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管啓次郎 Keijiro Suga BAD言語の誇りと苦悩-エボニックス広告、背中読み 本稿は「広告」1999年3+4号に掲載された文章の別ヴァージョン(約2倍の 長さ)です。アトランタのアフリカ系アメリカ人の専門職の人々の団体による、エボ ニックスをめぐる意見広告の解説エセー。対象となった広告には、マルコムXを思わ せる黒人の男の後ろ姿に、I has a dream. というコピーがかぶせられていました。 さてと、この広告。おや、なんか変だな、とは誰でも思うだろう。ええっと、I と きたら、やっぱりhaveでしょう? あるいは過去形だとしたってhad だし。これ、ま ちがってるんじゃないの。しかしこんなシベリアに椰子の木を植えるような大誤植が 堂々とまかりとおるはずはない、よね? 幸か不幸か日本でも中等教育の第一年めに 習得させられる英文法の知識があれば、このセンテンスには違和感を覚える
コヨーテ読書の目次へ戻る 管啓次郎 Keijiro Suga コヨーテ読書 7 エボニックスの水際 as trees repeat her darkening English. Derek Walcott 十六年前、と書くとあまりの時の流れに思わず青ざめるが、ぼくはアラバマ州の小さな町にある小さな州立大学の学生だった。木材の出荷地として十九世紀に開けた町で、切り開かれた森のあとは棉花の畑やピーカン・ナッツの林となって、いかにも肥沃そうな黒々とした土を南部の太陽にまぶしく光らせていた。学生の半分は黒人で、半分は白人だった。ぼくらは寮に住み、三食を体育館のように大きな大学の食堂で食べた。ここでおもしろかったのは、見かけ上の平等が保たれていても、それぞれのテーブルははっきりと肌の色によって分割されたということだ。黒人学生と白人学生は、もちろん話をする。立ち話をして冗談だっていいあうし、ひさしぶり
「身体としての書物」 第1回 アルドゥスに倣びてー八折り本を作る 第2回 ボルヘス「砂の本」を読む 第3回 ボルヘス「バベルの図書館」を読む 第4回 ボルヘスと焚書について 特別篇 川べりの本小屋で ー山口昌男氏との対話 第5回 「ボルヘス・オラル」を読む 第6回 ジャベス「書物への回帰」を読む 第7回 ジャベス「問いの書」を読む 第8回 書物のゆらめき:ページネーション考1 第9回 手稿から頁へ:ページネーション考 2 「身体としての書物」 今福龍太 第8回 書物のゆらめき:ページネーション考1 ボルヘス、ジャベスといった作家や詩人が本について、つまりモノでありイデアでもある本について、どういうことを徹底的に考えてきたのかを、ここまでテクストに寄り添いながらみてきました。そうしたいわゆる文学的なテクストを精緻に読みとくと同時に、初回の講義などでわれわれは実際に手を動かし、アルド
Cafe Creole Library コヨーテ歩き読み 管啓次郎 1 津野海太郎『新・本とつきあう法』 1999.2.12 2 中村和恵『キミハドコニイルノ』 1999.2.15 3 ケン・モチヅキ作+ドム・リー絵『野球がぼくらを救った』 1999.02.15 4 西江雅之「西江流ぶらり旅in那覇」 1999.02.18 5 鈴村和成・訳編『ランボー詩集』 1999.02.21 6 近藤耕人『映像・肉体・ことば』 1999.02.23 7 鶴見俊輔『期待と回想』 1999.03.23 8 佐藤文則『ハイチ-目覚めたカリブの黒人共和国』 1999.03.24 9 小泉義之『弔いの哲学』 1999.03.25 10 多和田葉子『カタコトのうわごと』 1999.06.05 11 林巧『マカオ発楽園行き』 1999.06.14 12 畠山重篤『リアスの海辺から』 1999.06.15 13 堀田
「身体としての書物」 目次 第1回 アルドゥスに倣びて:八折り本を作る 第2回 ボルヘス「砂の本」を読む 第3回 ボルヘス「バベルの図書館」を読む 第4回 ボルヘスと焚書について 特別篇 川べりの本小屋で ー山口昌男氏との対話 第5回 「ボルヘス・オラル」を読む 第6回 ジャベス「書物への回帰」を読む 第7回 ジャベス「問いの書」を読む 第8回 書物のゆらめき:ページネーション考1 第9回 手稿から頁へ:ページネーション考2 第10回 本を読む子供:ベンヤミンと書物1 第11回 学級文庫:ベンヤミンと書物2 第12回 模倣、交感、井上有一:ベンヤミンと書物3 第13回 触覚と幼年期:ベンヤミンと書物4 「身体としての書物」 今福龍太 第12回 模倣、交感、井上有一 ベンヤミンと書物 3 ごく一般的に考えられている書道は、次のようないくつかの段階をふまえて成立しています。まずは「手習
「身体としての書物」 目次 第1回 アルドゥスに倣びて:八折り本を作る 第2回 ボルヘス「砂の本」を読む 第3回 ボルヘス「バベルの図書館」を読む 第4回 ボルヘスと焚書について 特別篇 川べりの本小屋で ー山口昌男氏との対話 第5回 「ボルヘス・オラル」を読む 第6回 ジャベス「書物への回帰」を読む 第7回 ジャベス「問いの書」を読む 第8回 書物のゆらめき:ページネーション考1 第9回 手稿から頁へ:ページネーション考2 第10回 本を読む子供:ベンヤミンと書物1 第11回 学級文庫:ベンヤミンと書物2 第12回 模倣、交感、井上有一:ベンヤミンと書物3 第13回 触覚と幼年期:ベンヤミンと書物4 「身体としての書物」 今福龍太 第10回 本を読む子供 ベンヤミンと書物1 この「身体としての書物」という授業も後期にはいりましたが、今日はまず、これから論じてみようと思ういくつかの
コヨーテ読書の目次へ戻る 管啓次郎 Keijiro Suga コヨーテ読書 1 本は読めないものだから心配するな 本は読めないものだから心配するな。あらゆる読書論の真実は、これにつきるんじゃないだろうか。 少年よ君はすぐ歳をとる、ごくわずかな間と思える光と影のうつろいも軽んじてはいけない、と古人は教えたが、人生はたしかに異常に短く、技芸の道は長い。ぼくも人の世の森のなかばに達したが、無知はいまも圧倒的につづく。世界にありうるすべての知はもとより、ひとりの人間だってせめてこのくらいの実用的知識は身につけられるはずだという予測的蜃気楼すら、茫洋とした地平線に浮かぶだけ。あそこまでは行けるんじゃないかという空間中の一点すら、まだまだグランド・キャニオンの谷底からはるか上方へとそびえたつ豪壮な断崖を見上げるようなもの。あたりまえだ、すべての人間は根本的に無知であり、どの二人をとっても共有する知識よ
「身体としての書物」 第1回 アルドゥスに倣びてー八折り本を作る 第2回 ボルヘス「砂の本」を読む 第3回 ボルヘス「バベルの図書館」を読む 第4回 ボルヘスと焚書について 特別篇 川べりの本小屋で ー山口昌男氏との対話 第5回 「ボルヘス・オラル」を読む 第6回 ジャベス「書物への回帰」を読む 第7回 ジャベス「問いの書」を読む 第8回 書物のゆらめき:ページネーション考1 第9回 ページネーション考 2 「身体としての書物」 今福龍太 第2回 ボルヘス「砂の本」を読む (月光荘のノートをとりだして・・・) この不思議なかたちと色のノートは、銀座の古い画材店「月光荘」のウス点スケッチブックですが、これをみなさんにプレゼントしますので、好きな色のものを一冊選んで下さい。「大学ノート」ということばは、もはや死語かもしれませんが、これは、いわゆる既製の大学ノートとはかけはなれた形態や
Essays now and then へ戻る 今福龍太が読む 7 李静和『つぶやきの政治思想』(青土社) 真摯かつもっとも果敢な思想とは、本質的にこのように思考してきたのではないか。著者の詩的で官能的ですらある言葉の連なりに心を揺さぶられたあとの最初の思いはこうである。「このように」とは「どのように」なのか、という説明を求める問いには、論理的・分析的な言語が捕獲することも到達することもできない、生の身体的・情動的な領域に宿された知に寄り添って思考しようとする著者のことばづかいと表現の身振りに、ただつきしたがって、この文章を自らの内部に受け止めるほかはない、と答えよう。思考することへの意志が、自らの徹底して個別的な身体的記憶や情念の構造をそのままに受容しながら、そこに決して自閉的でも自慰的でもない、いやそうした地点から最も遠い、精密な「内部の対話」をゆっくりと確実に築きあげてゆく。歴史や政
個人史を巡る旅:中上健次を巡る旅 このシンポジウムは1996年10月、中部大学において行われました。 丹生谷貴志 中上健次は先年ガンで亡くなりまして、一部では昭和文学の最高峰であるといわれている。少なくとも四方田犬彦とか渡辺直己という、いわゆる若手のあいだではそうです。むしろ近代日本文学の奇跡とさえ彼らはいおうとしている。もちろん大江さんたちなどは、褒められすぎだというのですが、それはおいておくとして、中上健次さんが特殊な、あるいは特異な文学者であったことは間違いないだろうとおもいます。 そこで個人史は自分史ではないし、個人史学会などがあるわけではないですから、それぞれが個人史について考えねばならない。だから、中上さんのやろうとしたことが、個人史の記述の仕方のモデルではないかという仮説としてお話してみたい。 中上は新宮の被差別部落出身で、そこを路地と名づけて、そこに自分の分身である秋幸、あ
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