-4-309-46412-1 C0110 Tweet
テクストは文書であることを必要としない。「テクストは書かれたもの(エクリ)であることを必要としない」と克明に述べつつ、彼[ピエール・ルジャンドル]はさまざまな文化の口承、ダンスやその振付をあげている。 だから彼は「黒人の偉大なるダンス」はそのままテクストの操作であり、ゆえに彼らのダンスはそのまま法的・哲学的・規範的に思考することそのものなのである、と事も無げに述べることができたのだ。 いわく、「ダンスはまた、それによって主体の身体が〈法〉を反響するものであって、このテクスチュアリティの外には書き込まれることはありえない」。 そう、われわれはすでに見てきた、われわれ自身がイメージであり、テクストであり、エンブレムなのだと。ならば、ダンスはそれを習得し、鍛練し、練習し、揺り動かし、舞い、跳躍させ、回転させ、軋ませ─つまり「思考する」ことそのもの以外の何かではない。だから、その振付を案出し「新し
「疵のなかで疵として見よ、疵を」 大阪は奈村造船所跡地で行われているNamura Art Meetingでの講演録。そもそも大阪に行ったのもはじめてならば、この奈村造船所跡地がまずとりわけても不思議な空間でした。それは最後にフォトログでお見せすることにして。 この「疵疵疵」がもっともよい、もっとも刺激的だったという声が実に実に多い。嬉しいのです。嬉しいのですが、やっぱりなあ、と僕のほうとしては複雑な心持になったことも、お伝えしておかなくてはなりません。 ごくごく平凡な事実、常識的な事実、つまり携帯なりスマートフォンなどを通じて「みんなポケットにカメラを持っている」という事実から説き起こします。そこからベンヤミンの写真論をすり抜けながら、ベルクソンのドゥルーズの写真論を検討します。二人とも「持続」「運動」の観点から、しかし逆に、ベルクソンは映画を批判しドゥルーズはそれに抗して映画を賞賛
2012年11月5日、筆者は産経新聞より読書面にエッセイの寄稿を求められました。文字数は14行×55字=770文字、締め切りは12年11月26日、掲載日は12月2日ということでした。担当者は、私の著作を読んでおり、また「『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』へのゲスト参加等々、拝見、拝聴し、刺激を頂いて」いる旨を明言していました。私は念のため、「どんな本を選んでもよいという確約をいただきたい。たとえば、おおげさではなく『共産党宣言』 で載せることは可能ですか?」と確認をし、快諾を頂戴しました。そして11月25日の夜に執筆した文書を産経新聞に送信しました。すると、26日夜にメールが着信し、一方的に紙面掲載を拒否されました(前日に入稿しており、さらに770文字という短い分量なのですから、内容が別の意味でそぐわないなら修正の交渉をするという方策があったはずですが)。 私は、最後のメー
『この熾烈なる無力を』が刊行されました。 すでに首都圏の書店では並んでいるようです。 装幀に齋藤陽道氏の澄明な写真を使うことは、ここ数年来の念願でした。 齋藤氏が初写真集『感動』(赤々舎)を出版する以前のこと。 赤々舎を訪問し数時間かけて、数千枚から数万枚の写真を見せていただき、 8枚選んだうちの5枚が、齋藤氏の写真でした。 この写真は、前述の写真集にも所収されています。ぜひ。 さて、今回はひとつの試みとして、私自身による各章解説を以下に書いてみようと思います。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「拾遺余録(アナレクタ)」という前もっての性質上、「雑多なものの悦ばしさ」を当初からめざして編まれたシリーズの最新刊です。今回はますますハードコアな部分とソフトコアな部分との振れ幅が大きくなっています。どちらも佐々木中、ぜひ手にとって頂ければ。それにして
いとうせいこうと佐々木中による東日本大震災(東北地方太平洋沖地震による震災)へのチャリティ連作小説です。打ち合わせなし、全くのインプロヴィゼーションで二人が一章ずつ小説を書き上げます。 特に独自窓口は設けません。読者のみなさん、是非リンクから直接募金をよろしくお願いします。 >> 日本赤十字社 東北関東大震災義援金へのリンク >> その他の寄付窓口はこちら 単行本として刊行されれば、いとうおよび佐々木に入る収益は全額寄付します。 二人のバックトゥバックあるいはフリースタイルをお楽しみください。 繰り返しになりますが、そのあとは是非募金を! 3 君にとっては、生きとし生けるものが血のつながりあるものではないのか。だからこそ生のなかを彷徨え。抗う術もないままに。憂いを抱くな。何ものも恐れるな。君のことを誰が忘れようとも、君が語った長い長い物語をまた劫火に投じて、白くつめたく仄かに湿って
いとうせいこうと佐々木中による東日本大震災(東北地方太平洋沖地震による震災)へのチャリティ連作小説です。打ち合わせなし、全くのインプロヴィゼーションで二人が一章ずつ小説を書き上げました。 ▷公開時の様子 公開時の「単行本として刊行されれば、いとうおよび佐々木に入る収益は全額寄付します。 」という記述の通り、本書籍の著者印税すべて、および出版社の売上の一部は、Civic Force 及び あしなが育英会に寄付されます。 目次 1 A.S. / 2011.03.27 ▷ こちらはネットでも読めます 2 S.I. / 2011.3.30 ▷ こちらはネットでも読めます 3 A.S. / 2011.4.9 4 S.I. / 2011.4.16 5 A.S. / 2011.5.12 6 S.I. / 2011.5.16 7 A.S. / 2011.8.25 8 S.I. / 20
▷帯付書影 ▷カヴァーなし表紙 取りて読め。筆を執れ。そして革命は起こった。 閉塞する思想状況の天窓を開け放つ、俊傑・佐々木中が、情報と暴力に溺れる世界を遙か踏破する。 白熱の五夜一〇時間語り下ろしインタヴュー。 第一夜 「文学の勝利」 第二夜 「ルター、文学者ゆえに革命家」 第三夜 「読め、母なる文盲の孤児よ ― ムハンマドとハディージャの革命」 第四夜 「われわれには見える ― 中世解釈者革命を超えて」 第五夜 「そして三八〇万年の永遠」 >> 目次 2010年10月22日刊行 佐々木 中 『切りとれ、あの祈る手を —〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』 河出書房新社 ▷www.kawade.co.jp 定価:2,100円 本体価格:2,000円 四六判 上製カバー装 214頁 978-4-309-24529-4 C0010 6刷出来 >>Download
(C) 2008-2017 Ataru Sasaki. since 2008.9.25. last modified 2016.02.14.
『夜戦と永遠』第一〇節に訂正があります。迂闊な見落としと誤解のために、第一〇節の叙述がラカンの意図に反するものになってしまっています。 例えば、第一〇節の叙述の通りならば、丁半ゲームの結果が +----++・・・だった場合、21122と変換され、次にδαβγと変換とされてしまいこれは論旨に反する。 また+------・・・ならば21111となりδαααと変換され二つ落ちることになる。もっと端的に言えば、+++++++・・・ならば11111→ααααとなる、等々(しかしそもそもラカンはαの四連続は可能だがβの四連続は可能ではないとはっきり『エクリ』のなかで明言している!)。 そこで、ラカンの『エクリ』に即して、第一〇節の論旨を次のように訂正します。以下、一から論じているとたいへんに長くなりますので、やむを得ず『夜戦と永遠』第一〇節をお読みになっていることを前提として書かせていただきます。ぜひ
期日前投票行って来ました。家から出て帰ってくるまで12分もかかりませんでしたね。 投票という制度は数理的にも歴史的にも限界があることがわかっています。コンドルセからアローの理論、そして古代から現在に至るまでの世界中の選挙と投票の歴史を勘案すれば明らかです。そもそも「代表」という考え方自体に問題があることも、少し調べればわかることです。 しかし、手段をえり好みしている余裕がある時代や場所など、一度たりともあったでしょうか。特にわれわれが生きる今は? 使えるものはすべて使ってわれわれの意志を示すべきではありませんか。われわれの手の中にある一枚の紙切れを手に入れるために、どれだけの偉大な人間が戦い、そして倒れて来たことでしょう? マイナス100とマイナス150の候補がいたとして、50も違うと冷静に考え、落ち着き払ってマイナス100の候補に投票するのが大人です。だからこそ大人に選挙権が与えられるの
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